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#タルにゃん
onodera-kosaki · 2 years
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レムの気持ち | タルにゃん [pixiv] ※Permission was granted by the artist to reupload their artwork.
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vixensreiha · 1 year
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PekoMari by タルにゃん
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oyoriyori · 4 months
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ちぇるみこのライブにいったよ〜
ひよが2年前におすすめしてからタル氏の方がどっぷりハマって今や1人でもライブに行ってるタル氏。好きなものを共有したら尊重してくれて、「これひちが好きなアイドルくんたちじゃない?」「ひちがよく聞いてるやつじゃない?」って教えてくれるタル氏。らぶです🥰👯‍♀️
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タル氏は終始ちぇるみこの精神で生きるんだ。とちぇるみこの歌詞に感銘を受けておりました。
「めんどうなことしたくない」
「give me 毎月三億円(非課税)」
の精神で生きると宣誓しておりました🦭
今日の推しゴト。添付させていただきます。
最近の推し君🐈永遠の推しヌナ🦄みんな大好きソチャンビン🐖🐇
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kaibandlove · 1 year
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甲斐バンド 「メンバー紹介~週末」京都産業大学学園祭
1st『らいむらいと』A面5曲目。
初めてこの曲を聴いた時、「長い曲でタルいな」と思ったけど、何回か聴いてるうちに、なぜか口ずさみたくなってしまうのである。
サビの部分、曲の後半で甲斐が歌い方を変えてる部分とか、ちょっと歌ってみたくなるのです。こういうシングル前提じゃない曲でも、どこか歌いやすいフレーズ挟んでくるのが、甲斐の常套手段である。
大森信和のギターが70年代ストーンズのバラード曲風に聴こえて、アルバムのテイクよりライヴの方が好きかな。
甲斐のMCで驚かされたのが、この当時(77年かな?)、その大森信和が週刊誌を賑わせてた件。まあ、2年後くらいには、甲斐も同じく女性関係のネタでお騒がせするのだが...。
ちなみに、印象的なキーボード・プレイを聴かせてくれるサポートの豊島(修一)は、後にもんた&ブラザースのギタリストとなり、お茶の間に登場する。
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nemosynth · 1 year
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episode 2 - CASIO CZ-101
史上初の民生機デジタル・シンセとして一人勝ちしていたYAMAHA DXシリーズ。勝ち誇るその牙城への最初の 挑戦者として立ちはだかったのは、だが意外なことに既存のシンセ・メーカーではなかった。
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創業者たち、その名も“樫尾さん”という苗字の四兄弟に由来するメーカー“CASIO”。1970年代からハイテクな電 子計算機やコンピューターを開発製造販売し、そしてG-SHOCKなど腕時計関連で名機を輩出させたことで有名。
1979年あたり、既にYAMAHAは小型でプリセット音色のみを搭載した電子楽器“ポータブル・キーボード”を発 売予定であることをNAMM Showでアナウンスしていた。ご家庭向けにエレクトーンを小型化したような文脈で考 えていたらしく、むろん販路は正しく楽器屋さん。その予告通り初代ポータサウンドことPS-1(鍵盤Fスケール2 オクターブ半)、PS-2(同3オクターブ)、PS-3(同3オクターブ半)の三羽ガラスが発売されたのが 1980年。 だがその出鼻をくじくかのように、CASIOは初代カシオトーン“CT-201 Casiotone”を、同年1月に発売したの である。しかも販路は電気屋さん! はなから楽器を相手にしていないエンタメ志向。
世の中アナログ・シンセしかなく、ましてや翌年にその王者ROLAND Jupiter-8が出るなんて誰も知らなかった 1980年1月、なんとCT-201は既にデジタル音源を搭載。計算機メーカーが楽器を作るだなんて無謀なことをと誰もが笑ったというが、なにしろ“デジタルはカシオ”(というCMが当時ありました)。デジタル・テクノロジーが可 能にせしなんぴとたりとも追いつけない価格破壊と優れた仕様と楽しい性能で、あっというまに低価格のご家庭用 お楽しみ電子楽器ファミリー向けプリセット型キーボードという世界を築き上げ、ゲーム・チェンジャーとなった ことは周知の通り。
1980年にして既にデジタル・シンセシスを搭載したCT-201。8音ポリ4オクターブ49鍵、ベロシティには対応 せず音色エディットも不可。その代わりプリセット29音色(YAMAHA初代ポータサウンドは4音色のみ)。スピー カーを内蔵しているので音も出る自己完結型の電子鍵盤楽器。9万7千円は高いと思われるであろうが、当時のシ ンセはアナログ・シンセばっかでポリシンセと言えば何十万円、モノシンセでも10万円前後というときに、ホー ム・マーケットへ向けて電子ピアノでもオルガンでもシンセサイザーでもない8ボイス・キーボードが、しかも飛 びきりの安価で殴り込んでくるとは誰も予想だにしなかったのである。
「電卓屋」とバカにされたCASIOには、だからこそ大きな武器があった。デジタル技術と生産技術である。
当時CASIOのデジタル技術は、YAMAHAよりも5年は先をゆくものであったという。そして絶対に売れるものを徹底的に量産する。それも安定してクオリティをキープしつつ、ありえない低価格で桁外れな数で大量生産。ここで忘れていけないのは、“数撃ちゃ当たる”とよく言われるが、“数撃ちゃハズレはもっと増える”のである。ハズレ撲滅! 花形の設計開発エンジニアたちがヒーロー・インタビューに応える影で、撃って撃って撃ちまくれの檄 (ゲキ) が飛ぶ中、ハズレ撲滅のためいかに製造/資材調達/品質管理の現場の皆さんが頑張っておられるか、それは美しきにっぽんのものづくり。不良率低減の5文字こそが工業立国メイド・イン・ジャパンの生命線。卓越したプロダクション・テクノロジー、イギリス英語ではインダストリアル・テクノロジー。廉価版デジ タル音源キーボードをしかも圧倒的な台数で作るというのは、実は電卓屋CASIOが電子楽器をして量産品にまで押 し上げし歴史的メルクマールですらあった。
庶民の味方カシオトーンはあっという間に新しい市場を開き、すぐさま自動伴奏機能が付いてファミリー向けの 定番となり、光ナビゲーションはもちろん、バーコードを楽譜の代わりに読み込むバーコード・リーダー搭載モデ ルまで出現、この痛快なる常識破りっぷりが大ウケ。音色やリズム・パターンのバリエーション急拡大。YAMAHA ポータサウンドと一騎打ち。
そして“子音母音方式”とも呼ばれたカシオトーンの音源方式は、その名の通り子音と母音、つまりアタック・ト ランジェントと持続音部分という2つの音色をまさに部分音合成するものであった。カシオトーンはその後のデジ タル・シンセのあり方すらをも予見させる迫力に満ちた先駆者でもあったのである。ROMに言わばエンジニア様直 筆の手描き波形まで仕込んだらしいから、すごいねぇ。
そのCASIOが家庭用キーボードからさらに一歩踏み出し、プロ用シンセを手掛ける初めとなった、いわばパイロ ット・モデルのような機種がようやくここで紹介するCZ-101。ときに1984年11月。
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MIDIが誕生すると同時にYAMAHA DX7が発売され、あっという間にアナログ・シンセが過去の遺物として片付 けられてしまってから1年。カシオが突如として発売した同社初のシンセCZ-101。それはDXへの最���のチャレン ジャー、デジタル・シンセ対抗馬、YAMAHAにしてみれば“またお前か!”と言いたかったやも。ミニ鍵49鍵とい うかわいいフォーマット。エンド・ピンも付いてダサかっこいい肩掛けもできる。そのポップで直線的な80'sデザ インは立花ハジメによるもの。のちのポップなカラーリングになった上位機種たちに比べれば、CZ-101のそれはま だまだ地味。だが既にDXとは全くテイストの異なる外観に、CASIOがYAMAHAの対抗馬となる片鱗が見えてい た。
だがいくらカシオトーンで成功していたとはいえ、さらにそこからいきなりヲタでニッチなデジタル・シンセへ と跳躍するには、持ち前の大量生産技術だけにとどまらないCASIOなりの勝算があったはずである。
まず計算機メーカーだったカシオは、その中枢となるデジタル演算を行うICチップなんぞいくらでもNECや日立 などから買うことができる大口の大得意様であった。というのも電子楽器のために特化したICを作るとなると、仕 様が特殊であるだけでなく計算機などと比べても圧倒的に販売台数が少なく採算割れするため、作ってすらもらえ ない。だが電卓屋カシオは既にチップ・メーカーからすれば御大尽さまご贔屓さま、むしろどんどんチップ・メー カーの方からさまざまな売り込みがあったはず。事実CZ-101には他社に作ってもらったICがたくさん搭載され、そ れでもって音源回路となした。電卓屋カシオ面目躍如!
また徹底してコスト・ダウンすべく鍵盤におもりや��プリングなど付けることもなく、鍵盤下に敷いたゴム・ス イッチそのものにいきなり鍵盤を載っけて直接支えさせ、ぷにゅぷにゅ言わすことで鍵盤の反発力を生じさせてい る! すなわちYAMAHAのように楽器屋さんとしてのプライドと歴史からタッチ・センスにこだわるのではなく、 逆転の発想でタッチ・センスを省くことでしがらみから解放され、画期的にコスト・ダウンして斬り込んできたの である。しかも打鍵の強弱に左右されないおかげで、誰が弾いても一定のクオリティとなるを担保。旧態依然とし た楽器にとらわれない、計算機メーカーならではの自由な発想であろう。
さらにカシオトーンに欠かせない自動伴奏機能からヒントを得たのであろう、マルチ音源化。そしてお得意のミニ鍵でもって設計リスクの小さなパイロット機種となし、かくしてCZ-101はCASIO初の量産型シンセとして、しかもアナログ・シンセではなくいきなりのデジタル・シンセとして飛び出した。
「Xの次はZだ!」
デジタルYAMAHAへの挑戦状を最初にたたきつけた思わぬ伏兵、CASIO CZシリーズ。ラインナップ急拡大。しかもヤマハDX9の失敗を見て、19万8千円がタッチ・センスなし機種として許される上限価格と見極めたのであろう、フラッグシップ・モデルCZ-5000とCZ-1とが、共に19万8千円で誕生。楽曲制作かプレイヤー志向かの二者 択一。史上2番目の民生機デジタルは、だがタッチ・センス無きビンテージ・アナログの戦略を踏襲しつつ、それ を画期的にデジタルで換骨奪胎して提示してみせた知恵者であった。
同じことは、カシオ独自のPD音源(Phase Distortion Synthesis)にも言える。FM音源と同じく位相変調方式 であり、サイン波の代わりにコサイン波を使うことでYAMAHAにシバかれた音源方式。だが、傍目にはただのデジ タル化された減算方式にしか見えぬ。DCO→DCW→DCAというフローに隠されたモジュレーターとキャリア。 DCWに至ってはDigital Controlled Waveという名の謎のモジュール。計33種類に達する音源波形なるものがもた らす音の多彩さは、とてもアナログ・シンセの比でない。レゾナント波形もあるばかりか、パルス波1波/サイン 波1波/ノコギリ波1波の3つが交互に出現するという、キテレツな波形もある。
そればかりでない。CASIOの鋭さは、アナログであればカットオフとEGデプスに分化しているパラメーターを一 つにまとめた合理化センスにもある。前例主義や様式美なお作法に対し、ちゃんと注意を払って革新しているので ある。トドメはYAMAHAですら採用しなかった8ステップのエンベロープ・ジェネレーターを、しかも音程、音色、音量の3ブロック個別に持つことで、アタック・トランジェントすらをもEGで自作できるというぜいたくさと 柔軟さを誇ったこと。すなわちトランペットを吹くときに唇が震えるリップ・ノイズ、撥弦楽器の弦のビビリなど など、のちのサンプルのような鏡写しでは無いにしても、キッチュながらリアルな独自のキャラを持つに至った。 アナログな音も、デジタルな音も、サンプラーのような音までもが出る万能シンセ! それがこんなちっちゃいボ ディで乾電池で駆動までできる! シンセ界のスイス・アーミー・ナイフのような機種、それが驚きの隠し玉CZ- 101。
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かくして音創りしやすい減算方式にしか見えないのに、新しい音がするところにデジタルが切り拓く未来があっ た。しかもサンプラーではなくシンセであり、PCMでもないが故、かえって自由に音創りできたところはシンセの 本分をよくとらえている。リング変調やノイズ変調まであり、CZシリーズ上位機種に至ってはぜいたくな三相コー ラスを備えるなど、画期的コスパも発揮。
なお、DCOという言葉が使われているが、本来DCOとはピッチのみをデジタル制御させたアナログ・オシレータ ーを意味する。だがCASIOが言うDCOとは実はDCOではなく、フル・デジタル・オシレーターであり、すなわち DOとも言うべきもの。この混同が、他のDCOシンセをしてVCO原理主義者アナログ・シンセ警察から“音が薄 い”などと因縁を付けられる要因になったやも。よもやクラブ・ミュージックにおいてCZの音が“デジタルなのにあ ったかい”などと重宝されることになろうとは、一体誰が思い描けたことであろう。
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一連のCZシリーズを展開する傍ら、CASIOは史上初の16ビット・サンプリング・シンセFZ-1、高橋幸宏のタイ コの音を搭載した言わばシグネチャー・モデルみたいなサンプリング・リズムマシンRZ-1、同じく幸宏が開発にか かわったデジタル・ドラム・セットDZ、音符マークが付いたボタンまで搭載し分かりやすい単体シーケンサーSZ- 1、なんとMIDIスルー・ボックスTB-1に至るまで、一気に電子楽器ラインナップを広げた。CZ-101から4年後には 次世代モデル、それもフルモジュラーなiPD音源(interactive Phase Distortion Synthesis)搭載デジタル・シ ンセVZ-1や、同音源を搭載したギター・シンセPGシリーズまで投入。
さらにはアドバイザーだった冨田勲のために和製Synclavier的な巨大ワークステーション・システム“Cosmo Synthesizer”も制作している。これはCZ-101に先行する極めて大規模な実験機種であり、MS-DOSマシンを中核 とし、PD音源モジュール8基、サンプラー音源モジュール2基が組み込まれたラック・タワーがそびえ、波形も音 色もシーケンスも専用PCエディターで編集し制御するのであった。それを冨田勲さんはメディアアート・イベン ト“アルス・エレクトロニカ”の一環としてオーストリアはリンツのドナウ河畔で開かれた超巨大立体音響野外コン サートに使った。CZシリーズが別名“コスモ・シンセサイザー”と称されるのは、これに由来する。
最初にMIDI規格を立ち上げたときにはかんでいなかったCASIOが、さりげなくCZを4パート・マルチティンバ ー仕様にしてきたことも先を見越した鋭さであろう。MIDI制定にカシオは関与してこなかったのに、それでいてそ の本質を見抜いた慧眼(けいがん)はやはり初めからデジタルに強いメーカーならでは。先述のCZ-5000はマルチ 音源であることを利用し、KORG M1に先駆けたワークステーション・シンセとなった。このマルチティンバーを生 かした進化形には SD音源(Spectrum Dynamics Synthesis)を搭載したシンセHZシリーズからHTシリーズへ と進化した“自動伴奏シンセ”まであった。
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史上初のデジタル・シンセとして一人勝ちしていたYAMAHA DXシリーズ。勝ち誇るその牙城への最初の挑戦者 として立ちはだかったのは、だが意外なことに既存のシンセ・メーカーではなかった。YAMAHAに挑み、その好敵 手となったのは実は門外漢だったはずのCASIOであった。
得意のデジタル・テクノロジーでもってシンセ界に殴り込んできたカシオ。他社がデジタル化に乗り遅れうろた えているときに、逆にしょっぱなからデジタルで斬り込んできたCASIO。楽しく音楽するためには、必ずしもシン セは楽器でなくてもいいと見抜いていたCASIO。楽器たるしがらみにこだわったYAMAHAとは真逆に、楽器メーカ ーでは無いからこそお気楽に楽しめる別な楽器の世界があると知っていたCASIO。優れたプロダクション・テクノ ロジーでもって親しみやすさ分かりやすさを命題としたCASIO。お高くとまった楽器にきっついブローをかました CASIOは、その実フレンドリーな庶民の味方であった。
外様だったはずのCASIOが暗に掲げたのは、楽器の民主化であった。いや、外様だったからこそ楽器の民主化を 掲げたのであろう。CASIOが実現したのは既存メーカーがなし得なかった価格破壊だけでない。CZを踏まえて登場 した自動伴奏シンセを、だっさいなどと思うことなかれ。弾くのがややこしい伴奏もノー・プロブレム、マルチテ ィンバー音源とマルチトラック・シーケンサーとの組み合わせでもって、そうとは感じさせることなく機械が人間 を自然にアシスト。
人と機械との親密でフレンドリーで幸せな関係、それを理屈抜きで分かりやすく提示する。アトムやドラえもん がいる日本ならではの、機械が人間と共存する理想的な関係。いずれたどりつくであろうその未来はAI vs 人間で はない。AI が勝つのでも人間が勝つのでも無い。ポジティブな“ウィズ AI”。そんな未来に至ることになろう一歩 二歩を、エンタメ楽器ならではの切り口で分かりやすく平べったく描いたのが、市民感覚CASIOの楽器であった。 つまりそれは、楽器であることを棄ててもまだ楽器、おつむのおカタい楽器に一石を投じる新しい楽器の産声であ った。
CASIOは、えらい!
(2021年9月21日Sound&Recording公式サイト初出)
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makoici40181206 · 1 year
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1月14日 土曜日の #晩ごはん ……韓国家庭料理 ・ お姉ちゃんリクエストで、 2週連チャンで恵比寿の #お気に入り で やっぱおいしい[じゃがいもと人参のナムル] [ポッサム]は海苔で巻いていける [チャプチェ]太い春雨がシコシコ [マンドゥ]焼きより茹でがおいしい [ブデチゲ]太いインスタント麺が決めてですね ・ #韓国 #韓国家庭料理 #ばんごはん #晩ご飯 #晩御飯 #ごはん #ごはん日記 #野菜 #野菜たっぷり #韓国野菜 #ナムル #人参 #じゃがいも #チャプチェ #マンドゥ #鍋 #韓国鍋 #海鮮鍋 #プデチゲ #ポッサム #韓国海苔 #チャミスル #写真 #グルメ#うまい #yummy #コロナに負けるな 2206 (タル家(韓の屋台料理とコプチャン焼・鍋)) https://www.instagram.com/p/Cnk1_wjS2Up/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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kojiomiya · 1 year
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丸亀製麺の期間限定メニュー、うま辛坦々うどん690円とタル鶏南蛮ぶっかけうどん740円。どちらも丸亀製麺にしちゃお高い値段設定だけど、タル鶏の唐揚げの量ハンパない‼️両方ウマかった💕それとゲソ天のイカがメッチャ柔らかかった❗️ #丸亀製麺 #うどん #アプリクーポンで30円引き (丸亀製麺 山形店) https://www.instagram.com/p/Ck-n5i6rkiA/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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poi-son-ous · 2 years
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Título: オルソドクシア / Orusodokushia / Orthodoxia / Ortodoxia Música y letra: Guchiry Mezcla y mastering: Mauka Alicegawa Ilustración: Hima Vídeo: Aise Manami Traducción al inglés: Hiraethie, editada por Violet330 Vídeo original: https://youtu.be/YdPzENopl3s Letra:
【経典(拾伍箇条ノ正統タル教エ)】 “Las escrituras (15 oraciones de enseñanzas ortodoxas)“ 壱、神の偉大なる恩恵は、純然たる信仰心に施される。 弐、神の名を騙ることは、教主にのみ許される。 参、神の遣いである教主に仇なす者は、排される。 肆、神の意志の正統たる後継者こそ、教主である。 伍、神の教えとは、それ即ち世界の摂理である。 陸、神に背くこととは、それ即ち極楽からの乖離である。 漆、神に疑念を抱くこととは、それ即ち思考の崩壊である。 捌、神への冒涜とは、それ即ち己への存在否定である。 玖、神は見ているが、決して救わない。 拾、神は聴いているが、決して伝えない。 拾壱、神は知っているが、決して教えない。 拾弐、神の言葉は全て、神託として教主の元へ下る。 拾参、神の意向こそ、世界の意向である。 拾肆、神と教主は、同一視される。 拾伍、神は、絶対である。 Uno, la maravillosa gracia de Dios es otorgada a aquellos que son completamente fieles. Dos, el sumo sacerdote es el único que puede mencionar el nombre de Dios en vano. Tres, aquellos que dañen al mensajero de Dios, el sumo sacerdote, serán expulsados Cuatro, el sumo sacerdote es el único legítimo heredero de la voluntad de Dios. Cinco, las enseñanzas de Dios son las providencias divinas de Dios en este mundo.  Seis, desobedecer a Dios es alejarse del Paraíso. Siete, albergar dudas sobre Dios es sufrir la desintegración del pensamiento. Ocho, blasfemar a Dios es negar la existencia de uno mismo. Nueve, Dios observa pero nunca salva. Diez, Dios escucha pero nunca habla. Once, Dios sabe pero nunca enseña. Doce, la palabra de Dios se transmite únicamente a través de su oráculo, el sumo sacerdote. Trece, las ambiciones de Dios son las ambiciones del mundo. Catorce, Dios y el sumo sacerdote serán considerados como los mismos. Quince, Dios es absoluto. 彼は言った 「奇蹟は起こる 信じる者に主の救済を」 祈り祈る ただひたすらに 独り祈る ただひたすらに 声を捧げよ 腕を捧げよ 舌を捧げよ 主には祈りを 願い願う それら全て 還るための命? Él dijo: “Los milagros pasan, la salvación se le otorgará a aquellos que creen” Tan solo rezad con todos vuestras ganas, tan solo rezad por vuestra cuenta, con todas vuestras ganas. Alzad vuestras voces, ofreced vuestros esfuerzos y dedicad vuestras lenguas mientras le rezáis al señor. ¿Deseáis y deseáis durante toda vuestra vida para poder regresar a vuestra casa? 盲信者の行進 群れを為して往く 誰もが皆、‘‘生’’を求めてゆく ‘‘正’’しいなんて二の次、五の次 私利私欲=ほら正当化 Es el desfile de los devotos ciegos, se convierten en un rebaño y se van. Todos, todos, buscan una “vida”. Aquello que es “correcto” es secundario, o incluso quinario. Sus deseos egoístas son, como ya ves, su justificación. 枯れた木々も奇蹟で元通り? 馬鹿らしい法螺話ばっかりね そんなもんなどありゃしないのに ほら また 嘘をついた ¿Los arboles marchitos fueron también restaurados por un milagro? Todo eso no es más que cuentos estúpidos. No es como si tales cosas existieran. Mira, acabo de volver a mentir. 生を奪い去って 願いすらも食い潰して 他人様の不幸踏みつけて息をしていたんだ 世界なんて所詮そんな素晴らしいものじゃなかった 偶像に媚び売りゃ救われる命 正しい教えなんてない Le arrebato la vida a la gente devorando hasta sus deseos. He estado viviendo pisoteando las desgracias de otros. El mundo resultó no ser un lugar tan maravilloso después de todo Si halagas a tus ídolos tu vida será salvada. ¡No existe tal cosa como las enseñanzas correctas! 「彼らは、虚像の偶像を信仰していた。」 「その姿は、まるで創られた王の様でもあった。」 「"他人の不幸は蜜の味"とは言うが、彼ほど甘い蜜を啜っていた人間を、私は知らない。」 「言うなれば"サイコパス"と呼ばれる性質なのだろう。」 XXX著『陰謀論』より引用 “Todos le fueron leales a los ídolos falsos.“ “Sus figuras parecían reyes fabricados.“ “Aunque dicen que ‘las desgracias de los demás son tan suaves como la miel’ no conozco a otro humano que haya bebido tanta miel como él“ “Me pregunto si podrías referirte a él como un ‘psicópata’, por decirlo de algún modo“ Escrito por XXX, citando a “la teoría conspiranoica” 彼は言った 「奇蹟など所詮ただの虚構 嘘だらけだ」と されど祈る ただひたすらに 独り祈る ただひたすらに その身捧げよ 心捧げよ 全て捧げよ 主には祈りを 妬み嫉み 即ち欲に溺れ沈む命 Él dijo: “Las cosas como los milagros son solo ficción, después de todo son simples mentiras” Incluso si eso es así, tan solo rezad con todos vuestras ganas, tan solo rezad por vuestra cuenta, con todas vuestras ganas. Dedicad vuestros cuerpos, vuestros corazones, dadlo todo mientras le rezáis al Señor. Están llenos de envidia. Se pasan la vida ahogándose, hundiéndose en su codicia. 盲信者の行進 群れを為して往く 誰もが皆、‘‘生’’を求めてゆく ‘‘正’’しいなんて誰かの思い通り 自己犠牲≠また正当化 Es el desfile de los devotos ciegos, se convierten en un rebaño y se van. Todos, todos, buscan una “vida”. Lo “correcto” es lo que alguien decide que es digno de serlo. El autosacrificio no es su nueva justificación. 涸れた湖うみも奇蹟で元通り? 浮かれた理想論ばっかりね されど信じるモノを履き違えて もう 声は止まない ¿Los mares (lagos) secos fueron también restaurados por un milagro? Todo eso no es más que pensamientos idealistas que se me vinieron a la cabeza. Incluso en ese caso malinterpretáis las cosas en las que creéis. ¡Ya no puedo detener mi voz! 狂信者の反乱 群れを為して往く 誰も彼もが群れを為して逝く 聖者は経典唱え扇動する 「皆、主に祈りを。」 狂信者の反乱 群れを為して往く 誰も彼もが群れを為して逝く 信徒の暴走 笑う道化師 「ほら、醜いでしょ。」 Es la rebelión de los fanáticos, se convierten en un rebaño y se van. Todos, todos se convierten en un rebaño y mueren. Los santos instigan a las masas recitando escrituras y recitando “Récenle todos al Señor " Es la rebelión de los fanáticos, se convierten en un rebaño y se van. Todos, todos se convierten en un rebaño y mueren. El payaso se ríe del alboroto de los creyentes diciendo: “Mira. Es horrible, ¿no crees? ” 生を奪い去って 願いすらも食い潰して 他人様の不幸踏みつけて息をしていたんだ ヒトなんてのは所詮そんな素晴らしいものじゃなかった 偶像に媚び売れど救われぬ命 正しい教えなんてない Le arrebato la vida a la gente devorando hasta sus deseos. He estado viviendo pisoteando las desgracias de otros. Las personas resultaron no ser algo tan maravilloso después de todo Incluso si halagas a tu ídolo tu vida no será salvada. ¡No existe tal cosa como las enseñanzas correctas! 「欲と慢心さえなければ、或いは優秀な人格者だったかもしれない。」 「転生志望の不幸者と違い、教徒たちは今世の幸福を望んでいた。」 「成立の経緯から経典まで、アレは本当にいい加減な似非宗教だ。」 「彼の最期には、正直同情するよ。相当に凄惨だったそうだ。」 XXX氏、ある取材にて XXX著『陰謀論』より引用 “Si no fuera por su codicia y su arrogancia podría haber sido un hombre con una personalidad impresionante“ “Sus creyentes deseaban alcanzar la felicidad en este mundo, no como aquellos infelices que ansían la reencarnación” “Desde los detalles de su establecimiento hasta sus escrituras, es una pseudo-religión realmente superficial“ “En sus últimos momentos me sentí realmente mal por él. Oí que fue bastante sangriento.“ Dicho por Sr. XXX en cierta entrevista Escrito por XXX, citando a “la teoría conspiranoica” 生を貪って 何もかもを食い潰して 他人様の不幸踏みつけて息をしていたんだ 『愛も所詮そんな素晴らしいものじゃなかった』? どの口が其れを言ってんだ 偽善者よ Deseo la vida de las personas, devorando todo lo que tienen. He estado viviendo pisoteando las desgracias de otros. ¿”El amor también resultó no ser algo tan maravilloso después de todo”? ¿Qué boca fue la que dijo tal cosa? ¡Qué hipócrita! 生を奪い去って 願いすらも食い潰して 他人様の不幸踏みつけて息をしていたんだ じゃあこの現状も結局自業自得だった  偶像に媚び売りゃ救われる命 等しく無価値な報われぬ命 無様で愚かな美しき命 正しい教えなんてない Le arrebato la vida a la gente devorando hasta sus deseos. He estado viviendo pisoteando las desgracias de otros. Bueno, la situación actual, también es cosechar lo que he sembrado. Si halagas a tus ídolos tu vida será salvada. Una vida que tiene tan poco valor como recompensa. Es una vida fea, estúpida y a la vez hermosa. ¡No existe tal cosa como las enseñanzas correctas!
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zoreyan · 2 years
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onodera-kosaki · 2 years
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シナミク風エミリア | タルにゃん [pixiv] ※Permission was granted by the artist to reupload their artwork.
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vixensreiha · 2 years
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Watame by タルにゃん
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kennak · 18 days
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そういやまじかる☆タルるートくんってTARAKOだったな。今アベマで配信しててそういやTARAKOさんだったなと。TRIGUNスタンピードのザジ役もTARAKOさんだったな。出てる本数自体絞ってるのに結構重要な役柄だ。
[B! 訃報] 声優のTARAKOさん急死 63歳 「ちびまる子ちゃん」を35年 最近までアフレコ参加(スポニチアネックス) - Yahoo!ニュース
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a-s-k-cafe · 2 months
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鳥山明に次いでTARAKOまでが…😢
まるちゃんの声変わるの嫌やな〜😓
本日土曜日は若い子達は知らない、まじかる★タルるート歌わないとな…🎤
ちなみに今日のASKCAFEは21時オープンになりま〜す🍺
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zurazuran · 2 months
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SATANTANGO
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上映時間:7時間18分
4日かけて観ました。昔タル・ベーラ監督の『ニーチェの馬』を借りて観たことがあって面白かったのでこの作品も見たいな〜と思っていたのですが7時間弱に気後れしてしまい…、まさかアマプラに入るとは思わなかったので嬉しすぎます〜!
舞台はハンガリーの荒れ果てた農村地域。共産主義末期の頃。一生懸命働いてようが怠けてようが収入は全て政府によって統制され、人々は鬱屈した閉塞感のなか退廃した生活を送っています。 あらすじは、崩壊した集団農場の荒廃した村に住む村人たちが共謀して住民の共同貯金を持ち逃げしようと企むが…死んだと思われていた魔術師と呼ばれるカリスマ的存在イリミアーシュ、そしてその友人ペトリナが戻ってくるという噂が村中に広まり計画は頓挫して…
と、そこから話が進んでいく群像劇です。この映画はハンガリーの作家クラスナホルカイ・ラースローの同名の小説を元に映画化された作品です。原作者も脚本に関わっています。
題名の通り、この映画はタンゴのステップのように話が前後する構成になっていて村人やイリミアーシュたち複数の視点で同じ出来事を描いてます。
通常、映画のカット数は2時間で1000カット程度と言われてますが、この作品はなんと7時間で150カット。自分はロングカットの作品が大好きなので単調さや退屈さは感じなかったですが、これはかなり好みが分かれる作品だと思いました。
だいぶキツいなと思ったシーンはやっぱりネコと少女の章。さすがに耐えきれず早送りしてしまいました。あとは詩的で抽象的なセリフ言い回しが多く、ハンガリー語が理解できたらこの作品をもっと楽しめたんだろうなあと思います。ニーチェの馬はほとんど台詞がなかったので結構すんなりと頭に入ってきたんですけど、サタンタンゴはむずかしい。セリフが始めると集中できなくなってしまい…。何度も巻き戻して観ました 笑
映画は、フタキという男がシュミットの女房(たぶん村の男ほぼ全員と懇ろ)と寝てるところから始まります。彼は鐘の音を聞いて目覚める。鐘のあった塔は戦争で倒れてしまい聞こえるはずがないのに。
この存在しない鐘の音、作品通して様々な場面で啓示のように鳴り響きます
イリミアーシュとフタキ。彼らは同じ視点、かつ異なる思考判断をもった対のキャラだと思います。どちらもこの社会から抜け出せないことを悟っている。(イリミアーシュは警察による官僚主義的なシステムに縛られ、フタキと村人たちはイリミアーシュから搾取される構造)イリミアーシュは少女の死を利用して、言葉巧みに村人たちから金を巻き上げ、村人たちの楽園を作るための資金と騙ります。実際はお上からの指示で村人たちを警察のスパイ(密告者)に仕立て上げているのですが…。もちろん村人たちは気づいていません。あるいは察しつつも現実から目を逸らしているのかもしれませんが。フタキを除いて。イリミアーシュが最後フタキのことを「危険な男だ」と報告書に書いたのは、自分と同じ視点で物事を見てると気づき、フタキをコントロールするのは無理だと分かったからだと思います。
フタキは楽園があるというその一筋の希望に縋り、やはりそんなものはこの現実には存在しないと悟ったとき諦念とともに去っていく。この映画はニヒリズムが蔓延しており、フタキはその象徴とも言えるキャラだと思います。彼が楽園などないと再認識するシーンの表情がすごく印象に残ってます。
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一方でイリミアーシュはというと、警察にちゃんと働けと諭されて嫌だと拒否ったり(笑)もしますが選択肢はなく、結局警察の使いっ走りみたいなことをやってる。自分よりも高い権力に跪くしか道がなかった。国家権力には抗えないのです。そのあとに立ち寄ったパブで、彼だけが謎の音を耳にします。次の瞬間、『全員爆破してやる』と叫ぶ。『鼻にダイナマイト突っ込んでやる』と。店は一瞬で沈黙に包まれます。完全にヤバい人です。お店の人が「どうする?」「通報する?」みたいなこと言ってるのも然もありなん。イリミアーシュは終始冷静で淡々としてる胡散臭い偽キリストって感じなんですが、このシーンは完全に危険人物でした。
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ここにイリミアーシュとフタキの思考の違いが現れてる気がします。のちにイリミアーシュは村人たちから騙し取った金で武器商人から爆薬を買う約束を取りつけてますが、映画では彼ら3人組の行方は描かれていません。果たして有言実行するのか否か…。
友人ペトリナはイリミアーシュのイエスマンでただ追従してるようにしか見えませんが、警視からやんわり庇ってあげたり、3人で雑魚寝したとき毛布をかけてあげたりしてて、彼らなりの友情か信頼関係のようなものは感じられます。作中で唯一と言っていいかもしれない。かわいい。
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あと個人的にはシュミット夫人の視線の演技すごく良かったです。終始笑ってるような表情をしています。夫、この世の男を皮肉ってるようにも見えるし、諦めてるようにも見える。あるいは頭空っぽで何も考えてないようにも。すごく癖になる表情してます…。
あとはパンを頭に乗っけて酔っ払うシュミットおじさんもちょっとかわいくて謎の中毒性があります
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映画の後半、楽園にたどり着くことを夢みて村人たちは廃墟の中で一晩過ごすことに。彼��が眠りの中で見ている夢を語り手が話し始めます。そこから村人たちの深層心理がなんとなくわかります。
ハリチ:罪悪感 因果応報を恐れる 校長:同性愛 自己嫌悪 恥 シュミット:現実逃避 力の行使 妻に依存 ハリチ夫人:シュミット夫人に対する嫉妬(?) クラーネル夫人:強迫観念 妄想癖  シュミット夫人:鳥になって自由になる 夫からの解放
そしてフタキの夢の中はというと…
Futaki’s shoulders were beaten with an ironbar. He couldn't move, he was tied to a tree. He stretched out and felt the rope loosen. He looked at his shoulders and saw a long wound, then turned his head, as he couldn't stand seeing it. He was sitting on an excavator, the shovel was scooping out a huge hole. A man came up to him and said,"Hurry up, I won't give you any more petrol, whatever you say." But it was no use scooping, for the earth kept falling back. He tried again but failed. Then he cried. He was sitting at the window of the engine shed and didn't know whether it was daybreak or evening. The whole thing just didn't want to end. He was sitting, not knowing the time of day, and nothing changed outside. Morning didn't come, night didn't fall, day was beginning to break or night was beginning to fall.
“フタキの肩は鉄の棒で殴られていた。 木に縛られて身動きが取れない。 身をよじればロープがゆるむ感覚があった。 肩に目を向けると、大きな傷口が視界に飛び込んできた。見るに堪えず顔を背けたのだった。 フタキは掘削機に座ってショベルで巨大な穴を掘り返していた。男がやってきて彼にこう言う。“さっさとしろ、お前がなんて言い訳しようが、これ以上燃料を無駄にくれてやるつもりはないからな” しかし穴は掘っても、崩れて元に戻ってしまう。 何度くり返しても無駄だった。 彼は泣いた。 格納庫の窓の前に座っている。今が夜明けなのか、夕暮れ刻なのか分からなかった。 ただすべてが終わろうとしないのだ。 今が何時なのか分からないまま座り続けている。外はなにも変わらなかった。 朝がやってくることも夜を迎えることもない。朝が始まりつづけている。でなければ、夜が始まりつづけているのだ。”
フタキは絶望の中、前進も後退もできずただ停滞し続ける夢を見ています。
映画の最後のほうで、イリミアーシュの村人たちの身辺調査?報告書があまりにもポエムな悪口雑言すぎて警察に添削されています。それがめちゃくちゃ面白い。とくにシュミット夫妻のことボロクソにこき下ろしてます。夫人に一晩お世話になっておいてそんなこと言う?笑
↓シュミットの報告書 
"Crude dullness mixed with featurelessness in the abyss of uncontrollable darkness." (制御不能の地獄の深淵において見せかけだけの粗野な愚鈍が絡み合う)  "Extreme stupidity, inarticulate complaints, (限界を超えた愚かさ、不明瞭な不平不満) inert anxiety stiffened... (怠惰な不安が凝り固まる) "...in the solid darkness of being." (揺るぎない暗黒の深層にて)
なんかよく分からないけど、ボロクソに貶してるのは分かる。いやでもこれ聞かされたら、なんか凄いこと言われてる気分になりそうでは…?笑 ポエムすごい。シュミット夫人はもっと酷かったです。ちょっとここに載せるのは憚れるような感じの。
冒頭で鐘の音を聞いたフタキ、パブで謎の音を聞いたイリミアーシュ、最後に医者先生が鐘の音を聞いて終わる。この鐘の音を聞いた男たちは何か理解を得ます。天啓であり悟りのようなもの。
真っ先に鐘の音を耳にしたフタキ。彼は賢いが、まさにイリミアーシュの報告書通り、“能力はあるが固定観念から逃れられない、反抗心より臆病心が強い”のです。彼にできるのはただ黙って受け入れ去っていくことだけだった。
その反面、中盤で謎の音を聞いたイリミアーシュはというと、すべてを破壊してやろうと目論むバリバリ反抗心の塊の持ち主です。このままいけば革命家まっしぐらです。武器商人からそう問われて、彼は否定しました。「私は民衆解放者ではない。むしろ哀しき研究者だ。すべてがなぜ悲惨なのかの研究だ」と。ところがこのシーン、なぜか武器商人にフォーカスを当てイリミアーシュは後ろ姿しか映りません。武器商人の表情、イリミアーシュの声色から推測することしかできない。彼は嘘をついてるのか、真実を言ってるのか…
そして、最後。全てを観察し、蚊帳の外であった傍観者の医者先生が鐘の音を聞き、自分の足で確かめにいく── そこで彼はすべてを理解し物語は幕を閉じます。
イリミアーシュが爆薬を買い付ける前に、少女が亡くなった廃墟で膝をつくシーンがあります。調べたところによると、どうやら原作の本では死んだ少女エスティケが復活し昇天するのを目撃してる場面だそうです。映画ではあえて描写しなかったのでしょうか?
原作の小説は英語訳なら出ているのでぜひ読んでみたいのですが、今新しい本を読み始めたばかりなので当分先かな…
面白かった〜〜〜!
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singosblog · 3 months
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そうそう、この、左のマリア様と、イエス・キリスト、めちゃくちゃ、エエやろ❓👀なんかさ、こんな、ポップな絵のタッチのなかに、男からみたら、ムラっとくる、エロさを、絵の中に、表現できてるんよ。タルるートくん描いた、漫画家は、あれは、あにらかに、うますぎるし、リアルにすぎるから、エロさ、表現できてるのは、当たり前なんよ👀でも、このstepの、ポップな、感じで、ここまで、色気の、ある、女描くのは、もう、天地が、ヒックリかえるくらい、パないことなんよ
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crydayz · 1 year
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230226 日
仕事より趣味が大事。おじゃまぷよに対話カロリーを割くな。
【13:00】
しごとしごとしごとしごとしごと。
仕事だからやる 仕事だからやる 仕事だからやる。
仕事に対しそれ以上の想いってもんは抱かない。
もちろん都度都度の熱中や満足ってものはあるが、趣味のイラスト以上に熱中する事も満足する事もない。
世の中からの要求や評価はさておき、自分の中では仕事を常に趣味よりも「下位」のものとして取り扱っている。
そうしないとセルフプロデュースがおろそかになるし「権力の信者」になっちまう。
アスリートなら権力よりも「個の力」と「実技」の信者であるべきだ。
「受注仕事」を何の為にするか。それは「自由」を手にしたいという「擬似的な飢餓と焦燥」を得る為、リタイアして満足しアスリートとして劣化しない為の「大量のおじゃまぷよ」を落としてもらう為だ。
しごとは落ち物パズルなんだ。
落ち物パズルをやってる際に落ちてくるブロックを「消す」事に対しいちいち何かを考えるか?
「積み上がって限界迎える前に消す、より早く大量に消す」ただそれだけが落ち物ゲームの目的だろう。
仕事も本質的にはまずそれがある。
いっこいっこのブロックに感情移入して「こいつの事はじっくり向き合ってから消したい」なんて態度とってたらゲーム進行がタルくなるし、難易度高いゲームなら即ゲームオーバーになる。
プレイヤー当人も楽しくないし観客もそんなプレイ観てても全然楽しくない。
落ち物ゲーはブロックと対話しすぎちゃいけねーんだ。
対話するにしても圧縮言語で0.01秒くらいで「ん」とか「お」とかで済ます。
案件を片付ける為にムダな会話を1時間も2時間も続けるな手を動かしアタマを使い、目の前から消滅させろ。
それが仕事というものだ。最前線を目指すプレイヤーは個人技ではなく「協力プレイ」でしか消せないブロックからは逃げてしまえ。
最前線の現場は各々の研ぎ澄まされた個人技による独善的な行動が結果としての「チームプレイ」を成立させる。それはあたかもジャズセッションのごとく有機的で流動的で多様性のある「技能の進化のるつぼ」である。
しごとの一番楽しいシーンってのはその次元にしかない。
だからとっととそこへ行け。俺。
そしてそんな楽しささえも「ただの仕事」と割り切って忘れ「趣味の時間け」を全力で愉しめ。
オフの時間でやる「仕事よりも仕事らしい充実した趣味」こそを大事に―
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