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reallypaleninja · 6 months
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わたしたちは、目に見えないものを望んでいるなら、忍耐して待ち望むのです。
ローマ8・18-25
わたしたちは、目に見えないものを望んでいるなら、忍耐して待ち望むのです。
使徒パウロのローマの教会への手紙
皆さん、8・18現在の苦しみは、将来わたしたちに現されるはずの栄光に比べると、取るに足りないとわたしは思います。19被造物は、神の子たちの現れるのを切に待ち望んでいます。20被造物は虚無に服していますが、それは、自分の意志によるものではなく、服従させた方の意志によるものであり、同時に希望も持っています。21つまり、被造物も、いつか滅びへの隷属から解放されて、神の子供たちの栄光に輝く自由にあずかれるからです。22被造物がすべて今日まで、共にうめき、共に産みの苦しみを味わっていることを、わたしたちは知っています。23被造物だけでなく、〝霊〟の初穂をいただいているわたしたちも、神の子とされること、つまり、体の贖われることを、心の中でうめきながら待ち望んでいます。24わたしたちは、このような希望によって救われているのです。見えるものに対する希望は希望ではありません。現に見ているものをだれがなお望むでしょうか。25わたしたちは、目に見えないものを望んでいるなら、忍耐して待ち望むのです。
答唱詩編
詩編126・1+2ab、4+6
涙のうちに種まく人は、喜びのうちに刈り取る。
詩編126
126・1神が捕われびとをシオンにもどされたとき、 わたしたちは夢を見ている思いがした。 2abわたしたちの顔はほほえみ、 口には喜びの歌が浮かんだ。
4雨のあとにネゲブの川が流れを取り戻すように、 神よ、わたしたちに栄えを戻してください。 6種を手に涙を流して出て行く人は、 束をかかえ、喜びにあふれて帰ってくる。
福音朗読
ルカ13・18-21
アレルヤ、アレルヤ。天と地の主である父はたたえられますように。あなたは神の国のことを小さい人々に現してくださった。アレルヤ、アレルヤ。
ルカによる福音
そのとき、13・18イエスは言われた。「神の国は何に似ているか。何にたとえようか。19それは、からし種に似ている。人がこれを取って庭に蒔くと、成長して木になり、その枝には空の鳥が巣を作る。」
20また言われた。「神の国を何にたとえようか。21パン種に似ている。女がこれを取って三サトンの粉に混ぜると、やがて全体が膨れる。」
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shiro-absence · 6 years
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〈11〉パン種のたとえ ★聖書 また他のたとえを彼らに語られた、「天国は、パン種のようなものである。女がそれを取って、三斗の粉の中に混ぜると、全体がふくらんでくる」。マタイ13:33  ★「このたとえ話は教会史の観点からみると、決して表面的、一面的解釈で片付けられない内容を含んでいます。」と更新前は書きましたが、「聖書は聖書によって解釈する」のが聖書解釈の大原則であって、教会史からさかのぼって解釈するのは、大原則に対する違反だと考え、このページを修正し更新することにしました。 このたとえの意味  ★このたとえの中のカギになる言葉はもちろん「パン種」です。「パン種」は聖書の中では常に悪い意味で使われています。むかし、放置されたパンの生地がたまたま自然発酵して(すなわち腐敗して)ふくらんで来たのを見た人がパン作りに応用してから、パン種入りのパンが作られ始めた(多分古代エジプトで)と言われています。従って、「パン種」という言葉は、聖書の中では、霊的腐敗(悪意と邪悪)の象徴として用いられています(1コリント5:6~8)。   A.パン種を天国そのものの持つ影響力と取る場合の解釈  ★女は教会を表し、三斗の練り粉はこの世を象徴することになります。新改訳では3サトンと原語の単位で表しています。1サトンは13リットルとありますから、3サトンの麦粉は39リットルになります。石油缶2缶以上になります。この量の粉に少量のパン種を加えて練ると練り粉全体が大きくふくらみ、大量のパンが焼き上がります。  ★練り粉がパン種によって、さらに火の中で焼かれて、大きくふくらむように、初代のキリスト教会は激しい迫害の炎をくぐりながら短い期間の内に、当時の世界帝国であったローマ帝国全体に広がりを見せ、キリスト紀元380年にはローマ皇帝デオドシウスは、その勅令によって、ついにキリスト教をローマ帝国の国教にしてしまいました。  ★そして、その時から、すなわち教会と国家権力とが結びついた時からキリスト教会の腐敗が始まりました。16世紀にマルチン・ルッターが宗教改革ののろしを上げるまで、教会の腐敗した状態は続いていました。しかし、そのような腐敗した環境の中にも主を畏(おそ)れる敬虔な聖徒も綿々と存在していたのです。 この解釈に従った教え  ★キリスト者は地の塩であり、世の光です(マタイ5:13,14)から、自分の置かれた立場状況の中で最善の影響力を発揮することを主は期待しておられます。アブラハムがソドムの町に住む甥のロト一家のためにとりなしの祈りを捧げた時、彼は、ロトの一家には少なくとも10人の正しい人々がいると思い、神が「10人の正しい人々がソドムの町にいればその町は滅ぼさない」と言われたのを聞いて安心していました(創世記18:32)。しかし、残念ながら、ロトの家にはロト以外に正しい人は一人もいませんでした。この時のアブラハムの祈りで明らかになったことは、一つの町に10人の正しい人たちがいれば、神はその町を滅ぼさないということです。すなわち、信仰による義人(真のキリスト者)の存在は、そ���ほどの価値と意義があるのです。  ★また、一人一人のキリスト者に主は天国(神の支配)がその心と言葉と行いの全面にわたって影響力が浸透することを求めておられます。口だけ、行いだけの外面的信仰者(マタイ5:20)ではなく、外面も内面も共にきよめられた幼子のように純真な信仰者を求めておられます(ルカ18:17)。  ★しかし、現実の世の中を観察するとき、初代キリスト教会の時代のように、キリスト教会が破竹の勢い、また日の出の勢いで大きく成長することはあまり見られません。  ★それに反して、新興宗教などの偶像礼拝宗教はアッというまに大会堂を有するまでに成長しているのを見ます。  ★サタンの宗教は、罪の性質をもった世の人々に歓迎されるのです。  ★ですから、このたとえのパン種のたとえは次の教会腐敗の預言と取るのが順当でしょう。 B.パン種のたとえを教会腐敗の預言と取る解釈  ★上記のようにキリスト教会の歴史を見てくると、パン種を文字通りに新約聖書の本流の中での腐敗の意味に取ることも可能であることが分かって来ます。  しかし、この解釈は、主イエスの「天国は、パン種のようなものである」という御言葉としっくり行かないように思えます。「天国(神の王国)が(腐敗の象徴そのものとしての)パン種のようである」と解釈するのは無理なように見えます。「聖なるものが汚れたもののようである」という論理的にも矛盾する文言のようです。  ★けれども、聖書には「キリストは再臨の時、盗人が夜中に不意に来るようにやってくる」という言葉があります(ルカ12:39,40)。これは、夜中に不意にドロボーに入られるように、世の大多数の人々にとってキリスの再臨の日は不意の出来事であり、裁きの日、災いの日となるということを表しています。  ★また、「神は私たちの罪のために罪を知らない方(キリスト)を罪とされた」というみことばがあります(2コリント5:21)。このみことばは「悪しき者を正しいとする者、正しい者を悪いとする者、この二つの者は共に主に憎まれる」(箴言7:15)という御言葉と矛盾するように見えます。しかし、このあり得ないことが、神の愛とキリストの恵みによって、十字架のあがないにおいて事実となったことを私たちキリスト者は知り、そして信じています。  ★従って、聖(きよ)い天国(神の国・地上の教会)が汚れたパン種によってほぼ全面的に腐敗させられているのを、神がご自身の深慮と忍耐によって黙認されていた時代が長く続いたという歴史的事実を私たちは認めざるを得ないと共に、このパン種のたとえが歴史を見通しておられる主による預言であると見ることは決して無理なことではないことが分かります。  この解釈に立つと、女はサタンを表し、パン粉が教会を表すことになります。 この解釈に従った教え  ★主イエスは地上の天国(教会)が中世のキリスト教会のように全面的に腐敗堕落したかに見えるその中にも「神の国はその中に隠れた形ではあっても存在するのであり、神は地上にあってあなた方の中におられるのだ」と言おうとしておられるのです。  ★旧約聖書列王上18~19章にイスラエルの預言者エリヤの話が出ています。エリヤはイスラエルの悪王アハブに「カルメル山に偶像バールやアシェラの預言者たち総勢850人を集めよ。バールか天地の主か、どちらが神か、天から火を下して答える神を神としよう。」と勝負を申し込みました。その一大勝負に大勝利して、国民に「主こそ神だ。主こそ神だ」と叫ばせ、主の前にひれ伏させ、さらにバールの預言者たちを処刑させました。  ★そこでアハブ王の邪悪な后イゼベルの不興にあい「明日の今頃までにお前の命を取る」と言われ、エリヤは彼女を恐れて荒野に逃げて行きました。荒野にいるエリヤに主が「あなたはここで何をしているのか」と問いかけると、エリヤは言いました。「私は一人で熱心に主に仕えてきました。しかし、彼らは私の命を狙っています。主よ、もう十分です。私の命を取ってください」。この時、主はエリヤに言われました。「私は、イスラエルに7千人のバールにひざをかがめなかった者たちを残している」。エリヤが自分ひとりの孤独な戦いだと思っていたその苦しい状況の中で、実は、神は着々とご自身の御業を進めておられたのです。  ★事態が最悪とみられる状況の中でも神は私たちの味方(ローマ8:31~39)として着々と事を進めておられるのであり、万事は最善になるように(ローマ8:28、{益}と訳されている原語の意味は{善})運ばれているのですから、私たちキリスト者は「いつも喜び、すべてのことを感謝」することができる(1テサロニケ5:18)のです。  キリストの十字架の苦しみの後に、栄光の復活が来た様に、キリスト者にとって最悪・絶望と見える状況の中にも主は共におられ、その後には必ず栄光と祝福の時が来るのです。  ★話の泉14新世界秩序とキリストの再臨に書きましたようにキリスト再臨直前の時代はこの世もその中にあるキリスト教会もパン種のたとえそのままに全面的に腐敗したかに見える時代となりますが、再臨のキリストはハルマゲドンの戦いで全面的に勝利なさって古い世界を焼き滅ぼして正義を平和の主が支配なさる新天新地を再創造してくださるのです。
http://www.rock.sannet.ne.jp/hg31cc/parable.html/para11.html
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purplekittennight · 2 years
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恐れなく、いのちの光である、神の御思いの中で
主は私の光、私の救い。 だれを私は恐れよう。詩27:1 イエスは言う: わたしに従う者は誰でも、 闇の中を歩き回ることはなく、 命の光を持つでしょう。ヨハネ8:12
マタイ13:31~35  エフェソ書6:1~9(通読箇所)    (ローズンゲン『日々の聖句』2/26;土)
―――― ☆  ――――
聖書が啓示している神、 天の神、【主】、 「『わたしはある(I am)』という者」と 名乗られる方(出エジプト3:14)に信頼し、 この方により頼む者は、 人を恐れたり怖がったりしなくなるのですね。 イエスに従う者は、行先も分からず、 闇の中を手探りして歩き回るようなことではなく、 いのちの光を持つのですから。 野菜の種の中で一番小さいからし種が、 成長すると、どんな野菜よりも大きくなり、 空の鳥が来てその枝に巣を作るような大きな木になるように、 この方の支配、統治は、 最初は気がつかないほど小さいとしても、 やがて大きく広がっていくのですから。
また、パン種のよう、なのですね。 女の人がパン種を、三サトン(39リットル)の粉に入れると、 やがて、粉全体が膨らんでいくよう、 なのですから。(マタイ13:31~35)
そのように、イエスを通して来てくださる 【聖である霊】と呼ばれる方によって 私たちの心に置かれる【父である神】の御思いは、 最初は誰も分からないほど小さいのですが、 やがて、広く、大きく広がって全世界に及ぶのですね。 子どもたちは、イエスにある者として、 両親に従う思いに満たされて、「父と母を敬う」ようになり、 父たちは、子どもを怒らせることなく、 主イエスの教育と訓戒で育てるようになって。 仕える人は、キリストに仕えるように恐れおののいて 仕えるべき人に仕え、 ご機嫌取りのようなうわべだけの仕え方ではなく、 キリストのしもべとして心から神のみこころを行い、 人にではなく、主イエスに仕えるように、 喜んで使えるようになるのだそうです。 私たちは、良いことを行えば、それぞれ主イエスから その報いを受けることを知っているのですから。
主人の立場にある人は、 奴隷に対して、脅すことはしなくなって。 彼らの主、また、自分の主が天におられ、 主は人を差別なさらないことを知って。(エペソ6:1~9)  私たちも、この神、【主】に信頼し、 自分の理性の善悪の判断という暗闇から、 神の御思いといういのちの光の中へ。
今日も。
(聖書のことばへの疑問やご意見、 近くの教会を知りたい等の方、 また、婚活で広く出会いを求めたい、
教会に行っていないけれど、 葬儀をキリスト教でしたい、等の方、 お問い合わせは、 [email protected]へどうぞ。)
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maranatha-kaz · 7 years
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神の全能への信頼
私はこれこそが唯一絶対の「正統」であると、「主の教えの真相」が自他と共有可能な形で明示的に与えられるということは、如何なる試みによったとしても「この世」においては無いことだと考えています。 また、私は『クリスチャン』の方々が「この世」を信じ過ぎていることに非常な危惧を抱いています。「この世の神」が「この世を支配する者」がサタンであるという事の意味を、あまりに軽く矮小化して捉えていると感じています。 聖書の神の教えにサタンが毒麦を混ぜたのは何もローマン・カトリック以降のことでもありません。 エレミヤ8:8は「偽りの筆」の存在を記していますし、使徒20:29には教えを曲げる「凶暴な狼」の存在が既に示されています。マタイ13:33のたとえ話では「女」が三サトンの「粉」の中に「パン種」を混ぜると「全体」がふくらんだのです。 偽りの教え「パン種」によって「全体」がふくらんでしまった後に、どうやって「粉」だけを選り分けることが「人間」に可能でしょうか。また、果たしてこの「女」は何のたとえであるのか。よくよく考える必要があると思います。 私は人は聖霊の全能に導かれることによってのみ御言葉たる御子イエスの狭き門をくぐることができ、そして御父に至る事が可能であると信じています。それは『キリスト教』や『神学』『哲学』『科学』等の『学問』や『論理』や『人の知性』によっては不可能でしょう。 では、聖霊に導かれれば人は過ちを犯さないでしょうか。聖霊に教えられた人の聖書理解には誤りがないのでしょうか。そうではないはずです。私はそうは思いません。聖霊に導かれても人は過ちを犯すでしょう。聖霊に教えられた人の聖書理解にも誤りは残るでしょう。 しかし、にも関わらず人に御子イエスの狭き門をくぐることが可能であるのは、正に、助け主であられる聖霊をお与えになって下さる御父が、全知にして全能であられるからこそでしょう。ですから私たちは、神の全能に全面的に信頼すべきだと思います。 むろん、正しい信仰には必ずや正しい行いが、その「実」として現れることもまた私の信ずるところです。
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reallypaleninja · 9 months
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モーセが身を翻して山を下るとき、二枚の掟の板が彼の手にあり、板には文字が書かれていた。
出エジプト記32・15-24、30-34
モーセが身を翻して山を下るとき、二枚の掟の板が彼の手にあり、板には文字が書かれていた。
出エジプト記
32・15モーセが身を翻して山を下るとき、二枚の掟の板が彼の手にあり、板には文字が書かれていた。その両面に、表にも裏にも文字が書かれていた。16その板は神御自身が作られ、筆跡も神御自身のものであり、板に彫り刻まれていた。
17ヨシュアが民のどよめく声を聞いて、モーセに、「宿営で戦いの声がします」と言うと、18モーセは言った。
「これは勝利の叫び声でも 敗戦の叫び声でもない。 わたしが聞くのは歌をうたう声だ。」
19宿営に近づくと、彼は若い雄牛の像と踊りを見た。モーセは激しく怒って、手に持っていた板を投げつけ、山のふもとで砕いた。20そして、彼らが造った若い雄牛の像を取って火で焼き、それを粉々に砕いて水の上にまき散らし、イスラエルの人々に飲ませた。21モーセはアロンに、「この民があなたに一体何をしたというので、あなたはこの民にこんな大きな罪を犯させたのか」と言うと、22アロンは言った。「わたしの主よ、どうか怒らないでください。この民が悪いことはあなたもご存じです。23彼らはわたしに、『我々に先立って進む神々を造ってください。我々をエジプトの国から導き上った人、あのモーセがどうなってしまったのか分からないからです』と言いましたので、24わたしが彼らに、『だれでも金を持っている者は、それをはずしなさい』と言うと、彼らはわたしに差し出しました。わたしがそれを火に投げ入れると、この若い雄牛ができたのです。」
30翌日になって、モーセは民に言った。「お前たちは大きな罪を犯した。今、わたしは主のもとに上って行く。あるいは、お前たちの罪のために贖いができるかもしれない。」31モーセは主のもとに戻って言った。「ああ、この民は大きな罪を犯し、金の神を造りました。32今、もしもあなたが彼らの罪をお赦しくださるのであれば......。もし、それがかなわなければ、どうかこのわたしをあなたが書き記された書の中から消し去ってください。」33主はモーセに言われた。「わたしに罪を犯した者はだれでも、わたしの書から消し去る。34しかし今、わたしがあなたに告げた所にこの民を導いて行きなさい。見よ、わたしの使いがあなたに先立って行く。しかし、わたしの裁きの日に、わたしは彼らをその罪のゆえに罰する。」
答唱詩編
詩編78・5、10+11
神のわざを思い起こそう、力ある不思議なわざ。
詩編78
78・5神はヤコブにおきてを与え、 イスラエルに教えを授け、 子孫に伝えるように わたしたちの先祖に命じられた。
10彼らは神の契約を守らず、 教えに従って歩もうとせず、 11神の行われたわざと 示された不思議なわざを忘れ去った。
福音朗読
マタイ13・31-35
アレルヤ、アレルヤ。父はみ心のままに真理のことばによってわたしたちを生み、被造物の初穂とされた。アレルヤ、アレルヤ。
マタイによる福音
そのとき、13・31イエスは、別のたとえを持ち出して、人々に言われた。「天の国はからし種に似ている。人がこれを取って畑に蒔けば、32どんな種よりも小さいのに、成長するとどの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て枝に巣を作るほどの木になる。」
33また、別のたとえをお話しになった。「天の国はパン種に似ている。女がこれを取って三サトンの粉に混ぜると、やがて全体が膨れる。」
34イエスはこれらのことをみな、たとえを用いて群衆に語られ、たとえを用いないでは何も語られなかった。35それは、預言者を通して言われていたことが実現するためであった。
「わたしは口を開いてたとえを用い、 天地創造の時から隠されていたことを告げる。」
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reallypaleninja · 2 years
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夫たちよ、キリストが教会を愛し、教会のために御自分をお与えになったように、妻を愛しなさい。
エフェソ5・21-33
夫たちよ、キリストが教会を愛し、教会のために御自分をお与えになったように、妻を愛しなさい。
使徒パウロのエフェソの教会への手紙
皆さん、5・21キリストに対する畏れをもって、互いに仕え合いなさい。22妻たちよ、主に仕えるように、自分の夫に仕えなさい。23キリストが教会の頭であり、自らその体の救い主であるように、夫は妻の頭だからです。24また、教会がキリストに仕えるように、妻もすべての面で夫に仕えるべきです。25夫たちよ、キリストが教会を愛し、教会のために御自分をお与えになったように、妻を愛しなさい。26キリストがそうなさったのは、言葉を伴う水の洗いによって、教会を清めて聖なるものとし、27しみやしわやそのたぐいのものは何一つない、聖なる、汚れのない、栄光に輝く教会を御自分の前に立たせるためでした。28そのように夫も、自分の体のように妻を愛さなくてはなりません。妻を愛する人は、自分自身を愛しているのです。29わが身を憎んだ者は一人もおらず、かえって、キリストが教会になさったように、わが身を養い、いたわるものです。30わたしたちは、キリストの体の一部なのです。31「それゆえ、人は父と母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる。」32この神秘は偉大です。わたしは、キリストと教会について述べているのです。33いずれにせよ、あなたがたも、それぞれ、妻を自分のように愛しなさい。妻は夫を敬いなさい。
答唱詩編
詩編128・2+3ab、3cd+5+6a
しあわせな人、神をおそれ、主の道を歩む者。
詩編128
128・2額に汗してかてを受け、 恵みと平和に満たされる。 3ab実り豊かなぶどうの木のように、 妻は家庭をうるおす。
3cdオリーブの若木のように、 子どもたちは食卓を囲む。 5神の祝福がシオンから臨み、いのちのある限り、 6aエルサレムの栄えと、数多くの子孫の群れを見る。
福音朗読
ルカ13・18-21
アレルヤ、アレルヤ。天と地の主である父はたたえられますように。あなたは神の国のことを小さい人々に現してくださった。アレルヤ、アレルヤ。
ルカによる福音
そのとき、13・18イエスは言われた。「神の国は何に似ているか。何にたとえようか。19それは、からし種に似ている。人がこれを取って庭に蒔くと、成長して木になり、その枝には空の鳥が巣を作る。」
20また言われた。「神の国を何にたとえようか。21パン種に似ている。女がこれを取って三サトンの粉に混ぜると、やがて全体が膨れる。」
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asa6fuji · 3 years
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モーセが身を翻して山を下るとき、二枚の掟の板が彼の手にあり、板には文字が書かれていた。
出エジプト記
32・15モーセが身を翻して山を下るとき、二枚の掟の板が彼の手にあり、板には文字が書かれていた。その両面に、表にも裏にも文字が書かれていた。16その板は神御自身が作られ、筆跡も神御自身のものであり、板に彫り刻まれていた。
17ヨシュアが民のどよめく声を聞いて、モーセに、「宿営で戦いの声がします」と言うと、18モーセは言った。
「これは勝利の叫び声でも 敗戦の叫び声でもない。 わたしが聞くのは歌をうたう声だ。」
19宿営に近づくと、彼は若い雄牛の像と踊りを見た。モーセは激しく怒って、手に持っていた板を投げつけ、山のふもとで砕いた。20そして、彼らが造った若い雄牛の像を取って火で焼き、それを粉々に砕いて水の上にまき散らし、イスラエルの人々に飲ませた。21モーセはアロンに、「この民があなたに一体何をしたというので、あなたはこの民にこんな大きな罪を犯させたのか」と言うと、22アロンは言った。「わたしの主よ、どうか怒らないでください。この民が悪いことはあなたもご存じです。23彼らはわたしに、『我々に先立って進む神々を造ってください。我々をエジプトの国から導き上った人、あのモーセがどうなってしまったのか分からないからです』と言いましたので、24わたしが彼らに、『だれでも金を持っている者は、それをはずしなさい』と言うと、彼らはわたしに差し出しました。わたしがそれを火に投げ入れると、この若い雄牛ができたのです。」
30翌日になって、モーセは民に言った。「お前たちは大きな罪を犯した。今、わたしは主のもとに上って行く。あるいは、お前たちの罪のために贖いができるかもしれない。」31モーセは主のもとに戻って言った。「ああ、この民は大きな罪を犯し、金の神を造りました。32今、もしもあなたが彼らの罪をお赦しくださるのであれば......。もし、それがかなわなければ、どうかこのわたしをあなたが書き記された書の中から消し去ってください。」33主はモーセに言われた。「わたしに罪を犯した者はだれでも、わたしの書から消し去る。34しかし今、わたしがあなたに告げた所にこの民を導いて行きなさい。見よ、わたしの使いがあなたに先立って行く。しかし、わたしの裁きの日に、わたしは彼らをその罪のゆえに罰する。」
答唱詩編
詩編78・5、10+11
神のわざを思い起こそう、力ある不思議なわざ。
詩編78
78・5神はヤコブにおきてを与え、 イスラエルに教えを授け、 子孫に伝えるように わたしたちの先祖に命じられた。
10彼らは神の契約を守らず、 教えに従って歩もうとせず、 11神の行われたわざと 示された不思議なわざを忘れ去った。
福音朗読
マタイ13・31-35
アレルヤ、アレルヤ。父はみ心のままに真理のことばによってわたしたちを生み、被造物の初穂とされた。アレルヤ、アレルヤ。
マタイによる福音
そのとき、13・31イエスは、別のたとえを持ち出して、人々に言われた。「天の国はからし種に似ている。人���これを取って畑に蒔けば、32どんな種よりも小さいのに、成長するとどの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て枝に巣を作るほどの木になる。」
33また、別のたとえをお話しになった。「天の国はパン種に似ている。女がこれを取って三サトンの粉に混ぜると、やがて全体が膨れる。」
34イエスはこれらのことをみな、たとえを用いて群衆に語られ、たとえを用いないでは何も語られなかった。35それは、預言者を通して言われていたことが実現するためであった。
「わたしは口を開いてたとえを用い、 天地創造の時から隠されていたことを告げる。」
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purplekittennight · 5 years
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尊敬をもって、相手を自分よりも優れた者と思い
見よ、兄弟が共に座っている。 なんという恵み、 なんという喜び。 主は布告された、 祝福と、とこしえの命を。詩133:1、3
 兄弟愛をもって互いに愛し、 尊敬をもって 互いに相手を優れた者と思いなさい。ロマ書12:10
 ルカ22:54~62  マタイ13:31~35(通読箇所)    (ローズンゲン日々聖句9/6;金)
 兄弟が、家族が共にいる。 私たち、それを当たり前のように、当然のように思っていますけれど、 それは、天の神、主、 「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方からの恵みの出来事なのですね。 私たちを喜ばせようとの。
 この方は、 私たちの住まいとして天と地を造られた方。 私たちに祝福と、とこしえの命を与えようと、命じていて下さる方、なのだそうです。
 私たち、「神のひとりのようになり、善悪を知る」ようになって、 「的外れ」になっている 〔生まれたときからの私〕という霊をから出てくる思いは、 自分を神よりも上に置こうとするものであり、 他の人よりも上に、前に、 優れた者でなければ気が済まないものなのですね。
それで、他の人の自分よりも劣っているところを見つけては安心する。
 けれども、 イエスが私たちに代わって受けてくださった 十字架刑での処刑を通して私たちに来てくださる【聖である霊】と呼ばれる方。
この方が心に置いてくださる【父である神】の御思いは、 隣の人を愛し、 尊敬をもって互いに相手を自分よりもすぐれた者と思う思いなのだそうです。
 女中や下役の者から、 「お前もイエスの仲間だ」と言われて、あわてて「違います。あの人を知りません」と 三度もイエスを否定したペテロを、 振り向いて見つめられたイエスの慈しみのまなざし(ルカ22:54~62)のように。
 そして、この、イエスの受けてくださった十字架刑での処刑、 墓に葬られ、 三日目、日曜日の早朝に起こった、死人の中からの新しい身体での復活、 40日にわたって何度も弟子たちに現れ、ご自分が生きていることを見せ、 神の国のことを語ったのち、 オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、 天の【父である神】の右の座に復帰され、
 10日後、 約束の言葉のとおりに【聖である霊】と呼ばれる方を 待ち望んでいた弟子たちに派遣してくださり、 この方が心に置いてくださる【父である神】の御思いのとおりに 【父である神】と思いを一つにして、 弟子たちが行動するようになったあのペンテコステ(五旬節)の出来事(使徒2章)。
 このイエスの十字架を通して来てくださる 【聖である霊】と呼ばれる方による神の国、神の統治の出来事は、 それ以来、成長し、広がり続けているのですね。 受け入れる者、ひとりひとりの心に。 そして、世界中に。
 野菜の中で種が一番小さく、針の先でちょっと突いたくらいの、 よく見ないと気が付かないくらいの大きさのからし種が、 成長すると、どんな野菜よりも大きくなり、 空の鳥が来て、その枝に巣を作るほどの木になるように。
 また、パン種が、3サトン(39リットル)の粉に入れられると、 粉全体をふくらませるように。
 受け入れる者に、 今日も。
(近くの教会を知りたい等の方、 また、婚活で広く出会いを求めたい、
教会に行っていないけれど、 葬儀をキリスト教でしたい、
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purplekittennight · 5 years
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パン種が、粉全体を膨らますように
 わたしが彼らを増やす。 数が減ることはない。 わたしが彼らに栄光を与え、 侮られることはない。エレミヤ書30:19
 イエスは別のたとえをお話しになった。 「天の国はパン種に似ている。 女がこれを取って三サトン(約38リットル)の粉に混ぜると、 やがて全体が膨れる。」マタイ13:33
 Ⅱペテロ1:16~21  箴言16:18~33(通読箇所)    (ローズンゲン日々聖句6/21;金)
 天の神、主、 「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は、 ご自分の民のはなはだしい背き、 立ち帰るよう呼びかけても呼びかけても、 自分の理性の善し悪しの判断に従うばかりで 帰って来ようとしないご自分の民を、 これ以上放置できなくって、 バビロンを用いてこれにさばきを実行されたのですね。
 神殿は破壊され、 エルサレムは廃墟となり、 民は捕囚となってバビロンに移されて。
 そのときにも神である主は、 なお、エレミヤを通して言われるのですね。 「見よ。 わたしはヤコブの天幕の繁栄を元どおりにし、 その住まいをあわれもう。 町はその廃墟の上に建てなおされ、 宮殿は、その定められた場所に建つ。 彼らの中から、感謝と、喜び笑う声がわき出る。 わたしは人を増やして減らさず、 彼らを尊くして、軽んじられないようにする。 その子たちは昔のようになり、 その会衆はわたしの前で固く立てられる。 わたしはこれを圧迫する者をみな罰する」(エレミヤ30:18~18~20新改訳)、と。
 「天の国」、「神の国」には、 今、来ている「神の国」と やがて来る「神の国」の二面があるようです。
 イエスによって、 そして、イエスを通して来てくださる【聖である霊】と呼ばれる方によって 来ている「天の御国」、「神の国」、「神の統治」は、 ちょうど、パン種が練られた粉全体を膨らますように、 この世の中全体に浸透し、 良い影響力を及ぼしているのだそうです。
 イエスに関するこの喜びの音信は、 弟子たちが、 イエスが捕縛されるとき、 イエスを見捨てて逃げてしまった後悔から考え出した 作り話のどではないのですね。
 ペテロは言います。 私たちは、「キリストの威光の目撃者」として証言しているのだ、と。  だから、「聖書の預言のみことば」を、 夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまでは、 暗い所を照らすともしびとして、 それに目を留めているように、と。
 その預言は決して人間の意志によってもたらされたのではなく、 聖霊に動かされた人たちが、 神からのことばを語ったものだから、 人の私的解釈を施さず、 神の御心を聞いていくように(Ⅱペテロ1:16~21)、と。
 高ぶりは破滅に先立ち、 みことばに心を留める者は幸いを見つける。 人の目にはまっすぐに見える道がある。 その道の終わりは死の道である(箴言16:18、20、25)、こともあるようですから。
 私たちも、 神のことばへの信頼により、 世界に満ちている神の働き、神が与えて下さる栄光の中へと。
今日も。
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