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#コンクリート製ベンチ
kent-ar · 2 years
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スレッドデザインが、設計監理をさせていただいた戸建て住宅で、リビングに隣接した、アウトドアリビングが特徴的です。 物件名:Mak-house Photo : (株)VA 岡村靖子 #スレッドデザインスタジオ #moderninterior #housedesign #housephotography #residence #houseexterior #exteriordesign #名古屋設計事務所 #住宅設計 #設計事務所 #住宅デザイン #木造住宅 #アウトドアリビングのる暮らし #シンプルな暮らし #おうち時間を楽しむ #アウトドアリビング #リビングからつながる外部空間 #コンクリート製ベンチ #アウトドアベンチ #外部テラス #パーゴラから落ちる影 #特注ベンチ #造作ベンチ #バーベキューテラス #アウトドア空間 https://www.instagram.com/p/Cf-ioqNv40l/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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ateliertanu · 8 months
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ピクニックテーブル
 自宅近くの公園を歩いていたら、木製のピクニックテーブルがいくつか新しくなっていることに気がついた。木製と言っても公共の大きな公園のものだからかなりしっかりとしたもので、土台部分はコンクリートで出来ていてしっかりとボルトで止めてある。天板や脚も厚みがあり、見るからに丈夫である。もしかしたら、災害時の利用も想定しているのかも知れない。いくら木陰にあっても夏の間はピクニックをするには暑過ぎるので、利用者の少ない夏の初めに刷新したのだろう。春の間はピクニックはもちろん、将棋を指す人達もいたが、今は静まり返っている。 とあるフランスのベンチ  かつて住んでいたフランスのアパルトマンからほど近い大きな公園にもベンチやピクニックテーブルがたくさんあって、週末にはバーベキューパーティーなどで盛り上がっていたが、それに比べると日本のピクニックテーブルはずいぶんと清潔な印象である。「フランスのピクニッ…
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log2 · 2 months
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【有限会社トーワ】防災トイレなど11点が登録されました!
有限会社トーワは、パブリックトイレ・耐震性貯水槽・防災製品などの設計・施工・販売を手がける企業です。
今回は、防災トイレなど11点をご登録いただきました。
トーワ Arch-LOG 検索ページ
▼防災トイレ
耐震・耐久性に優れた一体型フレーム構造を持つ『FRAME unit』を使用した防災トイレです。どのような敷地条件でも要求配置に応えられ、入口や内部配置が自由に設計できます。メンテナンスも容易です。
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▼防災パーゴラ・シェルター・倉庫
屋根・柱・基礎が一体式となった鉄筋コンクリート造ラーメン構造のユニットです。ルーフ・ルーバーやベンチ類などの組み合わせで、設置目的に適した快適な空間を演出します。
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▼耐震性貯水槽
長期的な高品質保持を要求される食品用貯水槽の製造技術をベースに開発された貯水槽です。 防火水槽としての役割とともに、災害時・非常時の飲料水としても機能します。
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このほか非常時に役立つ浄水装置や防災設備が登録されています。ぜひご確認ください。
トーワ Arch-LOG 検索ページ
※文章中の表現/画像は一部を有限会社トーワのホームページより引用しています。
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locationhunting · 5 months
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🎯ロケーションハンティング™
【恵比寿駅3分 / 70㎡ / ¥8,000/h / iD : 17633】
◆恵比寿南 / 渋谷区◆設備充実。
撮影にも展示会にもオススメのリーズナブルなスタジオ。
渋谷区は恵比寿南。恵比寿駅から徒歩3分の好立地に位置するスタジオ・ギャラリースペースのご案内です。
地下1階の広さ70平米のコンクリート / モルタルを基調としたこちらの会場。
上階からドライエリアに差し込む自然光、白くペイントされた壁面、間接照明が程よい雰囲気を醸し出しているロケーションです。
オリジナルで製作されたハンガーラック、テーブル、ベンチなど、会場費用に込みとなっている各種什器が充実しており、展示会やポップアップでの利用もしやすくなっています。
立地やスペックの割にリーズナブルな価格設定となっており、長期でのご利用もオススメです。
 
🚩会場ご提案サービス
提案サービスご利用無料。
会場利用費以外にご料金はかかりません。
豊富な知識と経験を持つ担当が ( 展示会 / ポップアップ / イベント / ギャラリー / 撮影 / 動画配信) など、会場のご希望をお伺いし即日提案を行っております。
(用途・エリア・広さ・ご予算・他ご要望 )を記載いただき、
下記お問合せ先で承っております。
🚩掲載会場募集のご案内
上質な会場を取り扱うレンタル予約案内サービスです。
タイプを問わず、質の高い会場を募集しております。
弊社の顧客を御社会場にご案内し、御社の会場運営に貢献できればと考えております。お気軽にお声がけくださいませ。
(会場のウェブサイトまたはお写真、住所)を記載いただき、下記お問合せ先までお声がけくださいませ。
🚩問い合わせ先
📞 03-6809-0952
*公式ウェブサイト
🖥 https://locationhunting.jp
*ロケーションハンティング™️ 製作委員会
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kuizeda · 3 years
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 恰幅がいい体躯の背面にまさか極彩色の昇り龍を翻らせたりはしていないけれど、おおむね服装といえば柔らかそうな生地の黒い開襟シャツをまとうのがお決まりで、実のところドライアイの症状を和らげるものだと打ち明けてくれた眼鏡のレンズは茶色がかっている。そのメタルフレームがこめかみに食い込むさまの窮屈そうな禿頭は、果たして何ポンドあろうか磨き込んだボウリングの球さながら鈍い艶を放つ。失礼承知でなんて白々しい前置きをせずとも、まずなあ、飲みに行ってもお寺さんですかと探りを入れるようにしか聞かれんなと暗に張本人が認めるのだから問題ないだろうが、とにかく容貌だけではその筋の人としか解せなかった。長年にわたり生家の手工業に携わってきたという来歴、あるいは「おしゃべりは好きだが不必要なことは言わず、むしろ不器用で寡黙な印象さえ与える物腰や、ふいに高圧的になるところと臆病さが同居したような人柄」。堀江敏幸が『いつか王子駅で』において描く、かの正吉さんそのものではないかと思い至ったのは、実のところごく最近のことだ。
 学生の時分に籍を置いていた寄り合いでは、いったいどんな伝手からなのか年度の単位で部員に受け継がれているアルバイト先があり、花冷えする春の日、私は推薦してくれた一つ上の姉御つき添いのもと、当時まだ花街の片隅に置かれていた仕事場へと出向いて形だけの面接を済ませ、おずおずと週に何回かの勤めをしだしたのだった。肝心な仕事の中身がすでに忘却の彼方にあるとしても、雇い主の立派な体つきの血となり肉となっている食の傾向は忘れることができない。どんなものも卓上のカセットコンロで調理していた。冷蔵庫の残りを一掃するためのバターライス、飲み屋での与太話に触発されて研究していた卵焼き。お好み焼きになると、だしでうどん粉を溶くところから始めていた。普段は日東紅茶を淹れている耐熱ポットに大袋の徳用ソーセージをぎっちり詰め込んでボイルし、茹で上がったところを本業用のガスバーナーで皮がぱちぱちとはじけるまで炙る。手ずから御大がひねった小皿で供せられ、福利厚生の一環としてよくお相伴に与かったものだ。私が電話番をしているとレジ袋をさげて現れ、いつも皮しか買わへんにゃけどという小ぶりの串焼き、二つでもうお腹いっぱいになってしまう肉だんごの甘酢などは、屋号を刷ったえんじ色の紙で透明なパックに腹巻きしてあった。また、酒を注いだ陶製のひょうたんを携え、その総菜屋で肴を調達してから隣の児童公園へ。さすがに毛氈までは敷かないけれども藤棚の下にあるコンクリートのベンチを占拠し、絵描きの友人らと一緒に花見をするとのこと。くだんの店はやはり鶏を中心とした精肉が本業らしく、そばに下宿のあった私を思いがけずちんまりした車で送ってくれもしつつ結構な頻度で通っているようだった。そらまあ、肉のなかではかしわがいっとう好きやな。
 半年が経った秋、ようやく不可思議な勤めにも慣れたころ毎度のごとく顔を出したら、急な話で悪いが、今月末日をもってここでの活動を畳むことにしたとだしぬけに言い渡された。面喰っているこちらを試すように、なんや、反応が薄いやんけと笑ってみせつつ、そのときさえやけに小さく見えるフライパンを握って肉巻きおにぎりをこしらえるのに余念がなかった。一つの節目だということで、斡旋してくれた先輩ともども参集を命ぜられたのは、洛北の山すそにある古刹だった。仲良くしているらしい住職の計らいで、ゴルフ練習用の人工芝生が乱雑に敷かれて悪趣味な置き物なんかも並んでいる、お寺の庫裏というよりはリサイクルショップのバックヤードに近い野天へコンロを展開し、鶏もも、長ねぎ、椎茸をえんえんと焼いて食べた。美味しかった。当然ここで世襲も打ち止め、それきり免職になるはずのところを、結局は学校を出るまで勤務といえない勤務をだらだら続けさせてもらうのだった。
 私がその街を去る間際、ささやかながら祝いの席や、ちょっとだけ食べに行こかと、移転されていまや久しいがその時分はまだ熊野神社のそばの、月極ガレージの詰め所みたいな小屋で商いをしていた店へと一緒に向かい、焼き鳥をごちそうになった。狭いカウンターの右隣では、我がボスがとりどりの部位の肉を串から外して黙々とほおばってゆく。また左隣では、藤真利子さんに似た見知らぬご婦人がゆったりと瓶ビールを傾け、品よく籠のキャベツをちぎって口に運んでいたことを覚えている。炭焼き台からガラス越しに伝わってくる熱を感じ、とても顔がほてった。どこか張り詰めた空気が流れているようにも思われたが、これはほかでもない私自身の、もうじき新たな生活を迎えるということに対する心の動きによるものだったろう。食べ終わってもまだ明るい時間で、それでは長いことご苦労さんだった、どうか気張ってやってやと短いはなむけの言葉をもらい、東西に丸太町通を別れてから私がちょっと振り返れば、市バスの停留所へと遠ざかりつつある巌のような背中に春の粉ぼこりがまつわりついて夕日にきらめき、すると確かにその場かぎりの幻の龍がひと舞ふた舞して七色に光る鱗をありがたく散らしている。
(2019年12月)
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koamisie · 5 years
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美しく燃える森
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2019.1.27発行※転載禁止
動物園
 ホッキョクグマ。クマ科クマ属。食肉類……    水槽に埋め込まれた金属パネルには動物の情報が表記されていた。その隣にあるアンドロイド用のタッチ端末を覗き込んでいると急に目の前が白く眩しく染まった。水槽が大きく波をたてて、子供たちの歓声が館内に響く。 シロクマが水に勢い良く飛び込んだのだ。青く輝くソーダのような水中を踊るように泳いで、シロクマは水面に顔を出した。オモチャのボールを掴むとプカプカ漂いくるりと回転する。 「へえ、よくできてるもんだな…」 ギャビンは水槽にそっと手を伸ばした。 シロクマの額にはアンドロイドを示すLEDが光っていた。 「ええ、私は映像と写真でしか見たことはありませんが、本物と変わらないように思います」 シロクマは飛沫を上げて泳ぎ、また歓声が上がる。 「そうか、もう居ないんだよな」 水面の模様が水槽や壁に反射して白く光り、ギャビンの表情はよく見えなかった。
 花曇りの空の下、動物園のエントランスは閉園前にも関わらず賑やかだった。ケージの中で飛びまわるサルや、カラフルな羽を広げる鳥たちの声が響く。園内で売られている軽食の油っぽくて甘い香り。校外学習だろう、同じ緑色の帽子を被った子供たちが園内をかけていく。 「どうだった?初、動物園は」 ギャビンと並んで売店の前のベンチに腰掛け、ワゴンで売られていくパンダやキリンのぬいぐるみを見つめている。先程見たシロクマにそっくりのぬいぐるみも山積みにされていた。 「はい、とても満足しました。ありがとうございます…ここへは来たことが?」 「いや初めて来た、ガキんとき行ったのは普通の動物園だったし」 春の夕暮れ、皮膚のセンサーが冷たい風を感知する。随分と暖かくなったとはいえ、日が沈めば気温はぐっと下がる。ギャビンはいつものインナーの上にゆったりとしたカーキー色のカーディガンを着ていたが、少し肌寒そうにしていた。 「冷えてしまいましたね、帰りましょう。本調子ではないのに、お付き合いさせてしまいすみませんでした」 「別に。自宅療養ってもやることねーし、暇つぶしには丁度良かったよ」まあ、自分がヘマした現場見に来るのも妙な感じだけどな。ギャビンはそう言ってベンチから立ち上がるとふらりと売店に入っていった。ついて行こうとすると、そこに居ろよと言われてしまったので再び腰を下ろした。 「………」 ガラス張りの売店の中を物色する彼を目で追いながら、一ヶ月ほど前にこの動物園で起きた事件を思い返していく。  子供のアンドロイドが誘拐されたとの通報でギャビンと共に駆け付けた。難解な事件ではなかったものの、ギャビンは運悪く犯人の所持していたナイフで脇腹を刺され、一週間ほど入院していたのだ。 売店のガラスに自分の黄色いLEDが映っている。 ガラス越しにギャビンと目が合うと、彼はにんまりと目を細めて笑った。  あの日、彼の異形に気づいた。 倒れたギャビンの傷口に押し付けた自分の上着。その血のぬくもりの下には、おおよそ人間とは言えない毛皮の身体があったのだ。 応援が来るまでの短い時間ではあったが、ギャビンが自分の知らない「なにか」なのだと理解するには充分すぎた。 店内をうろつくギャビンを目で追いながら、あの日の彼をメモリから検索する。彼が人間ではなく、アンドロイドでもないかもしれない。そんな非現実的な事があるのだろうか。 あのような事象が他にもあるのか調べてもキーワードすら浮上しないので、夢や妄想だったのかとも錯覚してしまいそうになるが、ウイルスや不正なプログラムも診断済みだし、なによりこうやってあの時の映像を鮮明に再生できるのが絶対的な証拠だった。 深層のメモリに保存してある彼の呪文のような遺伝子。あの時舌で感じた彼の血液は、確かに彼ではあるが、どうしてもヒトの物ではなかった。 こうしていても答えは出ないのに。今も売店でぬいぐるみを手にとるギャビンを遠くから見つめているだけだ。 本人に聞くしかないのは明確であるのに、結局言い出せずに、あの日の彼を探すために動物園に行きたいなどと言ってしまったのだ。 ギャビンの姿は物陰に隠れて見えなくなってしまっていた。 (分からなかった…) ガラスに映る自分は、迷子のような顔をしていた。自分が変異体でなければ、こんなにも考え込まずに彼に聞けていたのだろうか?  変異に気づいた時、まず感じたのは、肌寒い春先の気温と沈丁花の香りだった。 変異はするとか、なるとか、そんな話をよく聞いていたが、自分の場合は「気づく」だった。動物園での犯人逮捕の後、病院に運ばれたギャビンは普段どおりで、とりたてて大きな問題も無かった。付き添って居た病室で肌寒さを感じて、慌てて窓を閉めたのだ。その時につんとした甘い香りを感じて、それが心地よいと思った。 あれだけ恐れ避けていた変異も、してしまえば「こんなものか」という感覚だった。幸いなことにサイバーライフも、DPDも大した言及はしてこなかったのだ。きっかけも「あの動物園での事件」としか言いようが無かった。 拍子抜けだった。  ギャビンは、変異した私に「ロビン」という名前を付けた。彼が病室で目覚めた時に私が着ていたサイバーライフ製の上着。事件時のまま、胸元の白が彼の血液でくすんだ赤に染まっていたそれを見て、アメリカコマドリを思い浮かべたのだという。 「だからロビンですか」「ああ、それにお前の目の色、コマドリのタマゴの色だしな」丁度良いだろうと彼はおかしそうに笑った。 変異する前からギャビンとはそれなりに良好な関係を持てていたと思う。最初こそ反発はあったが、慣れてしまえば彼の仕事の効率は上がり、私は彼の相棒という肩書きを手に入れた。名前こそ無かったが、いつの間にか冗談を言い合うような間柄になっていた。今も病み上がりの彼を看るために半同居状態だし、変異したということを伝えてからも関係は変わらなかった。 ただ一つ、あの時の毛皮に包まれたギャビンを知ってしまったことと、どうしてかそれを言い出せないことを除いては。 彼との関係が変わってしまうかもしれないということが、こんなにも怖いなんて。 「ロビン、おい」 「は、はい、おかえりなさい、ギャビン」 「フリーズか?」 すぐにギャビンは戻ってきた。売店は先程よりも人が増えて賑わっている。 「いえ、少しデータを…それより、買い物は終わりましたか?」 「ん」無言で差し出された物を受け取る。それは黒くて、胸元が赤い円らな目の小さな鳥のぬいぐるみだった。ふわふわとした合成繊維のさわり心地が好ましいが、尻尾の根元についた動物園のタグが大きくて少し気になった。 「アメリカコマドリですか」「お前にやるよ、動物園デビューの記念だ記念」彼から贈り物をもらったのは初めてだった。嬉しい。 「��いのですか?ありがとうございます」 「ああ。帰るか…どうせ明日も休みだ、酒買って…いや、めんどいしなんか食って帰るか」 「飲酒はまだ駄目です」 小鳥のぬいぐるみを上着のポケットに入れる。そういえば、今日は臙脂色のインナーに黒いジャケットを羽織っていた。名前も、色も、この小鳥のぬいぐるみとお揃いだ。  出口に向って歩き始めると共に閉園の放送と音楽が流れてきた。するとそのメロディに共鳴するように遠吠えが聴こえてきた。ここから程近い、オオカミのケージから聴こえる歌声だった。 ギャビンと共に誘われるようにオオカミのケージの前に来た。そこには六匹のオオカミが居て、その内の二匹はアンドロイドだった。各が走り回ったりじゃれあったりしては遠吠えを続けている。 「シンリンオオカミか」「ええ」 冬毛のオオカミは大きく、威厳に満ちている。ゴージャスなたてがみと、背中や肩の色の濃いコートのような毛皮。足先は骨ばってごつごつと逞しい。鋭い牙と爪、耳はふっくらとしていて厚みがある。 ギラリと光る目に捉えられ、一ヶ月前の彼の姿がフラッシュバックする。一瞬身動きが取れなくなるような感覚をおぼえた。 ギャビンは、ケージ前の手すりに肘をかけて、オオカミを眺めている。 弱弱しい北風が夜を運んでくる。ギャビンの髪に、桜の花びらが絡まった。ケージの中にある桜の木が、夕焼けの色に染められていた。 「ギャビン、私は、夢をみていたのかもしれないのですが」 「夢?」 「ええ。その夢ではあなたが、オオカミなんです」 ギャビンの目が静かに見開かれた。 「アンドロイドも、夢を見るんですね、変異体はみんなそうなのでしょうか?」 ざわざわと風が強くなって、桜の木がうめき声を上げる。枝が揺れて、薄桃色の花びらが吹雪のように舞った。 「ロビン…」 風に乗せるように、ギャビンが声を漏らす。 その姿は、普段通りのギャビンにしか見えない。 ケージの中のオオカミは力強く遠吠えを続けている。 ギャビンは何も言わなかった。彼の薄い若葉色の虹彩が、夕日を反射してギラリと光った。
ワタリガラス
「ある一羽のワタリガラスが、浜辺に落としたハマグリ。その中から生まれた人間が最初の人類である。
 それから、ワタリガラスはありとあらゆる植物、動物に魂を与え、その後ハクトウワシに命じて人間に火を与えた。そして人間は……ええと…」 獣人は文字を必要としないために、一切のその記録が無い。伝承は全て神話や歌のみで受け継がれ、現在まで至っているという。 ギャビンは円周率を思い出すかのように、その記憶の中に記された自らの種族の神話をポツポツと語ってくれた。 「お前が調べても分からなかったのはそもそも書くやつがいなかったからだし、まず獣人以外は獣人の存在も知らないんだよ」 「そうだったのですね」 「UMA居るだろ」 「UMA…未確��生物。ネッシーやイエティなどですか?」 「ああ。ああいうのは殆んど獣人だよ。ネッシーあたりは何なのか知らねぇけど」
 頭上で真っ黒いカラスがガアガアと声を上げた。雨に沈んだネオンが弱々しく光る裏通りは、錆びた鉄と排気ガスが混ざってひどい臭いがした。コンクリートを打つ雨音に混ざってクマネズミやコックローチが這いずる音が響く。 「くそ…」 ターゲットの臭跡は途絶えたようだった。 夏の雨は肌や服にまとわりついて、前を走っていたギャビンは不快感についに足を止めた。 「ギャビン、一先ず署に戻りましょう、あなたでなければこんなにも追跡できませんでしたよ」 ギャビンは不服そうに鼻を鳴らした。 「お前でも無理か」 「ええ、もうとっくにセンサーは感知していません」 ギャビンが雨避けに被っていたフードを取ると、先程まであったはずの獣の耳はすっかり消えていた。署に連絡を取りながら少しだけ彼を観察する。ターゲットを追っている最中、絶妙に揺れてはバランスを取っていた尻尾もジーンズの隙間から消えている。 今はもう、よく見知ったいつも通りのギャビンだ。 動揺の黄色いライトは誤魔化せただろうか。 「変異した動物のアンドロイドは人型のアンドロイドよりも厄介です」言語機能がプログラムされていないため意思の疎通ができない。変異すれば人型以上に人間の手に負える代物ではないのだ。 「見りゃわかる、アレはただの猛獣だ…作った奴馬鹿だろ」 「接続さえ出来れば」 「暴走してるコヨーテに触ろうなんてむちゃくちゃだな」 「ですがアンドロイドです…」 「知ってるよ」 触れさえすれば機体に接続して動きを止められるのだ。しかしそう簡単なことではないだろう。 待機中だった通信が入る。ギャビンもLEDの輝きに気づいたようだった。路地を抜けて広い通りに出たので、シャッターの下りた店先で雨を凌いだ。 「ギャビン、上からの指示でここから別行動になります。この先の通りにアンダーソン警部補とコナーが来ているそうなのであなたは二人に合流してターゲットをまた探してください」 「はあ?なんで俺が向こうなんだよ」 「ギャビンの方が動物の追跡に詳しいでしょう。私の判断です」 雨足が弱くなり、また頭上でガアガアとカラスが鳴いた。ギャビンは苛立たしげに唸り首筋を掻いた。 「分かった。お前は」 「私は別件で分析班に行きますが終わり次第合流します」 では、と体の向きを変える。自分は来た道を戻るほうが近い。 「ロビン!」 「?」 「まて、ちょっとこっち来い」 振り返ると、すぐ目の前にギャビンの顔があってうろたえる。耳に彼の髪が当たった。お互いの頬が擦れるようにぶつかってすぐに離れた。彼の髭が当たる感触が心地よかった。
「群れがお前と共に走ってくれますように」
ボソリと低い声でつぶやくと、彼は表通りへとかけていった。足音も気配もすぐに雨の中に消えてしまう。 取り残された路地に、雨の音と遠い街の喧騒だけが響く。彼が触れていた頬が熱を持ったように熱くなった。 「群れ…」 ギャビンが話してくれたワタリガラスの神話。秘密を教えてもらったあの日、彼の口から聞いた獣人の伝承を思い返す。ワタリガラスの落とした貝、つまり海洋から始まった生命は進化を続け、様々な生物が発生した。生存の日々、ひ弱な人間は他の動植物を捕食しその力を借りるという方法で生き延びてきた。元々は自然の循環の一部だった人間は、いつしかそのサイクルから離れ、自然を搾取するようになり、一方、植物や動物は生き残るために共生を選び、人間の繁殖力を利用して長い年月をかけ獣人へと進化を続けた。そして今はその殆んどが人間として社会に暮らしている… その一人が彼だ。 「…………」 気の遠くなるような時間だ。雨が河になり、岩を削り渓谷を作るくらい。遠い星が生まれ、その輝きが届くくらい。自分には無い、そして絶対に追いつけない時間。 そのゼロとイチでは測りきれないほどのギャビンとの距離を、あの一言が埋めてくれた。ギャビンにとっては何てこと無い挨拶なのかもしれない。しかしそれは、プラスチックの体を持つ自分が、40億年の遺伝子を持つ彼の群れの一頭になってしまうまじないだった。 頭上でまたカラスが鳴いた。 弾かれたように路地を駆け出す。いつの間にか、電気信号とブルーブラッドで動く二本の足は広大な地を蹴る四本の足に変わり、黒と白のジャケットは豊かな毛皮になって雨を弾いて風を切った。 彼が横を走っているような気がした。
灰色熊
 初雪に包まれた朝のDPDは騒がしい。電話が鳴り、怒号が飛び、ギャビンはずっと不機嫌に唸っている。 触らぬ神に祟りなしだ。気の毒にだれもが彼を避けて通っていた。 ギャビンにコーヒーを持っていくためにブレイクルームを出ると、コナーに呼び止められた。 「おはよう、ロビン。腕のところすごい毛がついてるけど、君、犬でも触ったのかい?」 「いえ、ああ、はい…それよりもコナー、警部補を起こした方が良いのでは?」 「えっ…もう!ハンク!お腹が一杯になったからって寝ないでください…!」 「それでは…」分析される前に足を速める。今はそれどころではないのだ。 ギャビンのデスクにコーヒーを置くと、突っ伏していた顔が上がる。 「おせーよ」 「1分もかかってません」 隣にある自分のデスクに戻る。彼は受け取ったコーヒーを一口飲むと、手元の端末を操作した。うつむいた項の生え際にふわふわとした毛が浮いている。うっとおしそうに首筋を掻くと重いため息をついた。 「はあーーーー痒い痒いかゆいかゆいかゆい…」 「ギャビン…あまり掻かないでください…」 席を立って彼の背中を強めにさすってやると、あーとか、うーとか…なんとも言えない声が出る。ひとまず顔周りをバリバリにさせることは防げたようだ。 「しんどすぎる…」 「春はそうでもなかったのにどうしたのでしょうか…何か心当たりは?」 例年より気温が高い日々が続いていたのが最近になって急激に下がったために、換毛がスムーズに行かなかったのだろうか。即座に「犬、換毛期、トラブル」で調べるが、目ぼしい情報は見当たらなかった。 視線を感じ顔を上げるとコナーと、その向かいにいるアンダーソン警部補が顔を突き合わせてニヤニヤとこちらを見ていた。 (良い旦那もらえてよかったな) 警部補が口の動きだけでそう言った。ギャビンは無言で中指を立てている。 「絶滅種が…冬眠してろや…」 「冬眠?」 唸るようなギャビンの声に首をかしげるとコナーから通信が入る。 《君たちはいつの間に結婚したんだ?》 《してません》
またギャビンがむずむずと動き出したので肩をさする。マルチタスクで業務の手は止めていないが、周りからすれば介抱しているようにしか見えないだろう。 《ところでリード刑事大変そうだけど、さっき君の袖に着いてた毛が原因なんじゃないか?…それで調べたんだけど、これ犬じゃなくて…オオカミみたいなんだけど、君たち動物園にでも行ったのかい?》 《………》 《ロビン?》 《ええ、そうなんです。それでちょっとアレルギーが出てるみたいで… それよりコナー、警部補は冬眠されるのですか?》 《冬眠?》 コナーは不思議そうに首をかしげた。
山鳩色のタペータム
 隣で小さく跳ねた体温が、穏やかにたゆたっていた意識を浮上させた。ゆっくりとスリープモードを解除する。 「ギャビン?」 「うーん…」 背中をむけて眠っていたギャビンは器用に寝返りをうつと、ごそごそとこちらの胸元にもぐり込んでくる。 寝ぼけていてもなかなか寝顔を見せようとしない様子に苦笑いする。静まり返った夜更けの空気が少しだけ震えた。朝日が入るようにと開けられたカーテン。少しだけ開けられた窓から花の香りがする。仕事を終えて静かに消えた街灯のむこうに、沈みかけの月が見えた。 肌のセンサーが気温を感知する。寝汗で彼の体が冷えないように毛布をそっと引きあげてやる。 「目がさめた…」 胸元からくぐもった声がする。枕に押しつけられてくしゃくしゃになっている髪をすいてやると、パッチリと目が合った。前髪を直す彼の癖。 「今何時だ?」 「3時45分12秒です」 声帯を震わさずに出す声は内緒話をしているようで楽しい。普段寝起きの良い彼の舌足らずな声を聞くのは久しぶりで、慌てて深層の保存領域にアクセスをする。 「あ?真夜中じゃねーか…」 「最近出ずっぱりで疲れすぎていたのかもしれませんね、眠れそうですか?」 「ん〜…」 「気温が急に上がったので体が慣れてないのかもしれません」 そっと頭を撫でると、ぐずるようにパジャマにしがみついてきた。今着ているのは、彼が買ってくれた綿と合成繊維でできた濃紺のパジャマだ。 彼はその匂いを分析するかのように鼻を動かすと、息を吐き出す。パジャマの下の機体がもわりとした湿度を感知した。 「変な夢見た…」 唇にやわらかな感触。彼の髪の毛から覗く、ふっくらとした毛皮。穏やかにとんがったシルエットはオオカミの耳だった。 「お前は夢見ないからいいよな…」 「はい、良いかは分かりませんが…人間のような夢を見ることはありません…」 満足そうな鼻息が聞こえる。 ギャビンのこの姿を見たのは数えるほどしかない。腕に触れるうなじの生え際や毛布の中で絡まる足先がうっすらと毛皮をまとって、フサフサとした感触が擽ったい。 体は人間のまま耳と尻尾だけオオカミのものになっているのだ。獣人という種族の最も合理的な姿をしている。彼曰く、これが一番楽で自然体なのだという。 「ギャビン…?寝ぼけているんですか?」 「うん?起きてるよ」 「触れても、良いですか?」 欠けている方の毛皮の耳がぴくりと動いた。 「触んなって言ったら触んねーのかよ?」 毛布の中に隠れている、彼の尾骨から伸びる尻尾は苛立たしげに揺れただろうか。 「あなたの…嫌がることはしたくないので…」 ぴくぴくと動く耳は音を探しているだけではなく、落ち着かない彼の心情をそのままに伝えてくるようで、小さく笑みを漏らしてしまう。 「好きにしろよ」 そっと毛皮の耳に口付けると、データには無い、不思議な遺伝子情報が流れ込んでくる。 「ありがとうございます」 彼の目に見つめられると、その瞳から目が離せなくなる。霜がおりた木の葉のような、山鳩色の虹彩が、LEDの黄色を反射してギラリと色を変えた。オオカミのマナーを思い出す。目を逸らさなければならなのに動けなかった。オオカミに追い詰められ、凍った湖に足を取られて、動けなくなったアカシカになった気分だ。 このうつくしい獣に食べられてしまいたいとも思ってどうしようもない。 「おい、いつまで撫でてんだ…ぬいぐるみじゃねーんだぞ」 「ギャビ…」 唇に、毛皮とは違う柔らかな濡れた感触。いつもよりほんの少しだけ深く触れ合った舌に、かたい犬歯が当たる。 「味見」 「…食べられてしまうかと思った」 それを聞いた彼が静寂を揺らすように大きく笑う。開いた唇の隙間から長く鋭い犬歯が見えた。 「お前のこと食っちまいたいよ」 乱暴な言葉とは裏腹に、触れる手つきは優しい。うっすらと毛皮の生えた手の甲で頬を撫でられると、声が漏れそうになる。 「ーーーーー」 どこの国の言語とも一致しない不思議な言葉。喉を震わせる歌うような声。彼の言葉が理解出来ないのは、少し寂しい気持ちになる。しかしその顔を見ると、都合よく意味を解釈してしまう。 「私もですよ、ギャビン」 驚いたような、けれど嬉しそうな意地悪な彼の微笑み。きらきらと光を反射する不思議な色の瞳。それだけで今は十分に満足だった。
 中庭のジャカランダは、ここのアパートの大家がチリ旅行に出かけたとき気に入ってわざわざ植えたのだという。熱帯の植物だが、寒帯の気候に適応するまでそうかからなかったらしい。ギャビンのようだと思った。動物だけでなく、植物もこの世界での生き残りに必死なのだ。もしくは、温暖化が進んで平均気温が上がっているだけなのかもしれないが。 北米の初夏、紫雲木とも呼ばれているその木は、紫色の花が満開の見ごろをむかえていた。薄曇まばらな空から朝日が差し込んで、ジャカランダの透き通る青みの強い紫が照らされる。うつくしい色だ。 「こんな朝早くから…ピクニックだ?てか何年ぶりだよ。しかも家の前って…」 「綺麗ですね」 散った紫色の花が木の周り一面に絨毯を広げている。持ってきたラグを木の根元に敷いて腰を下ろすと彼も隣に座った。紫の地面に使い古された織物の白が映える。昨日の残りのポテトサラダをハムと一緒にパンに挟んで朝食を作った。 「ぜってー昼眠くなるだろこれ」彼は大きく口を開けるとそれを二口で食べてしまった。パン屑をねだりにムシクイがピョンピョンと木から下りてきた。 キスのあと二人は本格的に眠れなくなり、ベッドを抜け出すと早すぎる朝食を作ったのだった。 起き出す前「早く食っちまいたい」と彼は言ったけれど、しかしどうやらそれはまだらしい。 彼とはいつの間にか、ゆるやかに、人間でいうところの恋人のような関係になった。病み上がりの彼を診るために半同居をしていて、そのまま一緒に暮らすようになったのだ。 直接的な言葉はもらっていないし、渡していない。けれど彼からの接触は、グルーミング以上の意味があるように感じているし、それが嬉しくも思う。 「昨日と今日に0時という区切りがあるのは面白いですね」 「はあ?」 「朝と夜は繋がっている。暗い空の向こうから太陽が昇ってきて、明るくなる、そして沈んで暗くなる。正確には地球が回っているのですが…人間はそれの繰り返しに区切りを付けて日付をつけた」 「お前ってアンドロイドの癖に時々哲学的だよな」 日ごとに同じ長さ伸びる枝はありません。芽は随時伸びているし、鳥の雛も区切り無く成長している。そう言うと、彼は「そうだな」と一言、またサンドウィッチに手を伸ばした。聞いているのかいないのか、ムシクイにパンをちぎってやっていた。 「私は…あなたのことを愛していますよ」ギャビンの手が止まる。爽やかな夏の朝の風が吹いてジャカランダの筒状の花がぼとりと落ちてきた。 「………」 彼の耳が赤いのは、透ける朝日のせいだけではないはずだ。ふわふわのオオカミの耳も表情豊かだが、人間の薄い耳だってこちらが恥ずかしくなるほど彼のことを教えてくれる。 彼の特別な言葉が分からなくたって彼の大体のことは分かってしまうのだ。 ぼふんと毛皮の耳が現れる。この傲慢で世間を見下している一匹オオカミは、とんでもなく奥手で優しくて愛情深い。私がもしオオカミなら、尻尾を千切れんばかりに振って、くんくんと鼻を鳴らして彼におなかを見せていることだろう。 山鳩色の瞳がじっと見つめてくる。私は尊敬を込めて、ふいと視線を逸らした。
「ーーーーー」
やっぱり、確かに、幾度となく囁かれたこの歌うような言葉は。彼からの愛の言葉だ。
湖畔
 シャワーを浴びて部屋に戻ると、ソファーの上でロビンが縮こまってスリープモードになっていた。 付けっぱなしの電気、ヒーター、加湿器。煌々と明るく暖かい部屋。秋も終わると言うのに、ここだけはまるで春のような暖かさだ。 とっくに日付は変わっていた。早くこいつをを起こして寝床に移さないと面倒なことになる。寒さに弱いアンドロイドは機能を保つため冬は人間のように暖かい。そうすると暖を取ろうとしてくっついていたくなってしまうのだ。 (このままじゃ俺がソファーで寝ることになる…ていうかアンドロイドって寝落ちするんだな…) 電気を消す。やっと、この部屋にも夜が来た。どこからかキツネの声がする。
仕事が終わり家に帰ってくると、暗いはずの部屋の窓にあかりがついていた。
中古で手に入れた郊外のアパートの一室は隙間こそ多少あるが趣があって気に入っている。 駐車場兼中庭の葉の落ちたジャカランダが窓の明かりを鈍くはね返して陶器のように光る。 ウーフウーフとフクロウの鳴く声が遠くから聞こえた。 深緑色のサッシの窓がカラカラと音を立ててスライドする。 「おかえり、ギャビン」 「おう」 窓から顔を出したロビンがふわふわと笑っていた。自分の息が外気で白く凍る。 「寒かったでしょう」 バイクで風に当たり凍えた身体も少し暖かくなった気がした。 「今日は買い物をしに外に出ただけであとは家に居ました」 「そか」 ソファーで一息ついたら、ロビンがコーヒーを出して隣に座った。こっくりとした白練色の焼物のマグカップ。取っ手が欠けてしまったのをロビンが金継ぎで直したやつ。お気に入りにならないはずがなかった。コーヒーの香りが心地良い。 「お疲れ様」 「サンキュ」 あとは?と聞く。バラバラに過ごした日、お互いの出来事を話すささやかな日課だ。昼食が遅かったので、作ってもらっていた夕食は明日の朝にまわすことにした。 「昼間、中庭にハイイロリスが来てたのでクラッカーをあげました」「うん」「そしたらショウジョウコウカンチョウとアオカケスが大群で来て襲われました」「笑える」 ロビンはよく鳥たちの止まり木にされる。人間のように臭わないし、危害もくわえないので鳥たちも餌をくれる機械くらいにしか思ってないのだろう。ブルージェイやカーディナルに群がられているこいつを想像してにやけていると、ロビンは拗ねた顔になってしまった。が、かわいいのでそのまま無視した。頬に甘噛みしてやるとくすぐったそうに返される。グルグルと喉を鳴らしてわざとらしく匂いを嗅ぐ。石鹸の良い香りがした。 「あーだからお前小鳥臭いのか」 「もう…本当に意地悪なひとですね…」 「あはは」
 明かりを落とした部屋の中、カーテンからこぼれた細い光が、ベッドに横たわっているロビンの薄い頬を照らしていた。埃がキラキラと輝いている。満月が近いのかやけに外が明るい。窓に手を伸ばしそっとカーテンを開けると光は一気に溢れて洪水のように部屋中を満たした。まぶしい光に狭まった視界を暗い部屋に戻すと、世界が青みがかって見えた。ロビンの息遣いで静かな水面が揺れているようだ。 「すごい月だぞ」 返事は無く、静かに結ばれた口元が少し震えたように見えた。眩しそうに眉間に皺。完全なスリープモードではないのかもしれない。 もし今、こ��つが目を開けたら凍った湖のような秘色色があふれるんだろう。 氷の張った湖に大きな月が反射する。それをどうしても手に入れたくて、湖畔から踏み出す。しかし向こう見ずのオオカミは、薄くなった氷に気づかず湖に捉えられて沈んでしまうのだろう。 大人しく湖畔のベッドに腰を下ろして月がロビンを照らすのをただ眺めていた。艶やかなエルクのような髪の色。水底の光をかき集めて、影を作る睫毛を、通った鼻筋をなぞる。人間と変わらない肌だ。 ロビンが身じろいだ。まるで視線で愛撫しているようでおかしいと思った。 ロビンが目を開けていた。 「起きてたのか」 凍った湖に自分が映っている。変な顔をした、赤茶けたオオカミの姿。ヒーターのジーという音がやけにうるさく感じて、耳をせわしなく動かしてしまった。 「貴方に食べられるのを待っていました」 気づけば足元は薄い氷だった。
六本足の踊り
 オオカミの背の毛皮はマホガニーのような色をしていて、波打つ度に金色にきらめいた。 横腹や足先の毛は銀色で雪を反射してキラキラと風のように光る。ようやく登ってきた太陽が森を照らしはじめて、オオカミのたてがみは一層きらめきを増した。遅い遅い朝が来た。 頭の上ではジョウビタキがさえずり、足元ではライチョウのグロロロという声が静かに響く。葉の残っているトウヒたちはさわさわと賑やかにお喋りをしては身体を震わせて雪を落とした。その間を縫うようにギャビンはどんどん走っていった。 オオカミの姿をした彼は四本のたくましい足で飛ぶように木々を抜ける。その後ろを離れないように、二本の足を懸命に動かしてついて行く。いくら自分が戦闘に特化しているといっても、雪深い木々の間を走るのは一苦労だった。小さな吹き溜まりに足を取られて転びそうになる。激しい動作により通常の機能では排熱が追い付かず、はあはあと口を開けて熱を逃がした。 「ギャビン、」 待ってくれと声をかけるが、前を走っていたギャビンはすでに姿を消していた。雪の上に、彼が残した足跡が転々と浮かんでいるだけだった。 溜息と共に口から出て行った熱は外気に白く溶けていく。幸いここはGPSも機能するし、ギャビンも相棒を置いてきたことに気づけば戻るか待つかしてくれるだろう。  足を止めてしまえば、雪を踏むザクザクとした音も、耳の側を駆け抜けていく風の音も止んで、自分の排熱音が響くだけだ。雪のツンとした香りがする。見上げると、カバノキの白い枝の間から薄い青空が覗いていた。 雪を掻き分けてようやく吹き溜まりから抜けた。相変わらずギャビンの気配はなく、どうしようかとLEDを回して立ち尽くしているとどこからかキツツキの笑い声が聞こえた。 ギャビンがいなければ自分はすっかりこの森の異物になってしまう。 足跡を辿ってゆっくり進むと沢の音が聞こえてきた。ネズの茂みに被った雪が固まり氷柱になって垂れ下がっている。沢の上まで来ると流れが良く見えた。黒々とした岩の間に飛び越えられるくらいの小さな流れを見つける。そこへ音も立てずヤマセミがとまり、捕まえた魚を岩に叩きつけていた。 気づけば一面足跡だらけだった。ギャビンの物を追うのは造作も無いが、その他にも賑やかに走り回るキツネやクズリ、アカネズミ、カワウソの様子が予測機能で次々に再現されていく。 足元に突き出ている枝に絡まっているのはノウサギの毛だろう。パキパキと後ろで音がして振り向くと、エルクの親子が鼻先で雪を退かして器用に苔を食べていた。鳥たちは騒がしく縄張りを取り合い、相変わらず木々は楽しげにお喋りを続けている。雪に覆われた世界は、生命に溢れていて、全てが自分に無関心だった。 すっかり落ち着いた機体が吐き出す息はもう白くはならなかった。  ゆっくりと歩きながらオオカミの足跡を辿っていく。頭に何かが当たり見上げるとハシバミが咲いていた。クリーム色の羊の尻尾のような花が辺り一面に垂れている。花を落とさないように薮をくぐっていると、夏にギャビンと羊を追いかけた事を思い出す。デトロイト郊外で飼われている羊が遠くまで行ってしまい、一日中追いかけ回したのだ。彼は終始悪態ばかりだったが楽しかった。 そんな事を考えながらハシバミを観察していると、峰の方でオオカミが吠えた。サイレンのように低く長く響き、最後は掠れて溶けるように途切れる。 ギャビンが自分を呼ぶ声だ。 『どこに居るんだー!さっさと来やがれ』といったところだろうか。その声に驚いたワピチがぴょんぴょんと茂みから飛び出して跳ねていった。 すると遥か遠くの山からオオカミの群れの声が届いた。 『きみはどこにいる?』 『ここはすばらしいぞ!』 『仲間がたくさんいる!獲物もたくさんいる!』 『オレたちはすばらしいところにいる!』 遠吠えがこだまする。大きい群れだろうか。物珍しそうに、ギャビンの返事を待っているのだ。しかし彼はその声を一切無視してまた自分を呼んだ。 『ロビンーーーー!』 「いま行く!!」 遠吠えではない、ただの大声でそう返すと、その音量に驚いたコガラがバタバタ逃げていった。 ビャクシンの間を抜けた先の山頂付近の雪原、ぽつねんと一本だけ立ったオークのそばにギャビンは居た。後ろから朝日に照らされて大きなオオカミの身体が黒く浮かび上がる。 「何してたんだよ」 不機嫌な声。鼻にシワがよっている。手を着いて雪原を登る。 「すみません、ヤマセミがいて、初めて見たので気になってしまったんです。マスを叩きつけて仕留めていたんですよ、エルクの親子もいました」 録画しましたよ。ギャビンの隣に腰を下ろすとふさふさの尻尾がおざなりに揺れて少しだけ手に触れた。 「ったく…オーロラが見たいの次は朝日が見たいときた…次は夕日か?」「よく分かりましたね」 ここはデトロイトから遠く離れたカナダの最北だ。極夜があけて初めての晴れた朝、ギャビンとともに泊まっていたロッジを飛び出して、朝日を見るために山頂まで走ってきたのだ。 氷河は溶け切り、森林限界は年々北上しているという。北極圏も近いというのに、賑わう森があった。 「年始休みは南の島にでも行こうかと思ってたのにな」 「北の果てに来てしまいましたね」 「ふん…」 「あなたと極夜のオーロラと朝日を見ることが出来て幸せです」 ギャビンが後足を崩してもたれかかってきて、右肩にずしりと重みを感じる。その毛皮の下の暖かさも知りたくなって、温度感知機能をオンにする。 「!さ、さむ…」 しかし、彼の体温を知る前に、外気の凄まじい寒さを感知してしまった。思わずギャビンにしがみつく。 「うわ!なんだよ」「さ、さむくて…!」 生体部品が凍りつかないように防寒はしているが、予想以上の寒さだった。 「お前、気温感じないようにしてたんじゃないのかよ」 「少しだけオンにしてみようとおもったんです」 ギャビンがずっとオオカミの姿をしていた理由に気づく。あたたかな毛皮と、雪に沈まないかんじきのような四本の足が羨ましくて、ぎゅうと抱きつく。 すると重みに耐えられなくなった足元の雪がズルズルと悲鳴を上げながら砕けて滑って、ギャビンと共に雪の中に放り出された。 「うわ!?」 なだらかな白い丘陵に描かれたいびつな線を、太陽がぬるく照らした。ごろごろと雪煙を上げてふたりもつれ合って転がっていく。視界が空と地面を何度も往復して、やっとのことで雪山にぶつかって回転が止まった。 重み、そしてゆっさりとした毛皮の感触。生暖かい息が顔にかかる。揺れていた視覚ユニットが正常に戻れば、ギャビンは雪まみれになって自分の上にいた。 「この、ポンコツ」言葉とは裏腹に、あたかく湿った舌でめろめろと顔をなめられた。お返しにと彼の鼻先とヒゲをなめる。毛皮にこびりついた雪が舌の上で溶けると、氷の成分と一緒に彼の情報が表示された。 その表示の向こうに見える空は果てのない黒々とした青空だった。薄い空気の先の宇宙が見えるようだ。目が痛くなるほどの白と青のコントラスト。 「もっと暖めてください」 ごろんと彼の上に乗ると、ギャビンは甘えるようにスピスピと鼻を鳴らした。 目の前で揺れる、木の色の毛皮に指をうずめて、顔をこすり付けて、彼の匂いを吸い込む。 あれだけ賑やかだった森を抜けてしまえば、雪の上にいるのは自分とギャビンだけだった。
美しく燃える森
 ミシガン最北の島、アイル・ロイヤルは紅葉の季節を迎え、森は宝石のように色づいていた。 エルクの群れはのんびりと苔を食んで、キツネの親子のお喋りが聞こえる。小鳥たちはうるさく囀り、木々は色鮮やかに染った葉を揺らして楽しげに歌った。 眩しいカエデの並木道を早足で進む。頭上を舞う木の葉も、足元でがさがさと音をたてる落ち葉もその全てが、金色や、アンバーに輝いた。ハクガンだろうか、白い鳥の群れがV字を描いて遠い青空に浮かんでいた。 しばらく森の中を歩きハイキングコースに出る。メタセコイアの横にある鉄の橋を渡ると、かつてビジターセンターだった小屋が現れる。木とレンガで出来た小さな一軒家だ。壁に葡萄が伝って実が成っている。ポストを確認すると、一通手紙が入っていた。餌を貰えると勘違いしたのだろう、アカリスがやってきた。秋バラの小さなゲートをくぐって、玄関扉を開ける。 「ただいま」 暗い室内。朝に出たときのまま、固く閉められていたカーテンを勢いよく開けると埃がきらめく。陽光が矢のように差し込んで部屋に色をつけた。 「ギャビン、起きてください、休みだからと言って寝すぎですよ」 窓辺の大きなベッドを独り占めするように、毛布やキルトに包まってくちゃくちゃになっているギャビンをたたき起こす。 持っていた籠いっぱいの野イチゴを掲げた。 「あなたの大好きなベリーをたくさん頂きました。食べませんか?」 「んー…?んー…たべたい…」 「ほら、起きて」 「ロビン……」 「もう」 毛布から顔を出したギャビンは髪をあちこちに跳ねさせて、おまけに耳も片方ひっくり返っていた。それが可愛くてくすくすと笑うと、すぐ不機嫌になって毛皮の耳は仕舞われてしまう。お詫びに籠から野イチゴを一つだけ抓むと、彼の口に運んで食べさせてやった。
「もうすぐシーズンが終わるので、仕事が少なくなると思います」 「ん」 温暖化は進み、地球上の生物の四分の一が絶滅したといわれている。 数年前に起きた都市大気汚染による獣人の大量死。環境悪化の魔の手はギャビンにも伸びて、ついに二人でデトロイトの街を出た。ここに来てからはギャビンは環境保護警察として、犬や外来種の規制、狩猟の取り締まりなどの仕事を任され、デトロイトに居た頃ほどではないが急がしく働いていた。 「今日は?」 「一組が今日の帰りだったのでビーバー島まで迎えに行ってきました」 ネイチャーガイド兼レンジャーの仕事は楽しい。DPDで勤務していた時とは違い、常にギャビンと共に居る事はなくなってしまったが、島で働く者もそう多くないので仕事場は近い。 「それで、ビジターがベリーをくれたんですよ」 「なるほど」 「野生のオオカミが見られなくて残念そうにしてたので行ってあげてくださいね」 「絶対嫌だね…お前言ってないだろうな…」 「まさか」 ギャビンは大きく口を開けて一気に野イチゴを頬張った。あとでジャムにしようと思ったのに、もう半分以上食べられてしまった。タンブラーにブルーブラッドを注ぐと、彼の金継ぎのマグカップにもコーヒーを用意する。ホーローのポットがおだやかに湯気を立てていて、漂う先を目で追う。ロフトやハシゴから吊るされているドライフラワー。暖炉の横に立てかけられたスノーボードと釣竿。薪置きには「アイル・ロイヤル・ナショナルパーク」の広報誌が溜まっている。古く歪んだガラスの窓に映る紅葉は絵画のようで、部屋の中の全てのものを優しく照らしていた。 「またすぐ冬が来ますね」 「ああ、そうだな」 「ギャビン、川の方の紅葉が見ごろでした。朝食が終わったら、ビジターの見送りついでに見に行きませんか?」 彼は頷いてから、今度はパンにかぶりついた。自家製の黒パン。これも職場で貰ったものだ。その他にも廃屋だったこのビジターセンターをリノベーションしてくれた島民、ブルーブラッドなどの物資を運んでくれる連絡船のアンドロイドたち。そして獣人のコミュニティ。随分と周りに支えられて生きていることに気づいて暖かな気持ちになる。 「そうだ、コナーから手紙が届いていました」 「手紙ぃ?あいつほんとアナログ大好きだな…さすがじじいのわんころ…」 「ギャビン、行儀が悪いですよ」 椅子の上に乗せられた足をポンと叩く。
 午後の日差しは暖かで、入り江は凪いで鏡のようだ。今シーズンで最後の旅行者になるだろう、彼等をカナダへの連絡船に乗せて、今日の仕事は終わりだ。 桟橋を戻ると、現ビジターセンターの小屋で待たせていたはずのギャビンはそこには居らず、すぐ近くのバーチの木立の中にいた。 「!」 白樺の白い幹とレモン色に染まった葉に紛れるように、5、6歳の子供がギャビンと話していた。雪のような肌と髪の、まっ白い少年だ。ギャビンは困ったような顔でしゃがみこんでいて、少年と目を合わせて何か喋っている。迷子だろうか。島は東西に長く、ビジターセンターや港、我が家がある西側とは違い、東側には少数だが島民が住んでいるのだ。急いで彼らに合流すると、ギャビンはホッと息をついた。 「ーーーー!」 「あ、」 ふと呼び声が聞こえて振り返ると、木立の向こうに人影を見つける。 「ママ!」 少年は弾かれたように駆けていった。彼と似たもう一人の子供をつれた、母親らしき人物がこちらに頭を下げていた。手を上げて応える。 少年は母親に抱きついて再会を喜んでいた。 「双子でしょうか?大事無くてよかったですね」 「オメー、来るのが遅いんだよ」 「ギャビンがワタワタしてるのを見るのがおもしろくて、つい」 「あ?型落ちロボコップは人助けの仕方も忘れたか?」 足に蹴りを入れられた。お返しにと落ち葉をかける。ヒートアップしそうだったので、彼を羽交い絞めにして動きを止めた。 親子はこちらに背を向けて森の道に入っていった。三人の白い髪と肌が、紅葉の中に溶けていくようだ。子ども達のころころとした笑い声が、爽やかな秋の風の中で響いた。
「シロクマ…」 「?」 ゆったりと遠ざかる親子を見て、シリウムポンプが強く脈打つような感覚に襲われた。あっと声を上げる。ギャビンは動きを止められたままの格好で不思議そうに彼等を見つめた。 「ギャビン、シロクマです、あの親子…」 「シロクマ?…ホッキョクグマはとっくに絶滅してるだろ」そう続けるギャビンはもがくのを諦めたようだった。 「でも、そんな気がするんです」 「ふーん…ならそうかもな」 ギャビンは彼等の消えた先を見つめて眩しそうに目を細めた。その表情に満足して、ふと腕の力を抜いてしまう。すると閉じ込めていた体が急にググっと動く。ズルズルと体の形を変えた彼は、器用に羽交い絞めから抜け出し、四つの足で落ち葉の絨毯の上に着地した。 「ざまぁねぇな!」 そのまま牙を見せて不敵に笑うと家の方向へ駆けていった。 「それは!反則!ですよ!」 敵わないのは分かっているが、必死に足を動かして彼を追いかけた。 「ギャビン、待って!」 転々と落ちている、彼が脱ぎ散らかした服を引っ掴んでは走る。 視界を流れていく、色とりどりの宝石のような紅葉。常緑樹に垂れ下がる不気味なサルオガセ、豊かな緑の苔、川の音。カラフルなキノコ。視覚ユニットが情報でどんどん溢れていく。 『おせーよ!ロビン!』 彼の呼び声が響く。蕩ける様な遠吠えだ。 足を止めて、手で口元を覆う。 「ゥワォーーーーーーーン!」 彼の遠吠えには似ても似つかない、ただ音量を最大にしただけの、人間の声に似せた音を響かせる。意味の無い、おまけに呼吸も必要無い、ただの叫び声。 けれど彼には届いているだろう。 二人の遠吠えはサイレンのように響き渡り、森の中に溶けていく。 騒がしい森。どんぐりをさがすアカリス、野ねずみの足音、薮に入ると絡んだウサギの毛が舞う。うるさく笑うキツツキをやり過ごして、ミツバチの羽音が耳元を掠める。木の洞ではワシミミズクがあくびをした。 エルクの群れを横切る、オオカミの足跡。この先に彼がいる。 ブルーブラッドが体中を巡る音。 生きている、何もかもが。美しく生命が燃えるこの森で。
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benediktine · 3 years
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【3県境プレート消える 周辺で昨年にも被害 栃木市職員気付き盗難届提出 観光客訪れる人気スポット】 - 上毛新聞ニュース : https://nordot.app/800470204438069248 : https://archive.ph/sDAWZ 2021/8/18 06:00 (JST) (c)株式会社上毛新聞社
 {{ 図版 1 : 持ち去られたとみられる真ちゅう製プレート。「三県境界」の文字などが刻まれていた(板倉町提供) }}  {{ 図版 2 : 全国的にも珍しい平地の3県境。中央のコンクリート製の境界くいの上にプレートが設置されていた=17日午後 }}
 群馬県板倉町と栃木県栃木市、埼玉県加須市にまたがる「3県境」で、境界くいの上に設置された金属製プレートがなくなっていることが17日分かった。何者かに持ち去られた可能性があるとみられる。同日午前10時半ごろ、現地を見回りに訪れた栃木市職員が見つけ、栃木県警に盗難届を提出した。
 プレートは真ちゅう製で、直径約8センチの円形。表面に「三県境界」の文字や「群馬県板倉町」など2市1町の自治体名が刻まれている。プレートの裏面に突起があり、コンクリート製の境界くいに埋め込まれ、接着剤で固定されていた。栃木市が周辺に木製ベンチなどを設置し、11日に現地でベンチのお披露目式を開いた際にはプレートはあったという。
 県境は山間地や河川の中などのことが多く、行き来しやすい「平地の3県境」は全国でも珍しいため、観光客が訪れる人気スポット。周囲には水田が広がり、誰でも自由に立ち入れる。
 17日に家族で見学に訪れた茨城県古河市の小学5年生、川村結衣さんは「せっかく来たのに、見られず寂しい」とがっかりした様子だった。
 「3県境」を巡っては、昨年6月にも周辺に設置した丸太のカメラ台などが壊され、記念スタンプが紛失している。
 板倉町の担当者は「昨年6月の件に続き、大変残念だ。皆さんの聖地を大事にしてもらいたい」と話している。2市1町で今後、対応策を協議するという。(御山まゆみ)
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飽和する白4 奈落の水底
地上4階建て以上の、コンクリート製らしき質感の建造物。長めの5棟が各辺を構成し、それより低い1棟が中心に存在する。造られた年代はばらばらで、地上部分は一番古い場所でも50年経っていないと思われる。それぞれは渡り廊下で繋がっており、おおよそは学究のための施設やその職員の寮などである。
簡単にいうと建築予定地を掘ったら遺跡が出てきたけど諸々が面倒だったのでその上に大学建てたみたいな。地上部分は必要に応じて生やしたり伸ばしたりしている。地下も部分的にはそうらしい。地理的には一方に湖、他三方は山に囲まれ海は存在しない。山の一角と地下一部にて岩塩が採れる。
地上一階は存在はするが湖である。柱と床と天井でできている。日によって床上浸水程度の時もあれば、高い天井がひたひたになることもある。この湖の水は飲用には向かない。特筆して何が悪いのか一住人は知らないが、水分豊富なこの場に一切の苔も藻も生えないことを見るによろしくないと判断していた。
この施設に住む公の住人は3000人ほどである。施設外には公には2000人ほど在住していることになっている。この施設から定期便に乗れば数時間で1つの集落に、そこから数日で次の町に、さらに40日ほどをかけて人口密集地に辿り着く。施設にいるものは施設外のものがどうやって生活しているのか考えない。
地上一階の下のはなし。水没しているが、およそ10階ほど視認できる。各棟ごとに一定の様式で建設されており、増築されたとおぼしき部分も存在する。中央棟の地下10階(おそらく)の軒の下と、その他局所には空気溜まりになった場所がある。潜れば潜るほど影は濃くなり、白い建物は褪せて更に白くなる。
うまいこと入り方を間違えると、重なり合った別の世界に入ることができる。建築物はほぼほぼイコールであるようだが、水はないので呼吸も歩行も可能である。見た目には何の違いもないが、同一箇所に人間が二人いることが可能。「俺は今裏側にいる」「マジか、なら草毟ってみろ」というジョークがある。
通称「裏側」世界には草が生えている。レイヤーが重なっている状態なので、稀に壁抜けができる。「裏側」一つはあるのが確定しているが、二つ以上あるのかもしれない。一住人にはわからない。長時間水に潜っていると失明するが、長時間「裏側」に潜っていると自失する。白目の魚人という怪談がある。
水中の地下10階(おそらく)の地面には礫砂が、「裏側」の地下10階(おそらく)には金属的な土砂が積もっている。しかし場所によってはどちらからも見えるが触れられない岩がベンチのように配置されているのが、複数「裏側」が存在する説の根拠である。昔「人間だけには触れられない事件」があった。
突発的に、水面に穴が開くことがある。風呂の栓を抜いたように水が吸い込まれ、一階部分に直径数メートル程度の穴ができる。水は湖からいくらでも供給されるので干上がることはない。穴は地下10階(おそらく)を突き抜け砂や石などを巻き込み流れ落ちる。多い時には数十人が行方不明となる。
勢いのみ共有された「裏側」でも人的被害が出る。優に10階分を経て地面に叩きつけられる上、「裏側」に入るだけでも面倒であるので、有志の清掃員が非常に苦労している。ただ「裏側」には雨が降るので、放置していても暫くで跡形もなくなる。水中の方は舞い上がった礫砂が落ち着くまで視界確保も困難。
水中の下には水がない。穴が開いたことによって落ちてきた多量の水と、人間などの残骸が水といえば水であるが、水溜まり程度である。地上の識者が見れば水中より更に古いと言うであろう建築が、ごく仄かに白く発光するものと全く光を吸収するものの二つの建材によって成り立っている。視界は約10階分。
地上は肌寒い程度の気候である。水の下は降りるほどに寒さが消え、うっすらと霧が出はじめる。降りるにつれ白もまた白を増し、いずれは温度の存在しない世界で黒を光と感じるようになる。白によって徐々に視界は狭まり、水の霧によって機能を失う。最終的に存在するのは白だけだろう。電車の音がする。
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kent-ar · 2 years
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スレッドデザインが、設計監理をさせていただいた戸建て住宅で、リビングに隣接した、アウトドアリビングが特徴的です。 物件名:Mak-house Photo : (株)VA 岡村靖子 #スレッドデザインスタジオ #moderninterior #housedesign #housephotography #residence #houseexterior #exteriordesign #名古屋設計事務所 #住宅設計 #設計事務所 #住宅デザイン #木造住宅 #アウトドアリビングのる暮らし #シンプルな暮らし #おうち時間を楽しむ #アウトドアリビング #リビングからつながる外部空間 #コンクリート製ベンチ #アウトドアベンチ #外部テラス #パーゴラから落ちる影 #特注ベンチ #造作ベンチ #バーベキューテラス #アウトドア空間 https://www.instagram.com/p/CgDnDdqLklH/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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kahorik · 4 years
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ハッカーと画家の共通点
2003/05/16 翻訳公開 2003/05/20 武井伸光氏より誤記の訂正を頂き、反映
(このエッセイはハーバード大学での特別講義と、 それに先立つノースイースタン大学での講演を基にしている)。
大学院で計算機科学を専攻した後、 私は絵画を学ぶためにアートスクールに入った。 コンピュータに興味を持つような人間が絵を描くことにも 興味を持つと聞いて、驚く人も多い。 どうやら、ハッキングと絵を描くことは全然違うものだと 思われているらしい。ハッキングは冷たく、精密で、几帳面なものであるのに対し、 絵を描くことは、なにか原始的な衝動に駆られた表現だと考えられているようだ。
そのイメージはどちらも正しくない。 ハッキングと絵を描くことにはたくさんの共通点がある。 実際、私が知っているあらゆる種類の人々のうちで、 ハッカーと画家が一番良く似ている。
ハッカーと画家に共通することは、どちらもものを創る人間だということだ。 作曲家や建築家や作家と同じように、ハッカーと画家がやろうとしているのは、 良いものを創るということだ。 良いものを創ろうとする過程で新しいテクニックを発見することがあり、 それはそれで良いことだが、いわゆる研究活動とはちょっと違う。
私は「計算機科学」という用語がどうにも好きになれない。 いちばん大きな理由は、そもそもそんなものは存在しないからだ。 計算機科学とは、ほとんど関連のない分野が歴史的な偶然から いっしょくたに袋に放り込まれたもので、言ってみればユーゴスラビアみたいなものだ。 一方の端では、ほんとうは数学者である人々が、DARPAの研究費を得るために 計算機科学を名乗っている。 真ん中あたりでは、コンピュータの博物学みたいなことをやっている人々がいる。 ネットワークのルーティングアルゴリズムの振舞いを調べたりとか、そういうことだ。 そして、反対側の端っこには、ハッカー達がいる。 面白いソフトを書こうとしている者達だ。彼らにとっては、 コンピュータは単なる表現の媒体にすぎない。 建築家にとってのコンクリートが、また画家にとっての絵の具がそうであるように。 これはまるで、数学者と物理学者と建築家をひとつの学科に押し込めているみたいだ。
ハッカーがやっていることは「計算機工学」と呼ばれることもあるが、 この用語も誤解を助長するだけだ。 優れたソフトウェア設計者は、建築家がエンジニアではないのと同じように、 エンジニアではない。 もちろん建築とエンジニアリングの境界ははっきりと定められているわけじゃないけれど、 確かに存在する。それは、「何を」と「どうやって」の間にある。 建築家は何をするかを決め、エンジニアはそれをどうやってするかを考え出すのだ。
「何を」と「どうやって」をあまり分けすぎるのは良くない。 どうやれば出来るかを理解せずに何をするかを決めようとするのは、 間違いのもとだ。 でも、ハッキングには確かに、ある仕様をどうやって実装するか決めること以上の ものがある。ハッキングの最良の形態とは、仕様を創ることだ--- ただ、仕様を創るいちばんの方法はそれを実装することだ、ということに過ぎない。
たぶん「計算機科学」は、ユーゴスラビアがそうなったように、 いつかそれを構成している部分ごとにばらばらになるだろう。 それは良いことなんだろうと思う。特に、それが私の故郷でもある、ハッカー国の 独立を意味するのなら。
これらの全然違う業種を一つの学科にまとめておくのは、 管理する側にとっては便利なのかもしれないが、 知的な混乱をもたらす。 「計算機科学」という言葉を私が嫌うもうひとつの理由がそれだ。 真ん中にいる人々は、まあ実験科学をやっていると言えなくはないかもしれない。 しかし両端にいる人々、ハッカーと数学者は、科学をやっているわけじゃないんだ。
数学者はきっとそんなことは気にしないだろう。 彼らは、数学科の数学者達と同じように定理を証明することに夢中になって、 自分のいる建物に「計算機科学」の看板が付いていることなど たぶんすぐに忘れてしまう。でもハッカーにとってはこの看板は問題になる。 科学と呼ばれると、ハッカー達は科学的にふるまわなくちゃならないような 気になってしまう。そして、大学や研究所にいるハッカー達は、 彼らが本当にやりたいこと、つまり美しいソフトウェアをデザインすることではなしに、 研究論文を書かなくちゃいけないような気になってしまうんだ。
運がよければ、論文は形を整えるためだけのもので済むだろう。 ハッカーはクールなソフトを書いて、そしてそれについての論文を書く。 そういう論文は、ソフトウェアそのものによって示されるべき作品の、代理となる。 でも、このミスマッチは往々にして問題となる。 美しいものを創るのではなしに、 醜いけれど論文の題目にはなりやすいものを造るほうにひきこまれてしまうのはたやすい。
残念なことに、美しいものは論文になりやすいとは限らない。 第一に、研究は独創的でなければならない--- そして、博士論文を書いた経験のある人なら誰もが知っているように、 あなたが処女地を開拓していることを保証する一番良い方法は、 誰もやりたがらないような場所へ向かうことだ。 第二に、研究にはたっぷりとした量がなければならない--- そして、妙ちきりんなシステムであるほど、たくさんの論文が書ける。 そいつを動かすために乗り越えなければならなかったいろんな障害に ついて書けるからね。 論文の数を増やす最良の方法は、間違った仮定から出発することだ。 AI研究の多くはこの規則の良い例だ。 知識が、抽象概念を引数に取る述語論理式のリストで表現できる、 と仮定して始めれば、それを動かすためにたくさんの論文を書くことになるだろう。 リッキー・リカルドが言ったように、 「ルーシー、君はたくさん説明することがあるね」ってなわけだ。
何か美しいものを創るということは、 しばしば既にあるものに微妙な改良を加えたり、 既にある考えを少しだけ新しい方法で組み合わせたりすることによって なされる。この種の仕事を研究論文にするのはとても難しい。
じゃあ、大学や研究所はどうしてハッカーを論文数で判断しようとするんだろうか。 「学習への適性」が、考えの狭い、規格化されたテストで測られたり、 プログラマの生産性がコードの行数で測られるのと同じ理由だ。 これらのテストは簡単に適用できる。 そして、簡単に適用できてとりあえず使えるテストほど便利なものはない。
ハッカーが実際にやろうとしていること、すなわち美しいソフトウェアを デザインするということを測るのは、ずっと難しい。 良いデザインを判断するためには、 デザインに対する良いセンスが必要だ。 ある人が良いデザインを認識する能力と、 その人が良いデザインを認識できると考えている自信の間には、 何の相関もないか、あったとしても、負の相関しかないだろう。
唯一の外部のテストは時間だ。 時間がたてば、美しいものは生き残り、醜いものは次第に捨てられてゆくだろう。 それにかかる時間は、残念ながら、人間の一生よりも長い。 サミュエル・ジョンソンは、作家の評価が収束するまでには100年かかると言った。 作家の影響下にあった友人達が死に、さらにそれらの追従者達が死に絶えるのを 待たねばならないからだ。
ハッカーは、自分の評価の中にランダムな要素がたくさんまぎれこむことを甘受しなければ ならないだろう。その点では、他のもの創りの人々と変わらない。 むしろ、他のもの創りよりも幸運かもしれない。 ハッキングに対する流行の影響は、絵画に対するそれ程には大きくないからだ。
人々があなたの仕事を誤解するよりも悪いことがある。 より大きな危険は、あなた自身が自分の仕事を誤解することだ。 アイディアを探す時、人は関連した分野を見にゆく。 あなたが計算機科学科にいたとしたら、 ハッキングは理論計算機科学に対する応用だとか思ってしまうかもしれない。 私は大学院にいた頃ずっと、もっと理論を知らなくちゃならないという思いが 心の底にあって、居心地の悪い思いをしていた。 期末試験から3週間後にはすっかり全部忘れてしまうことをずいぶん後ろめたく思ったものだ。
でも、私は間違っていたんだ。 ハッカーは、画家が絵の具に関する化学を理解するのと同程度に 計算理論を理解していればいい。 時間的、および空間的な複雑度の計算法と、チューリング完全の概念については 知る必要があるだろう。それから、パーザや正規表現ライブラリを 書くことになった時のために、状態機械の概念は少なくとも覚えておいた方が いいかもしれない。 実は、画家はそんなことよりもっとずっとたくさんのことを、 絵の具に関する化学で覚えなければならないんだ。
私は、アイディアの最高の源は、「コンピュータ」が名前についている分野じゃなくて、 ものを創る人々が住んでいる他の分野にあるということを知った。 絵画は計算理論よりもずっと豊富なアイディアを提供してくれたんだ。
例えば、大学で私は、コンピュータに手を触れる前に 紙の上でプログラムを完全に理解しなければならないと教わった。 でも私はそういうふうにはプログラムできなかった。 私が好んだやりかたは、紙の前ではなく、コンピュータの前に座って プログラミングすることだった。もっと悪いことに、 辛抱強く全てのプログラムを書き上げて正しいことを確認するなんてことは せずに、私はめちゃくちゃなコードをおっぴろげて、 それを次第に形にしてゆくのだった。 私が教わったのは、デバッグとは書き間違いや見逃しをつかまえる 最終段階の工程だということだったが、 実際に私がやっていたのは、プログラミングそのものがデバッグという具合だった。
随分長い間、私はそのことを後ろめたく思っていたものだ。 ちょうど、小学校で教わった鉛筆の持ち方と違う持ち方をしていることを 後ろめたく思っていたのと同じように。 他のものを創る人々、画家や建築家がどうやっているかを見れば、 私は自分のやっていることにちゃんと名前がついていると気づいていただろう。 スケッチだ。 私が言えるのは、大学で教わったプログラミングのやりかたは全部間違っていた ということだ。 作家や画家や建築家が、創りながら作品を理解してゆくのと同じで、 プログラマはプログラムを書きながら理解してゆくべきなんだ。
この気づきは、ソフトウェアの設計に大きな意味を持つ。 まず何よりも、これはプログラミング言語は柔軟でなければならないということを意味する。 プログラミング言語はプログラムを考えるためのものであって、 既に考えたプログラムを書き下すためのものじゃない。 それはペンではなく鉛筆であるべきなんだ。 静的な型付けは、私が大学で教わったようにプログラムするなら良い考えだと 思う。でも私の知るハッカー達はそんなふうにはプログラムしない。 我々に必要なのは、落書きしたりぼかしたり塗りつぶしたりできる 言語であって、型の紅茶茶碗を膝に置きながら 厳しいコンパイラおばさんと丁寧な会話をするような言語じゃない。
静的型付けの話が出たついでに、もうひとつ、 我々が科学から受けている問題で、 もの創りの人々を見ることで避け得るものを挙げておこう。 数学に対する妬みだ。 科学にかかわる人は誰しも、数学者は自分より賢いという思いを密かに抱いている。 数学者さえもそう信じているんじゃないかと思う。 結果として科学者達は、程度の差こそあれ、自分の仕事をなるべく 数学っぽく見せようとしがちだ。 物理学のような分野ではこのことはたいして悪影響を及ぼさないだろう。 しかし自然科学から離れれば離れるほど、これはより大きな問題となってくる。
数式で埋め尽くされたページは、それはそれはカッコ良く見える。 (ヒント:もっとカッコ良くしたければ、ギリシャ文字を使うといい)。 だから、重要な問題なんかよりも、形式的に扱える問題の方に 取り組みたいっていう誘惑はとても強い。
ハッカーを、作家や画家といった他のもの創りと同列に 並べて考えるなら、そんな誘惑は感じないだろう。 作家や画家は数学を妬んだりしない。 全然関係ないものだと感じるだろう。ハッカーもそう感じるべきだと、私は思う。
大学や研究所がハッカーに本当にやりたいことをやらせてくれないと したら、企業にゆくしかないのだろうか。 不幸なことに、多くの企業はやっぱりハッカーにやりたいことを やらせてはくれない。大学や研究所はハッカーに 科学者たることを強要するが、企業はハッカーに エンジニアたることを強要するからだ。
私はこのことにはごく最近になるまで気づかなかった。 YahooがViawebを買収した時、彼らは私に何をやりたいか尋ねた。 私はビジネスのことには全然興味がなかったので、ハックしたいんだと答えた。 Yahooに入ってみたら、彼らにとってハックするということは ソフトウェアを実装するということで、デザインするということではないということが わかった。プログラマは、プロダクトマネージャのビジョン とかいったものをコードへと翻訳する技師とみなされていたのだ。
どうも、大企業ではそれが普通らしい。 そういうふうにすれば、出力のばらつきを押えることができるからだ。 ハッカーのうち���際にソフトウェアをデザインできる能力のある人間はほんのひと握りであって、 企業を経営している人々が彼らを見つけ出すのはとても難しい。 だから多くの企業では、 ソフトウェアの未来を一人の素晴らしいハッカーに託すのではなく、 委員会によって設計し、ハッカーはそれをただ実装するだけという 仕組みを作るんだ。
あなたがいつか金持ちになりたいと思っているなら、このことを 覚えておくといい。何故ならこれは、ベンチャー企業が勝つ理由の一つだからだ。 大企業が出力のばらつきを押えたがるのは、被害を避けたいからだ。 でも振動を抑制すれば、低い点は消えるけれど高い点も消えてしまう。 大企業ではそれは問題じゃない。大企業はすごい製品を作ることで勝つわけじゃないからだ。 彼らは他の企業よりも下手を打たないことで勝つ。
だから、ソフトウェアがプロダクトマネージャ達によって設計されるような 大企業とデザインで勝負する方法を見付ければ、彼らは絶対あなたには勝てない。 でもそういう機会を見付けるのは簡単ではない。 大企業をデザインでの勝負の土俵に引っ張り出すのは、 城の中にいる相手に一対一の勝負を承知させるのと同じくらい難しい。 例えば、マイクロソフトのWordより良いワードプロセッサを書くのは たいして難しくないだろうが、 独占OSの城の中にいる彼らは、おそらくあなたがそれを書いたことに気づきさえしないだろう。
デザインで勝負する良い場所は、誰も防衛を確立していない 新しいマーケットだ。そこでならあなたは、 大胆なアプローチによるデザインと、 そして同一人物がデザインと実装を受け持つことで、 大きく勝つことができる。 マイクロソフトだって最初はそこから始まったんだ。 アップルもそうだし、ヒューレットパッカードもそうだ。 恐らくどんな成功したベンチャーもそうだと思う。
だから、すごいソフトを書く方法のひとつは、自分でベンチャーを作ることだ。 でもそれにはふたつ問題がある。 一つは、ベンチャーを作ると、ソフトを書く以外のことをたくさん やらなくちゃならないということだ。Viawebでは、私は1/4の時間をハッキングに 使えたらラッキーという始末だった。そして3/4の時間に私が しなくちゃならなかったことはといえば、うんざりするかぞっとするような ことばかりだった。これにはベンチマークがある。 一度私は虫歯を治すために取締役会を抜けなくちゃならなくて、 歯医者の椅子に座ってドリルが近付いてくるのを待ちながら、 なんて素晴らしい休暇だと感じたものだ。
ベンチャーの問題のもうひとつは、 書くのが面白いソフトが金になるソフトであるということが 滅多にないということだ。 プログラミング言語を書くのは面白いし、 実際、マイクロソフトの最初の製品はそれだったわけだが、 今となっては誰もプログラミング言語には金を出さない。 金を儲けようと思ったら、誰もただではやりたがらないような 危険な問題に取り組まざるを得なくなる。
実は、これはものを創る人なら誰しも直面する問題だ。 価格は需要と供給で決まる。やっていて面白い仕事には、 顧客のありふれた問題を解決するような仕事ほどには需要がない。 オフブロードウェイで役者をしていても、 トレードショウのブースでゴリラの着ぐるみを着るほどには稼げない。 小説を書くよりは、ゴミ箱の宣伝文句を書く方が金になる。 そして、プログラミング言語をハックしていても、 顧客企業の古いデータベースとそこのWebサーバをどうやってつなげるかを 考えるほどの金にはならないというわけだ。
ソフトウェアに関しての、この問題への解答は、 実は他のもの創りの人々には既に知られている。昼間の仕事というやつだ。 この言葉はミュージシャンの間から始まった。彼らは夜に演奏するからだ。 より一般的に言えば、金のために一つの仕事を、愛のためにもう一つの仕事をする ということだ。
ほとんど全ての、ものを創る人達は、駆け出しの頃には昼間の仕事を 持っていた。画家と小説家は特にそうだ。 運が良ければ、本当の仕事と関係が深い昼間の仕事を見付けることができるだろう。 ミュージシャンはよくレコード店で働いている。 プログラミング言語やOSをハックしているハッカーは、 それらを使う昼間の仕事を見付けることができるかもしれない[1]。
昼間の仕事を持ち、美しいソフトウェアを別の時間に書くということが ハッカーへの答えだ、というのは、別に新しいアイディアじゃない。 オープンソースのハッキングとはまさにこれだ。 私が言いたいのは、オープンソースのモデルは多分正しい、なぜなら そのモデルは他のもの創りの人々によって独立して確かめられているからだ、ということだ。
雇用しているハッカーがオープンソースプロジェクトに関わるのを いやがる企業があるというのは、私にとっては驚きだ。 Viawebでは、我々はむしろそういうプロジェクトに関わっていない 人を雇うのを避けたものだ。 プログラマを面接する時、我々が主に知りたかったのは、応募者が 余暇にどんなプログラムを書いているかということだった。 何かに愛がなければ、それを本当にうまくやることはできないし、 ハックに愛があれば、いずれ自分のプロジェクトを立ち上げずにはおれないからだ [2]。
ハッカーは科学者よりももの創りに似ているのだから、 メタファーを探すのは科学者よりも他のもの創りの分野からの方が良い。 絵を描くことは、ハッキングに対して他にどんなことを教えてくれるだろうか。
絵画の例からひとつ学べること、少なくとも確認できることは、 ハックをどうやって学んだら良いかということだ。 絵を描くことは、絵を描きながら学ぶ。 大抵のハッカーは、大学のプログラミングコースを履修してハックを 学ぶのではない。13歳の頃から自分でプログラムを書くことによって 学ぶのだ。大学の講義でだって、ハックを学ぶのはハックしながらだ[3]。
画家は自らの後に作品による足跡を残してゆくから、 彼らが絵を描きながら学んでゆく様子を観察することができる。 画家の作品を時間順に並べてみれば、それぞれの絵は その前の絵で学んだことの上に創られていることがわかるだろう。 絵画上でうまくいったものがある時、通常はそれより前の作品群の 中に、より小さな形での第1版を見て取ることができる。
多くのもの創りは同じだと思う。作家と建築家はそうだ。 ハッカーも、たぶん、画家と同じようにふるまうのがいいんじゃないかと思う。 一つのプロジェクトを何年も続けて、新しいアイディアを 新バージョンとして取り込むのではなしに、 時々はゼロから始めてみるんだ。
ハッカーがハックしながら学ぶという事実は、 ハッキングと科学がどれだけ違うかということを示すもう一つの手がかりだ。 科学者は科学をしながら学ぶのではない。 実験と課題をこなしながら学ぶのだ。 科学者は、まず完璧な仕事から始める;つまり、 誰か他の人が既にやったことを再現することから始める。 そうしているうちに、独自の仕事が出来るレベルに達するのだ。 一方、ハッカーは、最初から独自の仕事をする。 ただ、最初はへたくそだろう。ハッカーはオリジナルから始め、上手になってゆく。 科学者は上手になることから始め、オリジナルになってゆく。
もの創りが学ぶもうひとつの方法は例から学ぶことだ。 画家にとっては、美術館は技法の例の宝庫だ。 何百年もの間、偉大な画家の作品を模写することは、 画家の教育過程の一環となってきた。 模写することで、絵がどのように描かれているかを 詳しく見るようになるからだ。
作家も同じことをする。 ベンジャミン・フランクリンはアディスンとスティール[訳註1]の エッセイを要約し、それを再現しようとすることで書くことを学んだ。 レイモンド・チャンドラーは同じことを探偵小説でやった。
ハッカーも同じように、良いプログラムを見ることで プログラムを学ぶことができる。プログラムの動作を見るだけでなく、 ソースコードを見ることでもだ。 オープンソース運動の、あまり宣伝されないひとつの利点は、 プログラムを学ぶことを容易にするということだ。 私がプログラムを学んだ頃は、本にある例に頼るしかなかった。 当時、ソース見ることができた一つの大きなソフトウェアはUnixだったが、 それでさえオープンソースではなかった。 Unixのソースコードを読んだ人の多くはジョン・ライアンスの不正なコピー本[訳註2]で 読んだのではないか。その本は1977年に書かれたが、 1996年まで出版を許可されなかった。
絵画から学べるもうひとつの例は、 次第に詳細化しながら創ってゆく方法だ。 絵画はたいてい、スケッチから始まる。 そして次第に細かい部分が埋められてゆく。 だがそれは、単に隙間を埋めてゆくだけの過程ではない。 ときには元の計画が間違いだったことが分かることもある。 X線で見てみると、 手や足の位置が動かされたり表情が変えられたりしている絵画は 数え切れないくらいある。
この点で絵画から学ぶことができる。 私はハッキングもそうあるべきだと思う。 プログラムの仕様が完璧であるなんて期待するのは非現実的だ。 そのことをまず最初に認めて、 仕様がプログラムを書いている最中に変わっていっても、 それを受け入れられるような書き方をすべきなんだ。
(大企業の構造にはこれをやりにくくさせるものがあり、 これもベンチャー企業に利する点だ)。
今となっては誰もが、早過ぎる最適化の危険を承知しているだろう。 私は、同様に早過ぎる設計、つまりプログラムが何をすべきかを早く決めすぎること、 にも気をつけるべきだと思う。
正しい道具はこの危険を避けるのを助けてくれる。 良いプログラミング言語は、油絵のように、変更を簡単にしてくれる。 その点では動的な型付けの方が有利だ。 最初から特定のデータ表現にコミットする必要が無いからだ。 しかし、柔軟性について最も重要な点は、 言語をなるべく抽象的にしておくことだ。 プログラムが短ければ、変更もしやすかろう。
もうひとつ、これは矛盾しているように聞こえるかもしれないが、 偉大な絵画とは、それ自身があるべき姿よりも優れているはずだ。 例えば、レオナルド・ダ・ヴィンチがナショナルギャラリーにある ジネヴラ・ベンチ の肖像画を書いた時、彼は人物の後ろに杜松の潅木を配置した。 絵の中で彼は、松の葉を一枚一枚、注意深く描いた。 他の多くの画家だったら、これは単に人物の背景を埋めるだけのものだと 考えたかもしれない。誰もそんなにそれを注意深く見ることはしないだろうと。
レオナルド・ダ・ヴィンチは違った。 彼にとって、絵のある部分にどれだけ手間をかけるかは、誰かがそこを見るかどうかには 関係なかったのだ。彼はマイケル・ジョーダンと同じだ。妥協しないんだ。
見えない細部は、それが組合わさると、見えるようになる。 妥協しないことはこの点で重要だ。 ジネヴラ・ベンチの肖像画の横を通りかかった人々は、 すぐにその絵に気を止める。絵のラベルを見てそれが レオナルド・ダ・ヴィンチによるものだと知るより前からだ。 全ての見えない細部が組合わさることにより、 まるでほとんど聞こえないかぼそい声が幾千も合わさって一つの旋律を歌っているかのように、 ある種圧倒される何かが創られる。
偉大なソフトウェアも、同じように、美に対する熱狂的な没頭が必要だ。 良いソフトウェアの中身をみてみれば、誰も見ないような箇所でさえ 美しく創られていることがわかるだろう。 私は自分が偉大なソフトウェアを書いているなんていうつもりはないが、 少なくともコードを書く時には、それと同じ調子で日常生活を送ったら 医者から薬を支給されるだろうな、というような調子で書いている。 めちゃくちゃにインデントされたコードと��、ひどい変数名を見ると 気が狂いそうになる。
ハッカーが単なる実装者で、仕様をコードに直しているだけなら、 溝を掘る作業者みたいに端から別の端まで順番に仕上げてゆくだろう。 でもハッカーが創造者ならば、インスピレーションを考えに入れなければならない。
ハッキングには、絵を描く時と同じように、周期がある。 ある時は新しいプロジェクトに夢中になって、1日16時間それを やり続ける。別の時には何も面白いと感じられない。
良い仕事を為すには、この周期を勘定に入れておかなくてはならない。 そうすることによって、周期にどう対応すれば良いかがわかるからだ。 マニュアル車で坂を登る時は、時々クラッチを戻してやらないとエンストしてしまう。 同じように、時々引いてみることは、熱意が止まってしまうのを防ぐのに良い方法だ。 絵画にもハッキングにも、恐ろしいほど無謀な試みもあれば、 楽にこなせる作業もある。エンストしてしまいそうな時のために、 楽な作業を少し取っておくことは良いアイディアだろう。
ハッキングの場合は、バグを取っておくことでやってもいい。 私はデバッグが好きだ。デバッグは、普通の人がハッキングと聞いて連想するもの そのものだ。完全に制約された問題があり、やるべきはそれを解くことだけ。 プログラムはxをするはずなのに、yをしている。 どこでおかしくなっているんだろう? あなたは最終的に勝利を収めることを知っている。 これはまるで、壁を塗っている時くらい、気楽なことだ。
絵画の例は、自分の仕事をどう管理したら良いかを教えてくれるだけでなく、 どうやって他の人と一緒に仕事をしたら良いかも教えてくれる。 過去のたくさんの偉大な芸術は、たとえ美術館での展示には一人しか 名前を挙げられていなくても、実際は複数の人間によって創られた。 レオナルド・ダ・ヴィンチはヴェロッキオの工房の見習いであったことがあり、 彼のキリストの洗礼の 中の天使の一人を描いた。 こういったことは例外ではなく、むしろ慣例と見なされていた。 ミケランジェロがシスティーナ礼拝堂の天井画の全ての像を自分自身で描くと 主張した時、人々は彼のあまりの熱意に驚きさえしたのだ。
私の知る限り、複数の画家が一枚の絵に取り組む時、 決して二人以上が同じ箇所を描くことはない。 親方が主要人物を描き、助手が他の人物と背景を描くというのはよく行われていた。 しかし、ある画家が別の画家の描いた上に描き足すということは決して無かった。
ソフトウェアにおける協調開発でも、これは正しいモデルだと思う。 協調ということをあまり押し出しすぎないことだ。 あるコードが、特定の所有者を決めずに3人も4人もの人間にハックされると、 それは共有部屋のようになる。 雑然としていて見捨てられたような雰囲気がただよい、 埃が積もってゆく。 私が思うに、協調開発の正しい方法は、プロジェクトをはっきりと定義された モジュールに分割し、各モジュールの所有者を決め、 そして注意深く、できればプログラミング言語そのもの程に明快に 設計されたインタフェースをモジュール間に定めることだ。
絵画と同様、ソフトウェアも多くは人間が見て、使うものだ。 だからハッカーも、画家と同じように、ほんとうにすごい仕事を為すには、 共感する力が必要だ。 ユーザの視点からものを見られるようにならなくちゃいけない。
私は子供の頃、いつも、人の身になってものを考えなさいと教えられた。 実際にはそう言われる時はいつでも、自分のしたいことじゃなくて 他人の望むことをしなさい、という意味だった。 だから共感なんてつまらないものだと思って、私はそれを磨こうとはしなかった。
だが、なんてこった。私は間違っていたんだ。 他人の身になってものを見るというのは、本当は成功する秘密だったんだ。 それは自己犠牲を意味するとは限らない。他の人のものの見方を理解することは、 あなたがその人の利益のために行動しなくちゃならないということには 関係ないんだ。特定の状況では、例えば戦争をしている時は、 まったく逆の行動をしたいと思うだろう[4]。
多くのもの創り達は、人間に観られ、受け取ってもらえるものを創る。 観客をひきつけるには、観客が何を必要としているかを理解しなくちゃならない。 偉大な絵画作品はほとんど全て人物を描いているが、 それは人物こそ、人々が興味を持つものだからだ。
共感能力は、おそらく良いハッカーと偉大なハッカーの、 たった一つの最も重要な違いだろう。 ハッカーの中には非常に賢いが、共感するということにかけては 全く自己中心主義の人々がいる。 たぶんそういう人が偉大なソフトウェアをデザインするのは難しいだろう[5]。 ユーザの視点でものを観ることができないからだ。
共感能力の良さをみるひとつの方法は、その人が 技術的知識の無い誰かに技術的な問題を説明する様子を観ることだ。 たぶん、他の点では優れているのに、そういう説明になると滑稽なくらいへたくそな 人を、誰でも知っているんじゃないか。 ディナーパーティで、誰かにプログラミング言語って何なの、 と尋ねられると、そういう人はたとえばこんなふうに言うだろう。 「高級言語とは、コンパイラがそれを読んでオブジェクトコードを生成するような ものさ。」 高級言語? コンパイラ? オブジェクトコード? プログラミング言語とは何かを知らない人が、 こういう用語を知っているわけがないじゃないか。
ソフトウェアがやらなければならないことのひとつに、 自分自身を説明するということがある。 だから、良いソフトウェアを書くには、ユーザがどれだけ何も知らないかという ことを理解する必要がある。 ユーザは何の準備もなくやって来て、いきなりソフトウェアに向かい、 マニュアルなんか読もうともしないだろうから、 ソフトウェアはそういう人が期待するように振舞うのが良い。 この点で、私が知っている最高のシステムは、1985年当時の、オリジナルのMacintoshだ。 それは他のほとんどのソフトウェアが決して為し得なかったことを為した。 何もしないでも、ちゃんと動いたのだ[6]。
ソースコードもまた、自分自身を説明すべきだ。 プログラミングに関して皆に一つだけ引用文句を覚えてもらえるならば、 私は「計算機プログラムの構造と解釈」の冒頭のこの文を選ぶ。
プログラムは、人々がそれを読むために書かれるべきである。 たまたま、それが計算機で実行できるにすぎない。
ユーザに対する共感だけでなく、コードを読む人に対する共感も必要だ。 それはあなた自身のためでもある。あなた自身もあなたのコードの読者だからだ。 6ヵ月前に自分の書いたプログラムを見て、それが何をするのか全くわからない という経験をした人も多いだろう。何人か、そういう経験を経て 断Perl宣言をした人を私は知っている[7]。
共感能力の欠如は知性と関連づけられることがある。 時にはそう振舞うことがひとつの流行とされることまである。 でも、私は共感能力の欠如と知性の間には何の相関も無いと思う。 共感能力が無くても数学や自然科学で高い能力を発揮することはできるし、 そういう分野にいる人は一般に賢いから、 知性が共感能力の欠如と関係あるかのように思われるのだろう。 実際は、賢くもなく、共感するのもうまくない人だってたくさんいる。 トークショーに電話をかけて質問してくる人々の会話を聞くだけでいい。 彼らは話をあっちこっちに飛ばして言いたいことを言うから、 ホストがわざわざそういう人のために質問を言い直してやらなくちゃ ならないことが往々にしてある。
さて、ハッキングが絵を描くことや小説を書くことと同じだとして、 それはクールだろうか。結局のところ、あなたには一回の人生しか与えられていない。 他のすごいことに人生を使った方がいいかもしれないじゃないか。
残念ながら、この問題に答えるのは難しい。 名声は大きく遅れてくるのが常だ。まるで遠くの星から届く光のように。 絵画は現在ではたいそう重く見られているが、 それは500年前に偉大な画家達が活躍したからだ。 彼らが活躍していた当時は、誰もそれを、今我々が考える程に重要だとは 思っていなかった。当時の人々は、 ウルビーノのフェデリーコ・ダ・モンテフェルトロ公が、 ピエロ・デッラ・フランチェスカの描いた 絵の 奇妙な鼻を持つ男、として知られる日が来ると聞いたら、ずいぶん変に思ったに違いない。
だから、ハッキングが現在、絵を描くことほどクールには思えないとしても、 絵画の栄光の時代に絵を描くことは今ほどクールに思われていなかったという ことを気に止めておく必要があるだろう。
いくばくかの自信を持って言えることは、 いつか、ハッキングの栄光の時代が来るだろうということだ。 多くの分野で、偉大な仕事は、早い時期になされた。 1430年から1500年の間に描かれた絵画は未だに他の追従を許さない。 シェークスピアは、職業としての芝居が生まれつつある時期に現れ、 そのメディアをあまりに深くまで追求したために、 その後の脚本家はすべて、彼の影の中に生きることを強いられた。 アルブレヒト・デュラーは版画で、 ジェーン・オーステンは小説で同じことをした。
繰り返し繰り返し、同じパターンが見られる。 新しいメディアが現れ、それに熱狂した人々が、 最初の2世代くらいの間にそのメディアの可能性のほとんどを探求し尽くしてしまう。 ハッキングはまさに、その段階にある。
レオナルド・ダ・ヴィンチの時代には、絵画はそれほどクールではなかったが、 彼の作品のおかげで後生ずっと重要視されるようになった。 ハッキングがどれだけクールになるかは、まさに我々がこの新しいメディアで 何ができるかにかかっている。 ある意味、クールさが遅れて来ることは利点だ。 今、コンパイラを書いていたりUnixカーネルをハックしている人に会ったとしたら、 その人が単にカワイ娘ちゃんにもてたくてやってるんじゃないことは確かだろう。
原註
[1] 写真が絵画に及ぼした最悪の影響は、もしかすると それによって画家達の普段の仕事をなくしてしまったことかもしれない。 歴史の中の偉大な画家の多くは、肖像画を描くことで生計を支えていたからだ。
[2] マイクロソフトは、従業員がたとえ仕事以外の時間でも、 オープンソースプロジェクトへ貢献するのをよしとしていない、 という話を聞いたことがある。 だが、これほどたくさんの優秀なハッカー達がオープンソースプロジェクトに 参加するようになった今となっては、 そういった方針は、一流のプログラマを雇えないことを保証するにすぎないだろう。
[3] 大学でプログラミングについて学ぶということは、 読書や服装やデートについて学ぶことに似ている。 高校時代を振り返ってみたまえ。なんてセンスが無かったんだろう、って思わないか。
[4] 共感の応用例をひとつ挙げておこう。 Viawebで、二つの選択肢のどちらを選ぶか迷った時、 我々はいつも、競争相手にとってはどっちがより嫌だろうかを考えた。 ある時、ある競争相手が、基本的に使えない機能を彼らのソフトに付け足したことがあった。 ただ、その機能は彼らにあって我々に無い数少ないものだったから、 彼らはマスコミ相手にそれを盛んに宣伝した。 我々はその機能が使いものにならないということを説明することも出来ただろうが、 それよりむしろ、うちにも同じ機能をつけたほうが相手にダメージを与えられるだろうと 考え、その日の午後のうちに新しい機能を追加したんだ。
[5] テキストエディタとコンパイラは例外だ。 ハッカーはこれらを書くのに共感能力を必要としない。 典型的なユーザは自分自身だからだ。
[6] まあ、ほとんどは。時々はRAMを無駄使いして、 ディスクがスワップしつづけて不便な思いをした。 まあ、数ヵ月我慢して新しいディスクドライブを買えば解消できたが。
[7] プログラムを読みやすくする方法は、コメントを詰め込まないように することだ。私は、アーベルソンとサスマンの言葉をさらに進める。 プログラミング言語はアルゴリズムを表現するために設計されるべきで、 それがたまたま、コンピュータにとって実行できる形式になるにすぎない。 良いプログラミング言語は英語よりもうまくソフトウェアを説明することが できるべきだ。コメントは、読者が特に気を付けなければならない ある種のツギハギを警告するためだけに必要なはずだ。 ちょうど、道路で突然の急カーブを警告するためだけに矢印の標識が用いられるように。
この原稿の草稿に目を通してくれた Trevor Blackwell、Robert Morris、 Dan Giffin、 Lisa Randall、そして、私を講演に招いてくれた Henry LeitnerとLarry Finkelsteinに感謝します。
Why Good Design Comes from Bad Design
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kazuhirofijita · 4 years
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仕事を終え、電車を二つ乗り継いで久々に稲村のピザハウス「キーウエスト」に行ったら、休みだった。 店の扉には6月は不定休になると書いてあった。ここが不定休と言ったら、気が向いたら店を開ける的なかなりフリーダムな不定休になるから今月の来店は諦め、来月に寄ることにしよう。 空きっ腹を抱えたまま海の向かって歩き、そのまま134号線に出ると、道路も海もコバルトブルーに染まっていた。 稲村ヶ崎公園まで行き、そこから江ノ島方面を眺めた。 山の彼方に夕日が沈み、その残り火が遠くの空を照らし赤く染めいる。沈んだ夕日のその残滓は闇に包まれる寸前の街や海を青く染め、砂浜や波のうねりをぼんやり映し出していた。 コンクリート製のベンチに腰掛け、海や街がだんだん闇に包まれていく様を眺めていた。 海から吹く風は生暖かく、ベトつく夏らしい潮風だったが暑くもなく過ごしやすかった。 そして夜になるにつれて波や砂浜は黒く染まっていき見えなくなり、とうとう音でしか確認できなくなる。 街は、人工的なネオンや照明に照らされて暗闇のなかにどぎつく浮かび上がる。 夜になるのを見届けてからベンチから立ち上がり、江の島方面へ歩き出した。 途中、どこかのレストランに入って飯でも食おうと思ったが、どこも人が多く、入りづらい。 結局何も食わずに江ノ島まで歩き、江ノ島のスタバに入り、ウォールナッツのクッキーとコーヒーで済ませた。高いばかりで腹の足しにならなかった。 スタバを出ると扉に何やら書いてあったのでよく見ると、今月末で閉店すると書いてあった。結構利用していただけに残念だ。 そのままモノレールに乗って大船を通って家路に着いた。モノレールはかなり揺れ、何度か気持ち悪くなり生あくびと一緒に迫り上がるコーヒーとクッキーを噴門で食い止めた。 もしモノレールが戸塚まで伸びて、あと15分揺られていたら、確実に吐いていただろう。 #稲村ヶ崎 #稲村ヶ崎公園 (稲村ヶ崎公園) https://www.instagram.com/p/CBgCiL_jVgj/?igshid=19exj08yajrj5
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tocchiclub · 4 years
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都市のホットスポットのクールスポット用の太陽光発電ツリー 日本のコンソーシアムは、太陽電池式の「都市家具」の生産を開始しました。 その結果、冷却要素と気化器を備えたソーラープラスバッテリーベンチが完成しました。 都会の家具は、休息を必要とする人々に日よけ用の冷却板と冷却用の水蒸気を提供します。 画像:日建 大都市のコンクリートのジャングルは、建物の舗装と壁が焼け付く太陽の下で熱くなるため、非常に困難な場合があります。 歩行者は、コンクリートが熱を発するため、上の太陽だけでなく、あらゆる側面から調理されます。 高層ビルは適切な空気の流れを妨げ、路上の車の実線はほこりや煙を蹴散らします。 日本からの4社のコンソーシアムは、Cool Tree Liteを立ち上げることでそのような懸念に応えました。 日建設計、名研ラムウッド、村田製作所、コーエーの各社は、2018年に都市向けの太陽光発電冷却避難所を開発するために協力しました。 まるで木のように、それは木から作られ、水蒸気を広げ、日陰を提供します。 企業はこの製品を都市の「クールスポット」として宣伝しています。 構造は、4.8m²の底板と4m²の屋根を備えています。 その間のスペースはヒノキのシッティングエリアで占められていますが、ハイライトは構造物の上部に取り付けられた2つのソーラーモジュールです。 モジュールは、構造の「ステム」に隠されたバッテリーを充電し、バッテリー電源は、座っているエリアに統合されたペルチェ効果冷却プレートに電力を供給します。 構造物の屋根にも気化器があります。 ソーラー式の気化器は心地よい霧を広げ、屋根は直射日光を遮るクロスハッチを備えています。 Cool Tree Liteはヒノキの木で作られているため、接着剤ではなくボルトが必要です。 構造は、1年の特定の日や特別なイベントに必要に応じて、さまざまな場所で分解および再組み立てできます。 2つのソーラーパネルとバッテリーのおかげで、システムは完全にオフグリッドで自給自足です。 コンソーシアムは、システムを電源に接続する必要がないと付け加えています。 東京に設置された最初のシステムは、5月から9月まで自由に使用できます。 夜間、通行人は携帯電話で充電できます。 このグループは、太陽電池式の「都市家具」を製造した最初の企業ではありません。 ビアリッツ市政府の役人であるギヨーム・バルクが、この小さな沿岸都市に設置された多数のソーラーベンチに対する熱意をツイートした後、エンジーは昨年の夏にフランスで見出しを飾りました。 おもしろいことに、Barucqは、着席した底が彼らのエネルギー生産量を減らす可能性があるという懸念のために、長時間ベンチに座らないよう市民に促しました。 数十人のソーシャルメディアユーザーが彼のコメントをすぐにock笑しました。 長時間の座位休憩による電力供給の不足は日本では問題になりませんが、高齢者はペルチェ効果プレートに過度に長時間座ることに注意する必要があります。 オーストラリアでは、アデレードに拠点を置くSpecialized Solutionsが、太陽電池式のベンチを導入しました。これは、日陰、照明、Wi-Fi、および充電ポートを必要とする人々に提供できます。 https://www.pv-magazine.com/2020/03/09/solar-powered-trees-for-cool-spots-in-urban-hot-spots/ #太陽光発電 #日本 #hikarakuyho https://www.instagram.com/p/B9geAXegFNx/?igshid=o1tj1esny5bx
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12このFallGroupコピーに取り組むタスク9prexit-closeGroup 16prexit-closeGroupコピー9prexit-closeOpened CopyOpened CopyOpened CopyOpened CopyOpened CopyGroup Copy 9
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ブログトピック 市場動向 家の修繕 最初の人 ユニークな家 ヒントとアドバイス 注目のポスト ヒントとアドバイスヒントとアドバイス / 物語 動き出すドルとセントは、多くの要因によって大きく異なります。 全文を読む ジルツール 涼しい天気が近づいています。外はまだいいのですが、到着の準備をしてください。 日は短くなり、夜は涼しくなっています。子供たちはバックパックで再び学校に押し寄せ、木から葉が落ちています。 はい、公式です:秋が来ました。今が、冬前のメンテナンスプロジェクトを完了し、家と庭の準備をする時です。 これらの12のタスクに気をつけて、これからの涼しい日のために、あなたの家を清潔で暖かく居心地の良いものにしましょう。 外装準備 1.コンクリートとアスファルトの亀裂を修正する お住まいの地域によっては、今年最後の数週間で車道や歩道のひび割れを修理できるほど暖かく晴れる日が来るかもしれません。 2.側溝をきれいにします 誰もこの仕事を愛していませんが、私たち全員が毎年それを行う必要があります。数時間の作業で、後で大きな問題を防ぐことができます。 その梯子の上にいる間、屋根の損傷、鉄片、閃光、または通気孔を視覚的に検査します。また、必要に応じて、煙突で不足しているモルタルを検査し、タックポインティングによって修理することができます。 3.屋外配管をオフにします 屋外の蛇口とスプリンクラーシステムを空にし、それらを覆い、今後の凍結の天候から保護します。 4.堆肥化を開始する 堆肥箱をまだ持っていない場合は、今すぐいくつかを作成または取得します。集められた紅葉はすべて、来年の夏にガーデニングゴールドをもたらします! 5.屋外の家具とガーデニングツールをきれいにする まだそれらを片付ける時間ではないかもしれませんが、先に進み、屋外の家具や園芸工具をきれいにして、冬の間保管できるようにします。 6.春に咲く花の球根を植える 10月に球根を植え、土が冷えたらすぐに、来春に大きな報酬を得る。以前に球根を植えたことがない場合は、日中に太陽が十分に当たる庭の場所を選択してください。 インテリア準備 7.冬季用に炉を準備する 昨年の春にまだ行っていない場合は、寒い季節に間に合うように炉を専門的に修理することを検討してください。少なくとも、毎日使用を開始する前に、炉を目で見て検査し、炉フィルターを交換してください。 8.暖炉と煙突を掃除する 暖炉を掃除し、煙道を点検し、ドアとシールドが正常であることを確認します。必要に応じて、煙突を専門的に掃除してください。今はfireを買いだめする時でもあります! 9.暖かい空気を内側に、冷たい空気を外側に保つ 窓やドアを点検します。ドアを開け、玄関に紙を置いてドアを閉めることにより、ウェザーストリッピングをチェックします。用紙は簡単に前後にスライドしないでください。もしそうなら、ウェザーストリッピングはその仕事をしていません。 また、必要に応じて、窓やドアケーシングの周りを再びかしめるときです。 10.道を照らす 寒くて暗い月の間は、できるだけ多くの光を家に持ち込んでください。自然光を際立たせるには、特に日光の多い部屋で窓やブラインドを掃除してください。 新しいランプで暗い空間に照明を追加します。また、従来の白熱電球をエネルギー効率の高い電球に置き換えることを検討してください。 11.マッドルームを作成する 自宅に専用のマッドルームがない場合でも、今は寒い雨の「マッドルーム」エリアとして機能する玄関の整理と保管を検討する良い機会です。 床を保護するために屋内外の敷物を置きます。週末に楽しくやりがいのあるプロジェクトは、玄関用に木製の靴ラック、コートラック、または収納ベンチを構築することです。 12.家庭の安全チェック 煙探知器と一酸化炭素モニターのバッテリーを交換します。これを忘れないための良い方法は、夏時間に合わせて時計を変更するときは常に電池を交換することです。 家族の避難計画を作成するか、すでにある計画を確認します。冬の停電に備えて、緊急時対応キットを作成します。 秋の家のチェックリストを終えたら、暖かく快適な家で季節を楽しむことができます。 関連: このチェックリストはあなたの家の世話をする鍵です(ストレスなし) 秋に向けてキッチンを快適にする4つの方法 9 10年ごとにあなたの家に必要な更新 当初は2016年9月に公開されました。 × ×
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kaoriasahiro · 7 years
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毎日バス停のベンチに座っているひとがいる。 二重の幅が広くてラベンダー色の瞳、薄く開いた口が夢を見ているように微笑んでいる。左手は柔らかに引き攣ったまま胸にたたまれ、黄色のエプロンはつやつやと滑っている。 ベンチでしか見たことのなかったその人が、今日は坂を降りた所の横断歩道を渡ろうとしていた。 バスはなかなか来ないこともあって、私たちは長いこと向き合う。私は本を読みながら、彼女は何を見るともなしに視線をあちこちに投げかけている。肩に小さい鳥がとまっていてそれに話しかけているような、そんな表情をいつもしている。 バスがやって来ても彼女は立ち上がらない。 バス停のベンチには、何かを待っていないひとだっている。 もし町の他の場所で彼女が私を見かけてもちっとも気づかないかもしれない。 そんなのまるで映画の中に出てきた女優みたい。すぐ目の前にいて確かに目が合ったのに、彼女はわたしを知らない。 それにしてもこっちの工事現場の物の管理の杜撰さときたら。 私は日本の工事現場で10年くらい働いていたが、もしその職場で職人さんたちがこんな風にコンクリート袋や木製の壁板を雨ざらしにしていたらいっぱつでクビだろう。アウトリガーを出さないで作業しているクレーンなんて以てのほか。命綱だって誰もしていない。 雇い主のこともお客さんのことも知ったこっちゃない。 困るのも死ぬのも知らないのも楽するのも、みんな自分の勝手なのだ。 気を抜いて損をしても誰も責任を取ってくれない国と、誰かが損をしたと苦情を言って来るかもしれないことを恐れて何事も始まらない国と、どちらがいいだろう? 暑かったのは6月の終わりから7月の始めにかけて、それ以降はすっかり涼しくなってとっくに秋の気分だったのに、8月という暦の終わりを目の当たりにして急に寂しくなる。 秋のことは大好きなのに、おなかがぽっかりしている。 とうもろこしを茹でて食べた。美味しい茹で方をグーグル先生に習ったのだけれど、沸騰したお湯に3分入れて、火を止めたら塩をたっぷり入れて4分待つのだそうだ。試してみたら納得した。 夏の最後にはロシュフォールの近くの島に行くことになっている。 永井くんが繋げてくれたおかげだ。
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unicodesign · 5 years
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ブラジル建築紀行 サンパウロ編その1
ブラジリアで衝撃に近い2日間を過ごしたあとサンパウロへ移動、2泊してベロオリゾンチに行った後さらに一泊して最終日を過ごしました。
サンパウロでは、ニーマイヤーをはじめ、パウロ・メンデス・ダ・ロシャ、イタリア人女性のリナボバルディ、ヴィラノヴァ・アルティガス、ルイ・オオタケ、イザイ・ヴァインフェルトなど、たくさんの建築家の作品を見歩きました。
初日はクリスマスどんぴしゃりの12月25日。ホテルから出て、最初に見たのがこちら、MASP/サンパウロ美術館。リナボバルディ。大きさにびっくり。パウリスタ大通りのランドマーク。
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スパン飛びすぎでしょう笑。
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70mを超えるピロティでは、マーケットやコンサートなども行われるそう。
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スラブがたわんでいるように見えるのは、広角カメラのせいなのか、ファインダーをのぞいたり外したりするも、実際たわんでいる。
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吸い込まれるような階段をのぼっていく。
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2階が企画展、
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3階が常設展。ブラジルの新聞王と呼ばれたアシス・シャトーブリアンのコレクションで、南半球屈指の美術館と言われているそう。有名どころの作品がたくさん。
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コンクリートの台から立ち上がったガラスに絵がはめ込まれている。広い空間の奥まで見渡せて、裏面に貼られている絵画の説明を見るために裏側も丁寧に見てまわる。
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裏側の広場から。ピロティのむこうに公園の緑が見える、これだけのボリュームの建物でありながら、周辺の環境を分断しない。当時は、本体が透けてみえていたといいます。
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抜けて見える緑。
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日を変えて、自邸であるガラスの家、大規模なリノベーションの文化施設セスキポンペイヤへと足をのばす。
旅の最終日、12月29日。出発前にサイトで確認した見学可能な曜日、時間にいくも、門閉鎖中。
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屈強な使用人風の男性が、NO休み!と、身振り手振りで近づいて、そのまま背をむけてしまった。ちょ、ちょっと待ってー!!すると、奥から別の方が走り寄ってきた。
12月21日から、1月5日まで休み、と言ってるっぽい。
2人して、門にはりつき、
「問い合わせのメールをおくったのに、返事がなかった」
「問い合わせが多くて全部返せない。」
「サイトを見たけれど、そんなことは書いてなかった。」
「地球の裏側から、30時間かけて、これを見るためにきた。」(やや誇張)
「僕は庭師だから、勝手に門をあけられない。」
「じゃあ、あなたの友達として敷地内だけみせてくれない?」(くいさがる)
「そんなことしたら僕がクビになる。ほら、カメラがついてるでしょ」(カメラをゆびさす)
IPHONEの翻訳ソフトで、かわりばんこに、画面を門越しにみせる押し問答。
「これ、どうにかなると思う?」「ならないよね。」(私たち)
イタリア語だかポルトガル語だか、知っている限りのラテン系言語で、
「つまり、21日からクリスマス年末休暇で、3日前にきても見れなかったのですね」
「SI-----!!」
やっとわかってくれたか、という悲壮感にも似た笑顔で、すみませんのポーズで手をあわせるも、踵を返して走り去った庭師。
「カメラや携帯気をつけて」という庭師のことばもよそに、やけくそで記念撮影。
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サイトを見直したら、休みの日程が書かれていた。出発10日前くらいにこんな青字あったっけ?
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チラ見ではありましたが、豪邸でした。また来ますよ。
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そして、セスキポンペイヤ。
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もともとは1856年に建設されたドラム缶工場とストックヤード。
1856年、日本はまだ江戸時代(ペリー来航が1856年)、
チョンマゲ時代の建物が、1970年代に使われなくなり荒れ果てていたところを、再生計画をたちあげたのが総合文化施設運営のSESC。当時、、モダン建築で名を馳せていたリナボバルディが再生設計をおこない、1977年~1982年という期間をかけて、SESC Pompeia セスキポンペイア文化センターとして、地域の老若男女が集う場としてよみがえったもの。
低層のレンガづくりの建物群は元ストックヤード、アクティビティと多様性というテーマで、多種多様な文化施設が配されている。
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大きな倉庫空間の中に、フロアが作られている。
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地上レベルは図書館。
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連続する階段の上にコンクリートのキューブが乗っかっていて、
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またも憩いのスペース。新聞呼んだり、チェスを楽しんだり。
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さらに上があって、ここも思い思いに利用できるラウンジのようなスペース。椅子やテーブルもリナボバルディのデザイン。
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水辺のスペースもあり、ベンチでくつろぐ人たち。
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お隣の棟は、シアターの棟。コボゴブロック的なレンガ積みの壁。
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リナボバルディは2回ほど日本を訪れたことがあり、この側溝は、鎌倉のお寺からのヒントだとか。
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ちょっとしたディテールに女性らしさが。
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そして、こちらが、新築棟のスポーツ施設。
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この日、12月29日、イベント関係者しか入れないところを、またもご一緒してくださった藤井さんご夫妻のおかげで、入ることができました。
このデッキ、こんなふうに賑わうそうです。(昔のカーサブルータス)自由だ!
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2棟をつなぐランダムな廊下。
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雲型窓は格子をはめただけの換気窓。ガラスははまっていない。ベロオリゾンチのニーマイヤーの図書館でもそうゆう開口部があったけれど、文化の違いを感じる。
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右の塔は貯水塔。
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渡り廊下見上げ。
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プー��の入り口。
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ざっくりなのかデザインなのか?な打ち放し壁。手すりとバランスが絶妙。
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ジオポンティに師事し、32歳でイタリアからブラジルに渡ったリナボバルディ。多民族で複雑な社会階層が混在するブラジルで、人々のために真に開かれた場所を追求し続けた。
サンパウロ美術館が1968年、SESCポンペイアが1977年、どちらもブラジルの軍事政権のさなか、オスカーニーマイヤーが1964年から1985年まで国外で活動していたというその間にうまれたダイナミックな建築が、その信念の形と思うと、とても興味深かった。
サンパウロで、もうひとつ、リノベーションの美術館をみました。ブラジル建築家の巨匠のひとり、パウロ・メンデス・ダ・ロシャのサンパウロ州立美術館。通称PINA。
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もとは美術学校として建てられた建物でしたが、1905年に美術館となり、1993年から1998年にかけて、ロシャは入り口と動線を帰る修復を行いました。
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オリジナルの美しいレンガづくりの建物に、コールテン鋼の渡り廊下、エレベータと水平垂直の動線を追加。
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中庭にはガラスの天蓋。
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半屋外空間のように光が美しい。
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今回ブラジルで見た建築の中では、数少ないヨーロッパ的感覚の建物。と思う。
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光と影の美しさ。
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窓から見えた庭園も、ヨーロッパ的でした。
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そして、こちらは、ブラジル彫刻美術館 MUBE。いかにもブラジルらしい。幅12m、長さ60mの梁だそう。
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緩やかに地下に入っていく形。ブラジルの建築案内本には「荒々しい優雅さ」と表現されていました。
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レベル差による空間の緩急。
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マッシブなコンクリートに華奢な手すり、木製の家具と、段差。無機質な美しさ。
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つま先立ちしたみたいな椅子があちこちに。
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ランドスケープは、ブラジリアでとても印象的だったランドスケープデザイナー、ブルレマルクスによるデザイン。
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ブラジルの街の立体交差を思い出すような。
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こんな感じ。
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内部。シンプルで荒々しい感じとアール使いが絶妙なバランス。
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ブルレマルクス展を開催中でした。ブラジリアで見たきのこのベンチのようなものを発見。
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テキスタイルも。
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ブルレマルクスとワタシ。
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こちらはロシャ設計の集合住宅。Condomínio Edifício Guaimbe.1962年の建物。
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エントランス。
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天井の低さが際立つ。
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四分円のひさしと、逆三角形の窓台が連続している。ワンフロアに1住戸の間取り、200㎡の広さだそう。
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ブルータルとグリーン。
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このアパートメントの界隈は、サンパウロの代官山?Oscar Freire通り。
おしゃれなカフェがあったり、
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おしゃれなブックショップがあったり。リブレリア・ダ・ヴィラ。
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ブラジルを代表する現代建築家、イザイ・ヴァインフェルトの設計。
クリスマス休暇中でクローズしているこの本棚サッシュが、回転する仕組みになっている。
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こんな具合。どこかのサイトから。
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ブラジリアで見学&ランチしたB hotelもイザイ・ヴァインフェルト設計でしたが、サンパウロの高級ホテル「Fasano」も彼の設計。
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自然光がおちる具合がとてもきれい。
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限られた富裕層のための洗練された高級感。
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ホテルつながりで、日系建築家の大御所、ルイオオタケの『ホテルユニーク』。文字通りユニーク。驚きの大きさや形にもだんだん慣れてきたような。
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最上階のレストランとプール。ブラジリアのホテルと同様、やっぱりここもプールが縦長。観光客のランチスポットという具合でした。
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サンパウロ建築行脚、その2に続く→『ブラジル建築紀行 サンパウロ編その2』
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designer-kenbunroku · 6 years
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建築好きにおすすめ!キース・へリング美術館と北欧ランチ
1980年代のアメリカ美術を代表するアーティスト「キース・ヘリング」の作品を鑑賞できる「中村キース・へリング美術館」。作品は昔UNIQLOのTシャツで見たことがあるくらいだったのですが、���築も面白そうだったので山梨まで行くことにしました。
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山梨県の小淵沢ICから車で約6分。駐車場からドングリの落ちている林をとことこ歩いていくと、コンクリートの建物が現れます。斜めに切り取られた入り口から入って行くと、静かな林とは真逆の店員さんまでファンキーでポップな空間にテンションが上がります。チケットを買ってロッカーに荷物を預けたら「闇へのスロープ」に向かいます。
スロープを抜けた先にあるのは「闇の展示室」。モノクロのボードが浮かぶように展示されています。ほとんど犬と人間とUFOの絵で、漫画のコマ割り風になっていました。ディズニーと素人漫画家の父親からの影響をうけているそうです。
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この美術館は“キース・ヘリングと彼が駆け抜けた時代が併せ持つ「光と影」を表現した空間づくり”がされているそう。次の部屋から明るくなります。ここではお椀や扇子など日本での活動にフォーカスした作品が展示されていました。部屋中が象形文字のようなイラストで埋め尽くされています。
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そこを抜けると大きな立体作品のある「希望の展示室」があります。ハイテンションなポーズの人間のオブジェが記念撮影にピッタリです。いつもかはわかりませんが、今日は撮影もokだったので同じポーズをとってみたりして楽しみました。犬が自分のしっぽを追いかけている「輪になる犬」という作品がかわいかったです。
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多角形の窓がかっこいい扉には、手のマークがついています。制作の様子がコラージュされた「自由の回廊」の左手には、空のステージへの階段が続いています。
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舞台の真ん中にハートの鏡がありました。ベンチもあるので休憩にもおすすめです。回廊に戻ってその先には企画展の展示室が続いています。外のミュージアムシアターを抜けて、ポップショップに出ると一周です。
お手洗いの近くの壁には便座に座るキースの写真。ちょっとびっくりします。彼が注目されるようになったのは20代前半のとき、ニューヨークの地下鉄で黒い紙が貼られた使用されていない広告板にチョークで絵を描く「サブウェイドローイング」からです。写真ができたから遠近のマジックは必要ないという彼は、平面的で明快な絵を人々に多く届く場所を選んで描いたのです。一点物の高価な絵画に専念するのでなく、自身で開いた「Pop Shop」でTシャツや文具などを誰にでも買える価格で売っていました。31歳のときエイズで亡くなるまでのたった10年間でしたが、コミカルでパワフルな作品を数多く生み出し、今も世界中の人から愛されています。
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ここのPOPSHOPではファッション雑貨やNYから輸入した本、同年代に活躍したアンディー・ウォーホル関連の雑貨などが売られていて、ファッション系の学生らしき人も楽しそうに見ていました。
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奇抜さが日本にいることを忘れさせます。開放的というか一目を気にしないというか、自分のやりたいことをやれる空気みたいなものがあるのかなと思います。真っ白な紙を目の前にしても何も思いつかない私は、世の中に向かって発表したいことがあるというだけでもアーティストを尊敬します。
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小さな美術館なので滞在時間は1時間程でしたが、とても楽しめました。
静かな北欧レストラン
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ランチは美術館から車で5分ほどのところにもある北欧料理「メーラレン」に行きました。黄色い看板が目印です。ぬくもりのあるきれいな内装で、青い布の椅子や緑のランプも素敵でした。窓からは木々が見えて落ち着きます。
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ランチは前菜、スープ、サラダ、メイン、自家製パン、デザート、コーヒーのセットが1,730円からとお得です。しかもどれも美味しい。
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上の写真は前菜のニシンのディルマリネ マスタードソースです。メインは色々選べるのですが、北欧といえばサーモンな気がして「サーモンとジャガイモのプディング」にしました。思い出しただけでよだれが出そうなほど美味しかったです。
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デザートのチョコケーキも美味しいし、紅茶がアイスしかなかったので寒くなったこと以外はとっても満足。入り口にはちょっとした雑貨も売っています。団体さんも受け付けているようで、途中でぞろぞろやってきて賑やかになりました。
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車ですぐの道の駅で野菜やお土産が買えます。多肉植物が100円で売っていたのでいくつか買って寄せ植えにしました。また、車で15分くらいのところに富士見平という景色のいいスポットやハイキングコースもあるので、泊まりで遊びにいってもいいと思います。人が少ないのでのんびりできます。
中村キース・へリング美術館 住所:山梨県北杜市小淵沢町10249-7 営業時間:09:00~17:00 定休日:会期中無休(展示準備期間中は休館)
北欧料理メーラレン 住所:山梨県北杜市小淵沢町1544 電話番号:0551-36-5158 営業時間:昼/11:30~15:00 夜/17:30〜21:00 定休日:火曜(祝日の場合は営業) 駐車場:10台ほど
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