Tumgik
#イスラエルの4回目接種と似たような状況
sadaki-ino · 1 year
Photo
Tumblr media
女性セブンさんが失敗の本質が「アメリカ追従」にあったと記事にされています。 【「新型コロナ対策&ワクチン」の失敗の本質は「アメリカ追従」にあった!】 女性セブン 2022年10月20日号 「日本のコロナ対策 医療界に蔓延する“アメリカ追従”の空気の問題点」NEWSポストセブン 2022年10月10日女性セブン https://www.news-postseven.com/archives/20221010_1799690.html?DETAIL&from=imagepage_f-2-2 感染には常に最大限警戒し、急ピッチで作られたワクチンを、3回、4回と接種する──新型コロナ感染者の死亡率もワクチンの副反応の出方もまったく違うにもかかわらず、日本は2年にわたって欧米に足並みを揃えて対策を行ってきたが、いまだにコロナ禍は終わらない。 コロナ禍において、日本は常に横目で欧米を見て、感染対策やロックダウン、医療のあり方などを議論してきた。切り札とされたワクチンも、欧米に「追いつけ、追い越せ」で接種を重ねてきたが、それは果たして正解だったのか──。 「人口10万人あたりのコロナの死者数を比べると、アメリカが308人、イギリスは266人であるのに対し、日本は24人。10分の1以下です。同じウイルスでも欧米はケタ違いに被害が大きかったのです。 モデルナ社製のワクチン接種後に38℃以上の熱が出たアメリカ人は38%に留まった一方、日本人は約62%が38℃以上の発熱を訴えました。一般的に体格や遺伝子の差があるゆえ、日本人は欧米人よりも薬が効きやすく副作用も出やすいと考えられていますが、コロナワクチンも同様で、欧米人と同量を接種するのは多すぎたのではないかと考えられます」(新潟大学名誉教授の岡田正彦医師) 「オミクロン株の流行により、日本は世界最高レベルの日別感染者数を記録したものの、死亡率は依然として欧米よりかなり低い。日本人に被害が少なかった理由は『ファクターX』と呼ばれ、マスクや手洗い、発音の違いによる飛沫量の差、BCGワクチンや交差免疫など、さまざまに分析されていますが、決定的な理由はいまだに明らかになっていません。とにかく、日本人は欧米と比較して重症化しにくいということは間違いなく事実だといえるでしょう」(南日本ヘルスリサーチラボ代表の森田洋之医師) 「欧米はコロナの死者が圧倒的に多かったため、ワクチンを打つ意義が比較的大きかった。一方、死亡率の低い日本では、その意義は小さい。にもかかわらず欧米とまったく同じように接種を進める必要があったのか疑問が残ります。  それに結果的にワクチンでは感染拡大を抑えることはできなかった。世界で最も早く接種を進めたイスラエルの状況を見れば、接種後に一時的に減少した新規感染者が再び増加することは容易に予想できた。欧米の真似をすべきではなかったのです。 欧米人と日本人は体格や薬の代謝能力が異なり、同じ薬をのんでも思わぬ副作用が生じることがあります。それゆえ欧米で承認された薬でも安全性の担保のため、国内でも厳密に臨床試験を行う必要があります。  しかしコロナワクチンは緊急事態を理由に簡単な試験のみで特例承認されました。過去には最終の臨床試験を省略した抗がん剤で重篤な副作用が頻発し、800人以上が亡くなった事例もあります。コロナワクチンも、日本に先駆けて接種を開始したイスラエルで、早くから若い男性での心筋炎の多発が報告されており、安易な接種は慎むべきでした」(ジャーナリストの鳥集徹さん) 「医師たちが治療においてエビデンスとして依拠するものの多くは欧米の医学誌に掲載された論文です。しかしノーベル医学・生理学賞を受賞した本庶佑さんは、『著名学術誌に出ている論文であっても掲載10年後に撤回されずに残っているものは1割』と語っています。  それは、仮説を立てて実験した結果を論拠としているため、前提条件が現実と違っていることが多いためです。実際に『ファイザーのワクチンの有効率は95%』という論文もありましたが、現実に照らし合わせればそうでないことは一目瞭然でしょう。 ワクチンには副反応はじめさまざまなマイナス面があるのに『政府が決めたから正しいだろう』と、他者のせいにして何も考えずに接種することは避けるべきです。自分の目で情報を確かめ、自己決定することが求められています」(南日本ヘルスリサーチラボ代表の森田洋之医師) ※女性セブン2022年10月20日号 #新型コロナワクチン #新型コロナ対策 #アメリカ追従 #女性セブン #newsポストセブン https://www.instagram.com/p/Cjhc8MpPiFu/?igshid=NGJjMDIxMWI=
2 notes · View notes
kozuemori · 4 months
Text
Tumblr media
今日の東京は比較的暖かです。今週はやっとクリスマスツリーをかざり、明日からのワークショップに向けて最終調整をしていたら、あっという間に時間が過ぎてしまいました。イスラエルとハマスの戦闘も2ヶ月目を迎え、ガザ地区では1万6248人が死亡し、4万3000人以上が負傷したと伝えられています。戦闘の長期化によりガザ地区の人口の8割を超える約190万人が避難を余儀なくされ、食料や燃料、医療物資などの支援物資が十分に搬入されない中、感染症によって命を落とす人々も増え、状況の悪化がますます深刻になっています。
前回のブログでAIのコードに潜む偏見について書きましたが、今週も似たようなテーマです。以下のニュース記事をご覧になった方も多いと思います。
21世紀の今も焚書や言論の不自由があることに驚きを隠せませんが、日本語訳が出版されないとあって少しでも事実や情報に近づきたく、色々探したら以下の記事を見つけました。拙い訳で長いですが、ポッドキャスト版を全訳したので紹介します。
・・・・・・
バリ・ワイスです。ネットの��界では個人のリアリティの違いによって、特定の人物についての評価がますます二極化しているようです。例えばデイブ・シャペルやジョー・ローガンのような人物も、人によってヒーローか悪役かのどちらかに分かれて評価されているように、アビゲイル・シュライアーもまたその標的となっています。彼女の著作『不可逆的なダメージ』はあらゆる書店や図書館、量販店から締め出されました。2021年にプリンストン大学がシュライヤーの講演を大学内で予定していましたが、脅迫によって警察が出動する事態となったため、別の場所で講演が行われました。参加したのはたった35人で、そのほとんどの人たちが自分が参加しているのを知られたくない為、撮影に協力的ではありませんでした。私は35人以上の人が聞くべき価値のあるものだと判断したので、シュライアーの講演内容を知って欲しいと思います。
(広告:3:17まで)
リスナーの皆さんこんにちは、アビゲイル・シュライアーです。これから私がプリンストン大学で講演した内容をお伝えしようと思います。
(以下、プリンストン大学の学生に向けて行われた講演内容:カッコ内は私が付け足しました)
私が最もよく受ける質問は、多くの面接官が高尚なことを聞くふりをしながらするような内容です。「嫌われるってどんな感じですか?」興味本位でこのポッドキャストを聴いている方の中にも知りたい人がいると思いますが、「GLAAD(アメリカ国内でLGBTのイメージに関するメディアモニタリングを行う非政府組織)のブラックリストに載るってどんな感じですか?」「ACLU(アメリカ自由人権協会)の一流弁護士たちがあなたの著作を出版禁止にするのはどんな気分ですか?」「一流大学が卒業生のあなたを認めないのはどんな感じがしますか?」「以前は味方だった意識高い系の人々の好意を失うのはどんな感じですか?」
まずは私自身のことを少しお話ししましょう。きっと皆さんとそれほど違わないと思います。私はメリーランド州判事の娘として、メリーランド州の多人種が入り混じった郊外で育ちました。ユダヤ系のコミュニティ・デイ・スクールに通い、高校時代にはワシントン・ジューイッシュ・ウィーク紙の記者として働き、学校新聞の編集にも携わりました。コロンビア大学に進学し、ケレット奨学金を得てオックスフォード大学で2年間学びました。その後、イェール大学ロースクールで法学の博士号を取得し、クリントン政権が任命したD.C.巡回控訴裁判所の事務官を務めました。
法曹事務の職に就いたばかりの時にロサンゼルス在住の男性からヘッドハンティングされた私は、その年の暮れに当時の恋人を追ってカリフォルニアに行くことを決めました。そしてロサンゼルスで超一流の法律事務所に就職し、日々の業務に追われ、感覚が麻痺状態でした。私は恋人と結婚し、妊娠期間の奮闘後、法律事務所を辞めて3人の子どもを授かりました。子どもたちに本の読み聞かせをし、下手な歌を歌い、出版できない小説を書き続けました。以前から私を知る人は、何て無駄なことをしているのかと不思議に思っていたでしょう。
私は地元のユダヤ系新聞にいくつかの論説を書き始めましたが、そのうちのひとつをウォール・ストリート・ジャーナルの編集者が見つけ、ウォール・ストリート・ジャーナルに投稿しないかと誘ってきました。そして、その年のうちに13本の論説をウォール・ストリート・ジャーナルに寄稿しました。そのうちの一つの論説がある読者を惹きつけ、彼女の10代の娘が突然性転換をしたという話を伝えてきたのです。その話について調査し、報道する記者を探しましたが誰も名乗り出なかったので、私は自らその仕事を引き受けました。その時の私の調査結果が『Irreversible Damage: The Transgender Craze Seducing Our Daughters』(直訳:不可逆的なダメージ:娘たちを誘惑するトランスジェンダーブーム 日本語版タイトル:不可逆的なダメージ あの子もトランスジェンダーになった SNSで伝染する性転換ブームの悲劇)というタイトルで出版されたのです。
ですから、私は挑発者ではないのです。人を怒らせることで快感を得ることはないですし、論争の渦中に身を置くためにわざわざ事を荒立てる必要性も感じません。『諦めない』『効力を持つ』この2つが組み合わさると、論争の中心になることがあるのです。
なぜ、私は諦めないのでしょうか?なぜこれほど多くの10代の少女たちが突然トランスジェンダーだと認識し、自分の体を変えたいと熱望しているのかについて、私がごく標準的なジャーナリスティックな調査したことが他者の怒りを買うことになったのでしょうか?そもそも、なぜ私はこの本を書き、それで良かったと思っているのでしょうか?
皆さんなら、決められた台本から外れるたびに遭遇する不愉快な出来事の一部をご存じのはずです。では改めて、多くの憎しみの的になるのはどんな感じなのでしょうか?それは自由を謳歌している感じなのです。それが今夜、私がお話ししたいことです。
哲学を学んでいた学生時代、私は自分の意志は自由であるかどうかについて膨大な時間をかけて考えていました。これは誰もが思うであろう「自由に」行動したと言えるのか、という形而上学的な問いです。そして、ほとんどの哲学者は私たちの意志はそれほど自由ではないと考えているようでした。形而上学的決定論者たちは、人間のあらゆる行動は最終的に素粒子の波動関数によって説明でき、ニューロンが発火し、私たちが自由に決定したものは何一つないという世界を描いていました。
形而上学的決定論者でなくとも、人間の意思決定やその背後にある理由は、その人の生い立ちや経験、あるいは先天的な個性によって構成されるという明白な問題に皆さんは直面してきたはずです。人間の自由意志と決定論とは両立するという説を支持する適合主義者は、人はせいぜい自分の動機と好みに従って生きることを望むことしかできないと主張しました。つまり、動機と好みは個性によって大きく左右されると認識されてきたのです。
かつて18世紀の決定論者ホルバッハ男爵は「人間の行動は決して自由ではない。それらは常にその人の気質、受け継がれてきた考え、そしてその人がで形成した幸福の観念、さまざまな模範によって、教育によって、日々の経験によって強化された自分の意見の必然的な結果である」と書いています。
私は学生の頃、ホルバッハの言う通り、私たちの動機は自分の性格や生い立ち、そして受け継がれてきた考えによって決まるのかもしれないという心配に囚われながら、彼の主張を読んだことを覚えています。
2021年の現在において、私たちは自分の自由意志が受け継がれてきた考えと自分自身の個性によって形成されたものかもしれないと心配することは、ちょっとした余裕のように思えます。今日、私たちは何かを望む前に、まずは携帯電話を開き、自分の意志とは異なる考え方や見方、他人の投票結果などの情報によって、自分の意思を操っています。つまり、昔は完全に自由でなかったかもしれませんが、今はそれよりも更に自由を失っているのです。
どのマッチングアプリも、数少ない同じ魅力的な交際相手を選ぶように誘導され、Spotifyは同じ音楽を好きになるように働きかけ、Amazonは特定の本を購入するように薦め、他の本から遠ざけます。Amazonがあなたに勧める本が、中立的なアルゴリズムだけに基づいていると思っているのなら、今すぐその思い込みを解いてあげましょう。私はかつてAmazonに勤める情報源の一人に尋ねたことがあります。彼は購買者の検索結果がどのように操作されているかを調査し、事実上ほぼすべての検索結果が前大統領夫人ミシェル・オバマの著作『Becoming』(日本語版タイトル:マイ・ストーリー)を勧めることになった事を伝えてくれました。
その逆もまた然り。Amazonのアルゴリズムによって、どれだけ売れたか、あるいは特定の人がどれだけ購入する可能性があるかにかかわらず、決して勧められない本があります。少なくとも、そのような本が一冊存在します。それが何なのか、想像してみてください。
重要なのは、皆さんの意志は弄ばれ、破壊され、操られているということです。しかも、かなり陰湿な方法で。Googleが私たちに特定の検索結果を促しながら決められた視点へ導くのは、決して驚くことではありません。しかし、Wikipediaでは議論の対象となっている項目に対して編集者が割り当てられ、その中にはイデオロギーに傾倒した活動家もいて、その多くがあなたを非常に特殊な見解に導いていることをご存知でしょうか。
もし皆さんがそうしたWikipediaの記事や偏ったファクトチェッカーの報告に基づいて意見を形成して行動するならば、あなたは意志の自由を行使していることになるのでしょうか?見えない説得者たちによって、あらかじめ決められた結論へと誘導され、絡め取られ、突き動かされているとすれば、おそらくそうではないでしょう。おそらく皆さんは、ヴェニスのムーア人と同じような気の毒な状態に置かれています。弄ばれ、転覆させられ、操られ、誰かの計画を実行し、彼らの望む方向へと歩みを進めているのです。
私たちはここ数年、この種の操作が政治的分裂の根源であるかどうかを議論することに多くの時間を費やしてきましたが、さらに基本的な問題、つまり良心の自由、ひいては自由意志をいかに妨げてきたかについては、十分な注意を払ってこなかったと思うのです。
世論調査によればアメリカ人の3人に2人近くの62%が、不人気な意見を表明することを恐れていると答えています。それは自由な国の自由な人々とは思えない結果です。私たちは毎日、評価と職業の機会を失うことを覚悟の上で、真面目に受け止めることを期待される虚偽の情報を強制されているのです。
・生理があって妊娠する男性もいる 
・��勉さと客観性は白人の特徴である 
・自分の本当の性別を知っているのは子どもだけだ 
・トランス女性が女子スポーツで不当に有利になることはない 
最後の例は、女子スポーツにおけるトランス女性についてです。プリンストン大学の学生でエリー・マーカートという名の素晴らしいアスリートは、1年生の時に500ヤード自由形でアイビーリーグ記録を樹立した水泳選手です。2019年11月、エリーは大会最高記録を保持していた500ヤード自由形で、ペンシルベニア大学の22歳の生物学的男子生徒との競泳において約14秒もの大差で敗れました。現在、その選手は女子水泳で複数の米国記録を保持しており、多くの優秀な生物学的女性アスリートたちの努力を消し去り、女性たちが何世代にもわたって闘い続けた後に獲得した権利を軽々と奪い続けています。
エリー・マーカートはプリンストン大学のために全力で戦いましたが、果たしてプリンストン大学はこの不平等な現状において、いつ彼女のために戦ってくれるのでしょうか。「もうたくさんだ」という学生たちの抗議の矛先をどこに向ければいいのでしょうか。男性としての思春期の恩恵をフルに享受してきた生物学的男性、すなわち、生物学的女性より大きな心血管系や40%増の上半身の筋肉量、より多くの速筋繊維や、より多くの酸素を供給する血液をもつ選手が、男子チームで3シーズン選手としての経験を積んだ後、今度はトランス女性として生物学的女性と競い合うことを決意し、この国のトップ女性スイマーの記録を打ち破ったのです。それは勇気ではなく、ただの破壊行為です。
この事実において、声を上げるべき点はどこにあるのでしょうか。ちょっと想像してみてください。もしあなたがプリンストン大学の女子水泳部員だとしたら、どう思うでしょうか。NCAA(全米大学体育協会) の競技が公平で冗談以外の何者でもない事を知っているふりをしなければならないのです。男性から「もっと泳げばいいんだ」と説教され、言いたいことも言えないとしたらどう思いますか。「女の子たち、銀メダルに感謝して次はもっと頑張って」というメッセージをどう受け取りますか?そうしたレベルの抑圧が、彼女たちの魂をいかに歪めているか想像してみてほしいのです。
では、女子水泳選手が全員試合を放棄し、こう言ったとします。「私たちはどんなライバルにも真っ向から立ち向かいたいと思っています。でも、こんな茶番のために毎朝4時に目覚まし時計をセットし、登校前と放課後に何時間もトレーニングをするために子ども時代を過ごしたわけではないのです。」
学生たちがそうした波風を立てない理由は、ゴールドマン・サックスやニューヨーク・タイムズのインターンとして働く機会を望んでいて、その可能性を危険にさらしたくないからです。けれど最も優秀で有能な若者たち(プリンストン大学の卒業生のことです!)を引き抜き、その会社の言うとおりに考え、口をつぐんでいなければそこで働くことはできないと言うような機関は、本物のゴールドマン・サックスではないし、偉大な新聞社でもありません。それはかつての素晴らしい機関の抜け殻であり、そこで働く価値はありません。大学の卒業生たちに話を聞くと、まるで共産主義政権下で暮らす人々のようです。もし皆さんが声を上げようとしないなら、それが皆さんの将来を担っているアメリカの実態なのです。
この国で最も素晴らしい教育機関のひとつで学びながら、卒業後は就職先の言うとおりに考え、決められた台本に従わなければならないのなら、果たしてそこに生きる意味はあるのでしょうか?コンピューターは私たちよりも計算が圧倒的に得意ですし、より複雑なあらゆる作業もこなせるようになるでしょう。しかし、コンピューターは原則に立つことができません。コンピューターには不正な競争に信頼性を加えることを拒否し、次の女性選手が声を上げるのをより難しくすることを拒否する機能がありません。コンピューターが知り得ないのは、嘘に屈することなく真実を公然と語るとき、人間の意志が発揮される栄光の瞬間です。
私は人々を挑発するために『Irreversible Damage』を書いたわけではありません。もっと自由な世界だったら、この本が論争を巻き起こすことはなかったでしょう。この本を書いたのは、それが真実であることを知ったからであり、私が発見したこと、つまり、多くの10代の少女たちを取り返しのつかないダメージへと導く、社会的伝染病の存在を記録しておくことが正しいと信じているからです。そして、もし私がこの本を書かなかったら、さらに多くの少女たちが自傷行為へと導くアイデンティティ運動に巻き込まれていただろうと思っています。けれど、それを食い止める目的で書いたわけではなく、単にそれが真実だから書いたのです。
3月に上院司法委員会の前で証言したとき、私はまず最初に、ゲイやトランスジェンダーのアメリカ人が、アメリカの歴史のどの時点よりも汚名や恐怖を感じることなく生活できる現在のアメリカに住んでいることを誇りに思うと述べました。それこそが自由の栄光であり、成熟した大人が本物の人生を歩み、自らの運命を切り開くチャンスなのです。そして、成熟した大人が自分でそのような選択をすることを社会が認めることは、自由な社会の絶対条件なのです。ジェンダー・イデオロギーの誤った独断的な主張を拒絶しても、私はトランスジェンダーとしてアメリカ人がアメリカで活躍し、夢を実現するのを見たいと願っています。
私がこの本を書いたのは、ある母親とティーンエイジャーの娘をはじめとする何十人もの人々の体験談が私を突き動かしたからであり、私の素晴らしい母校がこの本を祝福してくれると思ったからはありません。祖母の世代の女性たちが得られなかった教育の機会を孫の世代である私が得たことの意味や、両親が私の教育のために払った犠牲の目的、教授が私のために割いてくれた時間の目的が、強制的な行進を強いられながら人生を盲目的に突っ走ることであってはならないと思ったからです。両親や恩師が私に捧げてくれたすべての時間の意味は、世界最高精度の操り人形になることではなかったはずです。それが特権の意味するものではなかったはずです。
Spotifyの社員は、ジョー・ローガンと私のポッドキャストエピソードを放送したことを理由に、会社に不当な要求を突きつけました。ア��ゾンの従業員は、私の本を扱い続けるなら辞めると会社を脅しました。GoFundMeは、私の本を宣伝するために設立された親たちによる草の根募金を閉鎖し、ACLUは100年以上にわたる使命のすべてをゴミ箱に捨てたのです。このような暴挙は力の誇示でもなければ自由でもなく、隷属に近いのです。
もし皆さんが自分の意志を行使する勇気があるなら、最高裁判所の判事の椅子に数十年にわたって座り続けることができるでしょう。そして、皆さんが最高齢のメンバーで唯一のアフリカ系アメリカ人として優れた職務を誠実に果たしたとしても、アメリカのどの小学校も皆さんの名前を冠することはないでしょう。それがトーマス判事(アメリカの最高裁判所の保守派判事)自身ではなく、彼を非難する人々の評判を下げる実態だと思わない人はいるでしょうか?
形而上学的な意味で、私たちが本当に自由であるかどうかは私にはわかりませんが、もし宇宙が最後の素粒子に至るまで完全に決定されていないのであれば、自由も程度に応じて認められることになります。そうだとすれば、この10年間で私たちははるかに自由を失っていることになります。つまり今のあなたと同じ年齢だった時のあなたの両親が持っていた自由の大部分を、皆さんは失っているのです。自由を取り戻すこと、それが皆さんが要求すべき権利です。自分の考えを思慮深く、礼儀正しく、不快感を与えないことはもちろんのこと、それ以上の目標を持って主張する権利を取り戻してください。自由な国民を窒息させ、肺一杯に吸い込める自由な空気の爽快感を忘れさせようとする以外の理由もなく、人々が自由に発言することのできない真実のリストは急速に増大しています。
もし皆さんが自分には代名詞(LGBTQの文脈のプロナウン「私(一人称)」「あなた(二人称)」ではなく、「彼」「彼女」などジェンダーが関わってくる三人称)があると信じている、あるいは代名詞を持ちたいと思っているのであれば、特権としてそれが認められるべきです。聴衆を混乱させたり、議論を泥沼化させたりすることがない前提で、誰かからその人自身の代名詞を使うことを頼まれた場合、私はいつでもそうしますし、それが礼儀だと思います。でも私は私自身の代名詞を述べませんし、あなたがもしジェンダー・イデオロギーを信じていないなら、そうすべきではありません。自分の代名詞を述べるとき、あなたはジェンダー・イデオロギーの教理問答、つまり、対象者以外には知ることのできない、言い表せないジェンダーが存在するという信念に参加していることになります。 つまり私が自分で女性だと言わない限り、誰も私が女性であることを知ることができないのです。 私はそれを信じませんし、無意味だと考えています。代名詞を尋ねられたとき、私はこう言います。「私は女性です。」あなたの自由を取り戻してください。今すぐ、奪い返してください。
精神科医や小児科医は、思春期の子どもからアゴニスト剤を投与するよう要求されたとき、それに抵抗することを恐れていると私に言います。なぜなら、リスクや決断の性急さを指摘されたら、医師免許を剥奪されるのではないかと恐れているからです。また、親たちは子どもたちが通う学校の革新的な教師やソーシャルワーカーに反発することを恐れている、と私に語ります。そして、ここプリンストン大学で得た素晴らしい教育も、ある日突然、自分の専門分野で嘘が優勢になっているのを目の当たりにし、せいぜい匿名で私と電話で現状を嘆くのが精一杯ということになれば、すべてが無駄になってしまいます。皆さんはもうすぐプリンストン大学を卒業します。自尊心を示し、自由を取り戻してください。
自分の意志が試されるのは、期待されたことだけをする瞬間ではありません。コンピューターが成し遂げていることを超えるのは、決められた台本に書かれた台詞を読むことではありません。事前に誰かに承認された合唱団の無個性なメンバーになれたと思った瞬間、その姿は跡形もなく消え去ってしまうのです。
これから皆さん一人ひとりに重要なチャンスが訪れるでしょう。病院や銀行、法廷や新聞社で、自分が間違っていると知っていることが起こるのを目の当たりにするでしょうし、もう既に経験しているかもしれません。いつか幸運にも子どもを授かった時、自分がその子どもにとってこの世で最高の防衛手段であることに気づくかもしれません。そんな時、自分の意志の核心が何かをするように、何かを言うようにと働きかけてくるでしょう。そんな時、人形みたいに何もせずに座っていてはいけません。
私は43歳で、ここにいるほとんどの人に年をとった人物として見られていると感じています。でも、そう遠くない未来、皆さんも目が覚めたらあっという間に43歳になっています。これまでの人生を振り返ってみると、私が最も誇りに思う決断、つまり予期しないキスのような瞬間は、アルゴリズムに従った時ではなく、アルゴリズムに逆らい、生きていることの魔法とパワーを一瞬でも感じたときなのです。自分だけの極上の喜びを一瞬でも感じたとき、自分が何かの目的のために存在し、自分の住む世界よりも良い世界を残せる可能性があるという、まぎれもない感覚を味わった瞬間です。その感覚は堅実にキャリアを積んだとしても得られるものではないですし、左翼のスター生徒になったとしても訪れない瞬間なのです。
失敗する可能性があることを承知の上で、自分自身を捧げる結婚相手を選ぶとき、安全や成功の保証がない冒険の世界に子どもを導くとき、皆さんはそのようなスリルを味わうのです。勇気を奮い起こして人生を切り開くとき、勇気を出して人生を形作るとき、それはあなたがこの世を去った後も残るものです。 真実を公の場で、慎重かつ明晰に話すとき、そして皆さんが世界に向けて「お世辞を言って私を買うことはできません。 私の同僚かクラスメートという他の商品でも一括購入してみたらどうですか? 私自身は商品じゃありません。」と言うときです。
ありがとうございました。
・・・・・・
私はジェンダーを二分化したどちらかにある固定した存在ではなく、立体的なスペクトラム(連続体)の中にある常に形や色が移ろう存在といったイメージで捉えています。つまり、0か1か、黒か白か、女性か男性か、ではなく、その広大なグラデーションの中のどこかに、全員が一人として同じところに存在せず、常に形や色を変えて上下左右に揺れ動きながら移動しているような、曖���ではっきりと定義できないものだと感じています。ですから、私は自分の生物学的な性別を受け入れていますが、だからと言って完全に女性だと思っているわけでも、決して男性ではない、と感じているわけでもないのです。
自分のジェンダーと生物学的な性別の関係については、本人の自由意志によって選択されることが大切だと思いますが、シュライアーさんは講演の中でジェンダー・イデオロギーだけでなく、自由意志についても多くの例を挙げながら言及しています。私自身はそれが彼女の本の1番の訴求点ではないかと想像しています。それについても自由意志はある、自由意志はない、という極端な二分化の中ではなく、自由意志に基づく傾向のあるもの、自由意志に基づかない傾向のあるもの、というあやふやなスペクトラムの中にその実態があると感じます。例えば前者については、純粋な祈りがあると思います。でも、私たちは常に先入観や思い込み、恐れや強迫観念といったエゴに操られているので、自由に自由意志を持つことは難しいのです。内省や瞑想がそれに近づく道ですが、それを選択する際にも、自由な自由意志が求められます。
この講演の中に、「自分の意志の核心が何かをするように、何かを言うようにと働きかけてくるでしょう。」という一文がありますが、これはまさしく私たちの持つ直感を意味していると思います。直感に基づいて行動することは、最も自由な自由意志の現れです。
この本の日本語版が発売中止になり、とても残念です。自らの自由を求めて戦っている人々が、他人の自由を認めないことが矛盾する行為だと、なぜ気づかないのでしょうか。
・・・・・・・・
霊界からのギフト  ~直感と繋がる~ 
・12月10日(日)10:00~17:00(1時間のお昼休憩あり)
・12月11日(日)10:00~17:00(1時間のお昼休憩あり)
詳細とお申し込みはこちらからどうぞ!
今後のイベント・ワークショップ 詳細はこちらから
ドロップイン・ナイト 各回とも木曜日 19:00〜20:00
・12月14日(木)指導霊のサイキックアート
お申し込みはアイイスまでどうぞ! 
2024年春学期クラスへのお申し込みを受け付けています
Tumblr media
2024年春学期クラスへのお申し込みを受付中です。新たに単独でのアウェアネスベーシック前期クラス(全5回)を含むラインナップが揃っています。
新規の方はこちらからお申し込みください。
継続受講の方は直接ショップからお申込みください。
私のサイトでお申込みいただけるクラス以外にも、私の担当日があるクラスがあります。詳しくはサイトにてご確認ください。
新たな年を迎え、共に霊性開花の光を灯し続けましょう。皆さまのご参加をお待ちしています!
0 notes
thetaizuru · 4 years
Text
 世界が、詩のようなものを求めている。
------
詩とは
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説 語源のギリシア語では「創造,生産」を原義とし,一般用法としては「言語芸術の作品」を意味するが,詩を簡単に定義することは至難である。ギリシア以来詩は韻文と不可分の関係にあるが,「韻文と散文」という対置が明確であるのに対して,より一般に使われる「詩と散文」という対立は複雑な問題を含んでいる (たとえば「散文詩」の存在) 。また「詩と科学」という対立も考えられる。かくして詩の定義は,「詩とは最高の順序に並べられた最高の言葉」から「詩は人生の批評」まで実に種々さまざまである。...
デジタル大辞泉の解説 1 文学の様式の一。自然や人事などから受ける感興・感動を、リズムをもつ言語形式で表現したもの。押韻・韻律・字数などに規定のある定型詩と、それのない自由詩・散文詩とがあり、また、内容から叙情詩・叙事詩・劇詩などに分ける。 2 漢詩のこと。
百科事典マイペディアの解説 一般に,一定の韻律に則って選ばれた句を一定の形式に配列して表現される言語芸術。韻文の別称,英語poem,poetryなどの訳で,〈詩歌〉とも。散文に対する(〈詩は舞踊,散文は歩行〉P.バレリー)。叙事詩,抒情詩,詩劇などに分類され,その理論的考察が詩学。欧語はギリシア語poieinに由来し,元来製作一般を意味する。言語を素材とする人工的構築物ととらえるのが西洋の伝統的な詩観だが,一方神を至高の製作者=詩人と措定して,その超越性を排除するものではない。言語の神的起源を想定する態度は人類に普遍的であるから,〈詩の起源は呪誦,詩の字義はその呪能を保つもの〉(白川静)との説も成立しうる。神託(託宣)が多く詩の形をとることは示唆的であろう。神霊ではなく〈エスが語る〉(J.ラカン)とすれば,詩の本質の理解には人間そのものに問いが向けられなければならない。
日本大百科全書(ニッポニカ)の解説 ... 詩とはなにか コールリッジは詩と散文の区別を韻の有無によらないで、「散文はよいことばのよい組合せで、詩はいちばんよいことばのいちばんよい組合せである」と、ただ述べている。とりわけ散文詩という形式が成立した19世紀なかば以降では、詩の定義は韻律のような外面的なものでなく、もっと内面的な要素によらなければならない。したがってコールリッジも「詩作品は他の科学的作品と違って、真実でなく、美を直接の目的とする」と説明している。つまり、一般の科学の論文や報道の文章は単に事実の正確な伝達を目的とし、いったん伝達が終われば用済みとなるが、それに反して詩作品は、伝達の内容よりも表現自体が目的なのである。バレリーが散文を歩行に例え、詩を舞踏に例えたのも、同じ意味であろう。むろん詩においても内容は重要であり、詩も人生についての認識に深くかかわっている。知識が哲学・歴史・天文学のように分化していなかった時代には、詩は総合的な認識様式であった。科学の発展によって細分化された今日でも、シェリーのいうように「詩は知識の中心」であり、「それはすべての学問を内包し、すべての学問は詩に帰せねばならない」と考えてよい。なぜなら、科学は部分的な認識を与え、詩は全体的認識を与えるからである。  詩は音楽や絵画や彫刻と同じく、人間の全体性について認識を伝える感情表現の一様式であるが、ことばをその表現の固有の手段としている。言語の機能からみると、指示作用よりも暗示作用が本質であって、それは主として音と比喩(ひゆ)表現に依存している。ペーターは「すべての芸術の状態は音楽に近づく」といっているが、詩にとって音楽の役割は大きい。...詩の比喩はけっして装飾的なものでなく、直観的認識のために不可欠なものである。なぜなら、現実は慣習の眠りのなかに埋もれているので、絶えず新しい比喩によって呼び覚まさなければならないからだ。ワーズワースはこれを「日常の事物に想像の光を注いで新鮮な意識を回復する」といっている。...
(詩(し)とは - コトバンク https://kotobank.jp/word/%E8%A9%A9-71671)
---
ポイエーシスとは
創(つく)ること、創造を意味する。プラトンの規定によれば、ポイエーシスとは、「あるものがまだそのものとして存在していない状態から存在(ト・オン)to onへと移行することについてのいっさいの原因」である(『饗宴(きょうえん)』)。いいかえると、それはまだ無秩序のうちにあるものを秩序(タクシス)へ ともたらすことである。この定義は緩やかに考えれば、全能の神による「無からの創造」creatio ex nihiloから人間的創造に至るあらゆる相に妥当する。イスラエルの宗教に固有のものとされる「無からの創造」の思想は、「無からは何も生じない」というメリッソス(前5世紀ころ)のことば(デールス・クランツ編『断片』30)に集約されるようなギリシア哲学の伝統にはみいだされない。この思想の直接の表明は『旧約聖書』「創世記」はもとより他の正典にもみられないが、「神はすでに存在するものからすべてを造ったのではない」という外典「マカベ第二書」のことばが一つの典拠とされている。「マカベ第二書」が紀元前1世紀初めごろに成立したと推定されることから、「無からの創造」がイスラエルの宗教に固有のものであるかどうかは議論の分かれるところであるが、アリストテレスのいう四原因――目的因、形相因、質料因、作動因のすべてを所有する完全な自己原因的創造として、思想史上ポイエーシスの最高の典型である。これに対してプラトンが世界創造の担い手とするデーミウルゴスdmirgosは、メリッソスのことばに示されるように、自ら質料を創りえないために、それ自身の活動原理を有する必然(アナンケー)の力としての純粋質料を理性の力によって説得して自己の支配下に置かなくてはならない(『ティマイオス』)。アウグスティヌスのことばを借りれば、完全な原因性を有する創造者(ポイエーテース)は、その実体に本来的な存在性、善性あるいは美に拠(よ)って、存在するもの、善きもの、美しきものを創り出す(『告白』)。このような全能の神やそれに近い創造者デーミウルゴスのポイエーシスに対して、人間的なポイエーシスもまたそのテクネー(学問的技術的知識)に拠りつつ、善きもの美しきものを目ざして自己の作品(ポイエーマ)が一定の形(エイドス)をもち秩序(タクシス)を 有する存在となるように仕上げてゆく(『ゴルギアス』)。しかし人は神やデーミウルゴスのような自己原因性をもちえない「劣った創造者」(『法律』)であるから、そのポイエーシスは不十分なテクネーに基づく小さな創造、すなわち神の宇宙創造とのアナロギア(類比)にたつ小さなコスモスの創造である。文芸創 作に代表される人のポイエーシスが神の創造に倣う小さな創造であることから、それは本来的にミメーシス(模倣)となる。  プラトンは、人のポイエーシスが存在論的にも認識論的にも十分な根拠をもちえないことから、高次の哲学的ポイエーシスの可能性は許容しつつも、とりわけ文芸創作としてのポイエーシスを現象の模倣的再現(ミメーシス)にすぎないものとしてその原理的および事実的危険性を指摘した(『国家』)。一方アリストテレスは『詩学』(悲劇創作論)において、ミメーシスとしてのポイエーシスをその蓋然(がいぜん)的な真理性において積極的に評価し、歴史的記述(ヒストリアー)とは異なる詩的記述(ポイエーシス)の存在理由を、詩作が人間的生における普遍的なありよう(カトルーkatholou)を呈示するところにあるとしている。魂の教導という観点からプラトンは詩作の虚構(プセウドス)の危うさを論難し、アリストテレスは同じ観点から虚構というよりはポイエーシスのもたらす可能的世界(ありうべき世界)の現実的効果(驚きやカタルシス)を重視したのである。その意味で、アリストテレスは創作論の祖であるといえる。
(ポイエーシス(ぽいえーしす)とは - コトバンク https://kotobank.jp/word/%E3%83%9D%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%82%B9-1594075)
---
 詩のようなものとは、よい詩や物語が感じさせてくれるような、あるいは人によっては宗教や神学にそれを求めるような、世界の手触りのようなものだ。自分の中に、自分を含む世界の全体性を回復させてくれるような、矛盾したような、よくわからないもののことで、詩や宗教は最初から、よくわからないことについて語り、いつまでも「ようなもの」のまま、よくわからないまま受け入れるための手掛かりを提示する。  それは、全体主義のように、何かの全体のためにその全体と同じ信念を受け入れるということではなく、あるいは世界系という言葉で揶揄されるような、自分の感情と世界を等価値として見るものでもない。  世界の手触りのようなものを失ってしまった時、人は、全体主義や世界系といったものの方へ流されてしまう。
 世界の手触りを失ってしまったような感覚が、近年の世界のかなり広い範囲を覆う空気となっている。これに流されてしまわないように、人々がそれぞれ、手掛かりを探している。誰かエラい人とかに言われて教わるだけだと流されてるのとあまり変わらないしムカついてくるが、かといって、自分はこう思うから自分の中ではこうで、おまえがそう思うならおまえん中ではそうなんだろみたいな切り離した態度では、あまりに何も見えてこない。  宗教を科学的に分類し解説してくれる人が、例えば「踏み絵」について、そもそも偶像崇拝を禁止している宗教なら踏んでも全然オッケーだから踏みゃいいじゃんみたいな話をするのに対して、それは弾圧から免れるための知恵を提示する優しさでもあるとわかっているが、「ざけんな、倫理とか礼節とか心とかねーのか」って言ってしまう気持ちとか、一方で、詩的な言語表現に感情的にアジテートされる連中に嫌悪感を持ったりだとか、あと信仰心とかねーし説教嫌いだし言葉遣いもきれいになんねーし、矛盾してるような、よくわからない考えを抱えたまま、よくわからないものを探している。
---
 ユング心理学に「影 (シャッテン/シャドウ)」という概念がある。肯定的な影と否定的な影があり、否定的な場合は、自我が受け入れたくないような自分の側面を代表する。簡単に言うと、自分自身について認めがたい部分、その人の人生において生きてこられなかった側面、自分で作ったイメージや世間体などにより抑え込んでいる自分の側面を表すものとされる。それは現実にいる他者に投影されて、自分の目の前に立ち現れるときに特にはっきりとする。影は、その人の意識が抑圧したり、十分に発達していない領域を代表するが、また未来の発展可能性も示唆する。
(cf. 元型 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%83%E5%9E%8B#%E4%BB%A3%E8%A1%A8%E7%9A%84%E3%81%AA%E5%85%83%E5%9E%8B 影#心理学における影 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BD%B1#%E5%BF%83%E7%90%86%E5%AD%A6%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E5%BD%B1 「影」のはなし | 学生相談所 - 東京大学学生相談ネットワーク本部 http://dcs.adm.u-tokyo.ac.jp/scc/columnlist/column/568/ 投影 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8A%95%E5%BD%B1 )
 どこかで作られたイメージを合成して自分で作り上げたイメージを通して見ていた世界が、だんだんと辻褄が合わなくなってきたり、頼っていた情報源からの情報が支離滅裂になってきて、混乱が広がると、あるゆるものを拒絶して攻撃的になったり、または自分の方を疑い、外部情報に過度に従う。  「影」に捕われてしまうか、「影」を切り離してしまうか、どちらかの状態になると、世界や心の全体性を失う。
 偶像崇拝は、人が作った偶像を崇拝することで、多くの場合そうと知らないうちに、神ではなく人を、場合によっては自分自身を、崇拝する。物体としての像だけでなく、エラい人が言ったことなどのイメージも偶像に当たる。神を崇拝していたはずが、知らないうちに人を崇拝しているような倒錯した状況になると、ナルシシズムか自己嫌悪のどちらかに陥る。これは真実の拒絶である。  これは科学を信じていると思っていたはずが、知らないうちに似非科学に陥っているという状況にも似ている。  似非科学は本当の科学が与えてはくれない感情面の欲求に訴えかける。人は絶対に確かだと言えるものをつい欲しがってしまう。  科学が誘う先にあるものは、そして本来、科学的な思考により目指していたものは、ありのままの世界であり、こうあってほしいという願望ではない。
---
「アラバマ州上院議員@DougJonesをコントロールする社会主義左翼とワシントンの民主党は、道徳的相対主義を採用しています。これは客観的真実の拒絶です。」 「このポストモダンの世界観には危険な結果が伴います。私は、米国上院で真実の戦士になることを誓います。 #fightbackwithjeff」 「私たちの国は、客観的な真実があるという信念の上に設立されました。しかし、この新しい世俗的な左派は客観的な真実を拒絶します。すべてが相対的です。それはアメリカの憲法解釈全体に深刻な被害を与えています。 #fightbackwithjeff」
(セッションズ前米司法長官のツイート https://twitter.com/jeffsessions/status/1226900622739484672 https://twitter.com/jeffsessions/status/1226900625079881729 https://twitter.com/jeffsessions/status/1227004191014621185 )
---
「科学のもうひとつの側面は、研ぎ澄まされた“センス・オブ・ワンダー”(SFのように、これまでの常識では理解できない物事に触れた際に生じる不思議な 感覚のこと)であり、精神を高揚させるスピリチュアルなものです。とはいえ、心地よいから信じるべきだというわけにはいきません。道の途中にはわれわれを 惑わすような嘘がたくさん横たわっていますから。信じるべきは真実であり、真実を突き止めるために人類の編み出した唯一の方法が科学なのです」 ーカール・セーガン
(2017.12.20 WIRED https://wired.jp/2017/12/20/sagan-old-interview/)
------
 アメリカの前政権時に行われたドローン爆撃とその誤爆や、瓦礫になった中東の景色を見続けて、シリアなどの中東の国々に同情し、アメリカやりすぎじゃねーかっていう感情を漠然と持っていた。今も持っているし、そういう人も多いと思う。でも明らかに状況は変わってきた。  シリアの街並はドローン爆撃だけで破壊されたのではなく、2011年3月から続く内戦状態(「新しい種類の戦争」とも呼ばれる)による。
---
シリア内戦は各国・各勢力の思惑が露骨に衝突した戦争となっており、それがこの紛争の解決をより一層難しくしている。アラブの春に影響を受けた、当初の目的である平和的な反政府デモを発端とするものの、その後は反体制派が周辺国からも入り乱れて過激派にとって代わられることで双方の対立が激化。その反体制派からはISILまで生んだ。
つまり、欧米諸国とその同盟国が描く巨悪・アサド政権に対する自由を求める民衆の蜂起という構図は、その後のシリア内戦で変質した。多国籍の軍隊がそれぞれ別の思惑でシリアを舞台にして、自らの権益を拡大・死守する代理戦争と化し、欧米が支援する反体制派では、民主化とは正反対であるイスラム原理主義の過激派勢力が台頭した。同時にこの対立構造ではSNSを駆使した情報戦が行われており、アサド政権とその支援を行うロシア・イラン、さらに反体制派を支援するサウジアラビア・トルコ・カタールのアルジャジーラ、さらにBBC・CNN等の西側メディアも含めて悲惨な難民の姿や女性、子供の被害者・犠牲者をメディアを通じてセンセーショナルに報道する場面が目立ち、プロパガンダの応酬となっている。特に欧米諸国が資金援助を行っているホワイト・ヘルメットの扱いや、化学兵器の使用に関する報道で顕著となっている。
シリア紛争に関しては双方の利害の主張が著しく、中立的な視点を持つ報道が過小または中立的な視点を持つジャーナリズムは��流メディアから殆ど追いやられているといってよい。そこには、かつての各地で起こった民族間や旧宗主国とその権益から来る利害関係から起きた内戦とは大きく異なっており、より複雑でグローバル戦争ともいえる。人道主義を掲げて樽爆弾や無差別爆撃、化学兵器の使用等からアサド政権の残虐性を厳しく指摘する欧米諸国も反体制武装勢力によるキリスト教徒への迫害を批判したバチカン市国のローマ教皇庁等の一部を除き、反体制派の残虐性やサウジアラビアが関与するイエメンの惨状(2015年イエメン内戦)には余り言及されていない。
(シリア内戦 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%86%85%E6%88%A6)
---
 未だ、戦場の霧の中で、プロパガンダの応酬は続く。  全体を見通せるようになるまでにあとどれくらいかかるのかも見当がつかないが、しかし、何かの兆しが見えてきたようにも思える。
(2020年2月) 米中央軍は13日、米海軍のミサイル巡洋艦が9日に中東の海域で拿捕した小型船舶から、イラン製のミサイルや兵器の部品を押収したと発表した。イランが後ろ盾のイエメン反政府武装組織フーシ派に供給される予定だったとみられている。 (2020年02月14日 時事 https://www.jiji.com/jc/article?k=2020021400345&g=int)
 「NIAC」(The National Iranian American Council)というワシントンD.C.に拠点を置くロビー団体があって、この団体の設立にイランのザリフ外相はダイレクトに関わっていて、「西洋のザリフの広報担当者」と呼ばれたりもしてるという。 (January 27, 2020 RealClearInvestigations https://www.realclearinvestigations.com/articles/2020/01/27/pro-iran_lobby_behind_obama_nuclear_deal_is_back_in_high_gear_122118.html)
 このNIACとも‘良好な関係のある’米民主党のクリス マーフィー上院議員がミュンヘン安全保障会議(2020年2月14 – 16日)の期間中に、イランのザリフ外相と秘密裏に会合していたと報道された。  トランプ大統領はツイートで、「ローガン法に違反している」と非難している。 (cf. February 17, 2020 The Federalist https://thefederalist.com/2020/02/17/source-democrat-senator-held-secret-meeting-in-munich-with-iranian-foreign-minister-zarif/#.XkqNtakwTew.twitter February 18, 2020 the Washington Free Beacon https://freebeacon.com/national-security/pompeo-slams-democrats-for-secretive-meeting-with-top-iranian-official/ 日本時間2020年2月19日 トランプ大統領のツイート https://twitter.com/realDonaldTrump/status/1230141397094690818 )
 イランのザリフ外相は、米-イスラエル-サウジを非難するために(米のボルトン補佐官、イスラエルのベンヤミン・ネタニ ヤフ首相、サウジアラビアのビン・サルマン王太子の名前の頭文字のBからとった)「Bチーム」という言葉を使っていた。(e.g. https://jp.reuters.com/article/mideast-tankers-zarif-idJPKCN1TF081)  ざっくりした対立関係を言い表しただけの言葉に過ぎないし、2019年9月10日のボルトン補佐官解任によりほとんど聞かなくなったけど、この言葉のイメージに上乗せするように、‘アメリカは分裂して内戦状態だ’とかのお話が積み重なった。‘抽象的に言えばそう言えなくもないかもしれないかもしれない話’をニュース解説者や専門家や学者や特攻野郎のチームメイトとかがなんか一生懸命お話ししていた。  こうしたお話や‘宗派対立’とか‘文明の衝突’がなんかどうしたってお話に覆われていた‘前から知ってたけどあまり重要ではない’‘人気のない’‘つまらない’方の話が少しずつ出てきた。「ナルコ-テロレジーム」と呼ばれるもので、麻薬や武器の密売ネットワークを指す。(https://thetaizuru.tumblr.com/post/190422996633/2020-hindsight-%E3%81%93%E3%81%A8%E3%81%8C%E7%B5%82%E3%82%8F%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%97%E3%81%BE%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%99%E3%82%8B%E5%AE%8C%E7%92%A7%E3%81%AA%E4%BA%88%E6%B8%AC%E5%BE%8C%E7%9F%A5%E6%81%B5%E3%81%AE%E3%81%93%E3%81%A8)
 イラン政府は、大学や公共の広場などの道路にアメリカとイスラエルの国旗を描き、人々に踏み絵をさせていた。こうして、反米、反イスラエルの感情を作ってきたという。  今年に入って、イランの人々が「もうそんなことやめよう」と声を上げ、踏み絵を拒絶し始めた。 (cf. https://www.youtube.com/watch?v=aNJLG8jCq1Q https://www.youtube.com/watch?v=OBWmJq33GOg )
 2月21日に行われたイランの国会選挙では、イランの人々は、不正な選挙だとしてボイコットを呼びかけた。
政府に対する国民の怒りや経済の落ち込み、候補者の半数が失格となったことを受けて、投票率は1979年のイスラム革命以降で最低となった。 (2020年2月24日 AFP https://www.afpbb.com/articles/-/3269792)
---
 パキスタンとアフガニスタンで活動するイスラム主義組織であるタリバンも、麻薬や鉱物の販売、外国からの寄付、市民からの徴税により多額の収入を得ている。
ケシ栽培による収入は約1億ドルと言われ、2017年頃からヘロインの生産も開始し、現在はターリバーンの収入の半分(4億ドル)が麻薬の生産と輸出によるものという説もある。 (ターリバーン https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%B3#%E8%B3%87%E9%87%91)
 2020年2月21日、米国務省は、アフガニスタンで22日午前0時から7日間の「暴力の削減 (RIV; Reduction In Violence)」が始まると発表。米国と反政府勢力タリバーンの間で合意したもので、履行が確認されれば、双方は29日に和平合意に署名する。 (cf. 2020.02.22 CNN https://www.cnn.co.jp/world/35149760.html 2020年02月22日 時事 https://www.jiji.com/jc/article?k=2020022200582&g=int )
米国務省は25日、アフガニスタンの大統領選で勝利し、再選を果たしたガニ氏の2期目の宣誓就任式を延期することでアフガン政府と合意したと発表した。米 メディアなどによると、27日に就任式を行う予定だった。対立候補が選挙結果を不当だと主張するなかで就任を強行すればアフガン政局が混乱し、反政府武装勢力タリバンとの和平合意に向けた雰囲気に水を差すとして米国が懸念していた。 国務省は声明で、29日にタリバンとの和平合意の署名式を開く方向で調整していることを踏まえ「(アフガンは)選挙をめぐる政治ではなく永続的な平和やタリバンとの終戦に集中すべきだ」と強調した。米国は2001年の米同時多発テロを受けてアフガン戦争を始め、トランプ政権はその終戦を目指している。 (2020/2/26 日経 https://www.nikkei.com/article/DGXMZO56057300W0A220C2000000/)
 国連アフガニスタン支援ミッションが発表した報告書では、アフガニスタンの内戦で、ここ10年間で死傷した民間人は10万人を超えたと述べられた。  アフガニスタンでは、ここ5年間で400万人が家を失った。  アフガニスタンの最大の問題は移民問題だと述べたアフガニスタンのバルヒ移民大臣は、同国が平和になれば、この問題は根底から解決されると信じていると強調した。 (2020年2月22日 TRT https://www.trt.net.tr/japanese/shi-jie/2020/02/22/ahuganisutan-nei-zhan-niyori10nian-jian-de10mo-ren-yi-shang-gasi-wang-1364455)
 この間の24日から2日間の日程でトランプ米大統領はインドを訪問。 (2020年02月24日 時事 https://www.jiji.com/jc/article?k=2020022400393&g=int)
アフガニスタン和平をめぐり、米国とイスラム原理主義勢力タリバンによる和平合意が29日、カタールの首都ドーハで署名される。AP通信によると、署名式 典には立会人として、ロシアやインド、パキスタンなどの代表も招待された。2001年から続く「米国史上最長の戦争」は終結に向けて最終局面を迎えた。 (2020.2.28 産経 https://www.sankei.com/world/news/200228/wor2002280023-n1.html)
タリバンと水面下で連携するグループも存在し、治安回復にはテロ組織同士の関係を断絶することも欠かせない。アフガンにはタリバンに加え、アルカイダなど20を超えるテロ組織があるとみられる。タリバンが和平合意でテロ組織との関係を断絶すると宣言しても履行の確約はない。 アフガンは欧州とアジアをつなぐ要衝地にあたり、イラン、ロシア、中国などの周辺国がタリバンとかかわりを持っている。米軍撤収後は周辺国の資金や武器供与の動きも注視せざるをえない。 安定した国家運営には経済再建も大きな課題だ。アフガンは70年代以降、旧ソ連や米国の軍事介入が続き、内戦に明け暮れた。有力な食いぶちは麻薬アヘンの原料となるケシの栽培くらいで、国家財政は国際社会の援助に頼り切りだ。国際通貨基金(IMF)によると、18年の1人あたり国内総生産(GDP)はわずか 544ドル。世界平均の約20分の1にとどまる。 アフガンは石油、ガス、鉄鉱石、銅などの天然資源が眠っているとされる。ガニ氏は14年の 大統領就任以降、資源開発に力を入れると強調したが実現していない。テロや内戦を背景に資源の採掘に向けたインフラ投資を進めることが全くできなかったためだ。IMFは「民間企業主体の持続的な成長を目指さなければいけない」と指摘する。 ...01年にタリバン政権が崩壊した際、当時のブッシュ大統領はアフガンの新政権に(1)テロ組織との関係断絶(2)周辺国との友好関係(3)麻薬栽培の停止――の3つの実現を求めたが、この課題は今もなお変わらない。 (2020/2/29 日経 https://www.nikkei.com/article/DGXMZO56242670Z20C20A2EA5000/)
---
(蛇足:  ちょっと気になるのが、インドとアフガニスタンの間に挟まれたパキスタンの「シャキル・アフリディ」という人物。 ‘ビン・ラディンを「売った」男’とも‘ビン・ラディン殺害の「影の英雄」’とも言われる人物で、現在は国家反逆罪に問われ服役中。  シャキル・アフリディ氏は、アルカイダの最高指導者ウサマ・ビンラディン容疑者を追跡するCIAに協力したパキスタン人医師で、偽のポリオワクチン接種を口実にビンラディンの邸宅を訪問、居住者のDNAを得ようとした。  ビンラディン暗殺後、パキスタン内ではポリオ根絶のワクチン接種を進める衛生関係者が敬遠され、武装勢力に殺害される例も出ている。  間接的に世界各地で「反ワクチン」説と「とりあえず全部の黒幕はCIA」説をブーストさせた。    (cf. 2012年5月24日 AFP https://www.afpbb.com/articles/-/2879791 2013年8月30日 AFP https://www.afpbb.com/articles/-/2964873 2015.03.19 CNN https://www.cnn.co.jp/world/35062016.html     )  インド、アフガニスタン、そしてパキスタンとアメリカの関係(の進展)により、ビンラディンやシャキル・アフリディに関連する(話がどこまで本当だったのかっていう)情報が出てくるかもしれない。 )
(もしかしたら全てが蛇足だったかもしれない。)
------
 目の前にあるものを見落としているような、見えないはずのものが見えてしまっているような、目に見えない大切なものを失ってしまいそうな、悪霊彷徨う闇の中に、一縷の光明を与ふるものは僕等の先達並びに民間の学者の纔かに燈心を加へ来れる二千年来の常夜燈あるのみ。
2020年2月 ナマステ
0 notes