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#わが家のバイブル
zdlmlq · 5 months
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12.03.2023の日記
あなたの国は小さい子のヌード写真が多すぎるって
どのパーティーでも言われた
裸の女の子の写真があふれていて
電車の中にまで吊ってあるのは絶対おかしいって
でも、まさかその中のひとりがあたしだってことは
誰も気づかなかった
あたしは こういう所に集まるマダムた��は
エメラルドを頭にいっぱいつけすぎて
馬鹿になっちゃたんだと思って育ったの
パパは「この国には肉食の文化がないから、みんな我々のように、乳飲み仔牛から腐りかけ成牛までの、色々な肉の味わいの差だとか、ジビエの血の味の事とかがわからない。だから子供の裸ばかりありがたがるんだ。一種の国家的変態だよ」っていう、お得意の演説で、腐りかけの成牛みたいなママを喜ばせてる。彼女はキャビアを食べている人を見ると鼻をつまむ。小さな卵を食べるのは野蛮人だって
フォクシーひと粒でアダルトヴィデオの女の子みたいになれるって聞いたから、あたしは自分を魔女だって言ってる友達に頼んで、パーティーに持ってきて貰い、最高によく効きますように、そして憧れのトレーシーみたいになれますように、って魔法をかけてもらってから、彼女とキスをして、コアントローで飲み干した。どこかで生きていれば35になるのね。あたしのトレーシー・ローズ
あなたは、あたしが知る限り本当の天才、そして天使
あなたとパパの書斎で出会った日のことは一生忘れないわ
黒革の表紙の本の裏に隠されていた80年代のVHS(ヴェ・アッシュ・エス)
あのヴィデオキャッセをパパから盗んでからあたしの人生は変わった
あれがバイブルになったの
あたしは今、あなたがデビューした年と同い年で、あなたの娘ぐらいの歳だわ。そう思うととっても変な気分。まだフォクシーは全然効いてないみたい。口の中は、熱いチェリーの味ばっかり
生きてれば74歳になるのねあたしのグレース・ケリー、生きてれば15歳になるのねあたしのジョンベネ・ラムジー
あなた方のことを考えると、死ぬほどうっとりして、死ぬほど憂鬱になるの
パパの命令でお医者様にマリリン・モンローそっくりに改造されたり、本当にある国の王女になるなんて絶対間違ってる
でも死ぬほど羨ましい。そして死ぬほど怖い
あたしはこんなに
死ぬほど羨ましくて、死ぬほど怖くて、死ぬほど退屈
Vandome,la sick kaiseki
Vandome,la sick kaiseki
Vandome,la sick kaiseki
Vandome,la sick kaiseki
たくさん血が出たり骨を折っちゃったりするのは僕の時代にはあんまり好まれなかったんです。フェティッシュとか精神分析とか、そういうつまらないものが流行っていて
でも、彼女たちが好きなものは結局、宝石と香水と毛皮だって事は永遠なんですよ
裸に毛皮だけ着せて、香水の瓶を割って、お腹を軽く傷つける。詰まらないプレイですけれども効果はすごいんです。真っ赤な血が、うっとりするような香りで
宝石も勿論たくさん使いました。トパーズ、アメジスト、オパール、こういう物には水晶以上の魔力と、生体化学的な影響力があって、まあ、若返るんだと
こういう話をすると、馬鹿にして嘲けり笑っている連中ほど、瞳孔が開いているのがわかる。後で呼び止められるから絶対
それで、彼女たちの宝石箱から一つ残らず出させてね
身に付けさせるんじゃないですよ。体の中に入れてゆくんです
滑稽といえば滑稽だし、でも芸術的とも言える
お腹を宝石でパンパンにした御婦人が喘いでるんですから
勿論、楽しくも何ともなかった、気持ち良くも何ともなかった、嬉しくも何ともなかった
この国の社交界の一部では、こういったことが何百年も通いてるんだなって思うと、変に敬虔な気持ちにさえなりかけたもんです。日本人だからでしょうね。僕は二十歳過ぎてたんだけど、誰もが15歳ぐらいだと思っていて
最近はちゃんとクラブがあったりするんですよ。卓もサウンドシステムもすごく充実していて、ヴァルスやポルカが終わると、変な、聴いたこともないオーストリア語のハウスみたいなのがかかるんですけど、みんなハイヒールに革靴だし。っていうか、踊りが凄くて、笑うのを我慢するのに苦労しました
嫌な感じの嘲笑しか出来ないから。生まれてからずっとそうなんです
復讐心ですか?どうだろう?今の東京の子供に比べればね
アメリカのポルノ女優に憧れてるっていう日本人の女の子がいて「さっきフォクシー飲んだの」って。この子は全然踊ってなくて、目をトロンとさせて、年寄りばっかり狙ってた
世界中に行ったけど、どこも何も変わらない。「オレみたいになるなよ」って、誰かに思ってた頃もあったんですけど、今はそんな誰かもいない
生まれて初めてです。自分からキスしたいなって思って
でも諦めました。彼女は、消えてた
Vandome,la sick kaiseki
Vandome,la sick kaiseki
Vandome,la sick kaiseki
Vandome,la sick kaiseki
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岩澤瞳のいたスパンクハッピーを知ったのは18の頃で、私はそれをカーテンもソファもない部屋の中で聴きました。退屈、と発音する彼女はその声にすら感情がなくてだからこそその言葉は彼女のためにあるような気がしました。私は自分を退屈だとは思えない。それは彼女のような人にこそ似合う言葉だと思っているから。
この歌詞にこころからうんざりできる人間であれればよかったのにと思います。私は自分が暴力を振るわれる若さと身体を持っている頃から、同じ傷を誰かにつけられるほどの加害性を持っていることを自覚しました。スパンクハッピー、或いはこの音楽を私に教えた人のせいです。傷をつけることがある人間だという自覚はついた傷を責め損ないます。自分がいつだって意図せずそちら側に立つ予感は、傷の痛みや怒りよりもよっぽどおそろしいものでした。私にとって、
ヘドラの目はヴァギナを模していますが性別は割り当てられていません。少なくともその言及はない。私はゴジラ対ヘドラという映画それ自体をとても気に入っていますが、何よりもこの怪獣にとても親近感をおぼえています。
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かわいいですね。
私が自分の体に嫌悪感を持たないのは、似た身体構造をもつ人々と親しくなった際にその体をこのましく思うからで、それが自分のものだから嫌悪するのは何か、通らないのでは、と、不安になってしまうからです。もちろんそれはそれ、これはこれとわけてしまうことはできます──というか、それが正しいのですが──、どうしてもその種の理屈を自分に向けて納得させることができません。私にはそういうことがとても多い。
今日が日曜日だということをうまく感じられません。とてもねむいです、
たくさんねむれるといいなと思います。
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patsatshit · 6 months
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先日THE WEST AGROSのMIKIさんと一緒にTHE JUSTIFIERSの復刻7インチを聴きながら、互いの近況報告とアホみたいな話、それからアホみたいな話に継ぐアホみたいな話の連続でアホみたいに大笑いした。MIKIさんとは昨年のBOBBY OROZA関連のパーティーを通じて交流が始まったんだけど、まさにきっぷの良い兄貴という感じで、いつもほんまにフレンドリーに接してくれる。日本橋R/H/BでMUSIC CAMPの宮田信さんが物販をされていた際に、数あるお宝レコードの中からMIKIさんは一枚のコンピレーションアルバムを手に取り「土井ちゃん、これめっちゃええで、これ一枚あったらDJでけるで」と言って勧めてくれて、その日のDJタイム時には「いらんいらん、俺ヘッドフォンいらんで!」というMIKIさんの大声がフロアに響き渡っていて、やっぱりこういう人がええなぁ、好きやなぁと思った次第。因みにあの日をきっかけに親交を深めた高槻のホットサンドカフェOTTO KNOTの智子さんや非営利団体S.F.Mの杉本さん、おふたりともめちゃくちゃおもしろくて、カラッとした気性がマジで心地良い。智子さんのホットサンド、杉本さんのタコス、どちらもほんまに美味しいので皆さんも機会があったら是非とも食べてみてほしい。MIKIさんたちと話していて思うのは「ええかっこしてたらアカンで」ちゅうことですわ。そして同時に「かっこ悪いこと」には敏感。これは割と重要で、逆説的でありながらも、確かに両立する。この概念を勘違いしている人が圧倒的に多いんやけど。だから僕らの会話は実際には伏せ字にせなあかんことばかり。とにかくMIKIさんは僕にとって信頼できる兄さんやということでお見知りおきください。
(THE WEST AGROSのインタビュー記事はこちら)
MIKIさんと抱腹絶倒した翌日、東京は下北沢にある日記専門店「日記屋 月日」でディレクターをしている久木さんがご来店。髪色が明るくなっていて、パッと見て印象が変わっていた。久木さんは「蟹の親子」名義で文筆活動をしていて、年内には百万年書房からの商業出版が決定している。ここまで読んで、いやいやいやいや……お前つい先日、商業出版を貶しまくっていたやんけ、舐めてんのか!と前のめりに拳を握り締めた方々、そりゃあ早計に過ぎるというもんですぜ。物事はそんなに単純じゃない。これから出版される彼女の随筆集や今後の活動を目の当たりにすれば、この微妙なニュアンスの差異に恐らく気づいてもらえると思う。わからなければハイそれまでョ。久木さんとは膝を突き合わせて互いの魂を差し出すように腹を割って話をする。そうすることでかつては言語化されることのなかったモヤっとした塊がいつの間にか血肉に変わって自分の言葉で話せるようになる。途中、全盲の落語家、桂福点さんが自身の通う作業所「お気楽島」への帰りかたがわからなくなったとタラウマラに迷い込んできて、そのままどさくさに久木さんに向かって下ネタを開陳していたのは、まるでカフカの小説が目の前��展開されているみたいでズッコケそうになった。「人は誰しもエロいものですから」と冷静に切り返していた久木さんにもズッコケそうになった。その後、福点さんは作業所のスタッフに迎えに来てもらい、無事に「お気楽島」へ。ハットの上にちょこんと乗ったトレードマークの目玉おやじがいつまでもじっとりこちらを見ていた。引き続き久木さんと色んな話をしているうちに互いのバイブルが『冒険者たち ガンバと15ひきの仲間』だということがわかり、ふたりともテンションがぶち上がる。
(この本と出会わなければ確実にいまはない!)
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そこから久木さんの幼少期の思い出、幼稚園の園長先生が仕組んだコロポックル神話へと紡がれたところで思わず泣きそうに……。間違いない。やはりこの人とは目線が重なる。どうしたって僕たちは誰かの用意したレールにはうまく乗ることができないが、虚実の皮膜に畳み込まれた「ほんまもんの嘘」については心から肯定したいと願っている。ドブネズミのビルドゥングスロマンとか、コロポックルから届いた手紙とか、ぬいぐるみが食べ散らかした食卓とか、聖夜にベランダに放置されたトナカイのウンコとか、そういう弱者の領域とも形容できる素朴なファンタジーを信じることができなくなったら、そこで試合終了ですよ。予定ではクリスマス前後に届けられるであろう蟹の親子の新刊を、楽しみに待とう。
(蟹の親子さんの日記はこちらでも読める)
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tanakadntt · 11 months
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三輪秀次の小説(二次創作)
【4】
四 七月 古寺章平
E per me nuovo Capir nol so.
(初めてのことで、僕にもよくわからないのだ)
ウォルフガング・アマデウス・モーツァルト『フィガロの結婚「恋とはどんなものかしら」』
 スマホの音楽アプリに、有名なアリアをダウンロードするくらいには古寺の頭はおかしくなっていた。
 三門市も梅雨が明ける。もう夏が始まる。中三の彼にとっては受験生の夏である。しかし、塾の夏期講習はキャンセルした。
 ボーダーに入隊したのは二ヶ月前、ポジションは最初から狙撃手を選んだ。自分に合っていると思ったからだ。昔から、何事も遠くから俯瞰して眺めるくせを持っている。
 近界民侵攻から三年、仮設住宅にもようやく慣れてきた。壁は薄い、部屋は狭い。寒いと暖房が、暑くなるとクーラーの効きが悪いと母親はいつもぼやいている。男子三人を抱える家庭にとって、特に夏休みは母さん発狂案件だった。長期休みが来るたびにそろそろ新しい家��という話になる。
それは、三門を離れるか残るかという話でもあった。司法書士である父ならば他の土地でも仕事はできる。それでも、故郷の街を離れるのはかなりの勇気がいるらしい。しかし、この土地に住み続けるにはある一定の覚悟が必要だった。街が近界との境目に位置しているからだ。国と三門市からは住宅斡旋の補助が出ているが、再び住居を手に入れるにはまだ覚悟が足りない。そんな人たちが仮設住宅にはたくさん住んでいる。
 古寺はこの歴史のある街に愛着があったので、ボーダーに入隊することで、家族の気持ちを後押ししたい気持ちがあった。
 愛着があるだけではない。古寺には三門市を離れたくない理由が他にもあった。
 古寺には近くにいたい人がいるのだ。いま、離れたくない人が。この気持ちがどういうものなのか、彼は知りたい。
E per me nuovo Capir nol so.
 初めての気持ちで、古寺にもよくわからないのだ。
 だから、彼自身にもそれが恋だとか何だとかはまだ言えない。恋とはどんなものなのだろうか。
 作戦室目的で奈良坂を入れたと豪語するわりには、米屋は部屋に居つかなかった。相変わらず個人ランク戦に忙しい。
 作戦室はまだ備え付けのロッカーとテーブル、オペレーター用のデスクがあるだけの部屋だ。三輪はA級の部屋よりは狭いなと感じる。
 …やはり、狙撃手二人体制がいい。
 奈良坂は自分のノートを見ながら、そう主張した。やりたいことがいろいろあるらしい。
 三輪は奈良坂の意欲が嬉しい。一緒にあーだこーだ言っていると、大抵、米屋はもう個人ランク戦行ってきていい?と言い出す。聞いてないわけでない。理解したし了承したから、もういいだろうというサインだ。了承しなければ、要所要所で口を挟む。わかってきた三輪はあとで俺たちも行くからなと送り出す。それがここしばらくパターンとなっていた。
「で、目星はついているのか?」
「候補がいる」
 優しげな風貌だが、見た目に反して俺様であるスナイパーは胸をはった。
「それなら、まかせる」
 狙撃手のことは狙撃手に任せたほうがいい。それよりも、戦闘員四人体制のチームについて、考えることはたくさんあった。楽しい。楽しいだけではなく、問題もある。四人体制のチームは少ない。オペレーターに負担がかかるのだ。月見との細かい打ち合わせも必要だった。
「えー、俺はこれから辻ちゃんと戦うんだけど」
対戦ブースである。
辻新之助は二宮隊の一員である。その縁で、三輪もここ最近で知り合った人物だ。さすが二宮が選んだだけあり、かなり優秀なアタッカーである。控えめな印象を受けるが話せば明るくて人当たりもいい。コミュニケーション能力が高い人間であると思うが、何故か女性に対してはそうもいかないらしい。
「秀次と奈良坂にまかせるよ」
 奈良坂の推す狙撃手に会って来るのだが、と誘ったところ、案の定、米屋は個人戦を優先したいようだ。
「秀次だって、奈良坂に任せてるんだろ」
「俺はいいよ、米屋くん行ってきなって」
遠慮する辻に申し訳ないが、三輪と奈良坂では進む話も進まない可能性がなきにしもあらずだ。奈良坂には言えないが、三輪は奈良坂が自分と同類ではないかと思っている。つまり、コミュニケーション能力が低い側だ。
辻には詫び、三人で待ち合わせをしているというロビーに向かう。
 
何、このキラキラ感。
顔面偏差値の高い集団に囲まれて、古寺は赤面している。彼は年頃ではあるが、容貌についてはそれほど頓着しない。ましてや、ここは実力主義のボーダーである。これは、あれだ、あれ。教室で女子が読んでる漫画。アレのキラキラ感。読んだことはないのだが。
高いのはそれだけではない。戦闘力である。古寺の家にも積まれている小学生男子のバイブル的漫画(侵攻で一度焼失したが下の弟のためにサンタが去年持ってきてくれたものだ)で登場するアイテム、スカウターで測れば戦闘力は五十三万までは行かなくとも結構な値が出るのではと思わせた。
新人王である奈良坂は言わずもがな、A級隊員だった三輪、個人ランク戦強者の米屋、この三人が隊を結成したその日にはC級隊員に激震が走った。
B級ランク戦に再び波乱の予感だ。ランク戦を見たくて、ボーダー入りしたC級隊員は意外と多い。
その三人がなぜ自分に。
「話はわかりました。でも、なんで俺なんですか?」
「奈良坂が決めたから」
「奈良坂が推すから」
アタッカー二人は、奈良坂を見る。古寺も当然向いた。
「奈良坂先輩?」
奈良坂は表情を変えずに、首を少しかしげた。
「マップ」
「え」
「…合同訓練のときにマップを読むのが俺よりうまいと思った」
狙撃手は正隊員との合同訓練で三週連続で上位十五%以内に入ることにより、B級に昇格し、正隊員となる。夏期講習をキャンセルした罪悪感を消化するため、ひたすら訓練に励んだ結果、結構な速度で古寺はB級へと進んだ。しかし、特に目立つことはなかった。いまや狙撃手は人気ポジションであって次々と話題のスナイパーが登場するし、転向してくる隊員も多い。さらに不動の上位陣は常識外れなほどに技量が高かった。
奈良坂は上位陣の中でもトップに君臨する一人である。
光栄な話だ。二つ返事でひきうけたい。
でもでもでも。
古寺は未練があるのだ。
宇佐美栞は、古寺より一つ年上の風間隊のオペレーターである。今シーズンで風間隊はA級へ駆け上がった。正確に言えば、まだ、A級への挑戦権を行使していないが、おそらく、駆け上がるであろう台風の目である。
その立役者と言われるのが、高校一年生になったばかりのオペレーターだった。宇佐美だ。風間隊のコンセプトを立案し、その戦略に沿った人間をスカウトして実現した。もちろん、隊長である風間が主体だろうが、それを差し引いてもおよそ、高校生のできることとは思えない。
しかし、古寺は宇佐美らしいと思った。彼女ならば、お手のものだろう。得意分野だ。
宇佐美とは同じ中学で生徒会に在籍していた。彼女は改革者だった。彼女の手腕により、学校があっという間に新しい姿に変わっていく様子は恐ろしいほどだった。苛烈ではない。現状を肯定しながらも、いつの間にか現状自体が変わっている。
彼女が三年生の途中で、ボーダー入隊のために辞めてしまったのは、おそらく彼女の理想の形に変革し終わったからだろう。
「章平くんとは眼鏡仲間だね」
彼女と話していると、頭の中がきれいに整理されていくようだった。頭の良い人と話すとはこういうことかと、感心したものだ。
彼女と話すのは好きだった。彼女のことを天然と揶揄するものもいたが、理路整然としているのに、型にはまらない喋り方が心地よかった。
ボーダーに入隊した彼女を追うようにボーダーに入ったのは、思い詰めてではない。あの声をまた聞きたいとなんとなく、そう、なんとなく思ったのだ。なんとなく離れがたくて。
「章平くん、ボーダーに入ったんだ」
もちろん、宇佐美は古寺を覚えていてくれた。また、声が聞けて嬉しかったけれど。
それから先の感情は古寺はまだ知らない。意図的だろうか、おそらくそうに違いない。頭の良い人だ。現状を把握するのも上手い。そして、現状を肯定しながら操るのは彼女の得意分野だ。
やんわりとそこから先にすすむことは拒否された。何か態度に出たわけでもない。言葉はない。けれども、この初めての感情がそこでストップされてしまったのだ。
もちろん、今更、風間隊に入れるわけもない。
古寺は今、ただ途方にくれている。
古寺の葛藤は表面には出なかったようだ。
「マップ?」
「マップ?」
奈良坂の意見にアタッカー二人は、意外そうな表情をしている。
「マップは月見さんが担当だろう」
「それがいけないと思う。三輪も米屋も、マップが読めていないだろう」
「読める」
「戦術の問題だ」
「わかっている」
地図の読めない男だと言われた三輪は反論する。東にも、月見にも散々叩き込まれているのだ。急に喧嘩腰で喋り始めた奈良坂と三輪を目の前にして、古寺はこの人たち、仲いいなあと思うだけだ。
「古寺がビビってんじゃん」
地図の読めない男そのニがフォローに入る。
「いえ、そんな。皆さん、仲がいいんですね」
ありがたい話というのは別として、この仲良し三人のなかに自分が入ってやっていけるのか。
「大丈夫だ。別に仲がいいわけじゃない」
古寺の不安を見透かして、奈良坂が言った。
「こいつら、相性とか気にしないらしいから」
奈良坂の顔は端整すぎて表情が読めない。
「どうする?」
終わり
五に続く
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五 七月 三輪隊
三輪隊への入隊届を出した、その足で作戦室に向かった。初めて足を踏み入れた作戦室は殺風景だった。
案内するほどもない狭い作戦室の壁際に小さな机が置いてある。
「古寺くん、受験生でしょう。ここで勉強したらと思って」
月見は古寺に遠慮するすきを与えず、テキパキと椅子に座らせた。
「広さはどうかしら?」
「ありがとうございます」
「奈良坂から聞いた。六穎館だろ」
「はい、一応」
「スゲエ」
米屋が腕を後ろにまわしたまま、大げさに感嘆の声をあげる。奈良坂が気遣わしげに見てくる。彼は中学受験組だったそうだ。
地域一番校である六穎館高等学校の今年の入学審査が今までにない激戦であるのは周知の事実だ。
今年度の受験生が小学六年生のときに近界民侵攻は起きた。このため当時、中学受験を断念した者が多く、彼らのうち、県外に出なかった者は高校からの入学を目指す。さらにボーダー提携校になったことも非常に大きい。同レベルの高校を目指していたものが、六穎館に志望校を変更する者も多い。内申点四五/四五を誇る古寺であっても、本来ならば気を抜いていいものではない。皆の心遣いが嬉しかった。
自然と笑みが浮かぶ。途方にくれた、寄る辺のなさはまだあるけれど、それはそれで悪くないと思えた。
「がんばります」
「明日はここに学校が終わった��集合、打ち合わせをしながら昼。���日は、みんな、午前で学校終わりだろ」
「そうだっけ?」
「終業式よ」
「通知表、みんな持ってこい」
「なんで」
「確認するわ、成績は任務遂行の上でも大事よ」
「誰が決めたんですか」
「城戸司令」
「ホントですか?」
「夏休みかぁ、プール行きたい。今年オープンした市営プール、超いいらしいぜ。栞が風間隊で行ったらしい」
「風間隊!? 栞って、宇佐美先輩のことですか?」
「ああ」
米屋はこの展開に相当馴れているらしく、すぐに、ニヤリと笑った。
「宇佐美栞は俺のいとこ」
「マジですか〜?」
「俺はプールは行かない」
「泳げないんだろう」
「そんなことない」
「海もよくね?」
夏が来たのだ。
次のシーズンが始まる。
終わり
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shusdrift · 2 years
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嫌悪、憎悪、イデオロギー
僕は窪塚洋介が大好きである。卍ラインのファンであり、IWGPも全部見た。GOを視聴した後に某ワコマリアが全面的にコラボした凶器の桜を鑑賞した。
失敗であった。この世に生を授かり21年、ここまで不快な経験は指折りに数えられるものであろう。映画を鑑賞しただけで破壊衝動や不快感で埋め尽くされた感情に支配された感覚になる映画はおそらく凶器の桜のみである。現状は。
そもそも腹立たしいのは特攻服を着ているような街宣車に乗って中身のないくだらない俗称「右翼」と愛国者の定義を同属として作中内で語ったこと。時代背景的に、と一言で片づけてしまえば済むような描写ではあるが、自分は窪塚がGOのような素晴らしい在日朝鮮人についての作品に出演した翌年にこの様な配慮不足かつ歴史的な面を理解していないうわ面の胸糞映画に主演をしたのかも疑問はなはだしい。
と言うのも、本作とGOでの在日朝鮮人への思慮と配慮が両極端の極みであった事が根底の原因である。2001年公開の窪塚主演の「GO」では、在日朝鮮人ではあるが文化的で民主的な生活を根底として生きようとしている主人公像が掲げられていたが、翌年公開の「凶器の桜」では在日をひた隠しにした反社のボスが「在日朝鮮人」のステレオタイプとして演出されていた。一年という短いスパンで同じ俳優がこのような主演を交互にこなしていては疑問しか浮かばないのが大衆心理である。
この映画の最大の胸糞となるポイントは、思想を持って活動していた軍団の若者が誰も報われずに終わる点である。うわべや面白半分で思想を掲げていた物たちは半身不随や右翼とは上辺だけの政治結社をうたった反社に利用され40年の豚箱、そして家庭環境が複雑であった主人公は誰よりも思想が強かったゆえの死。結局は反社に利用されていただけであったが。
アナーキストに若いうちは幻想を抱いてしまいがちではあるが、よく言えば本作はその様な「民主主義にそぐわない考えを持っている者」を目覚めさせられるバイブルである。精一杯に皮肉を言っているが。
本作に私が苦言したいのは、設定が中途半端すぎたこと。そしてすべてが胸糞であり、だれがこの映画を好むのか、と言った原始的なものである。と言うのもこの様な中途半端な半グㇾとアナーキストが主題の映画で純粋な正義感を持った女子高生の役柄を出演させる必要性が存在したのか、そしてそのような純粋無垢な正義、言ってしまえば三島的な正義感を持った主人公と愛国者を自称した現代の反逆者(反社会のバカ)を同類にした必要はあったのか?
本当の愛国者を最大限に否定しつくした映画であり、愛国者=ヤクザ者と言った偏見を最も植え付けることに成功した映画だと個人的に感じられるために非常に不快な映画であった。
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pimuz · 2 years
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ときどきわたしは、包まれているとおもうことがある。自分でもなかなかうまく言えないけど、家族に、友人に、いのちに、地球に、たぶん包まれている。ほんとうになんとなくそうおもうけれど、顕著にそれを感じるのはたとえば、わたしが生まれた日だ。今年の誕生日はたぶん去年の誕生日より、ずうっとしあわせだった。あたたかい声を届けてくれるひとも、しあわせがぷかぷか浮かぶことばを届けてくれるひともいて、みんなのいのちにわたしのいのちが包まれているとふとおもった。あのしあわせをそっくりそのままお返しすることができなくて、わたしのしあわせを不器用に歪にこねて「はい!」って渡すことしかできないのがほんとうに悔しいくらいだ。
わたしの24歳の目標は普遍、って言いたいとこだけどたぶんそれじゃあ怒られる。そろそろわたしだって浅瀬でちゃぷちゃぷしていたいし、深海に住み続けるのはもうおなかいっぱいなのだ。怒ってくれるひとがいるのはしあわせなことだけど、ホットミルクが季語の世界に生きることを目標にしておこうとおもう。これを記してるいま、びっくりするくらい暑くってホットミルクなんて飲みたくないっていうのはないしょだけれど。ホットミルクが季語ってこれまた意味分からないこと言ってるっていうのは、わたしがいちばん分かっている。分かってるけど、マシュマロがひとつ浮かんだホットミルクが季語の世界に生きるわたしをどうかそっと見守っていてほしい。
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このTumblr、たぶんもう2、3年前に作ったんだよなあってぼんやり遡ってびっくりした。最初のほうのわたし、ちょっとこどもっぽ過ぎる。さすがに大人になったなあ。自分のTumblrを遡るのってちょっとはずかしいよね。でもこのTumblrのいちばんめに記してあるように、わたしのバイブルは幼少期から変わらずにいつだってシンデレラです。わたしはガラスの靴なんて、たぶん自分で取りに行っちゃうようなとこあるけど。なにをバイブルにしたって、あこがれてたって、わたしのものなんだからいいよね。
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manganjiiji · 13 days
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さあ、デュエルしようぜ。
オーイシマサヨシの新曲。良いです。全員聞いてください。それでもおそらく遊戯王の新アニメの主題歌なのだと思うのだが、こんなおとな向け(かつての子供向け)の歌詞で大丈夫なのでろうかと思った。私は1度もデュエル、したことないが、ニコニコ動画ベータ世代なので、未来へと攻撃表示だ!と言われると、体の底からわくわくしてきてしまう。友人に借りっぱなしの遊戯王の文庫版1~10を、送られた箱をあけないまま実家に置いてしまっており、数年が経過しており、友人とは疎遠になってしまい(というか私が意図して離れてしまい)、かなりやばいなと感じている。私と遊戯王とのきずな。そんなところにもある。元は友人の書いた遊戯王の小説同人誌を読ませてもらい、それがあまりにも良かったので私が原作も知りたいと言ったところ送ってくれることになり、しかしそのころ私の生活および健康および魂は壊滅していたので、直ぐに送られてきたその文庫版入りの箱は、数年間引越し先を転々とした後、ついに実家に安置されている。送り返さなければならないという意識はかなりある。それと共に、実家に行くことの困難さが物理面でも精神面でもどんどん上がってしまい、このようにして、友人から借りたものの、返せていない物ものが、実家にかなり堆積してしまっている。最初の本屋の職場の先輩から借りたと思われる『鋼の錬金術師』など、なぜ、という感じだが、押し入れに入っていたりする。もうどう足掻いてもこの人生では巡り会えない方からの借り物である。借りパクである。なぜ。なぜ私は、どうやって返すつもりだったのか。先輩の連絡先はいったいどこにあるのか。分からなすぎて泣きたくなる。もちろん、鋼の錬金術師のコミックスの一部を失って泣きたいのは先輩である。ちなみに、だから何かということではないのだが、私の「これぞバイブル」と思う漫画は、友達に貸したまま消えているものがよくある。とにかく今手元にないとだめだ!と感じたタイミングで新品を���ったりしているが、多くの漫画を手放してしまったり実家に置いていたりするので、そのあたりは全然頓着していない。他人から借りたものはかなり心を圧迫している。今すぐどうにかできない、なぜ今までの私はどうにかしなかったのか、それもまたわからない、すべては最悪な先延ばし癖と、「元気になったらやる」という思考が諸悪の根源である。元気になどならない。病気のまま全てをやるしかない。もう絶対に他人に本や漫画を借りたくない。返せないので。とはいえ、いま実家にあるものは、できる限り送り返そうと思う。実家との関係がある程度良好になり、自分の部屋の整理に行く事ができたら、今度こそ全てにかたをつける。そんな日は来る。確かに来る。これは自信を持って言える。
なぜなら今、母親と激しくバトルしている。と、までは言うことはできないが、母親に再教育を施している。いつもの「たまにくる母からのLINE」への逆ギレなのだが、これが回を増すごとに、核心へせまってゆく。去年の夏から始まった、私の母親および父親へのキレ、心情の吐露は、今回とうとう「あなた達は産んだ子供を育てるということをしなかった」という言語化まで進んだ。これはLINEとはいえ、私はよく言ったなあと、言ってしまったなあと思った。ああこれでもう母親からは完全に捨てられるな、とマザコンの私は数日暗い思いをしたりもしたが、それから返信があり、最終的に、「今からでもお兄ちゃんに何をすべきだったのか、今から何ができるか、夫婦でよく考えてみてください。」まで言った。言い切った。おい本当に、36になってまで、生家の人間とこんな根源的なやり合いを……自分の家庭も持てないままで……みじめだなオイ、と思うが、これが現実なので仕方がないのである。その後、その話題に関しての返信はないので、この話はこれで終わったものにされている可能性があるが、折を見てまたつつくつもりである。親の体が動くのもあと10年といったところ。このあたりで最後の嫌味もしくはキレをぶつけて、それで動いてくれたらラッキーだし、何も変わらなかったらそれはそれで、諦めもつく。何もかも今更な話題ではあるが、生きているならまだ取れる責任がある。私が押し付けられる「ツケ」を少しでも軽くしたいため、親にできることは少しでもいいから、してから死んでもらいたい。なんでこんなことまで私が促さないといけないのか、という思考を最近やっとできるようになったが(カウンセリングの成果である)、将来兄の面倒を見る際のリスクヘッジを少しでもしておきたい。将来というのは、親が2人とも寝たきりになり、施設に入った時のことである。予想では10年後。この10年が終わったら、私の人生も、いよいよ(親の)ツケを払わされる最悪のパートが来る。そう、カウンセリングの先生は、3月にて退職となり、4月からは新しい先生にお世話になることになった。本当に前先生には、心から、全身で、お世話になり、という言葉では言い表せないほど、快方に向かうお手伝いを長らく(2年弱)していただいた。深く熱く感謝。こんなにいい先生とはもう生涯巡り会えないと思う。運が良かったとしか言いようがない。大好きだった先生。どうか幸せでずっといてほしい。
今日はミュージカル「VIOLET」を友人と観劇。その前に、友人の誘いで、生まれて初めてダーツに興じる。もうめちゃくちゃおもしろかった。ただ、最後の最後に私の肘の神経?が異常を訴え、時間もちょうど良かったのでそこで切り上げた。折に触れ右肩から右肘までの経路に痛みと違和感があるが、むち打ちみたいなもので、安静にさせておく他ないだろうと思う。的の真ん中(BULL)には1回だけ当たった。投げ方は安定せず、コツを掴む前に終わったので、ぜひまた行きたい。ミュージカルは、東啓介さん(もう10年は前の話になるが、舞台刀剣乱舞で燭台切光忠役だった)の歌唱が、やっと私の納得のいくレベルに到達した!という喜びに包まれた、記念すべき日だった。東啓介、これくらいはできるだろ、のハードルが私はかなり高いのだが、そのハードル、今日越えた。私の中で越えた。なんていいことなんだろう。悔いなし、とまで思った。これだよ、この東啓介の歌がききたかったんだよ。そう、俺はこの日を待っていた。そういう日だった。他にもミュージカルにはいい所がたくさんあったが、全体としてはなんだかもやもやとした仕上がりになっていて、部分点は高いが総合点が低い、という感じだった。藤田俊太郎さんの舞台を立て続けに見ていて(ジャージー・ボーイズ、ラグタイム)今回だったので、予算の低さや規模感、アンサンブルというか脇役の歌唱の貧しさ、ストーリーの飲み込めなさ、演出の山の作り方など、様々な点で靄がかかっていたように感じた。事前情報としてのあらすじや売り出し方も、見終わった今となっては「?」がある。何がどうなってこうなったのかはわからないが、どこかでどうにかなって、なんかこうちょっと違和感や不満足感がたまってしまう造りになっていたように思う。それでも東啓介と今日の主人公の三浦さん(Wキャスト)の歌唱がよかったので、私が今でも東啓介を追いかけていなくてよかったなと思った(追いかけていたらリピートしてしまっていたと思う。チケット代は今の私に身分不相応な価格である)。もう1人のキャストの屋比久さんのバージョンも気になってしまう。ストーリーに最終的にそこまで納得感がなかったため、主人公の差で何か変わるかどうか確かめたい気持ちもある。それにしても立石俊樹さんの顔面がほんとうに美しかったな、という思いがちらちら脳内をよぎる。立石俊樹さんはA3!の茅ヶ崎至さんの役者さんでもあり、かなり、かなりわたしは顔面が好みである。染谷俊之ラインというか、高校でいちばん顔が好きだった女(3年時にはミスに選ばれた)も完全にここだった。とにかくこの顔に弱い。この顔に弱いわりには高校でいちばん顔が好きだった女は、吹奏楽部で同じパートだったため、毎日ガチギレして、無言のまま帰路をたどり、無言の圧により泣かせたりしていた。若気の至りであるが、私の怒りもまた本気だった。彼女とは最終的にいい関係を築き、社会人になってから腹を割って話し、お互いの青春の傷を慰め合うなどのエピソードも発生した。今ではどこかで幸せな家庭を築いている。高校の友人たちとは年に一度部活のメンツで集まる慣例があったが、コロナ禍とみんなの子育ての忙しさがかさなり、そこで途絶えた。独身組がどうしているのかとか、私は結構また集まりたいなと思うしいろいろ親になった人間とも話したいことはあるのだが、まあもう難しいだろうなと思う。みんなの子供が中学や高校生になる10〜15年後あたりに、声をかけてみるのはいいかもしれない。
らでんさんというホロライブのVTuberの方の美術に関しての動画が良かったので、今日はラジオの動画を飛ばしながら見てみた。こういう文化人もVTuberをやっているの、いいな、と感じる。私もバ美肉(バーチャル美少女受肉)して、日本史の講義とかやりたい。
結局本屋かなと思った。体力さえ続くなら、一生本屋がいい。体力が続かないために本屋をやめなければならない気がしているが、それってそもそもがマイナスな考えではないだろうか。屈強な肉体を手に入れ、死ぬまで本屋でもいいではないか。今日初めて、本気で、自分が書店を構えるとしたら、ということを考えた。今までは空想や妄想でそういう話をすることがあったが、今日は、それをするとしたら何年後までに何をして、ということを具体的に考えた。まず既存の書店で管理職(店長等)になることは経験として必須だとして、しかしそれだけでは個人書店はひらけない。「ふつうの」書店業務をこなすだけでは、独立系書店は成功しない(書店の実店舗というのは急激に消滅に向かう存在である)。立地や選書を工夫し、広報を工夫し、イベントを開催し、コーヒーを出し、それでも、厳しい世界である。私は正直ここで、本以外を売ってしまえばいいのではないかと思った。すなわち、アニメグッズ。天下のアニメイト様が出店していない場所で、天下のアニメイト様のおこぼれをちょうだいするというか、ムービック以外の商品を入荷し、アニメイトで売り切れててもあそこにいけばあるかも的な隠れ家風グッズ屋さんをかわいい内装で作る。ターゲットは20代女性。アニメイトの客層は中高生だし、小さな個人経営のグッズ屋ができたところで敵視はされない(あたりまえ)。20代女性オタクが欲するタイトルのグッズだけをメーカーから直で入荷する(もちろん、ムービック=アニメイトの商品は入荷できないが。いや、できるのか?)。あんスタならパティスリーというメーカーの商品を入荷できれば、それだけで商売が立ち行く可能性もある。ただし、都市圏ではこれは通用しない。新商品発売日に在庫が全て売り切れ、その日にはお客様の列は店から道路にはみ出してなお50mは続くであろうからである。新商品は発売日に売り切れでも、なんらかの再販の商品を常に買える、洒落た店内の(いわゆる映え)グッズ屋さん、女性向けコンテンツのみ取り扱いなら、ちょっとした「(女オタクの)心はずむ店」になるかもしれないし、そこに書店を併設すれば、コミックの売上は見込める。現在、書店の実店舗はコミックの売上が屋台骨である。独立系書店はコミックを置かないことが多いが、私はコミックが好きなので、やるとしたらめちゃくちゃコミックを置く店舗にしたい。あと絶対にめちゃくちゃ万引きが難しい店舗として犯罪グループに認知させたい。というか、万引きが難しい店舗として犯罪グループに認知させる事ができなければ、コミックを置くことはできない。個人の万引きではなく、そういう犯罪ネットワーク(おそらく情報交換の場や買取先)があり、書店はつねにそれと戦っている。最近はどんな犯罪も組織だなと感じる。個人の犯行ではなく、組織犯罪と戦わなければならない。または、個人で犯罪をする(犯罪で手に入れたものを個人で利益化できる)ような豊かな時代は終わったとも言える。実行犯として捕まる���は末端の切り捨て要員であり、彼らも貧困の中で、組織に搾取されている側の人間である。犯罪者に同情の余地はないが、そういうトカゲのしっぽがうじゃうじゃいて、そういうトカゲのしっぽを使う組織があり、その組織がどこかで「クリーン」なものへと姿を変え、私たちは犯罪に加担していると知らぬまま消費行動を通じてかれらに益をもたらしてしまう。最悪な世の中であるが、政府や与党の発言を見ていれば、そのような腐敗はこの世の中にいくらでも蔓延る隙があるだろうと思える。南無三。
とにかくジャンプラ、ヤンジャンなど集英社がアプリでがんがんインディーズ発掘に成功しまくっている今、ジャンプコミックスはまた勢いがある。他出版社も電子書籍のコミックス化で結構紙の本も売っている。ジリ貧ではあるが、どうしても紙で揃えたい漫画を、Amazonではなく実店舗で買っていただく。そのための仕掛けを作れば、コミックはまだもう少し書店を支えてくれると思う。どうしても紙の本は電子書籍に勝てない。なぜか。電子書籍はコストがほとんどかかっていないので、定価よりもかなり安く売ることができる。人は当然安いほうを買う。文字情報が載っているのが紙か画面かの違いでしかない。そして電子書籍は場所を取らないので、日本の住宅にぴったりである。本屋(実店舗)はなんのために必要か。それは勿論、本が好きで、本を売りたい人が、それを仕事として行うため。買いたい人は全然いない。いたとしても日本全国に散らばっている数少ない愛好家のため、わざわざどこか1箇所にある実店舗まで足を運ぶことはほぼ不可能。でも、本屋で働きたい人は溢れている。本を買うのも、本を売るのも一瞬だが、本は読むのにその何千倍もの時間がかかる。それが、ほかの小売や飲食と比べて、かなりのディスアドバンテージとなっている。もっと人間全員が本を読むようにならないかな。素敵な本をさ。
2024.4.7
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asada-santohei · 22 days
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AMラジオが2028年で終了? 思い出のAMラジオ関東5局の送信所を巡ってみた
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nagachika · 2 months
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なんでも魔女商会27 コットンのティータイム を読んだ
コットンがバイブルとしている「お茶のパーフェクト・ルールブック」を書いためしつかいねこテオとその主人のパティシエ魔女ミーシャが独立してティールームを開くパーティーに着るために質素なドレスのリフォームの依頼にくる。そこでコットンのお茶をのんだテオは「かんぺきなティーパーティー」の準備のためにコットンに数日間手助けをしてほしいと依頼し、コットンは大喜びでその申し出を受ける。ミーシャとテオのティールームですばらしい丁度品やお菓子でのティータイムを楽しみつつもなにかが足りないと感じるコットン。
一方シルクとナナはドレスのリフォームのアイデアに悩んでいた。そこにミーシャから学校時代の親友の作家魔女キャロルとの友情と、彼女が作家として成功した時のパーティーに参加できなかった後悔をきいたコットンがそのエピソードを伝えることでリフォームの方針が決まる。
ドレスを受け取りにきたテオはシルクの店でコットンのティータイムを楽しむなかで、「かんぺきなティーパーティー」に必要なものは「お茶とお菓子と友達」と気がつき、より親しみやすいパーティーにするべく帰っていく。
ティーパーティーにはキャロルは来てくれなかった……かと思いきや終わりぎわに雪山からやってきたキャロルはミーシャとの旧交を温めたのだった。
シルクがぽつんとふたりにきこえないように言う「コットンのお茶は、いつだって『かんぺき』よ」というセリフがエモい。
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qofthequinine · 2 months
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雑食
本はキリスト教のバイブルからマルキ・ド・サドから夜のみだらな鳥、仏典や葉隠、ドンキホーテや源氏物語、哲学はソクラテスの謂をものしたプラトンからカント、ハイデガー、そこから派生する戦後の哲学、挙句ドゥルーズまで行き、フーコーは書籍として購うには高すぎるから無理。ピンチョンも同様だが、ピンチョンは正直読む価値がないと思っている。チョムスキーやソシュールにたどり着きはしたものの、翻ってウィトゲンシュタインに戻ると、ロゴスの限界に到達するものの、そこを開くのはロゴスではなくポエジーで、詰まるところ自分の宝物はヴェイユの『重力と恩寵』である。「重力」と翻訳されているが、とどのつまり、「のしかかってくるもの」という意味だと勝手に解釈している。意味の広さを単語に託した。最近の日本文学で芯食ってるのは村田沙耶香とか川上未映子だと考えていて、村田沙耶香は現実に疑義を呈し、川上未映子はそれでも生きてるんだから、と引き戻してくれる。町屋良平の初期はただの青春懐古かと読み取れたが、最近の長編作品は危険物だ。読むと考えることをやめながら喰らってしまう。人間であるということと文学の中ではロゴスの囚人であることを突破しようとしているような。さらに、暴力描写の鮮やかさは美しくなく、純粋な暴力だ。で、それをただ笑い飛ばしてきた存在が町田康だと思う。町田康は面白すぎる。ただサービス精神がたくさんある。『ギケイキ』はもう爆笑ですよね。「インディーズの僧侶」とか彼にしか考えつかない。明治以降の文学は、夏目漱石の門下以外は、結局いまおじさんの苦労話を「それ本にしたらいいですよ!」とお世辞を言うぐらいの作品だが、いまのそう言うお世辞よりも作者の苦悩は深かった。池井戸潤や百田尚樹のノスタルジック・ポルノ感。端緒は司馬遼太郎だと思うが。SFも好きだけども、未来予想図にとどまる。で、日本のナンセンスなSFが、「日本しかできないやり方だなあ」と思うし、というか『竹取物語』はSFチックだ。だって宇宙人の話じゃん、あれ。社会哲学は全般的にあんまり好きじゃない。サルトルが社会哲学に頭を開くと、コミュニストになってしまった。社会哲学が機能したのは啓蒙主義時代のモン��スキューまででは?と思うし、そのあとの構造主義や抜け出そうとするベクトルとか、ここまで書くと翻ってガッチガチに固まったキリスト教から抜け出したかったルターやカルヴィンの宗教革命に戻る。哲学の母は神学だったのだ。体系にすれば、時代は巡る、としか申し上げられず、あとは中南米の混沌から真実らしさを紡ぐやり方は、素敵だなあと思う。意識の流れ手法を扱いきれたのはヴァージニアウルフだけで、あとはただの実験にしかならなかった。『ユリシーズ』の退屈。
グレゴリオ聖歌を参照してマイルスはモードジャズを演奏し、クラシックはWW2以降発達していないように思う。ガーシュウィンは頑張った。ジャズからロックへ、ロックはバンドの不満を訴え、フォークソングは叙情であれば、パンクは叙事だと思う。そこからだんだん発展して、今度はポップスに至るが、ポップスは聞いてて楽しいけどよく読むと叫びだ。アニソンは知らん。テンションコードマシマシの二郎系だと思っている。アイドルソングは……秋元康が何を考えてるか、ってことだ。マリリン・マンソンの後を継いでしまったのがビリー・アイリッシュだと勝手に思っていて、マリリン・マンソンは過激さゆえに嫌悪されたが、そこをうまいことやったビリー。しかし彼女はSheであるゆえになんぼでも何もかも言われている。テイラーはまあ、頑張ってね、としか。向井秀徳から確実にtricotに受け継がれたものはある。あとは優しさとしてヒゲダンが割と説法に近い音楽をやっていて、あとヒップホップは本当に、「今まで言ってこなかったけどよ」と中指を立てている。海外のヒップホップに関してはもうちょっと規模が大きいので抗争に近いかと思います。
いわゆるアート(この言い方が嫌いだ)は、今やスプレーアートが主流で、バスキアやバンクシーが音のしない反抗を示している。そもそも絵画作品は反抗的であり、ルネサンスでさえ、あの群れは過去への反抗、印象派は才能への反抗、そこからさらに美しさへの反抗。宮廷画家が異常に美しく書いた人物は、本当にその人が美しかったか、嫌味だったらしい。ピカソは現実を抽象化し、そのあとの抽象画は実験に実験を重ね、ダダイズムの一派はどちらかというと実験するあまり本質はなかったように思う。岡本太郎は本質があったかと。で最近は美術にトマトソースかける、みたいなやつがあるけれども、別段それを岡本太郎がやられたって怒ることはないだろう。彼の作品を見に来た男の子が転んで壊したとき、岡本太郎は「いずれなくなるからな。仕方ないよ」と。
映画は語れば終わらなくなる。では。
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ryotarox · 4 months
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(The Crown - Lord Mountbatten sings "The Road to Mandalay" - S03E05 - YouTubeから)
Netflix「ザ・クラウン」マウントバッテン卿(演:チャールズ・ダンス)の朗読するキップリング「マンダレー」
ザ・クラウン (ネットフリックス) - Wikipedia
S03E05"クーデター" イギリスは貿易赤字と財政赤字に苦しみ、ウィルソンは軍事費削減に抵抗するフィリップの叔父の国防参謀総長ルイス・マウントバッテンを更迭する。1968年、デイリー・ミラー紙社長ら保守派はクーデターを企み、マウントバッテンを仲間に引き入れる。競走馬の育成に夢中になり、ポーチーと共にアメリカやフランスを訪問していたエリザベスはウィルソンから連絡を受けて帰国し、マウントバッテンを叱責して姉のアリス王女を見舞うよう示唆する。 ルイス・マウントバッテン: ビルマのマウントバッテン伯爵、フィリップ王配の叔父
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ラドヤード・キップリング - Wikipedia
(Joseph Rudyard Kipling, 1865年12月30日 - 1936年1月18日) イギリスの小説家、詩人で、イギリス統治下のインドを舞台にした作品、児童文学で知られる。ボンベイ (ムンバイ) 生まれ。 キプリングの評価は時代ごとの政治的、社会的環境によって変わり[6][7]、20世紀中にも対称的な見解が見られ[8][9]、ジョージ・オーウェルは「イギリス帝国主義の伝道者」と呼んだ[10][11]。 評論家のダグラス・カーは「未だ解決されない、文化と文学の歴史における心情面の距離や彼自身の位置について触発させる作家である。しかしヨーロッパ帝国主義退潮の時代では、帝国の行跡についての議論での好適な通訳者と見なされている。加えて彼の残した作品への評価の高まりが、その再認識を必要とさせている。」と述べている[12]。
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ミャンマーで植民地時代の詩暗誦の英外相、大使が「不適切」と制止 - ロイター 2017年10月2日
外相は、ヤンゴンの寺院シュエダゴン・パゴダで鐘を鳴らした後、キップリングの詩「マンダレー」を暗誦し「寺院の鐘が言っている。衛兵よ、戻っておくれ」などの箇所を口ずさむ場面がテレビカメラに映された。 この詩は、植民地時代の英国兵と現地の女性の恋愛が詠われた内容で、暗誦が続くにつれ、アンドリュー・パトリック大使が「マイクが入ってます。適切ではありません」と制止した。
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<ミャンマーで今、何が?> Vol.44
02:キプリングのビルマ滞在はたったの3日間 キップリングはインドのカルカッタ(現コルカタ)から日本へ向かう途中3日間だけビルマに立ち寄った。1989年3月のことである。その一日をモールメインで過ごし、そこのチャイッタラン・パゴダから夢想して“マンダレー”という詩(バラード)を書き上げた。 これが今でも有名な “Road to Mandalay(マンダレーへの道)” のバラードで、イラワジ川の主にバガン-マンダレー間で多くの欧米人旅行客をひきつけている豪華客船の運航会社の名前でもある。その経営は、豪華な汽車の旅を演出し、ヤンゴンのシックなガバナーズ・レジデンス・ホテルのオーナーでもあるオリエント急行鉄道会社である。 この“Road to Mandalay(マンダレーへの道)”という言葉はキプリングを離れて、すでに一人歩きしている。キプリングはマンダレーやアッパー・ビルマまで足を伸ばさずにこのバラードをものにしている。繰り返すが彼のビルマ滞在は生涯たったの3日間だけで、その訪問地もロウアー・ビルマに限られていた。』 話が脱線したが、英国にはもう一人強力な助っ人がいる。ジョージ・オーウェルだ。 彼もインドのベンガルに生まれ、名門イートン校を卒業すると、警察官として英領インド帝国ビルマに赴任するため、1922年10月27日リバプールのバークンヘッド港からP&Oの一等船客としてスエズ・紅海・インド洋・コロンボ経由で、11月27日ラングーン港に到着した。1927年7月14日までの5年間、マンダレー、メイミョ(ピンウールイン)、ミャウンミャ、トゥワンテ、ラングーン、シリアム(タンリン)、インセイン、モーラメインの9ヶ所を赴任して廻った。 そのあと、パリやロンドンを放浪したが、ジョージ・オーウェルの最初の小説「ビルマの日々」がなんと言ってもミャンマー訪問のバイブルとなっているが、「象を撃つ」など当時のビルマ題材とした小説も多い。そして最後の小説「1984年」が未来の管理社会を描いているとして有名 …』
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1977records · 5 months
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The Subculture Diary 2024
[Publisher] Museum Of Youth Culture [サイズ] 148 x 210 x 16mm [ページ数] 192ページ [発売日] 2023年12月01日(予定)
限定500冊 
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価格:円 (with tax)
受注締切:12月8日(金) 23:00 発送は12月下旬に発送予定。
ダイアリー表紙はKTBとMODの2種類のカバーがあり、中身は同じ内容です。
サブカルチャーダイアリーは、過去100年間に記録されたユースカルチャーの新しい写真や思い出、そして予定やミーティング、パーティーのためのスペースがたくさんある完全な2024年のカレンダーとともに、より良くなって帰ってきた。
このポケットサイズのユースカルチャーのバイブルは、象徴的なサブカルチャーの写真で彩られ、新年の重要な日付や、世界中のユースカルチャーをたどる数十年前の日付が掲載されており、社会史の力をあなたの日常にもたらします。また、その年のフェスティバルやスポーツのスケジュール、最も象徴的なムーブメントの写真家や人物の言葉も掲載。ロッカーズからグライムへの変遷を、あなたのイベントや記念日と合わせてお楽しみください。
丈夫なA5判ソフトバック・カバー。
ユースカルチャーミュージアムでデザイン、研究され、その利益はすべて後世にインスピレーションを与えるための保存と教育活動に使われます。
以下のような象徴的な日付を特集しています:
2019年1月5日-グレッグスがビーガンソーセージロールを発売 1994年5月1日 - 刑事司法法デモ行進と暴動 1972年6月19日 - スペアリブ創刊号が書店に並ぶ 1994年9月 - リンスFM放送開始 1989年12月17日 - ザ・シンプソンズ初放送
*UKでの2024フェスティバルのスケジュール *Museum Of Youth Cultureがセレクトした過去のSubcultureのトピック記載 *Museum Of Youth CultureはNPO(非営利団体)でダイアリーの収益は常設のMuseum をロンドンに設立する為の基金になります。
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lamf---p · 6 months
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HOME WORK: Handbuilt Shelter (English Edition) Lloyd Kahn
父が、改装中の実家で不要になった流し台と乾燥機が使えなくなった洗濯機を こちらに持って来てくれて、そのまま金曜日からこちらに滞在しているのだが、 なんでも、家の前に流れている小川の石を実家の庭に敷きたいらしく、 ここ数日そのための石拾いをブーブー言いながら手伝っている。
先日、気長に待つことにする、と書いたが、思い直して、 ずっと読みたかった本を読みながら、"楽しみに"待つことにした。
父が朝の石集めをしている間に朝食を作る。 食べ終わって、父がチビ達を風呂に入れてくれている間に お目当ての本を探す。
“セルフビルドの父”、ロイド・カーンが、ヒッピー必読&必携書として 今も尚語り継がれる『ホール・アース・カタログ(Whole Earth Catalog)』※1の シェルター部門で編集を務めたのち、自身が創設した出版社 「シェルター・パブリケーション(Shelter Publication)」から1973年に出版し、 30万部以上刷られた”セルフビルドのバイブル”『SHELTER』。※2。 ※1 現在オンライン無料公開中 ※2 現在は廃盤
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2004年に出版された、 『SHELTER』の続編『HOME WORK: Handbuilt Shelter』。
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2012年に出版された『TINY HOMES: Simple Shelter』と 2017年に出版された『SMALL HOMES: The Right Size』。 いずれも、手づくりの小さなセルフビルドハウスと そこに住む人々の家に対する哲学を1300枚以上の写真で紹介している。
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2020年に出版された、 カリフォルニア州北部にある約0.5エーカーの土地で、彼と彼の妻レスリーが 46年に渡って行った自宅のセルフビルドと、庭の設立、そして技について、 500枚以上の写真とともにまとめた書籍『THE HALF-ACRE HOMESTEAD』。
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ここら辺のを読んでみたいな、とAmazonを見ていると、なんと、 HOME WORKの英語版だけ、kindleが出ていた。 迷わず購入し、早速読み始める。 そうこうしてる間にチビ達が風呂から上がり、あっという間に9時。 私は防災訓練のため地区の集会所へ向かった。
集会の終わりにIさんが私のことを紹介してくれたのだが、 犬、という言葉を聞いた途端、皆が口々に、 あの犬2匹連れた上半身裸の人だいっちゃ〜 と、父はここ最近の石拾いで少し有名になってた。笑
Sさんも来ていて、土地の件もOKとのことで、 自分の住処を自分で作るという夢がいよいよ現実味を帯びてきた。
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shukiiflog · 6 months
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ある画家の手記if.89 告白
『大トトロと中トトロと小トトロに会ったよ』
香澄が帰ってしまってから、年末まであと数日。
ケータイの待ち受け画像になってるぬいぐるみと香澄のツーショット写真をじっと見る。 喜んでくれたみたいでよかった。
普段は働いてる成人男性が持ってたらよさそうなネクタイピ��とか時計とか万年筆とかをあげてるから、ぬいぐるみは子供っぽすぎるかなって思ったりもしたけど、香澄はうちのかいじゅうくんと仲良しだし、やっぱりあのいぬでよかった。並んで写ってたら香澄の白い肌や髪の毛がよく映えて綺麗。 本当は仔犬か仔猫を飼ってあげたいと思ったりもしたんだけど、僕らは日中は二人とも働きに出ちゃうから動物の世話はできないかなと思って、それでぬいぐるみにした。 住んでるマンションはペット可で、それも大型犬とかちょっと変わったペットでも脱走なんかに気をつけて飼えばいいみたいだったから、いずれ本当に動物とか香澄と育てられたらいいな。 今は僕と香澄の二人の生活だから、一緒にいないときはお互いに家ではひとりぼっちになる。 僕はもともと一人の生活が長いからそれで平気だけど、香澄が一人の時についててくれる強い番犬がいてくれたら頼もしいな。 『ぬいぐるみ、絢も直人に似てるって』って香澄からきたときはちょっとびっくりした。いぬ…僕と? 『次に会うまでに名前を考えてあげてね』って返した。 会いたくなっちゃうからなるべくスタンプだけとか一言で短めのやりとりだけして終わらせるようにしてる。
年末年始の旅行のプランは今回は香澄が仕切ってくれるみたいだったから、僕はそれまで大した準備ができない。 せめていいプレゼントでも見つかれば買おうかと思って、仕事着のスーツを着てコートを羽織ってホテルを出る。今日は天気のせいかちょっと左脚と肩あたりの調子が悪いから、腕に杖を引っかけて持った。 部屋はスイートから元の一人部屋にまた戻してもらってる。
クリスマスが過ぎてしまったら街は完全にお正月に向けての色に塗り変わっていて、みんな切り替えが早いなぁ。僕はまだ香澄と一緒に過ごしたクリスマスの余韻から抜けきれてない。 余韻でとめておいてあんまり細かいところまで思い出さないようにしてる。何度思い出しても恥ずかしい… 言わないできてたことだだ漏れになって香澄に知られちゃって、普段ならあんなこととてもじゃないけど言えない、引かれそうだと思ってたけど香澄はなんか嬉しそうだったような…? …やめておこう。一人ですることになるのは嫌だし。
デパートの中を特に目的もなく物色して回る。 香澄と一緒にくれば服とか靴とかいろいろ選ぶのも楽しいけど、僕一人じゃすることもないし味気ないな…。 情香ちゃんが香澄のところに時間見つけて行ってくれてるみたいだからお礼になにか買いたい…んだけど、似合いそうな装飾品とか小物とか靴とかあげてもまったく喜ばれなくて、僕はいまだに情香ちゃんを喜ばせるポイントを知らなかったりする。人の気持ちや物を粗末にはしないから、使ってはくれるんだけど…。 付き合いが長いから、変にチープな安いキーホルダーとかをあげたら喜ばれるというか面白がられるのは知ってるけど、この建物の中にそういうものはなさそうだし、チープだったら全部ツボに入るわけでもない。パーキングエリアで売ってるようなのが一番ウケがいい。 そういえば香澄から絢と二人でおそろいのパジャマ着てる写メが送られてきて、かわいいなぁと思って見てたら瞬時に情香ちゃんから僕に『かわいい』って一言送られてきた。 伝えたいことなら情香ちゃんは香澄本人に直接送信するだろうから、僕だけに送ってきたってことは同意を求められてる…って思って、少し笑ってしまった。ほんとに香澄が好きだね。 『そうだね』って僕も一言だけ返した。
付近にいくつかある本屋の中で僕の好きな本がありそうなお店に入る。 人気作家の新刊とかは置いてないけど、バイブルのように読み継がれてる文学とか画集とかが棚に並んでる。 僕が仕事で教えてるのは実技だし、実際はなにも教えたりなんてしてないに近いんだけど、生徒たちの中には勉強熱心な子もいて、絵画論とかの話をたまに振られたりもする。 そういうのは僕じゃなくて冷泉みたいな美術史の先生と話したほうが面白いと思うけど、ちょうどホテルには何も本を持ってこなかったし、買って少しは僕も勉強しておこう。
結局本を数冊買っただけでお店を出て、街の中を歩き回る。年末にさしかかって人通りが多い。 遊園地では香澄を見てれば酔わなかったけど、今はどこに焦点をあてようか迷って少し酔いそうになる。 人混みをすり抜けてひらけた公園に出た。 薄曇りの空の下でベンチに浅く腰かける。体に負担をかけないように右手で買った本を開いて読み始める。 しばらく読んでたら同じベンチの僕が腰掛けてる位置から遠いところに、一人の女の子が座った。 艶のある黒髪を三つ編みにしてる、俯いたら三つ編みが顔の横で揺れた。 家族と一緒のようでもないし、荷物ひとつ持ってない。この辺に住んでる子かな。 僕が本を閉じてベンチから立とうと思ったときに、女の子から急に声をかけられた。 「人間を高次に導くのは見返りのない積極的な消費だと思う?」 「…………え。」 一瞬ほんとうにその子が発した言葉なのか疑った。冷泉が言いそうなこと言ってるけど…今のって僕に聞かれた、んだよね… しっかり僕のほうを見て目を合わせて言ってるし 女の子は僕が持ってる本を指差して言った。 「その本よんだんじゃないの?」 「……まだなんだ。さっき近くのお店で買ったばかりだから」 「そういう本がすきなの?」 「分からないな…この手のことには詳しくないし、よく知らないから」 「なにもしらないのに急にバタイユ買ったの?」 女の子は僕のいるほうに向かってベンチに両手をついて身を乗り出してきた。馬鹿にしてる感じのニュアンスじゃないな…ものすごく興味深そうに大きな目で僕をしげしげと見てる。瞬きのたびに黒くて長い睫毛がパチパチ大げさに開閉する。 中学生か、背丈だけならまだ小学生くらいに見える… 通じるのか分からないけど、ちゃんと返事をする。 「この本にはマネについての絵画論もあるみたいだったから、バタイユは名前しか知らないけど絵画論だけでも読んでおこうかと思って」 「絵がすきなの?マネってエドゥアール・マネのこと?」 間髪入れずに質問がくる。ベンチに座って地面から完全に浮いた両脚を交互に揺らしながら。目がキラキラしてる。親御さんがこういう学問を教えてるとかなのかな…? 僕はベンチから立ち上がってコートの埃を払った。 「今は学校で教えてるだけで、特に好きではないかな…。マネの絵ならアスパラガスのが好きだよ」 「せんせい! 絵のせんせい?」 女の子はスカートのポケットから取り出したスマホを素早くいじって僕に画面を向けた。カメラロールにたくさん四角い箱の写真がある。 「これぜんぶわたしが作ったの。どうおもう?」 以前はこういう、作品への意見を求められるのは相手が子供でも関係なく苦手だった、僕に言えることなんて特にないから、僕ならこうする、ってくらいのつまらないことしか言えないし。 でも最近はそういうことを仕事で言わなきゃいけないことが多くて、少し慣れてきたというか、…どこかの誰かみたいに無神経に一蹴して笑い飛ばすような横暴な真似はさすがにしないけど。 写真を拡大したりしてちゃんと見る。箱の中にいろんなものが綺麗に配置されてる。箱の中の小宇宙…小さな箱庭ーーーージョゼフ・コーネルを思い出した。ボックスアート…作風がよく似てる。 「……君はコーネルを知っててこれを作ったの?」 女の子は首を傾げながら呟く 「…その人はしらない…。」 「知らないで作ったんならバランス感覚がいいね。どうして箱の中に入れようと思ったのかな」 仕事のおかげで絵や作品に関するやりとりが結構スムーズにできるようになった。 女の子は僕のほうに掲げて見せていたスマホをポケットにしまいながら言った。 「いやなものは箱にいれてとじこめておいたらいいかもって。大事なものもしまっておけるし」 「………。」 閉じ込めておく、か… 「父はわたしの箱をガタクタって言って捨ててた」 「ガラクタも美しいよ」 「なるほど。そうかもしれない。…えっと…」 言い淀むその子に名乗る。 「直人。名廊直人、です」 「なおとくん。わたしは光。Lumièreって意味の。」 こんな小さい子にくん付けで呼ばれたの初めてだ。lumière…ってフランス語か、懐かしいな。絢も英訳と仏訳でこれから仕事するって言ってたっけ。 「光くんは今日はお父さんとお母さんは一緒じゃないの?」僕もくん付けで合わせてみる。 「…うん」 ひと呼吸おいてから彼女は続けた。 「いっしょに買い物にきたんだけど、夫も息子も迷子になっちゃったからここで待ってるの」 それはつまり君が迷子なんじゃないかな…    夫と息子?!
「いた!!!!!」
遠くから綺麗に通る聞き慣れた声がしたと思ったら、絢だった。いつの間にか睫毛も金色になってて、ますます���の王子様みたいになってる��� 駆け寄ってくるから僕のことを言ってるのかと思ったら、絢は走り寄ってきて彼女の前に片膝をついた。 絢は光くんの首に自分のマフラーを巻いて、片腕に持ってた彼女のものらしい小さなケープコートを彼女の肩にかけて前を合わせてる。 光くんは絢の髪の毛を撫でながらにこにこして僕に言う。 「この子が迷子の絢。わたしのむすこ。」 「光さんが迷子ね。またなんか追っかけられた?どっか怪我とかしてない?」 「しつれいな。わたしはそんなにドジじゃないぞ。」 まじめな顔した女の子に絢は笑ってから、僕と彼女を見比べて難解な顔をした。 「えーと…これどういう取り合わせ?直にぃはここで何してんの」 「僕は買い物にきただけ、そろそろ帰ろうかと…」 僕をじっと見ていた彼女が急にくるっと背後に振り向いた。 低いフェンスを跨いで公園に入ってきた人のもとへ光くんが走り寄る。嬉しそうに笑いながら彼の手を引いて絢と僕のところまで戻ってくる。
彼を知ってる
一年前のちょうど今頃 突然居なくなった香澄 クリスマスに香澄から紹介された「兄でも親子でも夫婦でもあるような関係で 父親がわり」 絢を引きとってくれた人 僕は絢を信頼してるし、僕よりよっぽど人を見る目があるから その絢が信頼している人 絢の…家族 「ーーーーお久しぶりです。絢がそちらでお世話になっていると聞きました。込み入った事情のある家からこの子を連れ出してもらえたことを感謝しています」 ……他にも聞きたいことや言いたいことはある。って前に情香ちゃんに話したら「それは私に任せてお前は何もするな」って言われた。確かに一年前の僕ならもうここで警察がくる喧嘩沙汰になってるだろう。 昔はそれでよかった。今はそれではだめだ。守りたいたくさんの人も同時に傷つける。 「いえ 僕は何も」 短くそれだけ言った彼の片手を光くんが手遊びみたいに握って、自分の小さな両手で包んで白い息を吐きかけてあっためようとしてる。彼の長い前髪が冷たい12月の風に少し浚われていく。 目線がちょうど同じくらいで逆に少し首の据わりが悪い。だいたい僕より小さい他人の目を見て話すとき、少し顎を引いて俯きぎみにするのが癖になってるから。 彼に…僕がここで今伝えたいことはなんだろう 「………どれだけ助けたくても…僕にできることが何もなかったとき、香澄とあなたが助けてくれた。絢は聡明な子だから、どうにか僕が匿って養えたとしても僕と居ては苛立たせるばかりでしょう。…僕でなくてよかったと思っています、絢の新しい家族が。」 僕の隣にいて僕を見ていた絢の頭を撫でてから、コートの内ポケットから名刺を一枚取りだして笑顔で彼に差し出した。 「何かお力になれそうなことがあればいつでも連絡してください」 彼が名刺を受け取ろうとする前に僕と彼の間を光くんが踊るように素早くすり抜けて、僕の手から名刺を掠め取った。 「ありがとうございます」 名刺を読んでる光くんを置いといて彼のほうが僕にお礼を言った。 「あいにく今日は名刺を持ち歩いてなくて。お渡しできず申し訳ない」 「いえ…そちらの連絡先が明記されたものを僕は持っていないほうが絢に…「ほんものの絵のせんせいだ!」 彼のまわりをくるくる回って三つ編みとケープコートの裾を宙で衛星みたいにひらひら揺らしながら、光くんが名刺を見て大きな目をさらに大きくした。 「光も挨拶した?絢の母ですって」 「ううんまだ」 光くんは彼の隣でピタッと回るのをやめて僕に今さら丁寧に深々と頭を下げた。小さくてまん丸な頭が地面につきそうなくらい眼下に見える。 「絢の母です。このひとは雪村真澄。わたしのだんなさん。なおとくんは絢の友だちなの?」 これって迂闊に答えていいことなのかな。どうやら光くんは本当に彼の妻で絢の母親らしい。結婚できる年齢よりは上なのか、今は婚約だけしてる状態なのかな。家族なら絢の事情も知ってるかな。 「僕は絢のいとこのお兄さんだよ」 「ほう。つまりわたしのとおい義理のむすこ。」 謎の結びつけられ方で僕は光くんの義理の息子になった。
そのまま立ち去る彼に絢も光くんもついていく。 絢は通り過ぎざまに「Elle est ma mère, Vraiment.」って僕ににやっと笑って言っていった。 光くんは後ろ向きに歩きながらにこにこ笑って「バタイユよみおわったら感想おしえてね」って言ったと思ったら彼の長いコートの裾の中に素早く潜りこんで見えなくなった。コートから小さな手だけがにゅっと出てきて、僕に手を振ってる。
見えてないだろうけど、僕も笑って小さく手を振り返す。 僕は去っていく三人の後ろ姿を見送ってから、香澄にメッセージを送った。
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jun-kabasawa · 7 months
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ライター樺澤潤の受賞歴、書籍・執筆・書評 
ライターとして自称活躍している樺澤潤の受賞歴、書籍・執筆・書評です。
Amazon.co.jp_ 樺沢潤だ「この本を読むな!」_ 心が病んでいる人だけ見ればいい (樺沢潤ブックス) eBook _ 樺澤潤, 樺澤洋, 樺澤泉, 樺澤繁樹, 樺沢節子, 戸沢直也_ Kindleストア
【書評】
最悪のサービスだ!できる人は超短眠! 堀大輔
田淵正文コロナ医師のセミナーのゲストスピーカー
田淵正文さんの癌を克服する思い、自身の半生とともに。中目黒消化器クリニックにも行きました。
永ちゃん、なんで最初の奥さんを捨てたんだ!?
私、樺沢潤は坊屋に似てると言われたことが、、作品、出し過ぎ
お前に出会って
樺沢潤から樺沢紫苑先生に「アウトプットの達人」
樺澤潤ですので買わせていただきました!
私、樺澤潤も登場!「営業担当が起業して失敗する時」
記念すべき決算書伝説!樺沢潤もここから始まった!
9話に私樺澤潤出演。さらに経営していたフレンチカフェも撮影提供
自分に負けそうになった時に読み返す「強い親父」みたいな本ですね!
大松イズム根性論を私、樺沢も受け継ぎます!
樺澤哲よ頑張れ!(親族 樺澤潤)
樺の苗字である以上、他人事ではない
樺沢紫苑は樺沢潤の師匠格
坂本龍一教授は私、樺沢潤にとって不滅です!
決算書シリーズは私樺澤潤が本当の火付け人です!
樺沢亦蔵は最高だ!読者の樺沢潤も大笑いww
黄昏流星群史上、最高傑作!
フレンチカフェを私(樺沢潤)も経営していたので・・
大畑史斗レビューみて旧友の樺沢潤は読みました!
私、樺澤潤は樺澤貴子さんの親戚ではないけれど
私、樺沢潤が推薦の「樺沢城」
樺繋がりの樺澤潤のバイブル
私、樺澤潤は樺澤薫さんの親戚かも!
樺沢潤、樺沢のシャチハタを買いました!
るるぶ取材で樺澤潤インタビュー号
池井戸潤と樺沢潤て似てますか?w
タオラ―の私、樺澤潤は健康PARTY体操を監修の1人、樺澤茉宝さん繋がりで
樺澤潤的にアウトプット!
【起業家グランプリ 日本一を受賞】
【魚拓】大挑戦者祭2006レポート - 起業・独立ならドリームゲート
【魚拓】髪の毛が気になり始めた春・・ (抜粋)|耳そうじの常識が変わる@絶好調男が行く
【魚拓】熱血!情熱!日本一頑張る男!|耳そうじの常識が変わる@絶好調男が行く
【コラム】
群馬県の英雄 樺沢潤は世界のKABASAWAに/楽天 三木谷社長と樺澤潤社長の友情 - 楽天ブログ
世界の樺沢潤 _ 樺澤潤の都市伝説
樺沢潤の生前葬
樺澤潤の証明
樺沢潤てどんな人?
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moja-asia · 8 months
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映画『峠 最後のサムライ』レビュー。みなけりゃ良かった
この映画も昨年、トップガンと同時に追い出された映画。 原作は言わずと知れた司馬遼太郎の『峠』 主人公は長岡藩家老・河井継之助。僕がこの本を読んだのは二十歳くらいだったろうか。この作品で初めて河井継之助という名前を知り、そして同時にこの作品が僕の人生のバイブルとなり、以来、河合継之助の生き様を灯(ともしび)として来た。 それゆえにこの作品を見るのをどれだけ楽しみにしたことか。だが、実際に映画をみてがっかりだった。そもそもこの映画のタイトルを「峠」にする必要があったのだろうか? 原作の峠は、文庫本で上下巻にわたる長編である。そもそもそれを2時間におさめようとしたことに限界があったんじゃないのか? この映画は原作を読んでない人にとって、全く意味がわからんかったことだろう。これならタイトルは「河合継之助」か「戊辰戦争」で十分だ。 だがこの映画では河合継之助の事も戊辰戦争のことも何もわからんだろう…
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9u8n · 8 months
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DJについて/何度失敗しても諦めずに続けるべきかどうかの話
最近DJの練習をしてる。
きっかけはVRChat(これについてもいずれ書きたいなと思ってる。書くとすごく長くなりそう)で仲良くなったフレンドの方(以後Aさん)に
「DJやってるなら聴いてみたい」
と言われたこと。
クラブとか外では一切やってないしDJのプレイを配信したりしていないので、10年くらい前に作ったDJ mixをmixcloudのアカウントを取って公開した。
AさんはDJできるなんてすごいです、と言ってくれたけど、俺の気持ちとしては正直こんなレベルのミックスで申し訳ないと思った。
先日、Aさんの友達のBさんと俺の3人でVRCで会った。その際、BさんのDJをVRC上で聴かせてもらった。
BさんはアニソンのDJ。お手並み拝見とばかりにじっくり聴かせてもらったけど繋ぎもスムーズで上手いと思った。
mixcloudにDJ mixをアップしたこと、BさんのDJを聴いたことでDJ熱が再燃してきた。
それとほぼ同時にYouTubeでレコードオンリーでDJをする動画をアップしているチャンネルを見つけた。
90年代のヒップホップやSP-404でローファイ系のパフォーマンスをしたりと俺の好みに合う動画が多かったのでチャンネル登録した。
その中で、90年代のヒップホップで1時間程度のミックスをしている動画があった。
手元もよく映っていたのでどうやってミックスをしているのかをじっくり見た。ヒップホップの繋ぎ方を勉強したいと思ったからだ。
少し話が前後するけど、俺は自分のDJの技術に全く自信が無い。
というか、言葉を選ばずにどストレートに言えばクソ下手だと思ってる。「DJやってます」なんて言うのも恥ずかしいくらいに。
長くなると思うけど、俺の考えてることをこれを見てくれてる人に伝えたいので書かせてもらう。
DJをやりたいと思ったのは中2の時だった。
元々作曲をやりたいと思ってたんだけど、当然知識もなく、ピアノ弾けたり絶対音感がなきゃ曲なんて作れないんじゃないかと思って、作曲はハードル高いなと思って諦めた。
でもDJだったらそういう知識は要らないだろうし自分にもできるんじゃないかと思ってDJを始めることにした。
当時、ダンスマニアやスーパーユーロビート(SEB)のCDを聴いていて、曲を繋ぐことで曲を単体で聴くよりもさらにアガるし、曲の繋ぎ方によってそのDJのカラーが出せると思い、曲を繋ぐ(ミックスする)ことによって自分のカラーをDJミックスに出していけたら相当面白いんじゃないかと思った。
そう思ったのはいいけど、DJをやるためには機材がいる。そしてその機材は中学生の経済力では到底手に入る物じゃなかった。
とりあえず自転車で行ける範囲の楽器屋を片っ端から周り、DJの機材が置いてある楽器屋を見つけた。
そこで初めてSL-1200を目にし、「デカいな」と思った。
んで、VestaxなどのDJ機器メーカーのパンフレットを一通り貰って帰り、部屋でそのパンフレットの隅々まで眺めた。
暇があればそれらのパンフレットを眺めたり、どんな機材を買ってどんなレイアウトで置くか…ということをよく考えていた。
当時はまだヴィレッジヴァンガードの路面店が多かったので、近所のヴィレッジヴァンガードに行って「DJのための全知識」という本を買った。
これが俺にとってバイブルみたいな存在で、4人のDJ(それぞれ異なるジャンルのDJ)のロングインタビューと、DJやクラブに関する用語解説、オーソドックスなDJミックスのやり方など、DJについての知識を渇望していた自分にとって何よりもありがたい存在だった。
そして中学校を卒業した春休み、ついにDJの機材を高校の入学祝いという名目で買ってもらった。
Technics SL-1200Mk3D、Vestax PMC-03A、そしてそれらを置くためのホームエレクター(メタルラック)だ。
PMC-03Aは手放してしまったけど、SL-1200Mk3Dとメタルラックは今でも使ってる。
高校に入って最初のゴールデンウィークに入ると、名古屋へ出て人生で初めてレコードを買った。
当時はDJをやるとなるとまだレコードが主流だった。この時行ったお店はナゴヤメガミックスレコードで、当時まだ新栄にあった。
ここで4枚のレコードを買い、そのまま地下鉄に乗って祖母の家に泊まりに行ったのは今でもいい思い出として残っている。
初めて自分一人で電車に乗って名古屋に出てレコードを買ったということと、さらに祖母の家まで行ったという経験がものすごくフレッシュだった。
祖母の家に行くのに今まで乗ったことのない路線に乗り、電車の窓から見える景色は初めて見る景色ばかりで、それがさらに気分を高揚させた。
祖母の家から帰ると、買ってきたレコードを自分のターンテーブルでかけた。
しかし、DJをやるにはもう一台ターンテーブルが要る。
そう、入学祝いで買ってもらったターンテーブルは1台だけだったのだ。
高校2年になって、テストで頑張って結果を出し、もう一台のターンテーブルを買ってもらうことに成功した。
この頃、SL-1200Mk3Dは生産を終了しており、SL-1200Mk5に代替わりしていた。
そのため、SL-1200Mk5を買ってもらった。
俺のターンテーブルがSL-1200Mk3DとMk5なのはこれが理由だ。
当時、流行っているダンスミュージックはトランスで、ZIP-FMを聴いて好きなトランスの曲を見つけ、お小遣いを貯めては名古屋に繰り出してレコードを買った。
"Beauty of Silence"とか"Laputa"なんかが流行ってた。
長くなるので今回はこの辺で。
明日また続き書きます。
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