Tumgik
#ふたりの恋愛書架
celestialmega · 2 years
Text
Tumblr media
Futari no Renai Shoka, Our Romance Bookshelf, ふたりの恋愛書架 by yamazaki Kore.
20 notes · View notes
0nce1nabluemoon · 1 year
Text
泉に戻ることを望む者は、流れに抗して泳がなくてはならない
[東ドイツ ある家族の物語] P.265
しかし日本は、国を失ったことはないでしょう
[また、桜の国で]P.115
今、僕の国では、未だかつてないほどに、武士道や大和魂という言葉が使われているよ。でもね、覚えておくと良い。濫用される時は必ず、言葉は正しい使い方をされていない。
[また、桜の国で]P.482
誤解せんで欲しいが、資本主義が勝利するわけではないぞ。敵を見失った資本主義は、これまた果てしなくモラルを失っていく。どんな形で崩壊するのか、それとも再生できるのか。
[プラハの春 下]P.366
犠牲者を追悼する際、たとえ何百万単位で数えられたとしても、彼らは個人であり、集団ではないと覚えておかねばならない。どのような形であれ、殺された人々を集団として記憶しようとするのは死者を否定し、還元し、再び消滅させてしまう行為である。まさに犠牲者を殺害した人たちの思うつぼなのだ。さもなくば記念碑は忘却と否定の文化に取り込まれてしまう。私たちが忘れてしまうのは単純に忘れた方が楽だからであるが、不安や恐怖の時代にそれをしてしまっては無責任である。忘却は無知に自由な支配を許すことになる。つまるところ、心に留めておきたい歴史が何であるのか、あるいは過去を意図的に消そうとする理由は一体何か内省してみれば、私たち自身が何者であるのかが見えてこよう。
[ポスト・ヨーロッパ 共産主義後をどう生き抜くか]PP.214-215
あたしはずっと歴史を教えてきたけど、歴史上の出来事のどれひとつをとってもわたしたちが最後まで知っていることってありません。経験したどれをとっても。真実のすべてを......
[戦争は女の顔をしていない]P.46
僅か十日のあいだに、日本の国民はこれだけの大きな自由を奪い去られたのだ。
[風にそよぐ葦(上)]P.199
そしてこの動乱の時代には、すべての愛情が悲劇の原因になるのだ。裏切られなかった愛情がどこにあるだろう。悲劇をもたらさなかった愛情がどこにあるだろう。人間と人間のつながりが、兵役法だの徴用令だの動員規定だの、その他無数の法令によってばらばらに切りはなされ、愛情の幸福はその根底を失ってしまった。
[風にそよぐ葦(下)]PP.76-77
榕子は日の丸の旗が嫌いであった。それは残忍きわまる国家権力の象徴であった。ここ数年来、国家とは国民の不幸の象徴ではなかったかろうか。良人を奪い子を奪い富を奪い食を奪い、あらゆる生活の根底を破壊し去ったものはこの日の丸の旗であった。
[風にそよぐ葦(下)]P.93
道徳も義理も人情も、そういう美しいものはすべて生きるための邪魔ものであった。
[風にそよぐ葦(下)]P.198
国家が国民に要求する犠牲がその極限に達し、その極限を過ぎて、血をすすり肉を啖い尽してから、戦争指導者と重臣たちとはようやく降伏を決意した、それまでは決断がつかなかったのだ。
[風にそよぐ葦(下)]P.271
古今の歴史は、為政者たちの暴政や侵略者たちの暴虐による人間の悲劇を、幾つとなく記録しているが、どれほど凶暴な力に打ちたおされても、それが人間の本質的な姿を変えることはできなかった。ヒトラーやムッソリーニや東条が、あのなさけ容赦ない強制と圧迫とを加えてみても、ついに蹂躙することのできなかった(人間の最後の自由)というものがあるのだ。ソヴィエトの圧制者たちがあれほどの秘密警察と懲罰主義とをもって、幾度か血の粛清を行なって見ても、どうしても奪い去ることのできなかったスラヴ人の自由というものがあるのだ。全体主義者たちが最後につきあたるものは、この、人間が人間であるという真実であるに違いない。自分の思考をもち、自分の欲望をもち、自分の理想をいだき自分の幸福を求める、人間としてのその本質的な希望は、国際関係が緊迫してきた現代の社会ではほとんど許されなくなってしまった。しかし、最後に残るただ一つの自由は、拒否するという意志に於いて表現されるのではあるまいか。
[風にそよぐ葦(下)]PP.464-465
しかし、どんな時代が来ても、人間の心の奥底にある、孤独感というか、一人きりでは生きて行けない、誰かを愛し、誰かを信じないでは居られない、そういう本質的な弱さ、・・・弱さと言ってもいいだろうね。・・・そういうものの美しさを信じることはできるんだよ。
[風にそよぐ葦(下)]P.536
私は罰を受けている・・・でもどうして?もしかして、人を殺したから?時々そんなふうに思います。年をとると、昔より時間がたくさんあって・・・あれこれ考えてしまう。自分の十字架を背負って行くんです。毎朝、ひざまずいて、窓の外を眺める。みんなのことをお願いするの。すべてを。夫を恨んではいないわ。許しました。彼のために祈ります。責めません。私が女の子を産んだ時、彼はしげしげと眺めて、すこし一緒にいたんだけど、非難の言葉を残して出て行ったんです。「まともな女なら戦争なんか行かないさ。銃撃を覚えるだって?だからまともな赤ん坊を産めないんだ」私は彼のために祈るの。もしかして彼の言うとおりかもしれない。そう思うことにする......これは私の罪なんだって......私はこの世で何よりも祖国を愛していた。私は愛していたんです。誰にこんなことをいま話せます?自分の娘......あの子にだけ......私が戦争の思い出話をすると、あの子はおとぎ話を聞いているんだと思ってるんです。子供用のおとぎ話を。子供のおそろしいおとぎ話を。
[戦争は女の顔をしていない]P.369
スターリンは結局民衆を信じなかった。祖国は私たちにそういうお礼をしてくれたの。私たちが注いだ愛情と流した血に対して。
[戦争は女の顔をしていない]PP.430-431
だって、人間の命って、天の恵みなんだよ。偉大な恵さ。人間がどうにかできるようなものじゃないんだから......。
[戦争は女の顔をしていない]PP.480-481
「本当の親か、本当の子かなんてことはね、誰にもわかりゃしないんだよ」良太郎は仕事に戻りながら、いかにもやわらかに云った、「お互いにこれが自分のとうちゃんだ、これはおれの子だって、しんから底から思えばそれが本当の親子なのさ、もしもこんどまたそんなことを云う者がいたら、おまえたちのほうからきき返してごらんーーおまえはどうなんだって」
[季節のない街]P.276
「おてんとさまばっかり追いかけるなよ」
何のことなのか理解出来ず、私は父を見た。七十年生きてきて、ようやく判ったのだと父はつづけた。自分は、日の当たっているところを見て、いつも慌ててそこへ移った。けれども、辿り着くと、そこに日は当たっていず、暗い影になっている。また焦って走る。行き着いて、やれやれと思ったら、たちまち影に包まれる。振り返ったら、さっきまで自分のいた場所に日が当たっている。しまったとあと戻りしても同じことだ。
[血の騒ぎを聴け]P.23
私は深夜、寝つけなくて、無数の映像と無数の音楽について考えた。どのような映像の彼方にも見えないものがあり、いかなる音楽からも聴こえないものがある。それを立ちあがらせるのが言語ではないか。文学は、終わるどころか、これから真の力を発揮する時代に入る。そう確信して、夜明け近くまで起きていた。文学が負けるのではない。虚無や時代への迎合というらくな階段を昇り降りし、訳知り顔に民衆をなめる作家や編集者が負けるのだ。
[血の騒ぎを聴け]P.47
文学が、結局は、死と恋に集約されざるを得ないのは、その哀しみと、そこから得るものが、数学の試験のように、一プラス一イコールニとはならないからであり、いかなる言葉を尽くしても、自分の心を表現することができないからであり、「別れ」が、なぜか個々人の人間のグラスを、ほんの少し大きくしてくれるからである。
[血の騒ぎを聴け]PP.287-288
われわれが実際に建設しているのは、投機を行うための都市であって、人々が住むための都市ではない。
[反資本主義]P.107
人が受け取ることのできる他人のあり方などほんの断片であり、一個人の持つ複雑な内面の全てを推し量ることなど決してできない。
[歌われなかった海賊へ]PP.362-363
王や神は書く必要がない。その存在は自己自身のうちで絶対的に充実しており、他者との関係を必要としない。王は書くことなく語る主体であって、自分の声をただ書きとらせるだけなのだ。
[デリダ]P.73
「一者」への結集は、「他の他者たち」に対してのみならず、「自己における他者たち」に対しても「暴力」となる。
[デリダ]P.293
そういう生まれつきの能を持ってる人間でも、自分ひとりだけじゃあなんにもできやしない、能のある一人の人間が、その能を生かすためには、能のない幾十人という人間が、眼に見えない力をかしているんだよ。
 [さぶ]P.291
この世から背徳や罪悪を無くすことはできないかもしれない。しかし、それらの大部分が貧困と無智からきているとすれば、少なくとも貧困と無智を克服するような努力がはらわれなければならない筈だ。(略)「世の中は絶えず動いている、農、工、商、学問、すべてが休みなく、前へ前へと進んでいる、それについてゆけない者のことなど構ってはいられない、ーだが、ついてゆけない者はいるのだし、かれらも人間なのだ、いま富栄えている者よりも、貧困な無智のために苦しんでいる者たちのほうにこそ、おれは却って人間のもっともらしさを感じ、未来に希望が持てるように思えるのだ」
  「赤ひげ診療所」 P.178
「……そういう人たちと別れ、戦地から戻って日銀に復職したら、なんだか妙にシャクにさわってむかむかしてきたんだな。わが身が大事のエリートが威張りくさって、トラックでわたしが一緒に働いたような、学歴のない人たちが、ここでもやっぱり下っ端として馬鹿にされて理不尽な目にあっている。こりゃなんだ、戦争は終わったのに、何も変わっていないじゃないか、と」「わたしはトラック島で部下だった工員たちに救われていた部分がずいぶんあった。そんなかれらが価値のないものとして否定されて、軍人より先に死んでいかなきゃいけないのが戦争だった。同じことが、まさにわが職場で行われているとわたしの目には映った。こりゃあ黙って見過ごしちゃいかん、と思ったんだな。大げさに聞こえるかもしれないが、それはわたしなりの、死者への責任でもあったんだ」
[昭和二十年夏、僕は兵士だった]PP.60-61
11 notes · View notes
travelfish0112 · 3 months
Text
新宿駅 0:34分発
5年間、その時間が経過する間に世界がこんなにも変わってしまうなんて想像してなかった。
5年間って約44000時間くらいで、小さい時で考えたら5〜10歳への移り変わりは確かに重大。でも、2005年と2010年で変わった事って、あまり思いつかない。結局ずっとDSやってただけだし。
でも、2019年から2024年にかけて、あまりなかも世界が様変わりしてしまった。
2018年、大学生だった私は聖蹟桜ヶ丘駅の近くに住んでいた。
2023年、社会人になった私は5年ぶりに夜の京王線に乗っていた。
0:34発だった最終列車は、0:18発になっていた。でも、相変わらず混んでいた。
新宿で会社の忘年会を適当にやり過ごしていたが、結局上司に捕まり、二次会まで付き合わされた。0時近くでやっと解放された私は、甲州街道改札でストリートミュージシャンたちの喧騒をふと見て、昔連れられて行ったライブハウスを思い出した。
名前を調べてみると、1年前に閉店して、今は違うライブハウスになっていた。
ライブハウスって居抜きとかあるのかな、なんて下らない事を考えていたら、ふとあの時飲んだ薄いコーラと、底が異様に濃いジントニックを思い出した。フロアは暗くて、端のテーブルの方にミュージシャン気取りが固まっていて、そこから流れてくるタバコの煙でいつも臭かった。
でも、あそこで知らないバンドを見るのが好きだった。
そんな事を思い出していた私は、高円寺に住んでいるのに、何故か京王線のホームに向かい、最終の八王子行きに滑り込んだ。
クリーム色に赤色の帯を巻いた列車は、軽快に夜の街を駆けていく。そして、少しずつ止まる駅で客を降ろしていく。
明大前で上手い事席に座れた私は、アルバムをスクロールして昔の写真を見返す。そこには髪色が今よりも少し明るい私がいた。そして、その写真は、当時の恋人が撮ってくれたモノだった。
あいつ、今何してんだろ。
インスタを開き、何人かの友人のフォロー欄を探すと、彼がいた。
「無事、娘が産まれました!」
一番最初に固定された投稿には、スリーショットと共にそう書かれていた。
5年間で世界がこんなにも変わってしまうなんて。
あの時の思い出がするすると抜け落ちていく様な感覚に陥る。小さい欠片が、特急が止まる度にその駅に落ちていく。
いつの間にか車両のお客さんは疎になり、向かいの席も空席になっていた。
窓に写る自分と目が合う。スマホの中の自分よりも髪が少し伸びて、しっかりしたコートを着ている自分と。
あの時、愛想笑いが出来なくて就活の面接で苦戦していたが、今では職場のおっさん達を笑顔でいなす事ができる。
あの時、グリルで魚を焼く事すらも出来なかったけれど、今ではお昼にお弁当を持って行っている。
でも、あの時と私は変わっていない。変われていない。
トンネルを抜けて、高架線を列車は登っていく。
日焼けた漫画の背表紙の様に、今見ている景色もまた昔の記憶になるんだろう。
あの時の私の目標ってなんだったっけ。忘れちゃったな。
2 notes · View notes
usabittc · 8 months
Text
みんな読まなくていいよ全然、読書感想文なんだけどまだ読み切ってないんだけど初めて読んだことを覚えていたいっておもったからメモみたいに書き殴るだけなると思う、今まで読んでた漫画って恋愛とかジャンプとか架空と妄想に浸る感じでゆったら薄っぺらいというかなんというか、漫画ならではだとおもうけど、文字沢山並んでるだけで読む気失せるし、頭もよくないし、小説とかも全く読んできてない人生であー私なんにもしらないじゃんて思わされた、その上で子供もうまれて私はただの『私』の価値観を押し付けて生きる人にはなりたくなくて、旦那だって結局は他人で、子供にも子供の人生があって、親にもわたしの知らない人生があってみたいな、何言ってんだって感じやけど、
私の感じかたとか何かを見て何かを聞いてどう思うかその中の何かを言葉にしてどれぐらいかの量を誰かに伝えるかとか全部自分次第で自分しかわからなくてそれは親子だからってわかることではなくて他人ならなをさらそうで、同棲とか始めてあー違う人生を生きてきたんやなって思うのと一緒で、何か起きて覚えた感情を人に共有するのがあたり前のことではないというか、私が文書にするとこんなふうにしか書けない私は自分の感情を文字として書き出す術を知らない、たかが二十数年いきただけじゃ知らない事が多すぎるし、これから先何を知ってそれを取り入れていくかも自分しだいでそれは子供も同じでっていう、、難しいねでも普通って何ってはなしで私にとっての普通と旦那にとっての普通とは違うそれは子供も一緒で、わたしの普通で育てて良いものなのかわからんし、でもわたしは私の普通しか知らないわけで、、とりあえず価値観の押し売りをする人間にはなりたくない、けどきっとみんなそうで気づかないうちにやっているというか結局自分が知っている事とそれを表す言葉は自分が知ってる物をつかって外にだすわけで日本人なのに日本語が曖昧みたいなとりあえず相手側の気持ちを汲み取る努力とか、気をつけようってなった。特に思いつきで喋る癖あるし、言葉にするときにをもっと選択できるようになりたいと思った。
きっと読んだらわかるってこれも自分の価値観の押し売りやよねこれ読んでどう思うかとかそれも全部人それぞれで、、うんちょっと何言ってるかわからんわ。
いままで文章を読んできてないからすごい沁みた。
Tumblr media
3 notes · View notes
kachoushi · 11 months
Text
各地句会報
花鳥誌 令和5年5月号
Tumblr media
坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
………………………………………………………………
令和5年2月2日 うづら三日の月花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
厨女も慣れたる手付き雪掻す 由季子 闇夜中裏声しきり猫の恋 喜代子 節分や内なる鬼にひそむ角 さとみ 如月の雨に煙りし寺の塔 都 風花やこの晴天の何処より 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月4日 零の会 坊城俊樹選 特選句
暗闇坂のチャペルの春は明日あたり きみよ 長すぎるエスカレーター早春へ 久 立春の市の算盤振つてみる 要 冬帝と暗闇坂にすれ違ふ きみよ 伊達者のくさめ名残りや南部坂 眞理子 慶應の先生眠る山笑ふ いづみ 豆源の窓より立春の煙 和子 供華白く女優へ二月礼者かな 小鳥 古雛の見てゐる骨董市の空 順子 古雛のあの子の部屋へ貰はれし 久
岡田順子選 特選句
暗闇坂のチャペルの春は明日あたり きみよ 冬帝と暗闇坂にすれ違ふ 同 大銀杏八百回の立春へ 俊樹 豆源の春の売子が忽と消え 同 コート脱ぐ八咫鏡に参る美女 きみよ おはん来よ暗闇坂の春を舞ひ 俊樹 雲逝くや芽ばり柳を繰りながら 光子 立春の蓬髪となる大銀杏 俊樹 立春の皺の手に売るくわりんたう 同 公孫樹寒まだ去らずとのたまへり 軽象
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月4日 色鳥句会 坊城俊樹選 特選句
敬􄼲な信徒にあらず寒椿 美穂 梅ふふむ野面積む端に摩天楼 睦子 黄泉比良坂毬唄とほく谺して 同 下萌や大志ふくらむ黒鞄 朝子 觔斗雲睦月の空に呼ばれたる 美穂 鼻歌に二つ目を割り寒卵 かおり 三􄼹路のマネキン春を手招きて 同 黄金の国ジパングの寒卵 愛 潮流の狂ひや鯨吼ゆる夜は 睦子 お多福の上目づかひや春の空 成子 心底の鬼知りつつの追儺かな 勝利
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月6日・7日 花鳥さざれ会 坊城俊樹選 特選句
潮騒を春呼ぶ音と聞いてをり かづを 水仙の香り背負うて海女帰る 同 海荒るるとも水仙の香の高し 同 坪庭の十尺灯篭日脚伸ぶ 清女 春光の中神島も丹の橋も 同 待春の心深雪に埋もりて 和子 扁額の文字読めずして春の宿 同 砂浜に貝を拾ふや雪のひま 千加江 村の春小舟ふはりと揺れてをり 同 白息に朝の公園横切れり 匠 風花や何を告げんと頰に触る 笑子 枝川やさざ波に陽の冴返る 啓子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月8日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
雪を踏む音を友とし道一人 あけみ 蠟梅の咲き鈍色の雲去りぬ みえこ 除雪車を見守る警備真夜の笛 同 雪掻きの我にエールや鳥の声 紀子 握り飯ぱりりと海苔の香を立て 裕子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月10日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
東風に振る竿は灯台より高く 美智子 月冴ゆる其処此処軋む母の家 都 幽やかな烏鷺の石音冴ゆる夜 宇太郎 老いの手に音立て笑ふ浅蜊かな 悦子 鎧着る母のコートを着る度に 佐代子 老いし身や明日なき如く雪を掻く すみ子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月11日 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
朝光や寺苑に生るる蕗の薹 幸風 大屋根の雪解雫のリズム良き 秋尚 春菊の箱で積まれて旬となる 恭子 今朝晴れて丹沢颪の雪解風 亜栄子 眩しさを散らし公魚宙を舞ふ 幸子 流れゆくおもひで重く雪解川 ゆう子 年尾句碑句帳に挟む雪解音 三無 クロッカス影を短く咲き揃ふ 秋尚 あちらにも野焼く漢の影法師 白陶 公魚や釣り糸細く夜蒼し ゆう子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月13日 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
犬ふぐり大地に笑みをこぼしけり 三無 春浅しワンマン列車軋む音 のりこ 蝋梅の香りに溺れ車椅子 三無 寒の海夕赤々漁終る ことこ 陽が風を連れ耀ける春の宮 貴薫 青空へ枝混み合へる濃紅梅 秋尚 土塊に春日からめて庭手入 三無 夕東風や友の消息届きけり 迪子 ひと雨のひと粒ごとに余寒あり 貴薫
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月13日 武��花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
浅春の眠りのうつつ出湯泊り 時江 老いたれば屈託もあり毛糸編む 昭子 落としたる画鋲を探す寒灯下 ミチ子 春の雪相聞歌碑の黙続く 時江 顔剃りて少し別嬪初詣 さよ子 日脚伸ぶ下校チャイムののんびりと みす枝 雪解急竹はね返る音響く 同 寒さにも噂にも耐へこれ衆生 さよ子 蕗の薹刻めば厨野の香り みす枝
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月14日 萩花鳥会
水甕の薄氷やぶり野草の芽 祐子 わが身共老いたる鬼をなほ追儺 健雄 嗚呼自由冬晴れ青く空広く 俊文 春の園散り散り走る孫四人 ゆかり 集まりて薄氷つつき子ら遊ぶ 恒雄 山々の眠り起こせし野焼きかな 明子 鬼やらひじやんけんで勝つ福の面 美惠子
………………………………………………………………
令和5年2月15日 福井花鳥会 坊城俊樹選 特選句
吹雪く日の杣道隠す道標 世詩明 恋猫の闇もろともに戦かな 千加江 鷺一羽曲線残し飛び立てり 同 はたと止む今日の吹雪の潔し 昭子 アルバムに中子師の笑み冬の蝶 淳子 寒鯉の橋下にゆらり緋を流す 笑子 雪景色途切れて暗し三国線 和子 はよしねまがつこにおくれる冬の朝 隆司 耳目塗り潰せし如く冬籠 雪 卍字ケ辻に迷ひはせぬか雪女 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月16日 伊藤柏翠記念館句会 坊城俊樹選 特選句
指先に一つ剥ぎたる蜜柑の香 雪 大寒に入りたる水を諾ひぬ 同 金色の南無観世音大冬木 同 産土に響くかしは手春寒し かづを 春の雷森羅万象𠮟咤して 同 玻璃越しに九頭竜よりの隙間風 同 気まぐれな風花降つてすぐ止みて やす香 寒紅や見目安らかに不帰の人 嘉和 波音が好きで飛沫好き崖水仙 みす枝 音待てるポストに寒の戻りかな 清女 女正月昔藪入り嫁の里 世詩明
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月17日 さきたま花鳥会 坊城俊樹選 特選句
奥つ城に冬の遺書めく斑雪 月惑 顔隠す一夜限りの雪女郎 八草 民衆の叫びに似たる辛夷の芽 ふじほ 猫の恋昼は静かに睨み合ひ みのり 薄氷に餓鬼大将の指の穴 月惑 無人駅青女の俘虜とされしまま 良江 怒号上げ村に討ち入る雪解川 とし江 凍土を突く走り根の筋張りて 紀花 焼藷屋鎮守の森の定位置に 八草 爺の膝捨てて疾駆の恋の猫 良江
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月19日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
古玻璃の奥に設ふ古雛 久 笏も扇も失せし雛の澄まし顔 眞理子 日矢さして金縷梅の縒りほどけさう 芙佐子 梅東風やあやつり人形眠る箱 千種 春風に槻は空へ細くほそく ます江 山茱萸の花透く雲の疾さかな 要 貝殻の雛の片目閉ぢてをり 久 古雛髪のほつれも雅なる 三無 ぽつねんと裸電球雛調度 要
栗林圭魚選 特選句
紅梅の枝垂れ白髪乱さるる 炳子 梅園の幹玄々と下萌ゆる 要 濃紅梅妖しきばかりかの子の忌 眞理子 貝殻の雛の片目閉ぢてをり 久 古雛髪のほつれも雅なる 三無 老梅忌枝ぶり確と臥龍梅 眞理子 山茱萸の空の広さにほどけゆく 月惑 八橋に水恋うてをり猫柳 芙佐子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月21日 鯖江花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
師を背負ひ走りし人も雪籠 雪 裏庭開く枝折戸冬桜 同 天帝の性こもごもの二月かな 同 適当に返事してゐる日向ぼこ 一涓 継体の慈愛の御ん目雪の果 同 風花のはげしく風に遊ぶ日よ 洋子 薄氷を踏めば大空割れにけり みす枝 春一番古色の帽子飛ばしけり 昭上嶋子 鉤穴の古墳の型の凍てゆるむ 世詩明 人の来て障子の内に隠しけり 同 春炬燵素足の人に触れざりし 同 女正月集ふ妻らを嫁と呼ぶ 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月26日 月例会 坊城俊樹選 特選句
能舞台昏きに満ちて花を待つ 光子 バス停にシスターとゐてあたたかし 要 空に雲なくて白梅すきとほる 和子 忘れられさうな径の梅紅し 順子 靖国の残る寒さを踏む長靴 和子 孕み猫ゆつくり進む憲兵碑 幸風 石鹸玉ゆく靖国の青き空 緋路 蒼天へ春のぼりゆく大鳥居 はるか
岡田順子選 特選句
能舞台昏きに満ちて春を待つ 光子 直立の衛士へ梅が香及びけり 同 さへづりや鉄のひかりの十字架へ 同 春の日を溜め人を待つベンチかな 秋尚 春風や鳥居の中の鳥居へと 月惑 料峭や薄刃も入らぬ城の門 昌文 梅香る昼三日月のあえかなり 眞理子 春陽とは街の色して乙女らへ 俊樹
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月 九州花鳥会 坊城俊樹選 特選句
ポケットの余寒に指を揉んでをり 勝利 黒真珠肌にふれたる余寒かな 美穂 角のなき石にかくれて猫の恋 朝子 恋仲を知らん顔して猫柳 勝利 杖の手に地球の鼓動下萌ゆる 朝子 シャラシャラとタンバリン佐保姫の衣ずれ ひとみ 蛇穴を出て今生の闇を知る 喜和 鷗外のラテン語冴ゆる自伝かな 睦古賀子 砲二門転がる砦凍返る 勝利 小突かれて鳥と屋や に採りし日寒卵 志津子 春一番歳時記の序を捲らしむ 愛
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
2 notes · View notes
czrscr · 3 months
Text
来世に乞うご期待
Tumblr media
 ──嘔吐中枢花被性疾患、通称「花吐き病」。  元はとある物語に登場する架空の病気だった。しかしその原作がとある学校の生徒間で爆発的に流行り、結果「呪い」として現実に発症。めでたく高専預かりの事件として運び込まれた。  担当したのは、特級呪術師の五条悟。彼が所持する術式「無下限」は、術師本人への干渉を端的に言えば許さない。故に適任として派遣されたのだが、そこで五条はひとつ、致命的なミスをした。  率直に言えば、潜入先にて廊下の角でぶつかった女学生に一目惚れされ、胸元で吐かれたその花にうっかり触れてしまったのだ。  あまりのスピード発症故に、無下限を張る暇もなく。正に電光石火の刹那だった。  ぎゃー! と臆面なく叫んだ後、五条はすぐさま冷静な頭脳で、己がやらかしたことを悟ったものの。しかし今ならまだ何とかなるか、とも思い直した。  この「呪い」は被呪者が片思いを患った時に、花吐き病を発症させる。故に、現在惚れた異性どころか気になる女子すらいない自分ならば、ひとまず影響としては少ないだろう。そう皮算用していたのだが。  祓除完了後。 「おかえり、悟」  寮で夏油に出迎えられた瞬間、五条は盛大に「呪い」を吐いた。  それは小ぶりで白い花弁を携えた、イチゴの花の形をしていた。
 発症したことを自覚した五条は、まず目の前の夏油に相談した。本来ならば、医療系に詳しい家入も含むべきなのも判ってはいる──現に部屋へ戻る前に、吐き気止めと胃薬とうがい薬をしこたま譲ってもらいはした──だが、なけなしの男子高生的な意地が、彼女をも巻き込むことを躊躇させた。様は、女相手に色恋ごとなんか相談できるかこっ恥ずかしい、である。  ひとまずは夜蛾への報告もそこそこに、五条の部屋へ夏油とふたりで立てこもった。地べたへ座り込み、図書室から拝借した本や、任務前に支給された資料などを床にばらまく。俗にいう、作戦会議の始まりだ。  手始��にこの「病」の前提、対処法などを、五条が掻い摘んで夏油に説明してやる。ふんふん、などと適当に相槌を打ちつつ。彼の指先が資料のページをぱらぱらとめくる。 「にしても、こんなトンチキな呪いもあるんだね」 「トンチキ言うな。結構えげつないんだぜ、コレ」 「えっ、それは……大丈夫なのか? 確かにさっきもえらい大量に吐いてたけど」  目の前で随分と景気よく吐かれるものだから、友を心配しつつ、夏油はついマーライオンを連想していた。白髪の五条ならば、ホワイトライオンか。 「いや、もう吐き方っつーか、体内も無下限の影響下に置く方法は、吐いてる最中にマスターしたから。次はそんなでもないかもだし」 「そんなん慣れるもんじゃないよ。体に悪い」  己の愉快な妄想は棚に置いてぴしゃりとたしなめつつ、夏油が五条の顔を覗き込む。 「で、相手って硝子だろ」  迷いなく言い切られたものだから、五条も負けじと即答する。「違う」 「何でいきなり硝子なんだよ」 「いやどう考えても消去法だとそうだろ。身近な女子なんて彼女くらいだし」 「まあ俺も最初はその線かなとは思ったんだけどさ。硝子はやっぱ無いわ」 「えーっ、そうか? 別に無いことは無くない?」 「オマエ基準で考えんな。てか三人しかいねえ同級生で、んな修羅場りたくねぇわ」 「それには同感」  にやり、と夏油が意地悪く笑う。 「まあさすがに、硝子の方が無いか。もし私が女の子でも、悟は観賞用もしくはアイドル枠だって判るし」 「ガチの正論はやめろ」  ちょっぴり傷付いた自尊心を庇う様に、五条は胃を押さえる。最近自身に芽生えた男子高生のハートは、どうにも傷つきやすくて面倒くさい。  そんな五条を、はは、とからかう様に笑ったかと思えば、 「私さ、今の三人でいる空気感が結構すきなんだ」  ぽつり。やわらかい声音で、夏油が呟く。 「だからよかった。もしふたりがくっついちゃったら、さすがに遠慮しないとかな、とか思ってたから。ちょっと、ほっとした」  何だよ、寂しんぼか? そう軽口を叩こうとしたのに、目の前の夏油があんまりにも素直にしょげている様に見えて。膝を立ててうずくまっているその様が、何だか。だから、五条は──  勢いよくゲロった。  脈絡なく口から飛び出てきた花に、夏油が体ごと後ずさる。 「うわっ、マジでつるっと出てきた」 「だから言ったろ。俺プロいって」 「そんなん極めるなって。いやでも、本当に大丈夫かい?」 「まあこんくらいは別に。今回出したのもちっせぇしな」  五条は吐き出した「呪物」をまじまじと見やる。六眼でも確認したが、花自体はあくまで「呪い」を発現させる媒介に過ぎない、と結論付けた。  その花だが、小ぶりで白い花弁故に、初回で吐いたものと同じかと思ったが、どうやら違うらしい。図書室からかっぱらってきた花図鑑を浚っていた夏油が、該当の写真をおずおずと指差す。 「これじゃない? ユキヤナギってやつ」  オマケとして、写真の下に花言葉も記載されている。意味は、愛らしさ、気まま、殊勝など。 「なるほど、見たまんまってかんじだね」  次いで、ユキヤナギを興味本位でつつこうとした夏油の指先を、五条は咄嗟に握り込む。 「コラ、花には触んなよ。それ感染型だから」 「そうなのか? そいつはまた厄介な……今のところ、私別に好きなひととかいないんだけど、それでもヤバイかんじ?」 「現状で条件に当て嵌まらない場合は、潜伏して合致した瞬間に発症するんだと」 「随分と気合の入った呪いだな……」  夏油のぼやきに、まったくだと五条も嘆息した。
 かくして五条の片思い相手探しは、候補者の少なさの割に混迷を極めた。最有力の家入が早々に消えてしまった為、対象者を東京校の先輩、後輩、補助監督、果ては窓や卒業済の術師にまで範囲を広げたのだが、五条のアンテナに引っ掛かるものが一人もいなかったのだ。  そんな中、発症して三日目。 「ねぇ、もしかして庵先輩じゃないかっ?」  珍しく浮足立った様子で、夏油が五条の机を勢いよく叩く。揺れた机を押さえつつ、五条は目の前の友に胡乱な眼差しを返す。 「いや、何でだよ」 「だって悟、彼女には何だかんだ構いに行くし、何かからかってばかりだし、何だったらそれって好きな子にちょっかい掛ける小学生マインドじゃないか? って」 「「What」ばっかじゃねェか」  もうちょい証拠を固めてこい証拠を、と雑に手を振りかざせば。夏油はえー?と判りやすく唇を尖らせた。 「結構自信あったんだけどな」
 のちに、諦めきれなかった彼が「悟って、庵先輩のこと好きそうじゃないか?」と家入へ話を振ったものの。 「でも歌姫先輩、ガチで五条のこと嫌いだよ」  なんて告げた彼女の目があまりにも酷薄で。  ──あ、これはマジだ。  そう悟った懸命な夏油少年は、掲げた仮定をそっと己の胸の内へ仕舞った。
 進展が無いまま、発症して一週間後。  またもや五条の部屋にて、作戦会議が開かれることとなった。  一旦現状を整理する為、どういった場合に花を吐くのか検証を行うべく、時系列ごとに状況を紙に書き出していく。どこで、誰と、何があったか。どんな花を吐き、その誰かに対して、何を思ったか。なんてことを、すっかり丸暗記した花図鑑のとある内容と照らし合わせれば、自ずと答えは見えてくるというもので。  ここまでお膳立てされれば、さすがに当の本人は気が付いた。
「オマエじゃねェーーーか!!!」 「えっ」
 ダン! とローテーブルに力任せの拳を叩きつければ、ボールペンが放物線を描いて軽やかに飛んでいく。五条渾身の叫びに、夏油はびくりと肩を竦めた。 「なんか今すっごい冤罪掛けられなかったか?」 「冤罪じゃねえわ。ガチギルティだわ」 「なんかよく判らないが、喧嘩なら言い値で買うよ」 「喧嘩じゃないっつの。オマエの罪の話だっつの」 「だから私に何の罪があるって言うんだ」  吹っ飛んでいったボールペンを回収した夏油が、これ見よがしに渋面を作る。その彼の眉間を、五条は人差し指でまっすぐに突き刺した。 「オマエ」 「ん?」 「だから、俺の片恋の相手、オマエだっつってんの」  ぐりぐりと念を押してやれば、途端に夏油の小さな瞳がまんまるになる。音にすれば、正にきょとんだ。 「……えっ? 悟、私のことそういう意味で好きだった、のか?」  なんか違くない? というニュアンスを多分に含んで、夏油が首を傾げる。 「まあ俺も正直よく判らんというか、ダチっつーか、人間で一番すきなのは傑かなー、程度というか」 「ええ、君……友情の延長線上でこの呪いが発症しちゃったのか……なんてお労しい……」  よよよ、とわざとらしく夏油が口元を覆う。その割に、眼だけはしっかりと五条に同情を示していた。どうやら割とガチで憐れまれているらしい。常ならば拳骨のひとつでもお見舞いしてやろうかという所業だが、今は問題解決の方が先だ。五条は広い心で、夏油の視線を流してやる。 「でも私、正直悟のことはめっちゃ友達だと思ってるけど、それだけなんだが……」 「そりゃそうだろうよ。てかそうじゃないと嫌だわ。一応俺目線でも傑のことはダチ認識なんで」 「相違ないようで何より。うーん、なんかこう、両想いだってごまかせる様な方法があればいいんだけど」  とりあえず、まずは告白してみようかとの結論に至り。 「こーいう時ってなんて言うんだ?」 「好きです、付き合ってください、かな」 「好きです、つきあってください?」 「はいよろこんでー」  棒読みの五条に対し、居酒屋の様なノリで夏油が雑に応えを返す。 「どう?」 「ウンともスンともしねえ」 「やっぱダメか……」  ハナから期待していなかったが、やはり何の成果も得られなかった。「オマエの返事にムードが無さ過ぎる」「君の告り方に本気が感じられないからだよ」などと、お互いに責任を擦り付けはするものの、結局はどっちも悪かったで両成敗にしかならない。 「困ったね、出来れば友情パワーで何とかなればいいんだが……」 「それか、ダチ同士でならまずしないこととか?」 「えー……なんかあるかな……?」  それからふたりは膝をつき合わせて、やれもっと強い言葉で告れば何とか、愛してる、月が綺麗ですね、アイラビュー、それでもダメならハグでどうだ? エトセトラエトセトラ。  不毛なやり取りが続き、正直五条の方はちょっと飽きてきたくらいだった。現状そこまで不便さを強いられているわけでもない。たまに吐き気がするくらいで、何なら車酔いみたいなもんでは? などと宣えるくらい、この呪いをコントロール出来る自負もあった。  ──ならもう、別にこのままでもいいんじゃね?  額に親指を当て、真摯にうんうんと頭を悩ませている友を尻目に、そう内心で嘯いていると。  はっと何かに気付いた様に、夏油が薄い面を上げる。 「悟」 「あん?」  何だよ、と続けた言葉は、唇の先へ触れた感触に吸い込まれた。  ぐっ、と首が後ろへ傾く。ずれたサングラスの隙間から、夏油の緩く伏せられたまなこを認めた。意外とびっしりと生え揃ったまつ毛に感慨を覚えて。そうしてようやく、今の自分たちが客観的に何をしているのか、脳で判断が付いた瞬間。  五条は勢いよく夏油を引きはがし、大きく咽た。その一瞬を体の反射だけで動いてしまったことに気付いた頃には、後の祭で。いつの間にやら用意されていた夏油の手のひらで作られた皿に、唾液ごと呪いを吐き散らかす。 「あ、やった」 「……は?」  ひとまず冷静になった頭で、夏油の手から先ほど吐き出した「呪物」を叩き落す。べしゃりと床に失墜したのは、大振りで立派な花弁を携えている、黄味がかった白銀の百合だった。 「つか、触んなって言ったろこのバカ! どうすんだよ、オマエも多分感染したぞ」 「でも完治した証拠の花だし、ワンチャン無事だったりしないかな?」 「知らねーーーわ!」  五条は夏油の手をひっ掴み、用意していたアルコールをがむしゃらに噴射する。適当にティッシュを抜き取り、べしょべしょになった彼の両手を甲斐甲斐しく拭いてやれば、夏油がふふ、と小さく笑った。 「いやさ、小学生の頃、何故か「ピカ、●ュー」って言いながらチューするのが流行ってさ。クラスの半分くらいとはやったのかな? で、だから男子とのキスは割とノーカンというか、あんまり忌避感無くてね」  何だ、思い出し笑いかよ。どこか憮然とした心地で、五条はオェッと舌を出す。 「どんだけ爛れてんだよそのクラス」 「女子とはしてないからセーフだろ」 「そうか…………そうか?」 「だから私としては、ホントのファーストキスは女の子としたヤツ、って思ってたんだけど」  触れたままだった人差し指が、きゅっ、と控えめに握られる。 「でもまあ、それも今回のコレってことにするからさ、許して」  少しだけ照れた様子を見せる夏油に、五条は何となく、押し黙った。ただいま完治したばかりの病が、何故だかぶり返しそうだったので。
「──なんてこともあったね……」  けほ、と軽い咳を吐いて、夏油が苦笑する。己のしょうもなさを嘲る様な笑みだった。  彼の膝元には、赤いポピーが散らばっている。生憎この場に花図鑑は無かったが、五条の優秀な脳味噌は、彼の花に託された言葉を、よく覚えていた。 「まさか本当に発病するとは……結局ワンチャンも無かったな……」  本当にコイツ、イイ性格をしている。  これからオマエを殺す男に、感謝などと。  包帯で隠されていない六眼を、五条はこれ見よがしにしかめてみせる。その様子に何を勘違いしたのか、夏油が小さく頭を振った。 「誓って、君が疾患していた頃は普通に友情だったんだ」  ただ、と夏油が一拍置く。 「好きって言われてから気になっちゃった、典型的なパターンだよ」  なんて、遠い目をして優しく呟くものだから。  多分それで、魔が差した。  思いやり故に自分を殺すのだと思い込んでいるこの男に、胸の内を正しく、思い知らせてやりたくなったのだ。  夜明け前だからか、路地裏の奥は未だぽかりと闇が口を開けている。最も陽が遠いこの瞬間。五条の心は、確かにその暗晦へと足を踏み入れた。 「……傑」 「ん?」 「僕は今でも、オマエがすきだよ」  目の前の親友がこれでもか、と細い目を見開く。びっくりし過ぎだろ、なんて内心では吐き捨てつつ。けれど同時に、あまりにも間の抜けた表情を晒すものだから。少しだけ、かわいいと感じたことも確かで。  げほ、とひとつ。  赤いポピーがまたこぼれて。  げほ、とふたつ。  掌に吐き出されたその花々を認めて、夏油が小さく噴き出した。  ぱらぱらと彼の手から、赫と白に彩られた、鮮やかな雨を見送ったのち。
「最期くらい、呪いの言葉を吐けよ」
 あんまりにもあどけなく笑う夏油に、五条は小さく息を呑む。  そして彼の胸目掛けて、そっと中指を弾いた。
「……結局最後まで本気にしなかったな、オマエは」  物言わぬ下唇を親指でこじ開ければ、端から血が音もなくこぼれる。つう、と伝い落ちる様を、五条はただただ無心で見ていた。  ──ああやっぱりさっきの内に、キスのひとつでもしとけばよかった。  舌でも突っ込んでやれば。そうすればこの鈍感な男も、少しはこの慕情を理解出来ただろうに。いつだって俺は、自分の望みに気付くのが遅過ぎる。  夏油を救いたかったのだと気付いたのは、彼が去った後だった。触れたかったのだと気付いたのも、彼が失われた後で。だから五条は、「最後のチャンス」とやらをいつもすべて逃し続けるのだ。もうそういう星の元にでも生まれたのだろうかというくらい、己もまた、鈍かった。  故に、鈍かったなりに、呪いの言葉は上出来だと思ったのだが。 「人の決死の告白を何だと思ってんだよ、マジで」  赤いポピーと、青みがかった白銀の百合。  アスファルトに散らばっている、夏油が生み残した花弁に、五条はそっと手を伸ばす。術式を介さない指先には、確かに湿った心地を感じた。同時に、冬の空気で凍てついた冷たさも。  摘んだ花々をジャケットに突っ込み、しかりと握り込む。  彼が自身へ残した、情の忘れ形見。成れの果て。そして、愛の存在証明。  そのはずなのに、  ──せっかく両想いだってのに、なんでフラれた心地になるんだか。  すっかり軽くなってしまった体を大事に抱えて、五条は忸怩たる思いでぼやいた。
「あーあ」
 叶うならば、来世に乞うご期待、だ。
0 notes
manganjiiji · 5 months
Text
勝る、すべてに、自然光は
Tumblr media
すべてっていうのはお察しの通り愉快な誇張表現なんですけれども、やはり自然光はすごい。自然光、太陽のひかり、大気を通ってここまで届いた我らが恒星の発する熱。写真を撮ると、自然光のもとでの「物」がいちばんいい顔をしている。物撮りのようなことをする時いつもそう思う。いい顔というのは私の好みの話で、場に適するとなるとまた違う話になる。
頭が痛くて痛くてロキソニンを飲んだり偏頭痛薬を飲んだり寝たり起きたり忙しかった、体調が。その中でもなんとか友人に促されて大学の編入学の願書作りに着手する。いや、自主的にやれよ。しかし、しかし私は結局いつどんな時でも、友人に何か言われたり励ましてもらったり時には手を煩わせて実際に助けて貰ったりしないと本当に何もしない。できないのではなく、しない。かなり、いかがなものか。自主的にできるのはバイトの応募と出勤くらい。欠勤さえ、友人に泣きついて「どうしよう今日仕事行けないかも」とかLINEしてやっと欠勤連絡ができるくらいの、大人としての「有り得なさ」である。友人各位の負担にならないように気をつけたいが、負担にはどっちにしろなる。「大きな」負担にはならないように鋭意専心していきたい。
月曜日に郵便局で速達で出せば水曜日の出願締切には間に合うので、もうそれでいいやと思っている。この、完璧に遂行できなくても、要件を満たしているなら全然構わないマインド、を獲得できたのが、30歳を数年すぎてからだったのだが、やっとこれを獲得できてほっとしています。罪悪感、焦燥感、絶望感、感じる必要、なし。自分のペースで、やれば良がろうちん。そしてここにきて800字以内の志望動機を書く必要があることが発覚した。(成績証明書だけではなく卒業証明書も必要であることなど、とにかく見落としていた箇所が多いが、致命的なものはなかったので、まあよし。)明日1日考えて、日曜日に清書する。頭の中で考える時間が膨らみすぎると失敗してぎりぎりになるので、明日は早いうちに紙に書き出して文章化していく。こういうのは年の功というか、長年生きて自分の特質を知っているからこそできることであり、やはり大人になるってすごく良いなと思った。どんどん頭が良くなっていくし、どんどんわからないことがわかるようになる。体もまあ、付き合い方がわかってくる。病気ももうちょっとよくなったらいいなと思うけれども、これは祈るしかない。
昨夜は久しぶりに読書。京都SFアンソロジーで暴力と破滅の運び手さんの「ピアニスト」をやっと読んだ。美しいというか視覚的に楽しいうえに、この長さでここまでのエンターテイメントをこんなに首尾よく詰め込めるものなのか、と思い、面白さに感動した。どうしてこういう「話」の面白い仕掛けというか、物事と物事のかかわりあう仕組みを考えることができるのだろう。重層的というか、輻輳の仕方が綺麗に折り重なった状態で、とってもいい、うつくしく面白い。ご本人は今回は湿度120%とおっしゃっていたけど、私からするといつも通りの湿り気と渇きの同居という感じで、それもとても(情緒的な面も)好ましかった。
ル・グウィンのNo Time To Spareも少し読んだ。見た目は分厚いハードカバーだが、ひとつのエッセイの最後は半ページくらいしか印刷されていないので、結構ページが進んだ。小説を読むのは私にとって難しいけれど(脳内で視覚化しないと意味が取れないから)、エッセイなど、ノンフィクションのものは読めるから助かる。知的だし詩的だしおちゃらけているし、愛情にあふれているエッセイ。人生といったらいいのか、生活といったらいいのか、とにかくlivingをあいしている人だ。私にはそういう感覚や性質が具わっていないので羨ましいなあと思う。ただ、私はそう思っているが、他人からしたら「あなたも十分『暇なんかないわ、遊ぶことに忙しくて』だよ」と言われるかもしれない。「ふだん何して遊んでんの?」とマッチングアプリのメッセージで聞かれて(また返信をためている)なんと答えようかなと考えている。え、普通だよ。友達と通話したり会ってフルーツサンド食べたり文学館とか美術館とか動物園とか行ったり喋ったり喋ったり喋ったりひとりで映画見たり舞台見たり洗濯したり洗い物したり音楽聴いたり歌ったり詩や短歌や小説を読んだり書いたり架空の男同士の恋愛について考えたり喋ったり英語を読んだり覚えたり資本主義について読んだり考えたりあんスタ叩いたりとにかく毎日遊んでる。と答えたいのだが、長すぎる。しかもその遊びのほとんどの時間、並行して「X」を見ているし書き込んでいる。「ふだん何して遊んでんの?」は超美人の恋人ありのお姉さん(そのマッチングアプリは友達募集でもOKなのです)からの質問で、資本主義について私がめちゃ面白くてよく考えてると言ったから、面白くこの質問をしてくれたんだと思う。だからいい感じに応えもダウンサイジングしてウィットに富んだかつ簡潔なものにしなくては。いや、このお姉さん恋人いなかったかも。いる人は別の人かも。何人もの人とやり取りしているとプロフィールが頭の中で混ざってきて危険。あんな美女と付き合えたらいいなと思うが、それには私は……太りすぎている!といういつもの思考になる。別に太っていても人の価値は損なわれないと思う。ただ単に私が私を客観視した時に、太っていて醜いなあと思うので、そのような人間が美しい人の隣に並ぶのが、好みとして嫌だなあと感じている。私のような中身がカスでクズな人間(とまでは思っていないのだが、そう思っていたほうが安牌なので対外的にはこう書く)、そして取り立てて(内容と外装を総合的に自分で評価して)美しくない人間、せめて、せめて平均的な体型でいたい。せめて…みたいな気持ちになってしまうのだが、これは、自分がうつくしく太れないからというのもある。均整の取れた太り方ができない。なにか異様な体型になってしまっているのだ。太ももの贅肉のぼこぼこした形などを見ると、本当に気持ち悪いなあと思う。自分の心の弱さを突きつけられているようでやりきれない。他人が(健康を害するほどに)太っていることには全くなんの感慨も抱かないが、自分が太っていることは、なぜ太ったかの理由と過程を知っているため、その記憶が「贅肉」から呼び起こされてつらいということです。
また改行しないままにただずるずると喋ってしまった。頭の中で喋っていることをそのまま書いている。明日のジムではどんな数値が出るだろうか。入会して1ヶ月弱だが、食生活はわりと改善したと思う。体重は全然減っていないが。体型も特に変わっていないが。なんなら少し太ったまであるかもしれない。でも筋肉は地道に変えていくしかないからいい。筋肉痛がだんだん軽くなっていくのが楽しい。
2023.11.3
1 note · View note
krkwngm · 6 months
Text
アステロイド・シティ
Tumblr media
 面白かった。以下台詞はうろ覚えのネタバレがある。
 1955年、「温かくも冷たくもない、しかし容赦のない」照明を当てるよう指示書きされた舞台で上演される架空のドラマ『アステロイド・シティ』とその制作裏を交互に描く構成。冒頭で読み上げられる舞台装置の指示書きと制作中の背景や効果音が、いざ本編が始まるとなるほどこうなるのか!と腑に落ちるコンパクトでカラフルで戯画的な街並みが印象的でそこからずっと楽しい映画だった。カーブの角度間違えたから途中で終わってる空中道路とかなに?って感じだし(わざわざ看板に小難しい言葉で説明書いてるのも笑う)隕石の落下跡の隣でぐるんぐるん回ってるアンテナは無駄にデカくてふざけてるし街の標識にちっさく書かれた「人口87名」の表記がエンドクレジットで制作チームの名前になってるのに気付いて笑った。ダイナーの看板が「朝食」「昼食」「温かい夕食」になってたけど温かい夕食がふるまわれるシーンはなかったので実際どうなのか気になる。あとレモンの皮をその場で削いでくれるお酒の自動販売機めっちゃよくない?あんな美味しそうなお酒から歯磨き用品と土地の権利証書まで売ってる自動販売機とか近所に欲しすぎる。
 ドラマ『アステロイド・シティ』のパートは全編がカラーで全3幕とエピローグと2回のインターバル(うち1回は任意の休憩)があり、制作裏のパートは基本モノクロで『シティ』の人物が滲み出るときだけカラーが入る演出になってた(気がする)。それぞれアスペクト比も違っていて、『シティ』本編はスクリーンの幅いっぱいに映し出された横長のスコープサイズだけど、モノクロの制作裏はテレビとおなじスタンダードサイズになってた。ちなみに場面ごとに挿入されるクレジットは色こそドラマと同じカラーだけどアスペクト比はスタンダードで、それが架空と現実をシームレスに繋いでる感じがした。  『グランド・ブタペスト・ホテル』も時代の違う3つの物語に合わせてアスペクト比を使い分けてたし、なんなら『ブタペスト』も『フレンチ・ディスパッチ』も書かれた物語と書いた人間の物語をひとつの映画で描く構成になってたから既視感を覚えて当然なのに、どれを観ても新鮮な刺激と面白さと寂しさでいっぱいになるから不思議だ。登場人物やたら多くて最後まで名前を覚えられない人もいるくらいなのに、劇中で幾重にも重なっていく小さなエピソードを観るうちに登場人物それぞれに二つとない『人生』が在ると分かるから誰ひとり忘れることができない。ウェス・アンダーソン作品を観るたび映画を観ることの喜びで満たされてしまうのはそのせいだと思う。もちろん映像も素晴らしかった。色彩だけじゃなくて画角もいちいち良いからずーっと楽しくて好きだ。
 冒頭に登場する司会者が、『アステロイド・シティ』は架空のドラマです、しかし現実を反映しているのですと語っているとおり、脚本を書き演出をつけ役柄を演じた人たちの現実が架空の町の七日間にたしかに反映されていると気付かされる���が楽しかった。  たとえば自分も子供たちもあなたを愛しているけど離婚するという演出家の妻ポリーが、「第三幕の最後。ミッジの台詞はドアを閉めてからにして」と言うシーン。「破滅だな」とつぶやく脚本家の前でドアを閉めたポリーはドアの向こうから夫に「さよなら」を告げる。でも実際の第三幕にはミッジがさよならを告げるシーンはない。第二幕で窓越しに「私たちは進展しないわ」と言うミッジにオーギーは「そうかな」と返す。「進展する?」「いや」、ミッジは頷きながら「破滅ね」と答える。でも窓は開いてるしドアは閉めないしやっぱり「さよなら」は言わない。演出家がそういう演出をしたんだと想像できて滋味深い。  エピローグでオーギーが目覚めるとすでにチェックアウトした11棟のなかにミッジたちもいて、だからミッジとはこれきり、と思いきやダイナーのおばあちゃんが「ミッジから住所を預かってるわ 家じゃなくて私書箱よ」とメモを渡してくるあたりは脚本家の脚本どおりな気がする。この作品の眠りは目覚めるためにあるので。ただそのメモを大事にポケットにしまいこむのは演出家の選択な気もする。  演出家は脚本家と役者の関係をどこまで知っていたんだろう。ドラマの終盤、オーギーを演じている役者が「芝居が分からない」と舞台を抜け出して演出家に会いに行ったのに「よくできている 君という人物がオーギーに映りつつある 分からなくていい そのままでいい (新鮮な空気を吸っても)分からないままだよ」と言われてしまうのは、役者と恋仲だった『アステロイド・シティ』の脚本家が交通事故で亡くなってしまっていることが原因なのではと思った。演出家が二人の関係を知っていたとしたら、妻を亡くしたオーギーと脚本家を失った役者は状況と心情が重なっているはずで、だから「そのままでいい」と言う。  でも役者にはオーギーがなぜこんな言動をするのか分からない。そして廊下を突っ切って外壁の階段の踊り場に出てパイプを吸おうとしたら、向かい側のビルの踊り場にいたオーギーの妻役の女優さんと鉢合わせる。  オーギーとその妻が隣り合ったビルから言葉を交わすこのシーンは、ドラマのオーギーとミッジがモーテルの窓越しに会話していたシーンと同じ構図、同じ距離感。でもここまでアステロイド・シティの色鮮やかな世界に浸り続けてきてから唐突に白黒で映し出される『現実』の光景は、違う時代の遠い出来事のように見えた。妻役だった役者(マーゴット・ロビー)が新しい作品の撮影中で中世の侍女のドレスをまとっているのも、過ぎ去った過去、終わった人生を彷彿とさせる。実は当初の『アステロイド・シティ』にはオーギーと妻の会話シーンがあったのにここでの会話でそれが全部カットされたと分かるからなおさらだ。しかも人が萎れそうなほど暑い設定のシティに対してここの『現実』では雪が降ってる。全部が対比だ。  うろ覚えなんだけど、ここで女優に「覚えてる?」て問われるままに再演したオーギーと妻の生前のやりとり、映画の冒頭で脚本家を訪ねた役者がその場で演じてみせた一人芝居とほとんど同じ内容だった気がする。この再演は役者にとってオーギーという役柄の背景を確かめるだけでなく、いまは亡き恋人と初めて出会った運命の日を振り返る行為でもあったのではなかろうか。宇宙人との交流について夫と話していた妻は、「(いまあなたが撮って泣いてくれた私の写真、)現像できるかしら?」と最後に問う。夫は「ぼくの写真だからね」と答える。きみを永遠に失うのはつらい。悲しい。耐えられない。それでもこれはぼくが愛したきみの写真だから、フィルムのまま眠らせておきはしない。
 オーギーの撮影した写真はすべてモノクロだ。亡くなる前の妻の写真も『現実』とおなじで色がない。だから彼の愛も喪失の痛みもたぶん、まぎれもない『現実』として色褪せることなく彼に留まり続ける。  娘たちがママの遺灰を埋めてお葬式してるところを見守る終盤のオーギー、息子のウッドロウと左手を繋いでるけど、火傷してるからたぶんカメラが持てないんだよね。火傷するまでは虚構の傷を負った自分を被写体にして『負傷した自画像』なんて写真を撮ってたのに、「ほんとうにやけどした」あとは自画像を撮らない、葬式の光景にカメラを向けない、レンズ越しではなく自分の目で見なければならない。火傷の痛みは心の痛みそのものでもある状況に置かれて、ようやくオーギー/役者は愛するひとの喪失を正面から受け止める機会を得た。  オーギ―は「時間が傷を癒すなんてのは嘘だ」と中盤に言っているし、痛みは残り続けるかもしれないけど、ミッジの残したメモを大事そうにたずさえて、妻の葬式を終えた家族みんなで旅立つことができたオーギーの(役者の)行く先には希望があると思った。
 以上感想。以下は印象的だったエピソードのメモ。とりとめがなく長いので注意。
🎡 オーギーのちっさい娘三人がかわいすぎる。壊れた車からみんなで荷物を運び出すとき一人だけドアの外でうろうろしてるとこ良かったね……父にドアの隙間を見てって言われたから他の二人が終わるまで待ってたのかな。ダイナーのおばあちゃんに「お姫様たち何が飲みたい?」て聞かれて「私たちお姫様じゃないわ、呪われたミイラよ」「私は妖精」て答えるのもおばあちゃんが「…………苺ミルクはどう?」て聞き直すのも良かったし、エピローグで同じこと聞かれたときは「ください(Yes,please.)」て口々に答えるところお利口さんでキュートだ。  ママが三週間前に亡くなったとオーギーに知らされたとき「いつ帰ってくる?」「私たち孤児なの?」て聞くあたりは切ないけど、モーテル街の道の真ん中にタッパーごと埋めたママの遺灰を掘り起こそうとしたおじいちゃんにくそまじめな声で「私たちを生贄にしたら呪う」て告げるとこで爆笑した。結局おじいちゃんが根負けしてママを回収できずに終わるのも笑ってしまう。でも娘たちは娘たちなりに、知らないうちにいなくなっちゃったママとち���んとお別れしたかったんだろうな。「半分魔女 半分宇宙人」の自称はママの娘としての矜持でしょきっと。「お祈りしましょ ママは土の中で眠ってるの」て一生懸命祈る孫娘たちをおじいちゃんは泣きそうな顔で見てるし、隣に義理の息子も孫も参列してるしで良さしかなかったな…
🎡 にしてもおじいちゃんがさ、お前のことは嫌いだが娘と四人の孫たちを愛しているからお前も受け入れる、て言った次の瞬間オーギーの胸ぐら掴むふりでイーーーッ!!てやるから不意打ちで噴いてしまった。そこに来て父に「僕たちを捨てるの?」て聞いたウッドロウが、父の「(おじいちゃんの「私は家政婦か?」て台詞を受けて)ハウスキーパーを雇おうと思った ほんのちょっと考えたがすぐ止めた」て答えを聞いて「考えたのを許すよ」て返すとこ、超優秀な長男だから子どもになりきれない寂しさがあって好きだな。  ところで惑星に映像を投射する技術を発明したウッドロウが博士に「可能性を働かせて」て励まされてさ、最終的に投射した絵がダイナと自分のハートマークなの最高じゃなかった!? エピローグで奨学金の使い道を聞かれて「彼女のために使うと思う」と答えるのも可能性に満ちててかわいいよ~!  この直前におじいちゃんから「きっと″超優秀″ってやつだ」と言われてウッドロウがニコ…て嬉しそうに笑うとこすごいよかった…ほんのちょっとの微笑みなんだけどお母さんがシャツに刺繍してくれた「超優秀」と同じ言葉だったから嬉しくてついこぼれてしまった感じがしてしみじみとよかった…
🎡 超優秀の子どもたちもみんなクセ強くてよかったな。実在の人物の名前を一人ずつ増やしてたくさん覚えていくゲームでみんな学者の名前ばっかり出すし、「これ終わらないよ 僕ら超優秀だから」て言う子に他の子が「でも楽しい いつもだと出てくる名前が平凡だもの」て返すところ良かったし、第三幕では全部俳優女優の名前になってるところに時の流れを感じた。楽しいって言った女の子が後半ウッドロウとダイナの仲に言及して、友達だよって反応に「超優秀なのにバカね」て返すくらい仲良くなってる。  ところでなんでモーテルの7番棟は火事で焼けてしまったんだろ。焼けてテントになったおかげで博士から盗んできた機材を運び込んで隠れながら宇宙人と交信できたけども。このあたり、モーテルの管理人がテントになった代わりに電気周りは充実させたと説明するくだりが地味に効いてる。  登場時から唐辛子まるまる食べたり押しちゃいけないボタン押したり屋根から飛び降りたりする超優秀な子どもが「もう止めたりしない 好きに挑戦しろ なぜ挑戦する?」て父に聞かれて「わからない きっと怖いんだ 挑戦しないと誰も見ないから 僕みたいな存在を」て答えるシーンがしんどい。その後の第三幕で息子の発明品(すでに終わった挑戦)を使ってみたり没収しようとする兵士と喧嘩したりする父の姿が映ってて安心した。  表彰式の将軍の「平穏に生きたかったなら生まれる時代を間違えた」てスピーチが軍事利用する気満々で怖すぎたので子どもたちには幸せに生きていってほしい。
🎡 そしてかわいさと不気味さのあわいを攻める宇宙人の絶妙なデザインよ……!  オーギーの車の故障を点検するために謎の部品を挿入するシーンと、宇宙人が宇宙船から下ろしてきた柱から小さな脚が生えて接地するシーン、構図が似てた気がするけどわざとなのかな。二度目の宇宙人の訪問後に隔離解除の延期が告げられてみんなが大暴れしてるとき壊れた車から転がり出た未知の部品も地面でのたうち回ってたから、車が壊れたのは宇宙人のパワー的な作用でウッドロウが宇宙からの信号を解読できるのも妻が宇宙人と云々て話もその伏線だったのでは!?(たぶん考えすぎ)
🎡 第三幕の眠りの意味を考えるべくゼミのみんなに実際に演じてもらうシーン、教授を演じるウィレム・デフォーがまじで良い。みんな一斉に眠るところすごかったな(一人夢遊病がいて笑った)。眠りと死は違う。眠りから覚めれば脚本家は良い話を思いつくし俳優は新しい演技を生み出す。眠りにつく間どんな時間が流れているかをふまえて眠れって示唆に応える学生たちの眠りもそこからひらめきを得る脚本家もよかった。目覚めたいのなら眠るがいい。目覚めるために眠りがある。
🎡 映画全体の冒頭、真っ暗な画面の下あたりに均一に並んだ白い光の円が映る。なんか両端だけ変に欠けてるなと思ってるとその円は舞台の音を拾う音響室の機器の光で、欠けてるのは手前に座ってるスタッフ二人の頭で隠れてるからと分かる。この時点で映し方が変でもう好き。音響室の窓から見下ろす舞台上に立つひとりの男にカメラが寄り、男がアステロイド・シティは架空のドラマです、しかし現実を反映しているのですと説明を始める。上手下手背景大道具小道具照明の指示書きが読み上げられ、全三幕は7日間の出来事との解説がなされ、本編が始まる。貨物列車に山盛りに積まれたグレープフルーツとアボカドとピーカンに意味はあるのか?分からんけど青い空にオレンジの砂漠を突っ切っていく列車を軽快な音楽に合わせて映していくオープニング良すぎた。  エンディングも鳥がノリノリで踊ってて良かったけどあの鳥なんなんだろね?オーギーが街に着いたシーンであの鳥の標識が映るんだけどそれ以外特に説明ないのよね。アイス食べてる三人娘ちゃんの隣できょときょとしてる鳥の動きがなんか良かった。
 良かったところばかりでどこまでも書いてしまうので終わる。人生を感じさせるシーンがいっぱいで楽しい映画だった。
0 notes
nullak · 8 months
Text
インターネットでグエル先輩が持ち上げられすぎているのになんだか乗り切れてない逆張りの人を見てると俺も1期でのインターネットの手のひら返し持ち上げぶりにはムカついたな…と懐かしく思えるので良い
〆の本当にすごいと思ったこととして、キャラクターの誕生日にほぼ全部説得力があったのが謎の説得力だと思った(一人だけならそういうこともあるけど、72体並べて一つの一貫論理とは思えないのに『謎』の説得力が『うっすら』あったのがすごかった)
オタクの最前線、ジャンルレベルで何?すら統一見解がなさそうで、大コンテンツ飽和時代過ぎる(歴史の話ならアングラ→エロゲ→ラノベみたいのに納得するかはともかく、本人にそう見えてんだろという想像はつけられるというか…)
耳をすませば画像ネタ・コピペで文系の哲学が非生産どうのみたいな自虐ネタをやっていたときにも多様性を感じた(元ネタを踏まえた上で大喜利をするんじゃないのか?もろにそういう話をしているシーンだってことも知らないのか?それを踏まえてあなたがそれを書くことを面白いと感ずる流派なのか?)
巨乳は至高言説、真に受けた(おそらく自分の肉体にコンプレックスのある)女性が俺に出題を行い、クイズに答えられないために減点をかましてくるのイベントの原因になるから嫌
「『貧乳が好きな男ってロリコン以外いないですよね?』っていう質問をしてくるメンタルをいわしてる人、『奥さんを殴る習慣はおやめになられましたか?』式の【どう答えても減点される形式のYesNo疑問文】の自覚なき使い手だから困るんだよな」って弟が…
政治とか倫理とか言葉遣いとかAI絵問題とか、そういうことは適当でいいだろう、けど、何かもっと適当にしてはいけないことから極端な回避傾向を見せて回避しているんじゃないのか、違うのか?
私は誰の言いなりにもならない、己が自我の回避傾向に対しても。憎い、嫌い、キモイ、怖い、人が、それでも晒すべき恥を晒さないまま死んで本当に満足できるか?適当で適切に振る舞って。
私は投票による寡頭選出制度の反対者なので、選挙権の拡大をさも人権擁護運動の成果のように語られると本当にフラストレーションが溜まりますが…
あなたが恋愛を架空のお伽噺と解釈するのも結構ですけれど私が性的���イノリティを治癒されるべき疾患とみなすのもまた同程度には尊重されるべき態度ですよね?と思っていますし、その意味では諦めてないんですね、恥ずかしいことに
私はお前を支配するために恥を晒して、お前も私を支配するために恥を晒した、そういうものだろう、人間関係は、違うか?お前が私を尊敬?しているならそれは俺が誤魔化しているからだし、誤魔化しているままでは嫌だと思ったから、恥を晒している。終点をどこにするのかはわからない。成り行きだろう
自由意志の所在は罪の量刑に関わるんだから自由意志のある無しは決定的に重要なことでは…?
聞いたんだか思いついたんだかわからない勘ぐりでは確かにあるかもしれないけれど、そういう心理的効果が発生していることを推定すること自体は普通に合理的判断ではないかな…というふうにはおもうんだけど、非常識的な過剰な良識的行動へ別集団を導こうと試みる運動を宗教のように否定するのは
藁人形叩きの体で実際具体的な対象というかもはや具体人物を指して透明化しようとするの、逆炙り出しとでも言うべき変質攻撃言論だが、世界がこういう糾弾の仕方を求めているのだ…(変な時代)
LGBTを擁護するためにTERFに差別主義者のレッテルを貼りながらTRAと呼ばれることを拒否するものがもしいるとするならば、卑怯だろうね
インターネットで変な距離間になった異性に謝りたいと言うか、よく考えたら同性にも普通に謝りたいしすべてのことが間違いだったような気もしてくるわね
自分のことで言えば完全に『現実の男性を性対象としない女性が一番信頼できる』の価値観に完全に同化してきたな…という気持ちがある まあ目指してきたものだった気がするよ正直 良かった良かった
まあ大学教養くらいというか、新書ってだいたいそういうレベルなんですけど、普通にふーん面白と思いながら読めて、回避性に最適に生きることができる人間だと思いますよ、自分は。それで?って感じですけどね。もっとすごい人ももっと苦労してる人もいて、だから別になんともないっすね、みたいな?
0 notes
reikomi · 1 year
Text
新海誠『君の名は。』に秘めた『万葉集』の古典趣味
新海 誠は日本の有名なアニメーション作家・映画監督である。中央大学文学部文学科国文学専攻卒業し、アニメ映画の脚本以外に小説も書いている。作風といえば、全作品を通して、「新海ワールド」[1]とも称される風景描写の緻密さ・美しさが特筆されると言われている。少年と少女の恋愛をテーマにした作品が多くて、代表作とされる『ほしのこえ』『雲のむこう、約束の場所』『秒速5センチメートル』の3作は、いずれも主人公の二人の心の距離と、その近づく・遠ざかる速さをテーマとしたものである。
続いて、2011年『星を追う子ども』を発表し、2013年『言の葉の庭』も発表した。『言の葉の庭』に、『万葉集』の短歌
雷神の 少し響みて さし曇り 雨も降らぬか 君を留めむ
柿本人麻呂・『万葉集』第11巻第2513番
を引用し、主人公の二人の間お互いの気持ちがぶつけ合うことを暗示したことから、新海誠は『万葉集』を愛読書とし、作品に万葉集の歌を愛用することが明らかになった。
2016年日本で公開された『君の名は。』は、夢の中で“入れ替わる”少年と少女の恋と奇跡の物語である。東京に暮らす少年・瀧(たき)と飛騨の山奥で暮らす少女・三葉(みつは)の身に起きた「入れ替わり」という謎の現象と、1200年ぶりに地球に接近するという架空の「ティアマト彗星」をめぐる出来事を描く。世界の違う二人の隔たりと繋がりから生まれる「距離」のドラマを圧倒的な映像美とスケールで描き出すと言われる。それに、2016年六月、脚本の完成後、映画の制作も終盤になってから執筆された同名小説『君の名は。』(角川文庫)も発売された。新海自身は「小説版」「映画のノベライズ」「どちらが原作なのかと問われると微妙なところ」と、その後書きで書いていると説明した。即ち、『君の名は。』はアニメ映画だけでなく、小説でもある。ジャンルで分けるとライトノベルなのかは別問題にして、『君の名は。』は現代文学作品の一つと思う。
本稿では、『君の名は。』小説を対象とし、中に秘めた『万葉集』の和歌と民俗信仰について分析し、一存で浅薄ながら、『万葉集』はアニメや小説に影響を及ぼしているという結論を導き出したいと思う。
まず、小説の中に直接に現れた『万葉集』の短歌から論じる。初対面したとき、男の主人公の立花瀧と女の主人公の宮水三葉は同時に授業で習ったこの和歌を思い出した。
誰そ彼と われをな問ひそ 露の濡にれつつ 君待つわれそ
作者未詳・『万葉集』第10巻2240番
「たそかれ」という言葉は『万葉集』のこの短歌に初めて登場し、文字通り「誰ですか、君は」という意味である[2]。小説の二人の生きる世界には3年の時差があったが、なぜか互いの声だけは聞こえており名前を呼び互いの姿を探していた。お互い近くにいるのは分かっていながら、見ることも触れることもできない二人だったが、黄昏時(本編中では架空の方言「カタワレ時」と呼ばれる)が訪れると、入れ替わりが元に戻ると同時に互いの姿が見え、初めて二人は直接会話することができた。つまり、黄昏の時にこそ、二人は魂の正体が明らかになり、心が通じ合い、互いに入れ替わることができる。そこで、繰り返される不思議な夢と命まで失われた残酷な現実を体験した二人が涙湛えて抱えて、読者の涙も誘う。
暗くなると向こうから来た人の面影も分からなくなる。しかし、小説では、薄暗くなった夕方で顔が見分けにくく、相手の名前さえ覚えてなくとも、黄昏の時が来て、あの人と会った瞬間すぐ分かる。これは人と人との絆というものだろう。新海誠は二人の初対面の時間を黄昏に設定する理由は理解できるだろう。新海は、黄昏の時点を選んだその深い意味を直接に解釈することを避けて、短歌を引用することによって手当たりを暗示する。こういう作風はやはり新海誠らしい。わが身に露に濡れながら、君をずっと待っているという寂しくて悲しそうな姿が、小説の二人のと重なった。『万葉集』の短歌、及び語源そのものを利用し、主人公二人の心路歴程を婉曲に表せるだけでなく、男女のお互いの姿を待ちわびるイメージを象徴し、小説の意味を深くして、古典な趣をもたらすことにも成功した。こうして、ストーリーが一段と人の心を打つだろう。
万葉短歌をそのまま引用することだけでなく、新海誠は『君の名は。』に、万葉集の時期の民俗風習と俗信などを踏まえて、人物イメージを作り、ストーリーの発展を推進させる。これこれ全ては万葉集の古典的な趣味に溢れている証拠であろう。その中に、最もはっきりとしたのは結びの呪術という民俗信仰である。ストーリーの「筋」に当たる言葉、数多く出で来る「結び」、及びに「産霊」(むすび)を見よう。
小説によると、三葉に関する思い出が消された後、瀧は三葉に渡された腕の赤い組紐に触れるたび、彼女に関する記憶が頭の中に微かに浮かべて、なんとなく大切な誰かを忘れたという悲しい気分になるという。それに、三葉のお婆さん宮水一葉から、こういうセリフが出た。「寄り集まって形を作り、捻れて絡まって、時には戻って、途切れ、またつながり。それが組紐。それが時間。それが結び」。突然繋がった瀧と三葉という二人、入れ替わり、また戻る二人の心と体、途切れたり現れたりする記憶や思い出、なんと3年の時間を遡っているという時間の捻じれなど、“結び”という言葉は、まさしくこの映画の代名詞のようである。「土地の氏神さまのことをな、古い言葉で産霊(むすび)って呼ぶんやさ。この言葉には、いくつもの深いふかーい意味がある」と宮水一葉が発言した。どういう意味があるのか、すべて万葉集の俗信に答えが発見される。(続く)
[1] 新海誠ワールド全開!細部までこだわりぬいた新ビジュアルは必見 Movie Walker(2016年7月2日)
[2] ウィキペディアフリー百科事典.黄昏.https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%84%E6%98%8F
0 notes
celestialmega · 2 years
Text
Tumblr media
Futari no Renai Shoka, Our Romance Bookshelf, ふたりの恋愛書架 by yamazaki Kore.
5 notes · View notes
kachoushi · 6 months
Text
井上泰至「恋の季題」連載ⅢⅩⅤ
花鳥誌2023年10月号より転載
Tumblr media
日本文学研究者
井上 泰至
鹿の恋
  奥山に紅葉葉踏みわけ鳴く鹿の     声きく時ぞ秋は悲しき    猿丸 太夫
 俳句に出てくる動物で恋をするのは、鳥類を除いては、猫と鹿が双璧だろうか。猫の恋は、ロマンがない分、滑稽で、いかにも俳句的な素材である。それに比べて鹿、特に立派な角を頂いた雄は絵になる。俳句以前に、貴族的な和歌の世界で題となったのもうなずける。虚子編『新歳時記』を確認しても、秋に鹿の角が、ひときわ立派になることに触れている。
 そもそも鹿がなぜ秋に分類され、季語として立項されているかと言えば、この立派な牡鹿が雌を求めて哀調を帯びて鳴く「恋」の情に、古典和歌が「詩」を発見してきたからに他ならない。
 歳時記にどういう季語を、どんな形で登録するかという問題には、新しさや地域差を重視する立場と、伝統を継承しその中心となった都市の価値観に力点を置く立場の、大きく二つがある。俳句は科学ではないので、一つの正しさが、ほぼ例外なく適用されるべきということにはならない。
 季語の共通理解によって伝え合うことが可能になり、どこに美を見出してきたかといった価値観を理解しておくことも重要だ。
 服装に例えれば、礼装や和装は一つのフォーマルな美と価値観、具体的に言えば、どういう「かたち」が、時間・空間を越えて、この列島に住む人たちによって磨かれてきたか、という点には、十分な関心を払うべきであろう。
 虚子も『新歳時記』の冒頭で、季語の季節の決定においては「実感」を重視しつつ、旧来からの「感じ」や「伝統」を重視したケースもある、と断っている。牡丹は藤より早く咲くのに、牡丹を夏とし、藤を春にしたり、七夕は新暦では夏に行われているのに、旧暦に従って秋の季語にしたりしたのは、そういう例だというわけだ。「鹿」もまた、同様の事情で秋に分類された。
  鹿を聞く三千院の後架かな 虚子
 「後架」、すなわち寺の厠で用を足した際に聞いた鹿の声、というところが俳句なのである。鹿は奈良や宮島で知られるように神仏の使いでもある。そこに飲食男女という下半身の問題を持ってくるユーモアがある。神域や寺内というものは、ここが神仏の宿り給ふところですという演出あってのそれである。「神鹿」といい、「後架」という、その言葉に神聖さの演出があると言ったら、罰が当たると怒られそうだが、そういう心の余裕が、虚子の句を理解する時には大切だろう。
 最近必要があって、谷崎潤一郎の訳した『源氏物語』を読んでいるが、王権の中のタブーこそ、恋の究極とばかり展開する、神をも恐れぬ罰当たりな「不倫」が、物語の核心にあることを、自らも「不倫」の作家として通っていた谷崎は十分弁えて、筆の冴えを見せていた。『虚子俳話録』によれば、虚子も谷崎の小説だけはマークしていたことが知れる。『源氏物語』や谷崎を好む英国は、階級社会だからこそ、『チャタレイ夫人の恋人』が生まれたのである。
 虚子の句に戻れば、建礼門院が晩年隠棲した尼寺などでは、生々しくていけない。瀬戸内寂聴のような人が出てきそうで、台無しだ。やはり、同じ京都の奥座敷大原でも、大刹である三千院の「格調」あってこその、鹿の恋であり、「後架」なのである。「安藝の宮島」は「神鹿」の名所として画題にもなってきた。「安藝」は「秋」「飽き」に通じる。「安藝」とは、実りの象徴だという説が、江戸時代以来多い。近年真面目な地理学者は、崩落地を開発した「吐き」から来たなどと唱えているが、身も蓋もない解釈である。いくら正しくても、後世の人は、秋の実りに通じ、恋の終わりに通じる、歌語の「飽き」と「秋」のイメージが欠かせない。
 こうした詩的想像力の果てに、紅葉に彩られる水の神域宮島の鹿がある。「崩落地の開発」などという地べたを張った理解では、言葉の持つ「飛躍」の力を持つことは難しい。
 恋も終わりがあるから、哀切がある。格式にがんじがらめになったところから、やむにやまれぬ熱情が生まれる。なんでも丸裸にしてそれでよし、という感性では、鹿にも劣ることとなるのだ。
  雄鹿の前吾もあらあらしき息す 橋本 多佳子
___________________________
井上 泰至(いのうえ・やすし)   1961年京都市生まれ 日本伝統俳句協会常務理事・防衛大学校教授。 専攻、江戸文学・近代俳句
著書に 『子規の内なる江戸』(角川学芸出版) 『近代俳句の誕生』 (日本伝統俳句協会) 『改訂雨月物語』 (角川ソフィア文庫) 『恋愛小説の誕生』 (笠間書院)など 多数
0 notes
itokawa-noe · 1 year
Text
書店と朗読会をめぐる旅をしてきた話(三日目)
「書店と朗読会をめぐる旅をしてきた話(一日目)」からの続きです。この記事で旅の記録はおしまいです。
 今回は、
・犬と街灯(庄内)
・toi books(本町)
 を訪ねた際のことと、旅の総括的なことを書きました。
 おまけの番外編として、
・つまずく本屋 ホォル
 のこともちょこっとだけ書いています。
―――
【犬と街灯】
 最終日は、リトルプレスで賑わう「犬と街灯」へ。
 楽しいことがすきなひとが楽しいことをやっていたら楽しいことをやりたいひとが集まってきた、そんな空気がガラス張りの店内から外の通りにまで漂っており、もしも私がこのお店を知らなかったとしても、前を通りかかったら足を止めずにいられないだろうと思った。
「個人書店って、店主さんの人柄が出ますねえ……」と、ここ最近の個人/独立系書店通いのなかで感じていたことを何の気なしにつぶやいていたのだが、お店を営んでいらっしゃる方に向かってくちにするには不躾なせりふであることに気づき、ひぇーとなった。谷脇さんはなんだか実感のこもった調子で「あー、出ます、出ますねえ」とにこやかに頷いてくれて、ほっとした。
 自分も参加させてもらったアンソロジー『貝楼諸島より/へ』の原画が大集合しているのを見られたのも幸せだった。
Tumblr media
(ご存じない方のために説明すると、こちらの絵はすべて店主の谷脇さんが描かれたものなのです。『貝楼諸島より/へ』の装画と装丁を手がけられたのも、というかそもそもこのアンソロジーの発起人からして、ぜんぶ谷脇さんなんですよ。いやはやびっくりだね)
 やはり原画はよい。筆づかいや、ぬりかさねられた絵の具の厚みをじかに味わうことができて、陶然となった。写真撮影の許可をいただいたものの寄りで撮ることはなんとなくためらわれ、斜めから雰囲気だけ撮ってきた。
 『貝楼諸島より』と『貝楼諸島へ』の通販はこちらからどうぞ。
 糸川の短編が掲載されているのは、緑色の表紙の『より』のほう。鳥が出てくるお話なので、この本の表紙に鳥がいることを、ちょっと嬉しいな〜と思っている。
 とつぜんの告白なのだが、私には、児童文学を書いて本にしたい、その装画を谷脇さんにお願いしたい、という野望がある。ジャンル的に文フリなどでの頒布には不向きだろうから、この野望を叶えるには商業出版で単著を出すしかない。がんばれ。(装画をお願いする方を決めるのは作家ではなく編集者だろうとか、そういうことはいったん脇に置いておく)
 〈購入したもの〉
 前々から「これは買えるうちに買っておくべきなのだろうな(ものすごく評判がいいので)」と思いつつなんとなく手を出せずにいた本と、その場で目が合った本、あと友人へのお土産用の推し本を買った。
●谷じゃこ『鯖のいる情景』:こだわりぬかれたかわいすぎる装丁と鯖への偏愛にひとめ惚れした。一冊まるまる鯖の短歌と川柳なんだよ。購入後に数えてみたら76首あったよ。(数え間違えている可能性もあり)それだけでも恐れ入ってしまうが、奥付に「2022年9月25日発行(気持ち的には3月8日発行)」とあったのをみつけたときは降参!大好き!と心のなかで叫んだ。さばのひ!偏愛バンザイ!
●谷脇栗太『ペテロと犬たち』:推し本。中身も外側もたまらなくよい。
●暴力と破滅の運び手『ブラームスの乳首』:運び手さんはやばい。なんとなくそうなのだろうなと思ってはいたけど、それ以上にやばい方だった。そりゃ人気なわけだ。最高。
ーーー
【toi books】
 最後に訪ねたのはtoi books。
 敷地面積だけみれば決して広くはないが、棚が宇宙だった。宇宙のひろがりを感じる棚だった。何周もぐるぐるした。もろもろの事情がゆるすならば何時間でも眺めていたかった。
 客が自分ひとりしかいない時間が長くつづくと店内に変な緊張感が漂ってしまうことがある。toi booksさんではそれが一切起こらず、店主さんの気配の消しかたに感動した。おかげで目の前の本棚以外のことは頭から消え、心ゆくまで回遊できた。
 その道のプロなのかと思うぐらい見事に気配を消されていた店主さんだったが、会計時にはお声かけくださり、それも嬉しかった。赤染晶子さんの『じゃむパンの日』について、この本を迎えられることが嬉しくてならないというような会話をし、温かな余韻とともに帰路についた。
〈購入したもの〉
●赤染晶子『じゃむパンの日』:言わずと知れた。また会えて、このような形で手にとることができて、幸せだ。
●いしいしんじ『書こうとしない「かく」教室』:他のお店で目が合ってもたぶんすぐには手がのびなかった。toi booksで出会ったという文脈が、この本を選ばせた。
●福永信『星座から見た地球』:いわゆるジャケ買いというやつ。表紙と帯とタイトルとぱらぱらめくってみた本文の白黒のバランスなんかに、ぴんとくるものを感じた。ままごとの『わが星』っぽいのを想像しているのだけれど、どうだろうな。そうだと嬉しい。そうでなくても嬉しい。
●町屋良平『ほんのこども』:いつか読まねばと思いつつ、向き合うのが怖くて、目が合うたびに逸しつづけてきた本。ついにわが家の敷居をまたがせてしまった。怖い。
ーーー
 以上で「書店と朗読会をめぐる旅をしてきた話」はおしまいです。
 最後に、今回の書店めぐりを通じて感じたことなどを少しだけ書いておきます。
ーーー
 どのお店も「誰のために」と「なんのために」が明確で(あるように私には感じられた)そこがとても格好良かった。
 誰のために。なんのために。
 お話を書く際にも、それから読む際にも、忘れずにいたい問いだ。
 つい最近、とある作品を読んだ際に、それが誰かにとって大切な物語なのだと想像することを怠った結果、ひどい過ちを犯してしまった。そんなことを思いだしたりもした。
 そんなこんなで、たくさん本を買った。
 お財布はすっからかんだ。旅行中はほとんど飲食店に入らず食費を節約していたのだが、焼け石に水だった。
(コンビニのおにぎりをホテルの冷蔵庫に入れておくとひとばんでカチンコチンになるのだという知見を得た)
(知見を得たのに翌日もまったく同じ失敗を繰り返し、二日続けて予定していた時間にホテルを出ることに失敗した)
 今回の旅のために確保していたお金は使い切り、ほかのことに使うはずだったお金まで飛んでゆき、もともと天井を突き破っていた積読の山がさらに高くなり、そのぶんだけ罪悪感が募った。でも悔いはない。お金を貯めて積読の山を低くしてから、またこういう旅がしたい。
 大阪から戻ったあと、久々に実家に帰った。
 駅前の風景に違和感をおぼえ、その正体について考え、長いあいだ駅前でがんばっていた書店がドラッグストアになっていることに気がついた。
 自覚していた以上に、私は本屋さんがすきみたいだ。
 本屋さんを、とりわけ街の本屋さんや個人の営む本屋さんを、じぶんにできる形で応援してゆきたい。
ーーー
 おまけの番外編
【つまずく本屋 ホォル】
 大阪から帰ったあと、川越市の霞ヶ関にある「つまずく本屋 ホォル」に行ってきた。ほしおさなえさんや伊東なむあひさんのツイートで存在を知り、長らく気になっていたお店だ。
 店主の深澤さんがとてもお話のしやすい方で、最近発売されたアンソロジーのこと(『なまものの方舟』には私も乗りたかったのだけれど、乗組員を志願してよいのかわからずまごまごしているうちに船が出港してしまったのです、など)や共通の推し作家のことなどを、わりと長めにおしゃべりさせていただいてしまった。一月に開催される「星々の集い」でまたおめにかかれるとのことで、今から楽しみだ。
 ホォルさんの棚、迷路みたいですごく楽しかった。新しい本と古い本がわけへだてなく並んでいるところや、おなじ本がいろんな棚にいるところが、のびやかで風変わりで、すきだった。深澤さんは「意図してそうしているところと、結果的にそうなってしまっているところがあるんですよね」と仰っていたけれど、そのありようこみで、とても好もしく感じた。
〈購入したもの〉
●小津夜景『花と夜盗』:小津夜景さんの存在を知ることができたのは、今年特によかったことのひとつだ。教えてくださった方にとても感謝している。
●せんだいメディアテーク『ナラティブの修復』:いま一番関心のあるテーマについての本なので買うしかなかった。
●野村日魚子『百年後 嵐のように恋がしたいとあなたは言い 実際嵐になった すべてがこわれわたしたちはそれを見た』:訪問のきっかけをくださった伊藤なむあひさんへのリスペクトをこめて、伊藤さんの推し作家さんの本をお迎えした。(というのもあるけれど、単純に野村日魚子さんの歌集がほしかった)
●橋本輝幸『鹿が店を発見する』:橋本さんのお店レポが好きなので。一冊にまとまって嬉しい。
0 notes
hosoudehanjouki · 2 years
Text
自分の人生を捧げる
2019年の12月31日、私はアメリカはロサンゼルスにいた。
その日、集会が開かれたホールで、私は自分の不甲斐なさに打ちのめされていた。どうしても、どうしても一歩が踏み出せなかったのだ。
2019年当時の私は、目まぐるしいほどの仕事の忙しさや恋愛の挫折によって、自分が今どこで何をしているのかもわからないほど混乱していた。
仕事は2年目にもかかわらず、大学院卒であることを買われて一人で行事の運営をまかされ、4つ下の新人後輩の世話をしながら先輩のペースも食らいつていかねばならず、とにかくがむしゃらに働いていた。
プライベートでは、ある人と交際関係になり、順風満帆に見えたが半年で破綻。自分の心が相手から離れていくのをどうしたらいいかわからず、周りの人間関係からも逃げるように顔を出さなくなっていた。
平日は仕事でへとへとになり、週末は人間関係で葛藤する毎日。このままでは自分が自分でなくなってしまう、早くどうにかしないとという焦りだけがあり、でもどうしたらよいのか途方に暮れていた。
そんなとき、教会の知り合いの方に「アメリカに行ったら?いいキャンプがあるよ」と言われて紹介してもらったのが、EC(Equipper's Conference)だった。
それは、JCFNというクリスチャン団体が開催している、アメリカで信仰告白をしてクリスチャンになった日本人が、帰国後も信仰生活を続けられるように備える(=Equipする)目的で始まったキャンプだ。アメリカのロサンゼルスで開催されるにも関わらず、参加者の8割が日本人という不思議なイベントである。
主目的は前述の通りだが、信仰に渇きを覚えている人、ノンクリスチャン、日本に伝道の思いがあるアメリカ人など、基本的には誰でもウェルカムなキャンプだということで、「絶対いい時間になるから、行ってみたらいいよ」という言葉に促されるまま、単身ロスに乗り込んだのであった。
キャンプのテーマは「信頼」。神様に信頼することについて、2名のメッセンジャーが代わる代わる説教をしてくださった。
なかでも衝撃だったのは、サンディエゴ日本人教会で仕える大倉信先生の、ご自身の半生を証した説教だ。波乱万丈な牧師生活のなかで、常に自分の思いは砕かれ、人生は悲しみと苦しみであふれていた。しかし同時に祝福と恵み、気づきと癒しにもあふれていて、自分は自分の力で生きているのではなく、神様によって生かされているということを痛感しているという内容だった。
日本国憲法には「国民主権」という権利がある。日本国の主権、日本国をどうしていくか決める権利は政府や宮内庁ではなく、国民にあるという意味だ。 大倉先生によればクリスチャンは「神主権」、つまりクリスチャンである私の主権は私ではなく神にあるというのだ。
神によって作られた私たちをどうするのも神の勝手、と言ってしまえば冷たく聞こえるが、私たちを救うために十字架にかかってくださったイエス・キリストが、まず「あなたの御心のとおりになりますように」と祈ったのだ。クリスチャンはイエスキリストに倣うものなので、「自分の人生が自分の思い通りになりますように」ではなく、「神様の御心のとおりになりますように」と祈ろうと促された。
一連のメッセージのあと、招きの時間になった。 具体的には、献身(伝道や宣教、教会で働くなど、聖書の福音を伝える活動をしていくこと)の思いが与えられたひとが会衆の前にでて、個人的に祝福の祈りをしてもらう時間のことだ。もちろん、職業として牧師や伝道師にならずとも、福音を人に伝えるために、自分の人生を神様に捧げたいと思うなら、だれでも前に出て祈ってもらえる。
大倉先生が「今思いがあるひとは、前に出てきてください」とマイクを通して語ったとき、私は、「前に出て祈ってもらいたい」という思いが胸の奥に灯るのを感じた。
ぽつりぽつりと、会衆をかきわけて前に出ていく人が現れる。
どうしよう、と思った。
行きたいけど…行きたいけど、怖い。
どうしても足が動かなかった。私の足は、会場のじゅうたんにくぎ付けになったようになり、胸がざわざわとするのを感じた。
と、私の隣で祈っていたSが、私とその先に座っている人たちをかきわけて、前に出ていこうとするのを感じた。
Sはこのキャンプで知り合った同年代の女性で、とても気が合い、短い期間のあいだにぐっと心の距離を縮めた友人だった。
そのSが、「ちょっとごめんね」と言って会衆から抜け出し、前に出て行った。いつのまにか集会場の前の方には祈ってもらいに出て行ったひとの人だかりができていて、それぞれが思い思いのスタイルで祈りを捧げていた。
「行きたい。」私はもう一度強くそう思った。
しかし、心は恐怖心と人に見られることへの恥ずかしさに支配され、足は頑として動かなかった。
結局その集会で自分の献身の思いを表明することはなかった。周りの目を気にして、また決断してしまうことへの恐れに囚われて一歩を踏み出せなかったことを、集会が終わっても引きずっていた。
その日の夜、ついにキャンプの最後の集会がやってきた。この集会は夜の9時頃に始まり、メッセージの後賛美があり、そのままカウントダウンへともつれこむ。賛美と言ってもカトリックの大聖堂で聴こえてきそうな厳かなものではなく、ポップスに近いワーシップソングである。賛美とは言えみんなで熱唱しながら年越しを迎えるという発想はアメリカらしいというか、なんともパリピっぽいイベントだ。
会場のボルテージが少しずつ上がっていくなか、私はいまだに招きの時間のことを引きずっていた。
そんななかで、集会の司会者がグループに分かれてキャンプの感想の分かち合いと祈りの時間を取るように促し、私たちはあらかじめ決められたグループに分かれた。
各々がキャンプでの収穫を話していくうちに、私は自分の献身の表明をここでするように促されているのを感じた。200名を超える集会で前に出ることはできなくても、4泊5日を共にした5名のメンバーになら話せる。そう思った。
「私は自分に自信がない。今回のキャンプでも、メンバーと自分を比べてばかりいて、最初はうまくやっていけるか不安だった。 でもこのキャンプに参加して、自分の人生は自分のものではなく、神様のものだということが分かった。だから、神様にお返しします、と表明したかった。でも、ここでも人の目が気になって、会衆の前で表明することはできなかった。Sが前に出て行ってしまったとき、ついていけたらどんなに良かったか、悔しくて自分が情けなくて恥ずかしいと思った…。 でもみんなになら言える。私は神様に自分の人生をお捧げしたい。神様の主権のもと自分の人生を歩みたい。だからそのために祈ってほしい…。」
もう最初から涙が出て止まらず、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになりながら、それでも精一杯話すことができた。5名のメンバーも、涙をながしながら聴いてくれ、心を注ぎだして祈ってくれた。
感じたことのない一体感が私を含めた6人のなかに現れて、そのあとのカウントダウンは人生で一番解放された時間になったと思う。本当に感謝だった。
あれから2年半が経つ。
正直に言うと、ここ半年はすっかりそのことなど忘れてしまっていた。献身の思いに燃えて色々なことをやってみて、上手くいったこともいかなかったこともあり、燃え尽きていた私は、恋愛に熱中することでその疲れを忘れようとしていたのだ。
結局それもうまくいかず、またもや自分が一体何をしているのか分からない状態に戻ってきてしまった。
そして今日、とあるクリスチャンの書いた本を読み終えたときに、この出来事をふと思い出したのだ。
ああ、私はあの時、人の目が気になって、どうしても一歩踏み出せなかった。でも6人で祈ったとき、確かに私の人生は神様に捧げますと宣言したんだったよな…と。
神様は確かにその宣言を祝福してくださった。 いま、改めてそこに戻ってくるように示された気がする。
この先どうなるかはわからないけど、また七転八倒しながら歩んでいくのだろう。まずは、原点ともいうべき経験に戻ってこれたことに感謝。
0 notes
utautain-suzuri · 2 years
Text
初土の種 7月
文の雨が流れ落ち、今宵の空の星はいづこぞと。
七月と言えば七夕です。 文の字を「ふみ」と読みかえますと、それは「渡す」物、「伝える」事となります。
七月は、文月です。 封筒にひと月を籠め、お送り致しました。 切り込みに合わせて写真と封筒をセットしてお使い下さいませ。
Tumblr media Tumblr media
台座の紙は「ふじ」の「くわ」。 藤の花の花言葉のひとつに「決して離れない」というものがあります。そして、紫の藤の花言葉は「君の愛に酔う」、白の藤の花言葉は「恋に酔う」などです。藤娘の大津絵は良縁の護符とされました。 桑の花言葉はあるギリシャ神話から来る鮮烈なもので、その神話は「ロミオとジュリエット」の基にもなったのだそうです。こちらはお調べになってみて下さいね。
封筒の紙は「おりひめ」(こちらは某印刷会社様、独自の呼称です)。広島に集まった、平和を祈る千羽鶴が抄きこまれた紙です。目を凝らせばとりどりの色が見えます。七夕飾りに長命を願って、折り鶴を飾る事もあります。 中の写真はコンビニプリントです。 プリントの機械のひとつの昇華式(昇華型熱転写方式)という方法は、(インクリボンを)熱して像を紙に写しています。なんだか恋文に似ていませんか。
恋文であれば、丸文字で認めるでしょうか。イクール体を参考に。 七夕の星は光るか、見えるか見えないか、という心持ちで蛍光ペンを用いました。
撮影した場所は、三つの川が出逢う所。川には「渡し」があり、七夕には天の川に「鵲の渡せる橋」が架かります。 これは八月の写真と同じ所です。手法ともども、重なりながら続いてゆきます。
Tumblr media
ここからは少し、七夕を掘り下げてみましょう。
人の行き交う交通の場であり、逢瀬を隔てる障害でもある川は、境界となります。境界は橋で越える、もしくは舟で渡ります。
七夕の空に昇る上弦の月は、彦星が乗る舟に見立てられて「月の舟」と歌に詠まれます。 天の川を渡る舟。漕いだ舵の滴が雨となって、地上に降ります。 舵は梶にかけられます。梶の木は古来より神聖な木とされてきました。
平安時代の貴族は、里芋の葉に置かれた白露で墨をとき、七枚の梶の葉に歌を認めて書道や裁縫などの技芸の上達を願いました。 七夕の元となった乞巧奠には「巧(技芸・芸能などの上達)を乞う奠(まつる、そなえる)」という意があります。 角盥に張った水にその葉を浮かべ、星を映します。 梶の葉に認めた言葉は、梶の言葉(ことのは)と言います。梶の木は楮の親戚なので、紙の原料となる事も。
Tumblr media
今はその役目を、笹に飾る短冊に託しました。旧暦や来年の七夕で、もしよろしければ短冊にどちらかの歌を認めてみてはいかがでしょうか。
天の川 とわたる舟の かじのはに 思うことをも 書きつくるかな
          上総乳母『後拾遺和歌集』(本歌)
七夕の 門渡る舟の 梶の葉に いく秋書きつ 露のたまづさ
          藤原俊成『新古今和歌集』(本歌取り)
川という境界は、織女と牽牛だけのものではありませんね。
七夕は旧暦ではお盆の前に行われる行事でもありました。現在でも旧暦で七夕が催される事があります。 七夕飾りのひとつに舟をつくる地域があると聞きます。それは、天の川を渡る舟とも精霊舟とも伝わります。 また、藁や真菰で七夕馬を拵える地域もあります。 嘗て七夕飾りは川に流していました。(今は流してはいけません)。それは境界を越え、彼方へと送る、供える行為でもありました。 隔てられているのは地と地ばかりではなく、地と天もまた届かぬ所にあります。
七夕は中国の乞巧奠という行事が日本に入り、日本に元からあった棚機津女信仰や祓えの考え、農耕儀礼などと合わさりました。 稲(または稲の種)や穀物の総称を「たなつもの」(田、もしくは種より)(畑のものの種は「はたつもの」)と呼ぶので、七夕の語と関係があるのかもしれません。 六月にご紹介した茅の輪くぐりのように、乞巧くぐりを行う所もあります。身を浄める為でしょうか。夏越の祓、七夕、お盆は本来はとても近い期間で執り行われました。 また、随所に配される五行説に由る五色(青(緑)、赤、黄、白、黒(紫))は、それぞれに自然界の要素や五徳の意が具わっています。あらゆる背景が雑じり合った行事なのです。
逢瀬をする二つの星を繋げるのは鵲の橋ではなく「カータリ」だとする地もあります。「カータリ」は裾の短い着物を着て脚が長くのびたおじさんの姿をしており、天の川増水の折には織姫(彦星とする場合もあり)を背負って渡る役目を担っています。「河渡り」が「カータリ」になったようですが、「あしなが」等の別名も地域によってあるそうです。この橋渡し役が居る地では、軒に織女と牽牛の人形、そして一緒にカータリの人形を吊るします。 逢瀬の瀬は“川の浅い所。川を渡るのに適した所”です。
地域地域で展開をし、特色を持った行事です。地域性に目を向けつつ、後世に伝え渡されるものであるとよいと思います。旧暦で七夕を催される地域を訪れるのも、きっと新鮮でしょう。
Tumblr media
梶の言葉には幸せを祈る歌や言葉を書きます。 それは空へと昇華するでしょう。 地から天へと渡る玉梓のように。
(今回の制作はコンビニプリントですので、お休みさせて頂きます。) (遅れる事が続き、申し訳ございません。)
目次
1 note · View note