Tumgik
shiinaneko · 2 years
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トイレの電球は10ワット。机のスタンドは100ワット。スタジオの電灯は1キロワットだ。つまり、ワット数が多くなればなるほど明るくなるわけだ。しかし、1キロワットの電灯でも、3キロメートル先を照らすことはできない。3キロメートル先を照らすことができるのは、レーザー光だけである。  では、レーザー光は何ワットか?  たった1ワットに過ぎない。トイレの電球は10ワットでも薄暗いのに、なぜ、1ワットの光が遠くまで届くのか? それは、光を一点に集中させているからだ。これこそ、集中することのパワーなのだ。  しかも、1キロワットしか出せない電球に2キロワットをかけると、焼き切れるだけだ。重要なのはワット数(能力)の大きさではない。重要なのは、自分がもっているワット数を徹底的に集中させることであり、その集中をとことん持続させることだ。それができれば、たとえ1ワットの才能しかなくても、1キロワットの才能をもっている人間よりも、遠くに行くことができるのだ。
“もてる能力”を集中させることで、「凡才」は「天才」に勝てる【西和彦】 | 反省記 | ダイヤモンド・オンライン https://diamond.jp/articles/-/248048?page=3
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shiinaneko · 2 years
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「Nouns」が画期的なのは5つあります。 1点目は、 毎日NFTが自動的に生成されて、販売され、資金が集まる仕組みを自動化することで中央がいなくても回る仕組みになっている点。 2点目に、 世界中の人々から資金を集めて、ボランティアではなくビジネス性をもたせて、独自キャラクターをNFTオーナーやコミュニティからのボトムアップ型で創り出していこうという壮大な計画である点。 3点目に、 イーサリアムxフルオンチェーンとすることで、コンポーザビリティを発揮して、無限の発展の可能性やスケーラビリティを最大化している点。 4点目に、 オンチェーン上でジェネレーティブにキャラクターを自動生成し、CC0を宣言することで、キャラクター創作者の権限さえも無効化している点。 5点目に、 売上がすべて、”共通のお財布”に入り、その使いみちの意思決定をコミュニティに委ねている点。
https://www.youtube.com/watch?v=P6leaU30uOg
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shiinaneko · 2 years
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・日常世界をゲームの一部として取り込んでいる。 ・プレイヤーの行動によってリアルタイムに展開が変化するインタラクティブ性を備えている。 ・プレイヤー同志がコミュニケーションをとることでゲームが進行する。 ・インターネット、テレビ、ラジオなど様々なプラットフォームを通じたクロスメディア展開を行う。 ・断片的な情報が少しずつ判明してゆくことで、1つの大きなストーリーが徐々に明らかになってゆく。 ・プレイヤーへ与えられた謎解きやミッションを解決することでゲームが進行する。
代替現実ゲーム - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%A3%E6%9B%BF%E7%8F%BE%E5%AE%9F%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%A0
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shiinaneko · 3 years
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「日本では『雲をつかむような話』といいますが、雲をつかむのは大変ですよね。水滴があって、水滴が衝突して(大きくなって)雨になって落ちてくると。これをモデルに組み込むと複雑になる。とにかく、自然というのは複雑です」  「1965年に(研究を)始めたときは、コンピューターのスピードが(今より)100万倍ぐらい遅かった。今は何でも(計算に)入れられる。ところが複雑にしたからといって、それを検証するのがまた大変なんです」  「計算機にふりまわされず、現象を理解することが大事。今はコンピューターに使われている人が多い。若い人に言いたいことは、コンピューターに振り回されるな、と。ポピュラーな、はやっている研究に走らずに、自分の本当の好奇心ですね。それにもとづいた研究をしてほしい
https://digital.asahi.com/articles/ASPB603WJPB5ULEI00C.html?pn=11&unlock=1#continuehere
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shiinaneko · 3 years
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私の考えでは、膨大な数の人々が協力し合うことを可能にするのは、人類が持つ「物語を語る力」です。これは数百万人、ときには数十億人に同一の物語を信じさせる力のことです。その物語が真実である必要はありません。あえて挑発的な言い方をするなら、この地球を制したのが私たち人類であり、チンパンジーでない理由は、人類がチンパンジーよりも大量の虚構、大量のナンセンスを信じられるからなのです。
「地球を制したのがチンパンジーでない理由は、人類が大量のナンセンスを信じられるからです」 | ユヴァル・ノア・ハラリとルトガー・ブレグマンが語る「人類の過去」 | クーリエ・ジャポン
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shiinaneko · 4 years
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 ぼくは、かなり長い間、広告のコピーライターだった。  商品なり、サービスのことを調べて「知る」  そして「理解する」ことが、仕事の出発点だったと思う。  思えば、これは「ほぼ日」をはじめてから  とても数多くやっているインタビューの仕事と似ている。  たとえば、「たまご」の広告コピーをつくるとしたら、  「たまごさん」にインタビューをするというわけだ。  「まず、こう大きい小さいがあって値段もちがいますが、  買う人は、どう考えたらいいんでしょうね?」  そんなことを訊くと、たまごさんが答えてくれる。  「食べられる分量がちがいますから、値段もちがいます」  などと、常識的なことのやりとりもあったりして。  「まぁ、単純に目方を値段で割ったら、  グラムあたりいくらとかわかるんじゃないでしょうか」  たまごさん、ちょっと取材を手伝ってくれたりもする。  「白身と黄身では、同じ重さでも価値がちがいますね」  とか、話を展開していくことになるかなぁ。  「プロテインを摂取したい人には、  白身がよろこばれますよね、タンパク質ですから」  「一方で、黄身がうれしい人もいますよね」  このへんから、興味深くなってくる。  「黄身の大きさは、L玉も、M玉もさほど変わりません。  だから、なかしましほさんとか、お菓子づくりの方は、  相対的に黄身の多いM玉を指定したりもしてますね」  こう、無口なたまごの話し相手になって、  どうやったら、たまごさんのいいところが、  みんなに伝わるものかと考えていくのが広告コピーだ。  だいたいは、じぶんの頭のなかで対談をやっている。  こんな、取材のための脳内インタビューを、  対談コンテンツにしたのが「ほぼ日」かもしれない。  「問答」という形式が、ぼくの基本なのだろうなぁ。      ほぼ日刊イトイ新聞 - 昨日の「今日のダーリン」 https://www.1101.com/darling_column/yesterday.html
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shiinaneko · 5 years
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彼(ナデラ氏)は、素晴らしいCEOです。会社を本当に蘇らせたといいますか、Windowsが一番だというところからクラウドの会社に切り替えて、AppleやAndroidとも共存できるような戦略に切り替えたわけです。 彼は、企業は戦略が一番大事だと思っていたと。「この戦略でいこう」と思い、それを実行するために必要な企業文化や組織能力を作ることが大事だと思っていたんですが、経験者として経営を積むうちに「そうじゃない」ということがわかってきたそうです。 それは何かというと、企業文化が一番大事だと。一人ひとりのマインド・モチベーションも含めて、それ(企業文化)が一番企業をドライブする。正しいことを正しくやろうという文化を目指せば、自然と正しい戦略ができてくるんだと。自然と正しい組織能力に持っていこうと組織全体が努力する、と言っていたんです。
「会社が腐る時は頭から腐る」 パナソニックCNS社樋口社長が語る“病める企業”の構造 - ログミーBiz
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shiinaneko · 5 years
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両者は、出発点の違いだけではなく――むしろ出発点が違うがゆえに――そこから帰結される「学の体系」も大きく異なっています。 右側の経済学は、基本的に「見えざる手」を前提に、市場を通じた「私的利益と公共善の予定調和」という思想に立脚しています。したがって、将来起こること(その確率分布)はある程度既知であると考えます。これを「リスク」と呼び、リスクを想定することによって将来予測は可能と考えます(エルゴード性の定理)。 この考え方からは、貨幣ヴェール説が導かれ、金融政策に関する「現在の株価は将来に対するあらゆる情報を織り込んだうえで成立している=効率市場仮説」との親和性が導かれます。 市場への信頼を基礎におく右側の経済学の考え方からすれば、政府の役割には基本的に否定的ないしは限定的、再分配政策や社会保障の役割に対する考え方も同様に否定的ないし限定的となります。 他方、左側の経済学は、「合成の誤謬」という考え方に立ちます。個々の経済主体の合理的行動が全体の不都合を生む、すなわち、「私的利益と公共善の予定調和」は成り立たない、と考えます。 合成の誤謬が存在する世界���は未来のことはわからない。つまり「不確実性」ということを前提に考えます。ここから、流動性選好(未来のことはわからないから何にでも変えられる貨幣への需要が生じる)という概念が生じます。貨幣は単なる「交換手段」ではなく、それ自体に価値があるものとしての需要が生まれる、という考え方が導かれるわけです(なので左側の経済学では「貨幣数量説」は否定されます)。 この考え方からすれば、合成の誤謬を補正ないし補完するために政府が一定の役割を果たすことは容認ないしは評価され、再分配政策や社会保障はその理論体系・政策思想の一部を成すものとして、肯定的に位置づけられることになります。
経済学を学ぶ人が絶対に知っておくべきこと | 読書 | 東��経済オンライン | 経済ニュースの新基準 https://toyokeizai.net/articles/-/260784?page=2
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shiinaneko · 5 years
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小学校で作文というものをやらされたが、あれが実に嫌だった。文章を書くことが大嫌いだった。もちろん、読むことはそれ以上に嫌いだった。本なんか自主的に開いたことはない。課題図書は全部つまらなかった。国語がどの教科よりも嫌いで、もう嫌な思い出ばかりである。国語のない国へ行きたいと思ったくらいだ。 ところで、なにを書いても良い、と言われると、書けないものである。テーマが決まっていた方が書きやすい。実は、テーマを選ぶところに、書き手のオリジナリティの大半があるわけだから、書きたいことを考えさせることが、作文の主な課題といっても良い。ただ、「書きたいこと」という表現は良くない。そもそも子供(僕)は書きたくないのだから、いくら考えても、書きたいことなど出てこないのである。 今も同じだ。作家になって、沢山の本を書いたけれど、書きたくて書いたわけではない。お金がもらえるから書いているだけだ。ここが肝心である。 どこで切り換えたのかというと、「書きたいこと」を探すのではなく、「読みたいもの」を考えるようになった。みんなが読みたいものを探して、嫌々でも書く。それが仕事になる。そういう原理なのだ。 もし、貴方が文章を書いて、それを生業にしたいと思うならば、書きたいことばかりを書いていてはいけない。そうなると、書きたくないときには書けない人になってしまうからだ。書きたいことなんて、すぐになくなってしまうし。 たとえば、今書いているこの文章などは、「書きたいことがない」というテーマで書いているわけである。書きたいことがないときに、どうすればものが書けるか、ということを実証しているともいえる。このように、プロというのは、書きたいことがなにもない状態でも書ける。つまり、「書くことがない」という状態はない���とになる。 見ているものがあれば、その絵が必ず描ける、というのと同じだ。考えているものがあれば、それを書ける。だから、見ていない人、考えていない人には、たしかに少し難しいかもしれない。 素人が書いたものを読むと、やはり、書きたいことを書いている、という部分が前面に出てしまって、いわゆる「主張」になっていることが多い。「わかってほしい」「自分を認めてほしい」と読めてしまう。プロというのは、書きたいこと、書くことがないときでも書ける人のことだ。
『「思考」を育てる100の講義』森 博嗣 (著)
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shiinaneko · 6 years
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笠原はこの俊藤のもと、ヤクザ映画のストーリーづくりの精髄を磨きあげた。まずベーシックには次の手順を守れるようにした。 ①コンセプトの検討(恋愛映画なのかセミドキュメントなのか) ②テーマの設定(観客に伝えたい「観念」を決める) ③ハンティング(取材と資料収集) ④キャラクターの創造(役者を想定しながら性格を浮き彫りにする) ⑤ストラクチャーづくり(人物の相関関係を決めていく) ⑥コンストラクションをつける(事件に配列と重なりをつける) ⑦プロットづくり(いよいよ筋書きを脚本にする)  こうして脚本を仕上げるのだが、その案配は「起・承・転・結」のそれぞれに抜け目なく「序・破・急」をつけるという原則に徹する。  ここまではそんなにめずらしくもない。いっぱしのシナリオライターならだいたいが心得ている。が、笠原はここに独自の「シナリオ骨法」というものを加えていったのだ。これが痺れる。骨法と名付けたところも、いい。書の用語だ。  以下のようなものだ。経営やビジネスにも役立つだろうけれど、編集技能にも欠かせない。  骨法その一「コロガリ」‥何が始まるのかとわくわくさせる骨法。ご都合主義ではコロガリが悪く、本筋だけを追うのはコロガリが過ぎるのだ。  骨法その二「カセ」‥主人公が背負ってしまう運命や宿命である。上司の不首尾、身分違いの恋、家の破綻はいずれもカセだ。このカセがないと、「アヤ」が生きてはこない。「カセ」と「アヤ」とで物語ができる。  骨法その三「オタカラ」‥ 主人公にとって何物にも代えがたいもの。主人公に対抗する者にとってはそうさせまいとするもの。これが物語の葛藤を深めていける。アクションドラマには必須。  骨法その四「カタキ」‥敵役。オタカラを奪ったり隠したりする者。恋愛では恋敵。これを一歩すすめると、トラウマや劣等感などの“内部のカタキ”が描けるようになる。  骨法その五「サンボウ」‥正念場のこと。我慢あいならず、ついに三方(テーブル)をひっくりかえす場面をつくるということ。  骨法その六「ヤブレ」‥破れ、乱れのこと。序破急・守破離の「破」。映画では主人公がヤケ酒を飲んだり、ボロボロになったりする。役者の芸の見せどころでもある。  骨法その七「オリン」‥これはバイオリンのこと。昔、親子の別れなどでバイオリンで観客の涙をさそったことから、とくに感傷的な場面をつくることをオリンとか、オリンをこするという。  骨法その八「ヤマ」‥いうまでもないクライマックス。ヤマ場。あらゆるドラマの要素がここに向かい、感情もここに向かって帰結する。だからヤマには一気に解き放つ力が必要。そのためには作者も感動する必要がある。  骨法その九「オチ」‥締めくくり、ラストシーン。予測と期待を満足させるオチと、予測を裏切って満足させるオチがある。メロドラマは前者、ミステリーは後者。予想ができて期待はずれだったり、予想できずに期待も満たされないオチは、両方とも失格。  骨法その十「オダイモク」‥いわゆるテーマ。つまり物語の「観念」。書き始める前のテーマが書き進むうちに変わってくれば、最初の観念を捨てる。書き終わったら、さらにオダイモクを唱えなおす。
1518夜『戦略読書日記』楠木建|松岡正剛の千夜千冊 https://1000ya.isis.ne.jp/1518.html
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shiinaneko · 6 years
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林:ぼくねー、千葉のおじさんの写真集めたいんですよ。 小国:なに言ってるんですか? 林:親戚にひとりぐらい、千葉のおじさんっているじゃない? 藤村:知らねえよ! おめーんところはそうかもしれねえけど! 林:千葉のおじさん、川越のおじさん。宇都宮のおじさん。 藤村:確かにね、川越あたりいそう。
IPG | Gプレス http://blog.ipg.co.jp/archives/4475
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shiinaneko · 6 years
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林:いま、インターネットがどんどん真面目になっていて、ライターもどんどん真面目な方向に行こうとするんです。 藤村:それは止める? 林:止める! そんなのは求めてない。真面目なことなんて、ワンパターンだから、そんなん誰でもできるよ、とにかくふざけようって言います。
IPG | Gプレス http://blog.ipg.co.jp/archives/4473
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shiinaneko · 6 years
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ステップ1:これまでなかったジャンルのカテゴライズ ステップ2:矛盾する単語を合わせたネーミング ステップ3:ネーミングしたものの大量収集と自身による深掘り ステップ4:雑誌を中心としたクロスメディアでの発信展開 ステップ5:人々の誤解による自分ゴト化とバズを見守る
みうらじゅん氏が公開した「一人電通式仕事術」とは? | ウェブ電通報 https://dentsu-ho.com/articles/3727
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shiinaneko · 6 years
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みうら:自分があると面倒臭いでしょ。何かを見せるときも、自分の意見を加えると、人は途端に見なくなるでしょ。でも「こんなものがあるよ。しかもこんなにたくさん」って見せて、相手に感想をゆだねるとね、人は関心を持つんじゃないかと思います。自分の色をなくしたほうが、見るほうからしたら入りや��いから。
「自分はないほうがいい」 みうらじゅんが語る「仕事術」:DANRO(ダンロ):ひとりを楽しむメディア (via wadacchi)
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shiinaneko · 6 years
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動物や植物(含む野菜)を表す漢字が常用漢字表にあれば漢字。なければひらがなで書きます。学術的な場合は、カタカナで書きます。
動物や植物の名の表記。カタカナ、ひらがな、漢字、などその基準は? | ことば(放送用語) - 放送現場の疑問・視聴者の疑問 | NHK放送文化研究所 https://www.nhk.or.jp/bunken/summary/kotoba/gimon/003.html
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shiinaneko · 6 years
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ひらがな・カタカナ・漢字の使い方に関して、次のような習慣があります。 和語(やまとことば) :ひらがな、または漢字で書く 漢語(音読みのことば):漢字で書く 外来語(カタカナ語) :カタカナで書く
「豚カツ」? 「とんかつ」? 「トンカツ」?|NHK放送文化研究所 http://www.nhk.or.jp/bunken/research/kotoba/20151001_3.html
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shiinaneko · 6 years
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「~なそうだ」と「~なさそうだ」のどちらがふさわしい形なのかについては、用法によって異なります。だいたい、次のような傾向があります。 ①「ありなし【存在・非存在】」に関する場合 ⇒「(問題は)なさそうだ」のように「さ」が入る ②形容詞の否定の場合 ⇒「(寒く)なさそうだ」のように「さ」が入る ③動詞の否定の場合 ⇒「(降ら)なそうだ」のように「さ」が入らない ④外見上「ない」の形だが否定の用法ではないもの(「危ない、少ない、汚い」など) ⇒「(あぶ)なそうだ」のように「さ」が入らない
「降らなそうだ」? 「降らなさそうだ」? | ことば(放送用語) - 最近気になる放送用語 | NHK放送文化研究所 http://www.nhk.or.jp/bunken/summary/kotoba/term/141.html
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