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kangwakyudai-blog · 6 years
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普段逆説的且つ否定的な言葉ばかりを吐いているために誤解されているかもしれないけれど本来私ってば超真面目でルール遵守コンプライアンスババアなんですよね。無秩序を秩序的にしか愛せないのもそれ故なんですけど。
きのう私のファンとミーグリしてたんですけど(笑)私はこれまで根暗またはファッション根暗(個人的主観でね)としか関わってこなかった人生で形式ばった礼儀をきちんと弁えているような潔い人間と話したことがなかったので面白かったんですよね、変に同じ界隈の子と喋るより断然生産性があった。生産性の話とかしたらまじでキリないんですけど性格が良くはないので時間の無駄だなって思うことは結構多いんですよ
言うても私個人めちゃめちゃにアンビバレンスな存在だということを自認していて、自分のことを心の中で常にアンビバレンスマニタと呼んでいるくらいなんですけど。まあ嘘なんですけど。
なんにせよだれの心にも矛盾した気持ちやら何やらは心の奥底に敷き詰められているものだと思うのですが当事者としては相反する感情や目的や感覚を持っているだけでなくどちらも諦めることができないほどには大切に抱えているので辛いなくらいのあれですよね、辛いですね。みんな頑張って生きてるのは当たり前なんですよ、そのみんな頑張ってるのみんなっていうのはあんたであり私なんですけど
話は戻るんですが、私のファン……彼って呼びますね。彼とは会うのが数年ぶり2回目っていう状況で結構ウケてたんですが最終的に話していて知世ちゃんって結構保守的だよねと言われ。それなと思いました。尖り散らしてるとか言われたりしてたのでそんなもんかなと思ってたんですがそういえば私割と弁えているんですよね。あらゆることに関して線を引く作業が大事だと思ってるのも影響してはいると思うんですけど。ただちょっとどんなに愛している人のこともいつかきっと裏切るという最悪な特性を持ち合わせているだけで。これほんと最悪な特性だよな。笑えん。
なんだか窮屈だなあと日々思っているのは無意識にストッパーを幾重にもかけていてそのストッパーを外す作業を何回しても外し足りないみたいなところで、外せても逐一掛け直すしそのせいで1番欲しい奥底にあるイマジネーションを超殺しまくっているんだろうなとか。だから踊れない。えっヘルシンキラムダクラブのAll My Lovingめっちゃいい曲じゃない?びっくりした今 馬鹿だから同じ曲何回聴いてもいい曲だなって思っちゃうんですよね。今流れてる曲はBaba O'Rileyなんですけど。光りすぎてるな。いやどうでもよ!
こういう時真面目な僕が嫌いになっちゃったよ〜みたいな感じなんですが元来私は超根暗で陰湿なくせにめちゃめちゃ真面目で純粋で無邪気な少女なのでボーイミーツガールなんてものはままならずボーイエンカウントガールって感じなんですよね。はいエンカウント!!!消滅!!!!!!みたいな 伝わってるかなこれ 伝わらんでもいいんすけど
極論何言っても世界軸の話なんでわからんやつの方が多いんすよ 理解できない、されないみたいなことにさえ自我を保つ力がありそれが安心材料になっているであろうことなんてのはシーンを俯瞰して見ていればわからない奴なんていないはずだし経験としてもわかりきっている話なんであれなんですけど。
奇を衒うことに慣れすぎてるんですよ 衒いきれもせんくせに。
わかる人っていうのは使う言葉が違っても奥底の感覚が擦れて胸がきやきやするのでわかるとかじゃないんですよもはや 旧き友って感じなんですよ 遠い昔の記憶って感じ
だらだら書いた結論なんですけど、何しても伝わる人には伝わるし伝わらん人には伝わらんのでいよいよ腹を括ろうかなと思ったんですってことです さよならするひと またいつか遠いところでばったり会っちゃったりしようね
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kangwakyudai-blog · 6 years
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ライブハウスにいる女としてライブハウスにいる女を憎まないといけないと思っているという話を一回した気がするんだけど、そもそも「ライブハウスにいる女」でカテゴライズされてネタにされてる時点でもう割と終わってるしわたしがそういう面で幻滅している分きっと誰を幻滅させているのだろうなと思う。 それでもわたしはそういえば飛び跳ねて泣くほど音楽が好きだし、びっくりするくらいかっこいいライブを目の当たりにして思わずだいすきな子と顔を見合わせて笑ったりお酒飲みすぎてべろべろになるみたいなことは積極的にしたいし、わたしの価値はわたしが決めたいしその価値には思う存分対価を支払って然るべきだし支払われて然るべきだと思っている。というかそもそも根底にある所謂文化に対するスタンスや単純にバンドやバックボーンにさえ好みがあるためにこんなことになっているんだけどこういう思考の蔦がもっと根強く伸びれば良いのになと思っている。 最近ブッキング見て最悪だなって思ったりライブハウスに行って最悪だなって思ってあらゆる気力が失せて帰るみたいなことが増えてる私個人の現状をどうにしたいとは思っていて、その私個人が譲歩できる打算の限界値だとかいろんな比率をきちんと1度自分が納得できるところまで考えないといけないなという気になっている。退院してくらいからかな。まあ私が納得したところで他人がそれで納得するとは到底思えないんだけど、今この現状はライブハウスに関わる人間全員が改善および改新することを怠った結果だと私は思っているので考えないよりマシかなくらいの気持ちではあって。 なんにせよ私が何かを行動にするとしたらそれは少なくとも今張られている最低ラインの数段上くらいまではきちんと金銭に価値を置きたいし、その理由は社会と個人の確固たる共通認識が金だからだとわたしが思っていることでまず間違いないんだけど。別に社会に帰属したいというよりかは、大袈裟にしまくった話、わたしの信じるもので社会が動かない筈がないという思考の基があってのこれできちんとビジネスとして一旦形にしてやることで社会に抗うからなという気持ちが強く、その形というのはいくら歪でももはや形という形を保っていなくても別にどうでも良い。ぶっちゃけ自分の金銭のマイナスには興味ないんですけどそういう意図を忘れないで大きめの枠の設置をすることは忘れたくないなと思ってます。決壊する瞬間が楽しいのも込みで ただ、やるからには保守的なことは絶対にしたくないし、かといってビジネスとしてとれないようなしょぼいこともしたくないとなると、結果的に何が物事を決定づけるかってたぶん信用とか関係とか、そういうものになってくるんだろうなと。ここまで考えてわたし誰にも信用されてないなウケんなってなったんですよね、へこむなあ。ここまでの話で共感してくれた人協力してくれないかなまじで。心折れるわ。 結局話は戻って、スタイルとかスタンスとかそういう話って個々の人生でできた世界軸を元に肉付けされた好みや偏見の話でしかないためにもう相容れない奴がいるってことは重々承知しているんだけど、なんにせよ気に入らんことが多すぎるなてへぺろって感じっす、しねーと思って。わたしが気に入らないっていう理由出回らない世界は要らん。ライブハウスの待ち時間本も読めないような環境嫌だなって思うんすよ。わたしは。とりあえずライブハウスにいる女からマニタに降格できないかなって思ってるんだよな、その辺のバンドマンよりクソな自信あるんだけどな。
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kangwakyudai-blog · 6 years
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知識も感情も資産のひとつで何かを成すためには必要不可欠である。だけれどなければよかったと思うことも当然にしてある。間違いを犯したことがないというのは同時に間違わなかったためしがないということとほぼ同義で、それ故にわたしたちはいつも、常に寂しいがためにしてやらかす。なにかをしてやらかすのだ。こんなに寂しいことはない。 わたしはわたしの話しかできないとんだ薄情者だから、たいして知りもしない眠そうな少女にその柔らかい娘の知らないことについて謝り続けたりする。愛がどこにあるかと聞かれればそこら中に横たわっていると答え、そのために外に出てしまっては生きてはいけないと思い込んでいる。過ぎたことは過ぎて忘れたのではなく、許せないあまりに燃やすことも溶かすこともできず蓋をする。さらにはやり場に困った癖をしてさもたいそう大事なものを扱うみたいにきちんとしまって角に据え置くのだ。そういう人間なんだわたしは。 中身はいつだってこちらを見ている。いつだって足下から冷やして喉元に手をつけるその時を見ている。愛を恨めしげな眼差しでしか見ることができないなんて本当は嘘で、光が明るすぎるあまりに直視できず心が折れてしまうことを誰よりわたしが知っているために恨めしげな眼差しで見るのだ。つまり羨望 知ることも底である。 本当に大事なもの 欲しかったものは全部あの真っ白い132号室の扉の向こうにある。それら置き去っていつだって坂を��って現実さえ見失ってしまうのに えっここまで読んだのかい?たいそうお人好しじゃんね、きみはすこやかに育てよな
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kangwakyudai-blog · 6 years
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SNSだいすこ女なのでツイッターとnoteとかで掘りまくってたらそろそろエモいから脱却したいなとふと思ったんですけど そもそもエモいって何?エモーショナル?エモーショナルなの?エモーショナルって何や?ググったら情緒的 感情的な様と出まして。まあそんなもんか 個人的な感覚でいうと情緒的、感情的というよりは情緒化、感情化みたいな。なんていうか意図が基になってる気がするんですよね、所謂バンドとかわたしの身の回りにあるエモいって。ていうかどこでも言えるんですけど金儲けを見出す大人がいる限りそこに商業的要素がコーティングされてしまうとなんともライトになってしまってそこから抜け出せない感が出るんですよね。エモいに商業がまとわりついてる。エモいの種類にもよるのか?よらんか。 わたしの未来のために というか色香に欠けるので何とは言いませんが「ライブハウスによくいく女の末路」みたいな人いますよね。エモいが好きすぎて商業とかそういうライトな流れに巻き込まれる。わかったお前相当性格悪いぞ わたしがなんで大人が嫌いかって対価を払えと提示をしない代わりに囲い成長を抑制するっていうクソキモいタイプがいるからなんですよね。わたしが叩き上げ気質なのかもしれないんだけど。もしそれが低クオリティな子たちを排除するためのクソ回りくどいシステムだったとしても気に入らんと私は言うね。やってあげるよ、組み立てておくよ、ノルマ払ってね、みたいなルーティンが出来ることってクリエイティブな活動をしている人全員に言えるけどまじでセンスのない話だなって思うんですよ。所謂創り上げていく側の人間が予測内のことしかできないとか膳を据えてもらわんとみたいな、お前ら鍋パーティー楽しいだろって。鍋作れよって。人に提供されるまま疑問も持たずに受け入れてばかりの活動をしているのは雛鳥と変わらんぞって。お前らは空飛んでうんこ垂れ流す側でいるべきなんだわ。知らんけど。 逆に似た話で形式にこだわっていることに関しては方向性が違うだけでわたしもそこから逸脱できておらずこれがかっこいいだろみたいなものは間違いなくあるのでなかなか難しいところではあるんだけど、単純に奇をてらってみようとか新しいことしてみようみたいなスタンスがその形式に組み込まれてる人とそうでない人で人間性が明らかに分かれているなと。私の好みの話なんか聞いてないわみたいなとこあるだろうけど圧倒的前者の方が本物っぽい。みんながみんな似た方向に奇をてらいすぎてキモいことになってることも現象として受け入れてはいるんですが。 つーか裸の写真はエモいのか?あれってエモいんか?被写体くそブスなのに脱いだらフォロワー増えるんか?お前のそのフォロワーの何人援助交際目当てのおっさんなんだ? なんか色んなところでいっぱい言ってるんであれなんですけどクリエイティブな活動をしていく上で受け取り手を選ぶことはすごく重要だとやっぱり思っていて。それは受け取り手を当人が楽なレベルまで育てるのが面倒だからというのと単に気性としてわたしが間引きが好きだからというのが理由なんですが。まあ被写体を自己表現とはわたしはあんまり思ってないんでなんとも言えないですけど。ダッチワイフ撮ってる写真家の方がよっぽど良俗的で慎ましやかだと思うわ。自分にとって好ましい受け取り手を選び出しつつ新しい人に常に見てもらうためのシステム構築ができている人はやっぱり存在するしそういう人はうまく回してる。好ましい受け取り手って恐らく人生の中で積み上げた感覚の骨組みが似てるかそうでないかになるんでここも感覚に頼った話にはなってしまうのですが。 なんにせよ外部からの野次で動く世界なんてないので当事者になります。どこまで行っても当事者になれないのは精神世界での話だよな 行動にしか価値はないな。
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kangwakyudai-blog · 6 years
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なんだか帰り道に無性に悲しくなってしまって適当な乗り換えをしていたら五反田に着いた。着くのが五反田って地味だなあとか思っていたんだけど なんでずっと忘れていたんだろう、私はよく五反田にいた。高校時代の家出先は池上線沿いにあったしその後一時期いた恋人も五反田に住んでいたからだ。 コンビニで買ったアイスコーヒーを片手にぐるぐる駅の周りを練り歩き数十分考えないと思い出せなかった存在たちの具体的な顔はもうほどけきってのっぺらぼうとなってしまった。忘れることこそ罪だ。 愛が無償ではないことを言い聞かせている割には愛が無償で手元に来る時もあることを知っているのは紛れも無いこの経験こそじゃないのかしら、違うのかも知れないけれど。 愛の夢の方が寝覚めが悪い。最近よく見る。そもそもの話、愛愛言ってる癖して愛を享受できる性格ではないためにいちいち真に受けてひどく傷ついてしまう。多少知ってしまい恨むことすらままならなくなってしまったのでずいぶん中途半端になった。こうやって私は一生誰かに迷惑をかけ傷つけていくのかと思うともうやりきれないな。 私は君とあの日出会うべきではなかったと心底思っている。
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kangwakyudai-blog · 6 years
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別に怒ってるわけじゃないし怒りたいわけでもないんだけどなんだかとってもひりひりしてきやきやする 何が気に入らないのって言われたら全部気に入らないしありがちなこと言うと自分のことを気に入ってないのはまあ当たり前の話だしなあ。や、マニタです。 ‪お客様は神様です論ってなんなんすかね、客がそれを高々と振るってるのもなんなんですかね。‬ ‪そもそも真面目な話演者と客は確実な一本の線で分かれ且つ対等な関係性でいるのが一番健全なんだけど。色気的な話で。個人的な理想の話なんだけど。別に線で分けてて超えちゃだめとは思わないんだけどその線超えて仲良くなっちゃった後に知らなかったけど全部知ってたみたいな、ライブ中出会っちゃったみたいなあの色気が激減する気がしてて、エゴが入って保てない気がして。不純物混入って言うの?それでもかっこいいバンドは何回も出会っちゃうのもわかってるんでなんとも言えんですけど。‬ ‪話が逸れたけど別に誰が誰と何を話そうが何をしようがどうでもいいんだけどライブがくそつまんなくなるようなエゴとかわがままとかが人間関係をもとにできたりすんのがおもんないなっつー話で。で、お客様は神様です論まで蔓延っちゃうの?ウケんねみたいな。‬ ‪確かに生計を立てるためにバンドはある程度お客さんを呼ばないといけないし買ってもらわないといけないんだけどお客さん、お客さん…?お客さんは何してんの?金払ってる?金を払ってるから偉いんか?曲を作ってかっこいーライブしてるバンドがまずめちゃめちゃ偉くない?そのバンドの音源とかライブに価値があると思うから金を払ってるわけで別にたいして偉いことじゃなくない?いや、払わんクソよりよっぽど偉いんだけど、、なんていうか、払って当たり前になるべきなんだよなって思うわけ。自分が撮った写真とか描いた絵とか作った服とかにお金が払われるっていうことはわかりやすくその払ったお金分の価値があることを認めてるっていうことじゃないですか。そういうことで。‬ ‪で、何が言いたいかというと対価をきっちり払っている以上この二者間は対等であるべきだと思ってて。客が神なら演者は仏であれ。おまえら聖☆おにいさん読んだか?あれが神と仏のいい関係だ‬ ‪ていうかこれ客が大概言ってるのじゃまあくそしょーもねーなで終わるんすけどバンドマンが客はわがまま言う権利あるよみたいなこと言ってたから呆れ果てて書きはじめたんすよ。バンドってそんなジャパネットたかたみたいな感じなんですかね?ホスピタリティなら地元でいやになる程食らって病み腐ってるからやめてくんねえかな。何回も言うけどこれは本当に好みの話なんであれですよね、まあ読み手の好みでこう言う考え方あるんだなって見てくれればいいんですけど。私は頷けないしコクコク頷いちゃうような人間にはさらさらなりたくないっすわ。‬ ‪表現者は受け取り手を質のいい人に育てるか質のいい人を選ぶかのどちらかに意図を置いていいと思う。自分が好きだと思ってるんだったらまともな客は間違いなく価値を理解して払うよな対価くらい‬ ‪ところで私の友達が「‬コンテンツが有料であれ無料であれ良いと感じたものにはすぐお金出したい!って思うんだけどオタク特有の思考なんですかね」みたいなこと言ってたんでええ〜〜普通やろ〜〜って思ったけど私はそこそこオタク気質なんですよね。オタクじゃない人たちいかがですかね? この「オタク特有の思考」説が仮にあながち間違いではない説だとするとオタクの方が正規で金を払う意味や意義をよくわかっているということになるんだけどなんか想像できちゃうからやだな。オタクか… 言うてもオタクとサブカルみたいな話もディッキーズ履いてるライブキッズ議論以上に延々と続いている議題ではあってわたしは所謂サブカルクソ女って言われる側なんですけど。そもそも音楽ってサブカルよりオタクに入るんじゃないかなって思うんですけど、ていうかこの前ちらっと書いたけど私が聴いてるのはロックなわけでサブカルではねえんだ、ロック以外も聴くけどもやね。 …つーかサブカルって最早死語じゃね? 似たような構図で洋楽聴いて少年時代を過ごした側とそうでない側みたいな構図もあるけどこれなんなんだろうな 本当に好みの話でしかないんだよな とか言って貯蓄が違うなと思ってしまうのは私が邦楽を聴き始めたのが人より遅いからなんだと思うけど。まあ何にせよ偏見をもって一生交わらないくらいなら喧嘩しまくってくれって思うんだけど。 尊敬の無い場所には何も生まれないし尊敬の気持ちさえあれば割といい関係を築けるはずなんですけどまあ…いや、もう飽きたな。 私は私が出会ってしまった信じたいを選んでいくよ、おまえらがどうかは知らんけど
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kangwakyudai-blog · 6 years
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延々とまっすぐ伸びているなにもない道をたらたらと1人歩いている。道幅は広くも狭くもなく、そこに無いのとほぼ同じ意味を示している。なにも感じず、思わず、あるままをそこにあるとして、あるいは無いものを無いとして受け入れることのできるわたしが歩いている。 乳白色の街を恨んでいる。どうでもいいくせに愛し慈しむことが当たり前で なにも感じないなんて嘘だ 彼女がいるせいで私はずっと心臓が痛い。殺人鬼の方がその辺に歩いている普通の家族よりよっぽどまともだと思う。みんなブリキでできていて同じ顔をしているから怖いし、みんなして押し黙っているためになにを企んでいるのかわかったものじゃない。 例えば思い出すのは小さい頃父親に見せられた極彩色の映画だとか、本当は少しだけ愛していた恋人の金色の髪とか、もういない どっちとももういない。カートコバーンといいもういない人ばっかり肺の裏を覆って消えてくれやしない ジュールヴェルヌは嘘つきだ 木漏れ日って言葉があるのに街灯に照らされてできた葉の陰には名前がない そういうことばっかりを思う 今しかないなんて大前提の話なんかやめて欲しい、今の私は過去の愛しさの産物だから 愛なんかほんとはわかっちゃないな 今すぐ立ち現われて愛の捌け口 全部持って行ってくれ どうせそれでも孤独なんだろうけど
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kangwakyudai-blog · 6 years
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考え事をしていたら駅を降り損ねた。イヤホンには音楽は鳴っておらずただ耳鳴りがキーンとずっと鳴っている。駅を降り損ねるなんてことはざらにあるのでたいして落胆もしなくなってしまった。いやだなあ。 降りてすぐ左に目をやると少し前まで公衆電話があったであろう台があった。公衆電話がなくなることによってあの台は意味がなくなってしまうのだろうか。いやだなあ。悲しくてたまらなかったから荷物をその台に置いて考え事の続きをした。 別にわかっていることばっかりなんだけど。考え事なんてものは。 別に。私に資格があろうがなかろうが行動をするのは私で間違いないし、そういう、不安、不安定さこそ決定的な安心材料のそれで間違いない。 ただどうしてもとっぷりとコーティングされた乳白色の街を私は恨めしい目で見ることしかできないし、誰かの眩しい愛を目の当たりにするたびに超心が痛かったりする。 別に誰かを傷つけたいわけじゃないんだけど、何かを思い出したり知るたびに、ああ、こうやって私はどれくらいの人を傷つけてきたんだろうなと思い直す。あのよく笑うさみしくて綺麗な女の子はこういう思いをしているんだろうなと、しばしば思い出す。何度でも忘れる。 思い出すための忘却で、太陽があるから月が光っていちゃったりして愛を毎日もしくは毎年思い知らしめるために夜と冬があって誰も間違っていないのならまじで愛するしか手がないじゃん。早く世界滅びないかな。 ところで実は幼馴染のあいつはあの日を最後に二度と会えなくなったんだけど、二度と会えやしないし電話も繋がりやしないんだけど、家から1番近い公衆電話から電話をかけたんだ。やっぱり繋がらなかったけど。一生私の光だと思うんだよね、あいつは一生私の幼馴染だと思うんだよね。一回も私の前で悲しい顔をしなかったな、ごめんね。干からびたミミズが風に乗って空に行って龍になるとかそういうことを教えてくれたのはおまえだけだったよ。ちゃんとおまえにこういう言葉をくれてやれる時がこんなに遅くなってしまってごめんね。私と違って要領がいいから気を持たせてしまったと思う こういう日に限って曇りだし、用水路のへりを歩いていたらトカゲが潰れて死んでたし。紫陽花は枯れたか腐ったかで今までで一番綺麗だった。夏は死が映えるよね。蝉がうるさくって嫌んなっちゃうなあ。毎年夏にこんな気持ちでお前を思い出すのはいやだなあ。優しい人のことはさすがの私も責められやしないよ
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kangwakyudai-blog · 6 years
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「目をきらきらさせながらロマンスの崇高な瞬間の話をする男の子を見て、一生死ぬまで男の人のこうゆうところにはかなわないんだなぁって思ったし、羨ましくて眩しかった」 オートモアイ(@auto_moai)さんのツイッターの言葉なんですけど、本当にこれに尽きるなと思いました。こういう男の子が私の近くにいて良かったなと、 彼らのそういう目を見るたびに世界を変えるのはやっぱり男の子の役目なのかもしれないなと何回も思うんだけどそれでも負けたくないなと思ってしまうなあ
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kangwakyudai-blog · 6 years
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彼女が線路に飛び降り自殺してからというものわたしの目に飛び込んで来る世界はなんでもないようでなんだか忙しなく宛らよく模倣した別の世界にいるようである 水をいっぱいに入れた桶に少しの振動を与えたことで箍が外れ溢れている あの一件に関して綺麗だと思ったとか自殺はなにがあってもだめだとかいろんな意見を長方形のガラス越しに見た 彼女の死が事実か否かはたいした問題ではないのだ。みんな死ぬことに興味がある。 わたしはと言うと死ぬという選択をして死ぬことを死ぬこととしてできたならそれ以上のことはないなと思う。 いつか知り合いのごく数人にボードレールの詩について話したことがある。「どこでもいい この世界の外へなら」という内容の詩 これはセーヌ川で身投げをした娼婦に宛てた詩らしく、少し前にここを「絶望に限りなく近い希望」と解釈した人を見た。わたしも近いような感覚を覚えた。 死ぬことは案外難しい。 話は戻るけど、ああいうセンシティブな感情というのは伝染する。彼女が死んだことによって嫌な思いをした人、悲しい思いをした人の他に勇気付けられたひとが何人いるだろうか。 自殺をしたひとは十字路の真ん中に埋められ魂を永遠に彷徨わせるという宗教 親からもらった命 天国にも地獄にも行けない 死んでしまった人たちが知っている人たちだったら、私たちは一生それを知らないまま生きるのかな 自己擁護にしかならないけれど自殺が悪いことだとはわたしにはどうしても思えない すれ違い直に顔を見たこともないような人の死を悼んでいる人の方が余程気が触れていると思う。悼めばその後なんでもないように振る舞えるなんて権利も義務も本来無い。知らない人だし。 事故や災害なら悼んでても仕方がないから行動に起こして復興に勤めればいいし自死については本人が本当に望んだなら喜んでやれ。というかわたしが当人だったら諸手を上げて喜んでほしい。ケチャとかしてほしい。 冗談はさておき行動の伴わない偽善には意味がないどころか余計なお世話以外の何物でもない 声で人が本当に救われると思ってるなら精子からやりなおしてくれ。 世界軸の違いでこんなに苦しむことになるとはお前もわたしも思わなかったろうにな
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kangwakyudai-blog · 6 years
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ウチの愛しいダデイがわたしのよく行くバンドたちのライブのチケット代を聞いてマスオさん状態になりました。「ええっ?!5バンド出て2000円?!1バンド400円じゃあないか!安すぎやしないかい?!!!!」 そらあダデイ、君の行ってるのはライブというよりはコンサートで、1公演一人当たり4万円かかるだろうよ、マミイもいるから8万かけて行くんだろうさ… とは言え。 バンドが自分らのライブを安く見過ぎだというのは多々にしてある、と思います。 というのも多分来てもらうことに躍起になりすぎて金額を吊り下げすぎてしまったのではないかなという私の想像が理由になっているのだけれど。 金額を下げるという行為には当たり前ではあるけど限界があって、この転換期の大きな理由はここにもあるのではないかなと考えています。あんまりバンドの悪口は言いたくないけれど間引きのされないような環境でクオリティの高いバンドが生まれるかと言われれば私はそうとはどうしても思えないなあ。 無印良品ってみんな知ってますかね、知ってるか、この質問舐め腐ってんな。あのブランド私大好きなんですけど、ちょっと高いですよね、というか、なんて言うんだろ。家具としては安い物を置いてるし、質が良くてシンプルで商品としての価値がものすごく高い割には価格設定がリーズナブルだけれど、「無印だし買おうかな」という最後の一押しがあって購入に至るくらいの気持ちが必要な絶妙な価格設定になっていると思う。 質のちゃんとしたものを常に選ぶタイプの大人からしたらだいぶん安いと思いますが、そういうのが生活に必要ではない人々からすれば嗜好品の一部なのかなという感じです。 でも最近無印良品って急激に流行ってますよね、老若男女問わず。そこがまた彼らの強みではあるんでしょうけどそれにしてもすごいですよね。 なんの話かと言いますと、もう低コストでやるのには限界があって、その限界がもう来ているのであれば一時期は苦しいかもしれないけれどチケット代を上げるなりして、その分提示した金額分またはそれ以上にクオリティの高い内容を用意するべきだと思うということです。異議があれば相談していきたいくらい。 今私が心から信用しているバンドを死なせたくないし、私が信用しているバンドが間引きされるはずがないと信じています。あなたたちもそうだと思います。 言い方はすごく悪いけど、まず私たちの意識を変えて値段を上げればお客さんは減るかもしれないです。でもそれが演者と消費者の質を一緒に上げるための布石になるのではないかなと。 その分きっかけになるような無銭イベントというのは際立つし、そこをうまくバランスを取ってコントロールしていくのが現実的なのかなと思います。もちろん私もチケ代は安い方がお酒がたくさん飲めたりするし嬉しいんですけど、たいていのお客さんはワンドリンクで満足するのかなとも思ったりしたので。 という感じでどうでしょうか?本当に烏滸がましいけれどみんなが話をするきっかけに私この話がなれるといいなあ。
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kangwakyudai-blog · 6 years
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被写体さんですか?被写体って楽しいですか?という旨の質問が質問箱に届いたのでこれについてはちゃんと話したいなと思いこの文を書きました。 まず被写体さんですかという質問に関しては違うと言いたいところですが被写体です。カメラで撮られたものは有無を言わさず被写体だという御託も添えて。高めのフレンチ料理か? というのも、わたしの写真についての認識から話は始まるのですが カメラができる前に存在していた景色を残すためのツールは絵 もしくは私たちの虹彩に焼きついた記憶だったと思います。 単なるわたしの想像ですが、絵以上に刹那的な私たちの心に寄り添う物質を残したいという思いからカメラができたのではないかなと。純粋さによる願いに近いものではありますが物事が誕生する理由というものはそういう切実さによるものであってほしいですよね。 さておき、そういう考え方を持っている経緯を踏まえて私の好きな写真というのはかなり日常に寄り添ったものが多いです。前にもInstagramだか何かで言いましたが、ポートレートがすごく好きかと言われればそうでもないし、もしわたしがきちんと作品としてポートレートを撮ってくださいと言われれば顔がよく写らないものになると思います。 話は変わって私が撮られているカメラマンの話になりますが、彼女たち及び彼らは私の知り合いまたは友達です。はい会いましょうの一発目で写真を撮ったことはまず無いです。 私が生まれて初めて撮られた写真家はこすみりなさんという方で、今は少し遠いところでお互いに生活をしていますがそれでもまだずっと私の傍らで息をしているとても危うげですうっとひとつ筋の通った女性です。 彼女と話をしてから写真を撮られてー高1の真夏だった。ちょうど今日みたいな暑い日の駒沢公園ーお互いの人柄を知り距離が近いほど本質的により近いポートレートを撮れることを知りました。 「写真には関係性まで写る、写真も音楽も絵も何もかも、文化は愛と魂の投影をする作業である」 それ以降しばしば撮影のオファーを頂くようになりましたがその際は毎回一度お茶する機会を100%設けてました。尖ってたなあ。今はある程度知り合いの知り合いとかが増えたのでその辺は随分柔軟になりました。 そういう活動を写真家を選びながらごくごくミニマムに数年にわたってしてきたために私が撮られるような環境は完全に内輪で留まっています。なので皆さんが被写体と一言に聞いて思い浮かべるようなバンバン撮られて活動をしている被写体ではまず無いです。そういう意味の被写体ではないし、私のやりたいことはそれではないのでやりたいとも思いません。ただ今までのスタンスを崩さない程度にオファーは積極的且つ前向きに受けていきたいなという姿勢ではあります。 今の所はよく知った手の届く愛しい人たちに散歩しながらだとか、展示に顔を出したついでだとかでふざけながら撮られている感じなのでとても楽しいです。撮ってくれる子達のこと、みんなのことをとても大事に思っています。
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kangwakyudai-blog · 6 years
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ノルマに1バンド1回出演につき2万円ピンキリ CD制作費 レコーディング ミックス マスタリング プレス込み15万からピンキリ その他MVやらチラシやらを作るのに所謂駆け出しのインディーズバンドはお金をあらゆるところに自腹で支払わないといけない。レーベルもパトロンもいないと大変だよね。 今日いろんなところに行って色々考えたのでお金の話を中心にわかりやすく言ってみようと思いました。脳のテンションがえぐいんですよね、今日。長いけどよかったら読んでください。 ところで税金ってどうかかるかみなさん知ってますか、消費税とかじゃなく。 当たり前すぎて忘れかけてたのでもう1回落ち着いて最初から考えるやつやりました。 税金っていうのは所謂売り上げから経費(仕事に関する支出)を差し引いた額の分に発生するお金なんですよ。そもそも。 ここでいう経費っていうのはバンド目線で言うと上に言ったノルマや制作費もそうだし、機材費や交通費、打ち上げの飲み代も経費に入ると思います。飲みたくなくてもゲロ吐くほど飲まにゃならん時がありますからねバンドマンには。経費。 税金の発生の仕方は売り上げ-支出で出た差が基本的に ➀プラスだった時 ➁0だった時 ➂マイナスだった時 の3パターンですよね。 ほんでバンドを一個人事業として考えると、 ➀の「プラスだった時」はそのプラスの分に税金がかかる ➁の「0だった時」は払う税金も0 ➂の「マイナスだった時」に関しては、払う税金が0(しかし信用がないためどこからもお金を借りられない) となりますよね。 なので、いろんな人たちが何かと領収書をもらおうとする理由としては、「使えるものは経費として使って売り上げと支出の差をできるだけ0に近くして税金を安くする」のが目的なんですねー。ここまでものすごく当たり前の話なんですけど今回最後まで当たり前の話するんで覚悟してください。結論言いたいのは何回も言ってることだし。 で、ここで浮かぶ疑問なんですけど、「ライブハウスは大前提として支出を経費として国に申請してんのにバンド側、収入の申告してなくない?」という。 お金の行き来には絶対的に税金がつきまといます。 早速この答えなんですが「バンドマンどんなにやっても大概売り上げ-支出がマイナスだから申請しないほうがいい」からに当たり前ですけどなりますよね。 プラスになるくらい稼いでるバンドがしてないのはまじ問題なんですけどね。まあライブハウスもレーベルも不明瞭なお金多いだろうし。ない会社むしろあんのか?って感じですけど。 さておき。 これって売り上げが支出を差し引いてプラスにならないなら税金を払わなくていいっていうことで。お前のそれは仕事じゃなくて趣味の範囲内だよってお国様から言われてることとおんなじってこととも取れますよね。腹立つ話ですけどね。こちとら身削ってんだわ!とか思うかもしれないんですけど客呼べてない事実があるので耳が痛かったりするんですかね。知らんですけど。 で、脱税してるかしていないかとか不明瞭か否かとかはこの話題の結論には割とどう関係なくて 言いたいことはひとつでお前らこんな身銭削りまくって楽しいか?ってことです。それで頑張ってる俺らがかっこよくて楽しいんだったらブラック企業で働いてさっさと死んでくれほんと。責任取りたがらないくせに綺麗ぶってんじゃねー全くよー目的そこじゃねーだろ ほんとに最近よく思うんだけど、本当に自分らのバンド��か音楽がかっこいいと思ってるんだったらまずライブハウスに金を払わないといけないその状況に疑問を持てと思うし自分らがめちゃめちゃ身銭削って見せてても売り上げが少ないことを疑問に思えって話なんすわ。まじで。 楽しいことに忠実な人たちがネット使って何十万と稼いでる中でCDとかライブハウスに固執してるのが理由で恋に落ちちゃうくらいかっこいいバンドがマイナス出しまくってて一部の人にしか見られないとか完全にあり得ない。まじ無い。つらい。 だからプラスにするにはプレス業者に���ちょっと申し訳ないけどもうストリーミングにするなりが妥当だと思うし、もっとhelixとか流行るべきだし、もっと日本のフォーマットのサービスがちゃんとできればいいと思ってる。し、なんなら本当にもっとyoutube市場でやれと思う。 ていうか未だにCD作ろうみたいな人めっちゃ多いし。CDをディスってるわけじゃなくて(何回も言うけど私はCD買うの大好き)CD以外の選択肢を考えられない人たちの想像力の乏しさをディスってる。もーここまで来たんだから私たちがデジタル化に歩み寄らないとまじでどうともならなくない?みたいな節はめちゃめちゃにしてある。ありまくる。 ここで急に飛んで結論なんですけど、ライブハウスの私たちが見ているようなシーンは私たちみたいな世代の子達ばかりでお金が全然回らないから、水の流れない川が存在しないのと同じようにこのままだとまじでインディーズのシーン衰退しちゃうんじゃね?って話です知らんけど。無責任を掲げて書いてるんで知らんですけど。4万のチケットでソールドアウトしてるクラシックシーンまじで潤いすぎ。 大人にウケのいい音楽作れってか?クソ腹立つな。と思ってライブハウスにいるような私たちがお金を持っていないせいでライブハウスやレーベル等に満足にお金を流してあげられないがためにライブハウスが結局バンドにノルマを課したりレーベルにめちゃ金持ってかれるみたいな事案が発生するんですねー多分。加えて少子化。 こんなところ一生ぐるぐるして一生ぐるぐるぐるぐるしてた結果の今なんだろうしいい加減もうやめとこうよほんと出口どこ?って感じ。出口は別の視点から探さないと出てこないですよねこういう場合もはや。やってみようの気持ちが大事じゃない?必死になってぐるぐる今まで死にに来たんだからもうしょうがないじゃんね。やっちゃおうよ色々。欲しいにもっと従順でいいよ。 本当に最後になんですが、めちゃめちゃ上からで申し訳ないけど、お前の責任取ってくれるほど都合のいい他人本位なやつみんなが切羽詰まってるこのシーンにいねえから。自分の頭で考えろよ。ってことです。切実で実直な人が報われる世界であって欲しいなとずっと思っているよ。
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kangwakyudai-blog · 6 years
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環八から垂直にまっすぐ伸びた丁寧に舗装された商店街を行く 名の知れた洋菓子のお店と愛しい串カツの店を横目にベージュの坂を下る じりじりと太陽が照りつけ、薄い色の地べたは太陽の光を反射して上から下から私のことを焼き付ける 毎度思うが私は黒い服を着て外に出すぎなのだ。 黒は光を吸収する。 ティッシュ配りの男性に話しかける子供。それをすみませんと言いながらもうちの子可愛いでしょうと言わんばかりの顔 それに愛想よく対応する男性。改札から流れ出る人、人、人 踏切が開く。走り出す人と気づかない人 の中の私。 一号車車両 たしなめる親と不貞腐れる子供。親のちょっとした責任転嫁に子供はいつまでも敏感である。 子供の方が滅茶苦茶だとしても圧倒的に切実である。そして心に誠実である。 ドアが開く 悲しいことだが他人の気持ちに同調している暇も余裕も私にはない。脳をその場に置き去るようにドアの隙間をすり抜けてホームへ降りる。 エスカレーターを登ると光がよくホームを生活のそれらしく映している。 愛は今日も平等に降り注いでいる。平和だ。 無差別殺人を起こした人は優しく神経質だったかも知れない。 街へ
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kangwakyudai-blog · 6 years
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わたしの一生好きな人は深い緑色の瞳をしており、ひどいくせ毛なんですが 彼が私のことを知らなかった時からずっと、私の人生の大事なときに目の覚めるような水滴を落としてもらっています。思慕の類の好意ではないですが私は一生この人の言葉や光を忘れることはなく、この人の前で物事を知るのかなと。 きっと信じてもらえないだろうしどう思われてもいいのだけれど、わたしがここで言う「好きなひと」というのはこの先たとえ触れることがなかったとしても声さえ聴くことがなかったとしても、あのひとを知ったときから変わらずにわたしの中に光を与え生き続けていて愛おしいままにいつか共に死ぬのです。 たとえその一生好きな人が月から太陽になろうとも、たとえ私が一生好きなその人の月のような眼差しが好きだったとしても、許すとかそういった概念から遥か遠く離れた場所にぽつねんと佇んでいるひたすらに大きくて深い器の中であの人を思い出すのです。一生好きな人、私からずっとずっと遠い場所で高らかに声を上げていてほしい。苦しみに苛まれても踵をあげて重心を前に、あなたが多くの人に愛される光でありますように。
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kangwakyudai-blog · 6 years
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事実と記憶の前後関係は視点によって変わる。 私は幼少期の記憶が他人よりも薄い。 幼少期から今にかけて、練馬→練馬→兵庫→世田谷→広尾→世田谷→世田谷→世田谷という具合に家を転々としていたが私の記憶がわりと残るようになったのは1番初めの世田谷(後半)以降の話である。なぜなら物心がついたのが15歳(仮)だからだ。 それ以前はパジャマで道路を歩く小学1年生のときのことや1人で三輪車に乗って保育園に行ったとか 母親が父親に怒りまくったあと泣きながら私の体をぽんぽんと一定のリズムで寝かしつけ さらにその後の彼女が家を出ていくドアの音とか そういうのだけを覚えている きっとわたしは今、未来に存在している死に限りなく近い私、もしくは知らない誰かが見ている走馬灯のなかで生きていて 今が今だから引き伸ばされて時間を感じているだけなのだと思う。 前置きが長くなったけれど 今回の話は街の話。 そう、物心ついた15のときから今までの4年間を私は東京で過ごしている。ある時は松陰神社、ある時は広尾、そして今は世田谷の東京の輪郭部分に住んでいる。親の影響もあり私が繰り出す街といえば基本的に渋谷のひとつに尽きた。 恵比寿の高校に通い、代官山のレストランで働き渋谷のレコ屋で働いていたら当然渋谷がホームタウンのようなものになる。 私は街が好きだ。人が多いのは嫌いだし、ビル風が強かったりうるさかったり 人が多いほど嫌な人は増える。でも私は街が好きだ。文化が混同していて、キラキラと光っていて 太陽の光を反射させる壁の色を愛と受け取れる。すれ違う人全てが傷つきながら生きている 私と今という一瞬を同じ街で共有している。私は街が好きだ。私の思う街はまず渋谷で間違いない。次いで三軒茶屋、下北沢、二子玉川、そして六本木である。私はこの4年の人生の多くをこの街々を練り歩くことに費やしたと思う。 東京という街はなんとも人間らしく美しい街だと思う。私はここで産まれて物事を知ることができてよかったと最近つくづく思っている。 君たちと出会えただとかそう行った綺麗事を言うつもりも資格も私には無い。だけど手を伸ばせばいつでも届く場所に面白いことができるような環境にいたり、駅と駅の間が歩いて15分で表参道にいたあの子とスペイン坂の料理が美味しいわけでもない愛くるしいあのカフェで長時間だべることもできる。人を心底軽蔑しているが同様に心底愛している。 私はこの街で倒れ、奇声を発し、泣き喚き笑い、歌い、人と飯を食って飲み歩いてまた倒れるのだと思う。この乳白色の街を恨めしく思っているが、またも同じく東京は極彩色で美しい。ここは私の街なのだ。死ぬ場所も生きる場所も東京であることを自覚するために私は外に出る。走馬灯の舞台が東京であることを彼女が望む限り
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kangwakyudai-blog · 6 years
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口火を切る、ボーダー 輪郭から点を取る 骨組み オブラートは必要か 冗談 皮肉 青い海に価値を投げる 学生 規律 矛盾 男の子 沈黙 メモ : 面白きことはよきことなり(森見登美彦作 有頂天家族より抜粋)
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