超個人的、2018年に刺さった10曲(後編)
前編に続き、2018年に個人的に刺さった曲を問わず語りに紹介します。
全部、YouTubeで見れる曲をセレクトしているので、よかったら聴いてみてくださいね!
Winter Beat/ビッケブランカ
2018年に出会ったアーティストの中でも、インパクトが強かったのがビッケブランカ。
それまで全く存在も知らなかったのですが、COUNTDOWN JAPANで自分が参加する日に出演することで知り、一曲聴いただけで大好きになりました。
ファルセットを多用する印象的なボーカル、縦横無尽に駆け巡るピアノサウンド、ミュージカルを思わせるドラマ性のある楽曲展開。とっても才能あるシンガーソングライターだと思います。
本曲収録の「Wizard」は、冬の季節にぴったりな一枚。この曲が気に入ったら、ぜひアルバムを通して聴いてみて欲しいです。冬の寒い夜がキラキラと輝きだします。
金木犀の夜/きのこ帝国
だんだん寒くなって 夏は通り過ぎてた 金木犀の香りで気づく
だいたい夜はちょっと 感傷的になって 金木犀の香りを辿る
日本の秋を代表する名曲が誕生しました。
そう言いたくなるくらい秋の始まりの風景を鮮やかに描いたきのこ帝国の「金木犀の夜」。
金木犀の香りに秋の訪れを感じ、ふと思い出す過去の風景。
なんと情緒豊かな曲でしょうか。秋の夜長にじっくり聴きたい曲です。
かかってこいよ/Nakamura Emi
Nakamura Emiの曲は、いつだって力強いメッセージが込められています。
彼女の曲を聴くと、いつも背筋がぴんと伸びる気がする。
それは、多分ただのうわべのメッセージではなく、彼女自身が誰よりも悩み苦悩しながら、七転八倒の上でそれでも前を向いて、リスナーに向けて想いをぶつけているからなのかと思います。
この「かかってこいよ」はリスナーへのエールと共に、さらに大きな世界に足を踏み込もうとする恐怖と闘う自分自身への決意表明に思える。
たたみかけるようなリリックと、刻まれるアコギの協奏もかっこいい曲です。
Bitter/緑黄色社会
過去例を見ない酷暑の中で参加したROCK IN JAPANのステージで存在を知った緑黄色社会。
20代前半の面白いバンドが出てきたなと思います。
この曲はあまりバンドサウンド感ないけど、 Vo.長屋晴子の伸びやかな歌を最大限引き出すようなポップな曲が多くて、これから楽しみ。
よくも悪くも癖はないから売れそうだなぁ。個人的に長屋さんの歌がかなり好きな感じなので、今後も注目してみます。
忘れないように/くるり
くるりは、どこまでいっても、くるりである。
そんな風に思わせる最新作「ソングライン」収録の「忘れないように」。
メンバーを入れ替えながら、色々と実験的に様々なジャンルの音楽を取り入れ、一作一作全く違う顔を見せる彼らのサウンドも、根底には岸田繁がつくる普遍的なメロディが流れていて、だからこそどんなサウンドにも「くるりらしさ」のようなものが根付くのだと思います。
この曲自体は昔につくった曲のようですが、 昔からのくるりらしさも感じるし、ファンファン加入後の現体制でしか生まれないグルーブ感もある名曲です。
結成から20年以上、ベテランの域に達しながらも変化を続けるくるりのこれからも楽しみだし、どんなことをやっても「くるりはくるりだな」と安心させてくれる雰囲気がこの曲にはありました。
…ということで、2018年に出会ったたくさんの曲たちから、特に刺さった10曲を挙げてみました。よかったら、クリックしてMVチェックしてみてください。
久しぶりの更新でしたが、2019年もゆるーく時々書くかなと思います。
よいお年を!
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超個人的、2018年に刺さった10曲(前編)
誰に頼まれたわけでもなく、年末になると「今年よかった音楽について語る」という習慣ができています。
これをやると「今年もいい音楽とたくさん巡りあえたなぁ」と幸福な気分になるのです。
ということで、2018年の超個人的に刺さった曲のうち、(ぜひチェックしてほしいので、)YouTubeで見れる10曲をセレクト。
魚の骨 鳥の羽/cero
個人的に音楽シーンを振り返ると、「2018はceroの年だった」と感じます。
夏にリリースされた「POLY LIFE MULTI SOUL」は、日本のポップミュージック史に残る大傑作で、自分自身のリスナーとしての世界を広げてくれたような印象を持っています。こういう感覚って数年に1回あるかないかで、前回はceroの前作「obscure ride」で同じような印象を持っているので、ここ数年ceroに翻弄されている気がする。
様々なジャンルを取り込みながら、唯一無二のダンスサウンドに昇華させているこのアルバムは、ぜひ音楽好きな人には一度は聞いていただきたい。
余談ですが、今年のベストライブは7月のZEPP Divercityで行われたceroのレコ発ワンマン。ライブでもパフォーマンスが神がかってきています。
来年も個人的最注目バンドです。
22/LUCKY TAPES
ふりかえると今年はソウル・ファンクなどブラックミュージックの影響を受けたバンドを多く聴いていたなと思います。
LUCKY TAPESもその一つ。メジャーデビューを果たし、今年は飛躍の年になったように思います。
この「22」も、彼ららしい洗練されたファンクミュージックで、聴いていてワクワクする気持ちにさせてくれます。
よい意味であまり人を選ばずに好かれるサウンドで、2019年も多くのファンを獲得していくでしょう。来年が楽しみです。
常夏ヴァカンス/フレンズ
躍進すさまじいフレンズ。
CMタイアップも多数で、 ライブ会場はどんどん大きくなり、リキッド、ZEPP、TOKYO DOME CITYの次はNHKホールを年明けに控えています。本当にどこまでいくのか楽しみになってきました。
その人気拡大も納得の良曲を今年も連発していましたが、彼らの夏の代名詞になりそうな「常夏ヴァカンス」は、どこか80~90年代を連想させるサウンドで最高。
rinse in shampoo/showmore
昨年末、大名曲「circus」で好きになったshowmore。
今年は、初の全国流通版となる「 overnight 」をリリースしました。
showmoreを好きになって、色々と曲を聴いていく中で、一番好きになったのが当時は未リリースだったこの「rinse in shampoo」。
リンスインシャンプーのにおいが 二人を繋いだ証としたら
リンスインシャンプーのにおいで 朝の街に溶け込んで
リンスインシャンプーのに��いが 私が生きた証だとしたら
リンスインシャンプーのにおいで 朝の街に溶け込んでいく
渋谷の朝の雑踏の中で生まれて消えていく一つのお話。
MVも含めて世界観、最高です。
巷で売れているキラキラしている恋愛ソングより、showmoreが紡ぐ複雑な感情の絡み合う恋愛の曲の方が好きだなぁ。
本来2018年の楽曲ではない気もしますが、待望の音源化ということで。
去った!/思いで野郎Aチーム
泥臭く、暑苦しいけど、そのメッセージはまっすぐで、最高にかっこいいバンド思い出野郎Aチーム。
2017年発売の「夜のすべて」も最高のソウルミュージックでしたが、今年発売のep「楽しく暮らそう」も名盤です。
軽快なホーンサウンドと、Vo. 高橋一の力強いしゃがれ声、色々な場面で頑張る人たちへのエールのような歌詞。
彼らの曲を聴いていると、「がんばろう」という前向きな気持ちにさせてくれます。
日々、悲しいこともしんどいことも抱えて生きているけれど、ごきげんなリズムとメロディがあれば、人は前を向けるのです。
辛いとき、しんどい時、彼らの曲をぜひ聴いてみて欲しいです。
後編に続きます…。
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ビジネスホテルの目玉焼きに教わる“心に残るサービス”のつくり方。
“目玉焼き”に教わるサービスの心
先日、仕事で訪れた水戸のビジネスホテル。
水戸駅から徒歩圏内のこじんまりとした、おそらく古くからあるチェーン系列ではないホテルでした。
前日にROCK IN JAPAN Fes.に参加した翌日のお仕事でした。
毎月通っている茨城の法人のお客様が、「移動も大変だから…」と翌日に設定してくださっての前泊。
ネバヤンやレキシ、フレンズ、ユーミン…とフェスを楽しみましたが、ここ数年のRIJFでは記憶にないくらいの暑さで、さすがに疲労も大きく、朝もギリギリまで寝ていました。
ホテルの朝食会場に入ったのは、終了20分前くらい。元々、無料のサービスだったので、さほど期待もしておらず、「コーヒーと何かつまめるものがあるといいかな…」くらいの思いでした。
終了間際のレストランにいたのは自分も含めて3~4人。
メニューはパン・ごはん・味噌汁・鮭の切り身・ソーセージ・スクランブルエッグ・サラダ・ヨーグルト…といった感じの、いかにも「ビジネスホテルの朝食」といったラインナップ。終了間際ということもあって、スクランブルエッグの入ったトレイは既に空になりかけていました。
元々、特に食べたい訳でもなかったし、「終了間際だしね」と思って、スクランブルエッグがないことについては、全く気になりませんでした。
そして、他のメニューをとり、席に戻ろうとしていた頃、食堂のおばさんがキッチンから出てきて、空になったスクランブルエッグのトレイを運んでいきました。
「もう終わりの時間だから、追加はないんだな。」
そんなことを思いながら、キッチンへと戻るおばさんの後姿を見るともなく見ながら、遅めの朝食をとり始めていたところ、キッチンからおばさんが戻ってきて、私に向かってこう話しかけました。
スクランブルエッグ、この時間から作ると余っちゃうので作れないんですけど、もしよかったら目玉焼きを焼きましょうか?
思いがけないおばさんからの提案に「ほう!」と思い、思わず「お願いします」と返事をしていました。
その後も、おばさんは食堂にいた人・新しく食堂に入ってきた人にも希望を聞き、人数分の目玉焼きをつくり、笑顔で運んでくれました。
出来上がった熱々の目玉焼きを食べながら、こんなことを思ったのでした。
「“よいサービス”って、こういうことだよな…」と。
“期待しているサービスを受けると、人は「満足」する。期待していない、想像を超えるサービスを受けると、人は「感動」する。”
サービスを考えるとき、よくこんな話を耳にします。
水戸のビジネスホテルで私が受けたサービスは、「感動」とはちょっと違うかもしれないですが、とても印象に残るサービスでした。
「わざわざ目玉焼きを作ってくれた」という行為もそうですが、「お客さんのために、工夫して喜んでもらえる(満足してもらえる)サービスを自分で考えて実行する」という食堂のおばさん・ひいてはホテルのサービスのスタイルが透けて見えるかかわりで、その姿勢に心地よさを感じました。
一流のホテル、新しいホテルには設備的にはかなわないものの、「また水戸に泊まる時は、ここに来ようかな」と思わせてくれる体験でした。
“よいサービス”が生まれる仕組み。
顧客の想像を越え、「感動」を生み、心に残る“よいサービス”が生まれるのには、大きく2つのことが必要だと思っています。
従業員が顧客のために何をするとよいかを主体的に考え、行動する意欲を持っている。
職場が、従業員に対してある程度の裁量を持たせ、自主的に工夫することを奨励している。
一点目は、直接顧客と関わる従業員の意識が大切です。
顧客の心に残る「感動」は、顧客自身の想像を超えるかかわりから生まれます。そのためには従業員が、「顧客が何を望み、何を期待し、そこに対して自分(たち)が何ができるか?」ということを考えることがはじめの一歩となります。
喜んでもらうこと・感動してもらうことにやりがいを見出し、「どうすれば実現できるか?」ということを考え、実践していこうという意欲がなければ、よいサービスは生まれません。
しかし、どれだけ従業員が主体的に考え、行動しようとしても、組織がそれをよしとしない場合は、従業員のアイディアは実行に移されません。
もちろんサービスの実行に一定のルール・マニュアルは必要です。
…が、ルール・マニュアルに依存しすぎてしまうと、従業員は創意工夫をすることへの意味を見出せず、「顧客のために何ができるか?」ということを考えるということ自体をしなくなっていくことでしょう。
組織がルール・マニュアルを持ちながらも、従業員に裁量を持たせることによって、一人ひとりが工夫をし、工夫をしたことで顧客満足・感動が生まれ、その成功体験にやりがいを感じて、更に自主的に考え、創意工夫をしていく人材になるというよいスパイラルがあるように思います。
おそらく、あのホテルでそこまで意識してやっている訳ではないのだと思います。笑
でも、「お客さまが喜ぶなら、ある程度自由にやってよいよ」というある種の緩さが、よい形で従業員の主体性を生んでいるように思いました。ふり返ってみると、フロントの方・清掃ですれ違った方、皆さんとても気持ちの良い対応をしており、ホテル全体にサービスマインドが行き渡っているように思いました。
「マニュアル外」を考えることを面白がる。
この小さな「目玉焼き」の体験は、私が携わる人材育成領域において大切な視点を再認識させてくれたように思います。
よりよい職場をつくるために、サービスマインドを持った人材を育成するためには、主体的に考え・実践できる環境を整え、そこでの成功体験を大切に育むこと。
繰り返しになりますが、「感動」が生まれるのは想像を超えるサービスが出来たとき。そう考えてみると、「何をやったか」という結果よりも、「そのサービスをなぜ自分はしようと思ったのか?」というプロセスや考えをたどることに意味があることに気が付かされます。
喜んでもらえた/感動してもらえたサービスを「成功事例」として単にマニュアル化して再現することよりも、よいサービスが生まれた過程をなぞることで、その思考のプロセスや想像力を高めることが、“よいサービス”を再生産していくことにつながるのではないかと思います。
そして、従業員が主体的に考え、生まれたアイディアを「やってみなはれ」の精神で、ある程度自由にやらせる環境があること、上手くいってもいかなくても、その結果をしっかりと振り返る環境をつくることが、
従業員が主体的に考え、行動する組織 ⇒ 顧客満足・感動を生むサービスのできる組織
へとつながるのではないかと思います。
「マニュアルの外」を面白がって考えられる環境をつくる。
“よいサービス”と、“よいサービス”をつくれる人材が生まれるヒントなのではないでしょうか。
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介護業界は、“総オッサン化”していないだろうか?
NewsPicksの「さよなら、おっさん社会」というキャンペーンが、色々と話題になっています。
□もやっとした「おっさん」、しっくりきた 「オッサン」。
古い価値観に凝り固まって新しい価値観に適応できない、 過去の成功体験に執着し既得権益をふりかざす、序列意識が強くて自己保身的、よそ者や序列が下の人間に対して非礼など、一言で言えば「新しいことを学ばない(アップデートしていない)」存在を“おっさん”と定義する。したがって、これら条件を満たす人は、年齢も性別も関係なく、“おっさん”だ 。
こちらのキャンペーンでは、 従来の「日本型雇用」において、このような“おっさん”達がパワーを持つことにより、様々な課題を生んでおり、「脱・“おっさん”社会」を実現することが重要であると説いています。
このキャンペーンについては、共感・批判様々なリアクションが出されていますが、私個人としては、共感できる部分もありつつ、このネガティブなカテゴライズは、固定の価値観による決めつけ・分断を助長するだけの動きに見えてしまい、あまり好きではないなと言うのが本音です。
(こういった“オッサン”の定義に属する人がいるのは事実として、今社会に求められているのは、「脱・“おっさん”」ではなく、“おっさん”の価値観を含めたインクルーシブな動きをどう作っていくのかを考えることだと思うのです…。)
そんなことを考えていた折、このNewsPicksの記事と直接関係性があるかは分からないですが、立教大の中原淳先生がブログで書いた“オッサン”についての言及が、個人的にとてもしっくりきて、NewsPicksの記事への“もやっと感”の正体も分かりすっきりしました。
詳細は本文を参照ください。↓↓
オッサンとは、自分のことを「問題の外側に置く思考法」である!?
ちなみに、僕の定義では、
自分の存在を「問題系」の「外側」に置く能力が高い方
当事者意識が猛烈に低い方
自分に対する「矢印」を巧妙にすり抜けようとする方
…要するに「自分だけは変化させたくない方」のことを「オッサン」と呼びます。
(中略)
自分を変化させたくない、当事者意識を放棄する、自分の存在を問題系から巧妙に切り離そうとする「思考」のことを、わたしたちは「オッサン」というのです。
さすが、中原先生。
この記事を読んだとき、NewsPicksの一連の“おっさん”記事に、違和感を持った理由が分かった気がします。
これは私の個人の感想ですが、NewsPicksの記事は、正に「 自分の存在を問題系から巧妙に切り離そう」としているんですよね。
NewsPicksにそんな意図があった訳ではないとは思うのですが、“おっさん”という概念を生み出し、「“おっさん”こそが社会の課題を生む根源であり、みんな“おっさん”にならないようにしようぜ」と、安全圏から「オレ達は違うぜ」と言っているように見えてしまい、何となくいやな気持ちになったのかなと思います。
“おっさん”も、そうでない人も、今の日本社会を構成をしている一員ですから、問題の当事者ではあるよね。そんな風に思います。
新しいことを学ばず、既得権益を振りかざす“おっさん”にも、そんな“おっさん”の姿を安全圏から嗤いながら、「あいつらが諸悪の根源だよね」と批評するだけの“オッサン”にもなりたくないなと思いました。
※誤解のないように。NewsPicksやそこでコメントしている人が“オッサン”だと考えている訳ではなく、NewsPicks版“おっさん”と中原先生版“オッサン”の双方の定義を整理する中で、「そのどちらにもならないようにしたいな」と思ったのみです。
□介護業界に“オッサン”が増えていく。
そんなことを考えていて、ふと思いました。
あれ、介護業界って“オッサン”が多いかもしれない…と。
ご存知のように、介護・高齢化社会を取り巻く問題は複雑にも複雑。解決しようにも一筋縄ではいかないのは現実。
そんな中で、現場で働く介護士も、リーダー層も、管理者・経営者も、私たちのような間接的に関わる人たちも、ついこんなことを口にしてしまいがちです。
何で、こんな課題が起きるんだ/解決できないんだ!
それは、○○が(上司が、同僚が、部下が、会社が、政治が、国が…)問題だからだ!
困難な課題・問題に直面したとき、人は解決できていない状況に葛藤し、ストレスや焦燥感、無力感を覚えます。それを乗り越えていくために、問題解決できない要因を自らの「外」に見出しがち。
介護にまつわる問題は、本当に複雑な事象が絡み合って生まれたものが多く、どれだけ解決のために努力をしても、そう簡単に変化はありません。
それでも、目の前の人や仲間、地域や社会を少しでもよくするため、誠実で本気な人ほど、解決の糸口もゴールも見えない戦いを強いられます。
そんな状況の中で、私たちは知らず知らずのうちに、「問題」をここではないどこか・“私(たち)”ではない誰かに見出し、切り離して避けることが常態化していないだろうか?
そんなことを考えさせれました。
もちろん、介護業界のすべてがそうとは思いません。当事者意識を持ち、困難な課題に一生懸命取り組んで、自分の力で社会をよりよくしていこうと努力を続ける人もたくさんいます。
ですが、困難な課題がどんどん膨らむことで、「どうせダメだろう…」というあきらめムードが広がり、問題の外から批評を繰り返す“オッサン”的思考もじわりじわりと広がっていく、そんな危機意識を強く持ちました。
私自身も気が付くと安全圏から、どこかの誰かを批判する“オッサン”と化している…。そんな瞬間にも気が付かされます。
□「自己原因性感覚」を大切に。
自分自身の中に、介護業界に「“オッサン”的思考」が蔓延しないために、どうしたらいいのだろう?
そう考えていくと、「自己原因性感覚」という言葉がキーワードになるように思います。
「自己原因性感覚」というのは、「チェスの駒」のように誰か(外部)に動かされる存在ではなく、自分自身を律しながら主体的に動いているという実感を持つこと。
この感覚を持てるか如何��、「自分のアクションで何かを変えられる」と考えて、問題の中で動ける人と、「自分が何かしたところで、どうせ変わらない。(だって××が悪いんだから)」と考えて、問題の外の立場でただ憤る人の違いになるような気がします。
そして、「自己原因性感覚」は、いきなり壮大なテーマに挑戦するのではなく、自分自身の力(または周囲の仲間と力を合わせていくこと)で、クリアできる課題に取り組み、乗り越えていく経験を積み重ねていくことでしか、高めていけないように思います。
レベル1で村の外に出たら、いきなりレベル99の敵に瞬殺されるような世界なら、誰も挑戦しないでしょう。少しずつ経験を積み、レベルを上げていくことで、大きな課題に挑戦できる環境がなければ、人は成長できません。
そういう意味では、「“オッサン”的思考」が広がれば広がるほど、自己原因性感覚を高め、高いハードルに挑戦していこうとする人は減っていってしまう。
今、介護領域に必要なものは、小さくてもよいから、目の前の課題に本気でぶつかり、乗り越えてレベルアップしていくためのフィールドなのかもしれません。
課題解決のためのスキルを身につけたり、仲間とつながったり、失敗してもまた挑戦できるようなセーフティネットがあったり…、そんなコミュニティであったり「体験」というものに容易にアクセスできる環境を構築していく。
時間がかかるかもしれませんし、パッと見ただけでは、些細な何かインパクトを起こすようなアクションには見えないかもしれない、そんな挑戦の積み重ねで、「自己原因性感覚」を高めていく人が増えていけば、この業界は“オッサン化”せず、課題解決のために知恵やアクションを生んでいけるのかもしれません。
そのために、自分は何ができるのだろう?
知らず知らずのうちに、“おっさん”にも、“オッサン”にもならないように。
自分自身に問いかけながら、出来ることを考えていこうと思います。
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human libraryに行って、soarをますます好きになった話。
今夜は、久しぶりにsoarのイベントへ。(ブログ更新も久しぶり!)
「soar human library」 というイベントで、これまでsoarでも紹介された7名の方が「本」役となり、その方の人生や想いをじっくりと聴くことのできるイベント。
対話そのものも、とても面白く色々な気づきがあったのですが、それ以上に自分の中でsoarというメディアというか、コミュニティに対しての面白い気づきがありました。
その気づきで、ますますsoarが好きになったのと、HEISEI KAIGO LEADERSのコミュニティとしても、大切にできるとよいなと思えるものでもあったので、早いうちに言語化してみようと思います。
(「ブログより、雑誌連載やHEISEI KAIGO LEADERS・KAIGO HRの原稿とかの仕事の原稿製作を先に進めろよ!」というセルフ突っ込みを無視しつつ…。笑 そっちも頑張ります。)
■元々、soarは大好きなんです。
soarは「 人の持つ可能性が広がる瞬間を捉え、伝えていくメディア」。
社会的なマイノリティや、病気・障害などの困難を抱える人たちにとって、“希望”となるような情報をWebを通して伝えていくことで、前を向き歩んでいく力を届けているように思います。
5月に開催したHEISEI KAIGO LEADERS 5周年イベントで、編集長の工藤さんにゲストとしてお招きし、「社会をポジティブに変えるスイッチ」というテーマで介護領域のプレイヤーの皆さんにお話しいただきました。
「問題を解決しよう」では人は下を向く。
「解決した先には、こんな世界がある」だと、人は上を向く。
soarの話をするときは、工藤さんがよく語られるこの言葉をいつも引用させて頂くのですが、この言葉がsoarのメディアをよく表していると思っています。
複雑に、難しく、重いものとして語られがちなテーマを、軽やかに、ポジティブに届けることで、読んだ人の心に前に歩む力を与えてくれるように思います。
その想い・活動に賛同をして、微力ながらサポーターとして、活動を支援させていただいています。
2周年の際には、コラムも寄稿させてもらい、soarの魅力をこれまた微力ながらお伝えさせて頂きました。
…という感じで、元々soarというメディアのことをすごく好きでしたし、そのアクションの価値みたいなものは強く感じていました。
■新たに気づいた“価値”で、もっと好きになる。
前述のように、今回は7名のゲストが参加され、そのうちのお二人のお話をグループに分かれて伺います。様々なご経験・ストーリーを持つ方々で、全員のお話を聞きたい気持ちもあり、どなかを選ぶか悩ましかったですが…、
「会食恐怖症」の当事者経験を持ち、同じ悩みを抱える人をサポートする活動をされている山口 健太さん。
「誰かとご飯を食べるの苦手だな」と思ったことありませんか?会食恐怖症を克服した山口健太さんが伝えたいこと
性同一障害で、「女の子」として生きる自分に違和感を持ち、現在は男性として自分らしい生き方を見つけられた浜松 幸さん
悩み抜いたら、”性同一性障害”は神様がくれたギフトになった。浜松幸さんが自分の人生に自信を持てるまで
のお二人のお話を伺いました。
お二人ご自身のお話も、とても興味深く、普段ではなかなか気づけない・考えないことがあったのですが、そこまで書き出すと止まらなくなりそうなので、ここでは割愛します。(また別の形でアウトプットしたいです。)
最も、印象的で大きな気づきだったことが、山口さんとお話をしているときにありました。
会食恐怖症の経験をご自身が克服後、 一般社団法人日本会食恐怖症克服支援協会 を設立、同じ悩みを抱える人のサポートを続ける山口さん。
私自身も、soarの記事を通して初めて知った会食恐怖症。まだまだ広く認知されているものではないと思います。
そのため、なかなか周囲の理解を得られないこともあるのでは?
そう思って、少しネガティブな問いだったのですが、こんな質問をさせてもらいました。
山口さん自身が、当事者として声を出し積極的に活動することが、同じような悩みを抱える方の希望や力になっている。
その一方で、なかなか会食恐怖症を理解してもらえず、「そんなものは甘えだ」とかネガティブな意見が届くこともあるのではないか?
そんな私の質問に対し、山口さんはこんな風に答えてくれました。
(メモとかとっていないので、細かなニュアンスは違うかもしれませんが。)
ネガティブな意見もない訳ではないが、自分は気にしていない。
soarで自分と同じように想いを発信している人たちも、なかなか理解されづらい困難さ・悩みを抱えている人が多いと思う。
でも、その人たちも自分と同じように、想いを持って発信をして、誰かに前向きなメッセージを与えていると思うと、ネガティブな情報に踊らされず、自分も頑張らないとと思う。
なるほどな、と思いました。soarってすげぇな、と思いました。
soarというWebコミュニティは、「当事者の人に希望を届ける」という役割を持つと同時に、「発信者・支援者が、同じように社会的課題や困難なテーマと向き合う仲間・同志とつながる」という側面も持っているのだと気が付かされました。
soarが届けるテーマは、当事者にとってもなかなか周囲に理解してもらうことが難しい、まだ広く認知されていないものが多くあります。
それはつまり、そのテーマ・課題の解決に取り組んだり、悩んでいる人をサポートしようと活動している人たちの活動も理解されづらいということとなります。
周囲の無関心に立ち向かったり、時には心無い発言に心を痛めたり…。
活動を進めていくことは、時に困難を抱えたり、勇気がいることもあるのだと思います。
その時に、soarというメディアを通して、全く異なるテーマながらも、ポジティブに活動をしている人たちの存在をお互いに知り合い、同じメディアで情報を伝えていくことが、情報の出し手である人たちにとっても、心強い拠り所になっているのだな、と感じました。
記事が掲載される前の背景は私には分かりませんが、そういったポジティブな情報が既に蓄積され、同じ思いを持つ人たちが集っていることが、これまオープンな場で声を出すことをしていなかったプレイヤーの背中を押したこともあるのかもしれません。
ポジティブな情報の発信による受け手のエンパワメントに留まらず、発信者が集い、お互いの存在・活動を知り刺激を受け合うことで、発信者自身も勇気づけられ、エンパワメントされる。
誰かの想い・アクションの情報が、同じ悩みや困難さを持った人の力になるだけでなく、別のテーマと向き合う人にも勇気や自信を与える。
そして、その勇気づけられた人の活動が、また別の誰かを救う。
そんなポジティブなスパイラルの存在を感じた時に、「 人の持つ可能性が広がる瞬間を捉え、伝えていく」というsoarの想いが、ますます意味あるもののように思えました。
ポジティブな情報が、必要な誰かに届き、力になる。
そこがsoarの魅力だと勝手に思っていましたが、 それだけではありませんでした。それと同じくらい、情報を発信する人にとっても勇気を与えていたんだなと思います。
本当に素敵だなと思いましたし、ますますその活動が好きになりました。
■改めて思う “つながることで超えていく”。
そんなsoarというコミュニティに対する、個人的な気づきを通して、改めて「コミュニティ」というものについても考えさせられました。
私たちHEISEI KAIGO LEADERSは、これからKAIGO LEADERSと名前も変えつつ、新たな「コミュニティ」を作っていこうとしています。
これまでの東京での活動に加え、全国で想いを持った仲間との新たなコミュニティ形成、リアルな場に留まらないオンラインコミュニティの形成、2つのチャレンジを進めていきます。
※宣伝ですが、その活動を押し進めるためクラウドファンディング実行中です!(応援、よろしくお願いします!)
これから新たに生まれるコミュニティ、そしてアップデートされていく東京のコミュニティは、どんな形になるかは未知数ですが、高齢化社会・介護をよりよくしていくポジティブなアクションを実践し、きっと多くの人に価値を届けてくれると信じています。
そして、それと同時に、コミュニティの成員同士が互いの存在によってエンパワメントされたり、東京・大阪・金沢…各地でのコミュニティが、違ったコミュニティによい影響を与えあったり、KAIGO LEADERSとまた別のコミュニティと互いに作用しあって、ポジティブな変化が生まれる。
「つながり」そのものが、ポジティブな価値を生産し、加速させていく。
困難な課題だからこそ、「つながることで超えていく」。
私たちが理念で掲げるこの言葉を実践できるように、素敵なコミュニティをつくっていきたいなと思うのでした。
改めて、よい時間・素敵な気づきを与えてくれたsoarの皆さん・ゲストの皆さんに感謝です。
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「介護×〇〇」介護の新しい働き方をつくろう。
Join for Kaigo、初の採用活動を実施します。
募集にあたり、一つユニークな条件を設けています。
その条件は、「介護の仕事と兼務をする」ということ。
これは、介護の仕事をしている人の新たな可能性を探る試みでもあります。
□はじめての採用活動
今回の募集にあたり、既に代表の秋本がnoteに想いを綴ってくれています。
(募集要項もそちらをチェック!)
ベンチャーでダブルワークしたい介護職を募集します!介護の新しい働き方を一緒につくりませんか?
今回の採用の動きが生まれたのは、3月半ば。
ちょうど、私自身が介護とJoin for Kaigoの仕事のダブルワークを終えようとしていた頃でした。
ありがたいことに、新たな仕事・お客様も増えてきており、これから仕掛けようとしているアクションもたくさん。
現行の人員体制では、なかなか身動きも取りづらくなり、弊社として初めて「採用活動をしよう!」という話になりました。
最初は、普通に採用活動を行おうという話をしていたのですが…。
□「介護の仕事は好き。でも…」
3月という年度の節目。
かつて採用時に携わった前職の後輩から、「介護の仕事を離れます」という報せが今年もいくつか届きました。
採用担当としては残念ではあるものの、避けては通れない道。
多くの人を仲間として迎える一方で、様々な想いや事情で別の道を選ぶ人もいます。
そんな中、私にわざわざ連絡をくれる人たちの多くは、私にこんな想いを伝えてくれます。
介護の仕事はすごい楽しかったし、この会社に入ってよかったと思ってます。
でも…。
彼らの多くは、介護の仕事にやりがいを感じ、介護の現場で得た経験を大切に思ってくれている。
でも、何らかの理由や背景があり、介護の仕事を続けることが難しくなり、または新たな道に挑戦をするため、介護の仕事から離れることを選択したのです。
もちろん、何か新しい挑戦をすることを決意し、別の道に進む決断をした人は、その道で頑張ることを応援したいと思っています。
でも、「介護の仕事は好きだし、続けたい。だけど…。」という思いを持ちながらも、それが出来ずに違う道へ進む人ことを決めた人に対し、何かできないか…と常日頃思っていました。
…とは言え、採用担当が出来ることは限られており、これまでは悩みの��談にのるくらいしかできておらず、そのことに少なからずもやもやを抱えていたりもしました。
□「わたしと介護」のちょうどよい距離。
そんな中、自身の仕事も変わり、初めての採用をすることになった時、
介護の仕事を続けたい人が、介護をしながら新しい経験を出来る道を作れないかな?
という考えが、ふと浮かびました。
その考えが浮かんだのは、私自身の8ヶ月の介護職とJoin for Kaigoの仕事の兼務の経験が大きく影響しているのだろうと思います。
この8ヶ月の経験で得たことは、以前このブログでも少し書かせてもらいました。
「よく生きる」ために「人は、一生育つ。」ベネッセで学んだたくさんのこと。
そちらでも書いた通り、介護現場で多くのことを学び、その8ヶ月の経験はこれからの仕事にも活きる時間だったと思います。
そして何より楽しい時間でした。
でも、もしかすると週2日以上で介護の仕事をしていたら、また違った印象を持ったかもしれません。
より深い関係性を築き、やりがいもまた違ったものを得られると思いますが、心理的・身体的な負担も当然より多くなりますし、私自身が今一番やりたいことを進めるためのスピードは落ちてしまいます。
そういう意味で、私にとっては週2日間の介護現場での勤務が、介護との「ちょうどよい」距離でした。
私自身に「ちょうどよい距離感」があったように、人それぞれの想いやライフスタイル、大切にしたいことによって、介護の仕事と「ちょうどよい距離感」というものがあるのでは?
そう思ったときに、「介護から人の可能性に挑む」というミッションを掲げ、介護の世界をよりよくしていこうとするJoin for Kaigoという会社は、介護士の人たちがそれまでのキャリアを活かせる環境をつくれるのかも…。
介護業界の新しい働き方を、Join for Kaigoからつくりたい。
そんな想いで、ちょっとユニークな求人をスタートさせました。
□介護の仕事の可能性に挑んでみよう。
「介護から人の可能性に挑む」というミッションの先に、私たちが掲げるビジョンは、「 」(空白)。
私たちが、人の可能性に挑んだ先、一人ひとりの可能性が花開いた先にあるものは、まだ私たちも、その人自身も知らないワクワクする、社会を変える何かだろう。
そんな想いが込められています。
「多様な働き方」が注目される時代になり、「働き方」の改革や見直しが話題になっています。
でも、介護の世界ではまだまだ新しい働き方が生まれていません。
今回の取組そのものが、介護の仕事を好きで、介護の仕事に挑戦をしていきたい仲間の可能性を、更には介護の仕事そのものの可能性を広げてくれるのではないかと思っていますし、私自身もワクワクしています。
私たちも介護の仕事を経験し、介護の可能性を信じています。
介護の仕事が好きで、それと同じくらい新しい挑戦にワクワク出来る人、そんな人と一緒に、新たな形の働き方を作っていけたらよいなと思います。
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「女性は土俵から下りてください!」問題に思う“本当の問題点”。
□「女性は土俵から下りて」問題は、他人事ではないのかも?
4月4日、京都府舞鶴市で開かれていた大相撲の春巡業「大相撲舞鶴場所」で、土俵上であいさつをしていた市長が急性くも膜下出血で倒れ、その救命救助のためにかけつけた女性に対して、「女性は土俵から下りて」とアナウンス、および土俵上の関係者からの促しがあったことが、大きなニュースとなっています。
この問題、報道や世間の声では相撲協会の「旧態依然の体質」、「女性蔑視(と捉えられても仕方のない)の姿勢」への批判が集まっています。
でも、この問題の本質は、「非常時にも関わらず、思考停止状態で平時のルールがそのまま採用され、救命活動が阻害される危険性があった。」というヒューマンエラーにあるように感じています。
「女人禁制」という文化の是非、暴行問題でも浮き彫りになった相撲協会の体質…そういったものを一度外してこの問題を見直してみると、誰にとっても他人ごとではない、もしかすると誰でも起こしてしまうかもしれないリスクが見えてくるように思います…。
□非常時に「平時のルール」を採用すべきか?
例えば…。
多くの人でにぎわう海水浴場。
突然、ビーチにいた人たちから悲鳴が上がります。浜から距離のある遊泳ゾーンぎりぎりのところで、子どもが溺れています!
早く助けないと…!
ライフセイバーが海に飛び込み、子どものもとへ向かいます。ビーチの人たちも子どもの無事を祈りながら、その様子を見守っています。
すると、そこにたまたま遊泳ゾーンの近くを通りかかった釣り船が事態に気づき、急いで子どものところへ向かい始めました。
その様子を見ていた海水浴場の関係者はメガホンを持って、釣り船に向かってこう叫びました。
何やってるんだ!そこは船は入っちゃだめだろ!早く遊泳ゾーンから出なさい!!
例えば…。
あなたは、お店の店員さん。営業時間を終えた深夜。閉店の準備を進めています。
閉店作業も滞りなく終えて、さあシャッターを下げようとしたところ、血相を変えた若い女性が走り寄ってきて、あなたにこう声を掛けます。
変質者に追われている。中に入れて警察を呼んでほしい。
時間帯は深夜。助けを求められるような、身を隠すような場所も、近くにはなかなかありません。真剣な女性の表情を見ても、嘘をついているとは思えません。今は、変質者の姿は見えないけれども、このまま女性が外にいる状況では、危険な目に合ってしまうかも…。
そんな風に思いながらも、あなたは日常の、与えられた役割を遂行すべく、
すみません。もう閉店のお時間ですので…。
と、女性の目の前でシャッターを閉めるのでした。
…ちょっと大げさには書きましたが、今回の舞鶴場所で起きたことは、こういう感じのことだったのだと思います。
「土俵は女人禁制」というルールがあり、それが「救命処置を必要とする人が土俵の上に倒れている」という非常時においても、咄嗟の判断とは言え順守されたということが、今回の問題の本質であると私は思います。
様々な意見があると思いますが、「土俵は女人禁制」という昔からの文化を、相撲協会が守り続け、女性を土俵にあげることを頑なに拒むこと自体は、協会の意思なので、あってもよいと思います。
(私自身は、相撲にそこまで詳しくもないこともあり、「女性が土俵に上がる」ことにどんな問題があるのか、よく分かりません。女性も男性も同じ立場で考えてよいのにと思います。…が、相撲協会が「女人禁制」を貫くのも、また一つの意思ではあると思います。)
ですが、今回の緊急時、優先すべきは人命救助なのは自明のこと。
あの場にいた協会関係者が全て、「女人禁制」のルールを優先しようと思っていたということではないと思いますし、アナウンスをした行事も八角理事長が謝罪時に説明したように「動転していた」ということもあるのでしょう。
ただ、結果として行事や土俵上で同じ声掛けをした関係者が咄嗟に判断した「平時のルールを順守する」という選択が、人命救助を妨げる可能性があったという事実は、相撲協会は重く受け止め、再発防止に努めないといけないと思います。
しかし、八角理事長の謝罪では、
行司が動転して呼びかけたものでしたが、人命にかかわる状況には不適切な対応でした。深くおわび申し上げます 。
とのことで、「動転して呼びかけた」ことについては、咄嗟の判断であり、致し方のないことと感じているようにも思えます。
しかし、リスクマネジメントの観点から考えるのであれば、現場の「咄嗟の判断」で誤った判断がなされてしまっている状態、というより思考停止状態で適切な判断が出来なかったという事実に目を向けないと、同じ事態がいつかどこかで起きてしまうように思えます。
今回の教訓はどのように活かされるのでしょうか?
邪推ですが、「救命救急時には、女性も上がってよいことにしよう」みたいな、新たな運用ルールの追加だけで終わってしまうように思います…。
そして、新たな「想定外の事態」が起きた時に…。また同じような問題が発生するリスクは軽減されていない。そんな状況を創造してしまうのです。
本来、必要なことは現場において一人ひとりが、どのような基準で、何を大切に、自身の頭で判断し、行動するか?ということですが、そういった視点での見直しが行われるとよいなと、お節介ながらに思っています。
□この問題は、相撲協会“だけ”の問題?
さて…。
この相撲協会の問題を、「自分や自分の周りでも起きること」と考えて、普段の行動を振り返った人は結構少ないように思います。
しかし、この問題は果たして、相撲協会という組織だけで起きる「特殊な問題なの」でしょうか?相撲協会“だけ”が抱える組織固有の問題なのでしょうか?
一連の問題が起きた時、私自身は上記のようなことを思い、こういった思考停止に陥るリスクは、「自分自身も含め、どこにでも起こりうることだな。気を付けないとな」と思いました。
相撲協会という組織、「土俵は女人禁制」というルールなどの特殊性が、この問題を、自分たちからは遠い、どこか特別な問題のように考えさせてしまっているような気がします。
人命を左右する問題ではないとしても、「ルールだから」「規則だから」「前から決まっているから」「伝統だから」ということで思考停止し、本来取るべき選択ができないことと言うのは、私たちの仕事や日常においても、起きてしまいがちなこと。
だからこそ、思考停止の危険性をしっかりと理解し、特に緊急時において、そうならないよう、気を引き締める必要があると思うのです。
少なくとも、私は今回の一連の問題を、「相撲協会が古い組織だから、あんな問題起きちゃうんだな」と他人事で終えるのではなく、「私や私の周りでも起きうること」と思い、本当に大切な時に、大切な判断を自分の頭で出来るよう、教訓にしていけるとよいなと思います。
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「よく生きる」ために「人は、一生育つ。」ベネッセで学んだたくさんのこと。
□人は一生育つ。
人は一生育つ。
子どもにも大人にも、人には成長する力が息づいています。
それを見つけ、ともに歩んでゆくのが私たちの仕事です。
2015年に日経広告賞を受賞したベネッセホールディングスの企業広告。
人の成長の可能性を信じ、人生の様々な側面で、その人が「よく生きる」ために、様々な形で人に寄り添い続ける。
そんなベネッセの理念をとてもよく表しているなと感じ、すごく好きなメッセージであり、自分自身の行動指針にもなっている言葉です。
ベネッセの介護・保育事業を手掛けるベネッセスタイルケアに2006年4月に新卒入社し昨日で丸12年。
昨年の夏には、それまでずっとしてきた人事の仕事・正社員としての勤務を終え、非常勤介護職としてJoin for Kaigoでの勤務と並行してきましたが、2018年3月を持って、完全に退職することになりました。
□大切なことは、ベネッセで教わった。
思えば12年、色々なことがありました。
一年目。
最初に配属された介護施設では、右も左も分からないながら、よき先輩たち・個性豊かなご入居者様たちに色々なことを教わり、介護という仕事の面白さ・難しさに触れることになりました。
私にとって、介護の仕事での一番の面白さは、関係性が深まることで、その方へのケア・サービスも深まり、それが関係性を深めていくというスパイラルを感じられることでした。
お互いのことをよく知らない時には、当たり障りのない関わりしかできないけれど、「この人ってこんな人なんだ」「こんなことが好きなんだ」と新たな側面を知ったり、何かを一緒にやることで前より仲良くなったりすると、それまでよりも深い関わり・想いに添った関わりができて、それが新たなエピソードを紡いでいく。
それが、自分にとっては大きなことでした。
今でも、よく覚えているのですが、ホームでの仕事の最終日。
担当していたフロアの方お一人おひとりにご挨拶した際、「野沢さん(〇〇さん)とは、こんなことしたね。こんなことあったね。」と、自分とその方だけのエピソードを語って懐かしむことができ、短い時間でしたがその期間なりの深まりをできたのだなということが、とても嬉しくありました。
学生の頃から、漠然と思っていた「人と深くかかわる仕事がしたい」という思いが、介護という仕事にすごくフィットした。
この「一人ひとりと関係性を深め、人生にしっかり携わりたい」という思いは、一社会人としても介護士としても本当に未熟で、至らぬことも多かったですが、その時に感じた想いは今でも根っこの部分にあるような気がします。
二年目以降は、ずっと人事畑。
10年近く人事をやっていたので、社内外から「人事・採用の人」と思われてますが、最初は特に志望していた訳ではなく(もちろん嫌でもない)、たまたま配属された部署でした。人事以外に配属されてたら、どんな12年を歩んだのだろう…。
新卒採用を中心に、活動を続けてきたわけですが、最初に期待されていた「年が近い先輩の生の声を届ける」ということから、「採用担当として、オペレーションを担う」、「目標達成のための戦略を練り、実行する」、「マネージャーとして全体を統括する」と、役割を変えながら仕事をしてきました。
こちらでも、出来たこと・嬉しかったこと以上に、難しいこと・苦戦したことの方が数多く、決して楽な道ではなかったと思いますが、ありがたいことに、色々なことを自由にやらせてもらい、仕事を進めるための視点・スキルを培ってきたように思います。
この期間の仕事では、やはり多くの就活生ー入社をした若手社員と関われたことが大きかったし、今でも財産になっています。
人生の大切な決断を迫られている一人ひとりの想いに触れ、本気で向き合うことの面白さと難しさ。
採用担当としてのスキルや経験が上がれば上がるほど、こなそうと思えばこなせるけど、一人ひとりの「よく生きる」につながるように、しっかりと真剣にその人の想い・人生に対峙する。そんな想いはずっと大切にしてきました。
ふり返ってみると、この会社で出会った先輩たちの多くが、自然とそのようなスタンスで人と向き合っていて、そこから学べることが多かったように思います。
出来ていたかどうかは分からないけど、自分自身の仕事へのスタンスも、後輩となる世代にとって、何かポジティブな学び・気づきを与えられるようになりたいなという思いも、経験を積めば積むほどそんな思いも高まりました。
そして、ベネッセを去り新たなことをスタートしようと決めた最後の1年。
わがままを言って、もう一度現場に戻って介護の仕事をさせてもらいました。
この期間は、本当にまなびほぐしの時間でした。
約10年、間接的に関わってきた介護ともう一度向き合い、一人ひとりのお客様の人生や生活に向き合い、何人かの人生の最期にも直面し、介護士としての自分自身の感情や思考に触れることが何より新鮮でした。
改めて、やっぱり介護面白いな、と思うのです。
もちろん、人様の人生に携わることは正解もなく全てが手探り。
どのように進めればよいのか分からないし、大変に思うことも山のようにあります。
でも、人の人生に携わり、どうすればその方がよりよく生きる支援ができるのか、色々な人たちと協力をしながら、実践をしていく。
そのアプローチが届いた瞬間の「分かりあえた!」「よかった!」と思えた時は、私にとって何よりの喜びでした。
介護現場で経験できた時間は8ヶ月と本当短い時間。本当はもう少し関わりたい…という思いでもいっぱいなのですが、Join for Kaigoの、HEISEI KAIGO LEADERSの活動をより広げていくために、3月末をもってダブルワークを終えることを決めました。
ああ、身体が二つ欲しい…。
□より「よく生きる」ために楽しみながら、学び続ける。
ベネッセという会社で、色々なことを学んで、今の自分のスタンスが形成されたと思いますが、一番自分にとっての大きな学びは、冒頭にもあげた「人は一生育つ。」という思い。そして、そのために「学ぶ意欲を持ち続ける」ということだと思います。
今でこそ、「学び大好き人間」みたいなイメージを持たれていますが、学生時代や社会人になったばかりの頃は、別にそんなこともなく、ただ諾々と日々を過ごしていたように思います。
でも、経験を通して学ぶ機会をたくさんもらい、人事という領域で人の成長を目の当たりにし、介護現場で80歳を超える人生の大先輩たちが、前向きに人生を歩み、変わっていく姿を見て、本当に人は常に成長していくのだと、人の可能性に確信し、その原動力になることが「前向きな、楽しい学び」であるということも教えてもらいました。
これから先、どんな形で自分がキャリアを積み重ねていくのか、どんな形で人の人生に携わっていくのか、まだよく分からないし、常に移り変わってゆくのでしょうけれども、「人の可能性を信じる」「学びを楽しむ」ということを、自分自身も実践し、他の人たちにも伝播していける存在でありたいと思います。
「よく生きる」ために「一生育つ」。
ベネッセを離れても、ずっとこの想いを大切にしていきたいと思いますし、その想いで活動することで、この12年学ばせてもらったことをちょっとでも返していけたらよいなと思っています。
12年の感謝を込めて。
本当にありがとうございました。
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祖父が行方不明になって、凍死した。
3月半ば、久しぶりに父の故郷である新潟へと足を運びました。
新潟では、父の弟である叔父一家と祖父が暮らしています。
母方の祖父母はずっと前に、父方の祖母も15年前に亡くしている自分にとって、健在だったのは祖父ひとり。
学生時代は毎年夏に顔を出していたけれど、社会人になってからは忙しさを理由に数年に一度しか足を運べておらず、至らない孫でした。
ここ数年は、身体も弱り、認知症の症状もあり、在宅での介護を受けながら暮らしていた祖父。大きな病気等がある訳ではなく、今すぐにどうこうと言う訳ではないけれど、おそらく祖父と顔を合わせられる機会も多くはないのだろう…。
普段から意識した訳ではないけれど、振り返ってみると、心のどこかでそんな考えを持っていたと思います。
でも、「その時」がある日突然、本当に思いもよらない報せでやってきました。
「介護業界をよりよくする」「高齢化社会の課題を解決する」
そんなことを思って仕事をしていたつもりの自分が、部分的であるにせよその課題の当事者になって思ったこと・感じたこと。
こんな形で言葉にしてよいのか…とここ半月逡巡していたのですが、自分自身のけじめとこれからのために、言葉に紡いでおこうと思います。
祖父がある日、いなくなった。
その報せが母から届いたのは、月曜日の朝でした。
‟祖父が土曜日の昼、家族が目を離して���る間にふらっと家を出て、行方が分からなくなった”
“叔父一家を中心に近所の人も懸命に探しているが、まだ見つかっていない”
東京にいる自分たちは、何もすることができないため、ただ無事を祈りつつ連絡を待つことになりました。
心配に思いながらも、何もすることができず、通勤して仕事に取り組むことしかできませんでした。
多少暖かくなってきて、雪は降らなくなったとはいえ3月の新潟。
朝晩はかなり冷え込みます。
田畑はあるけれども、祖父の家は住宅地の中にあり、人目にもつきやすいような場所。2日間探して探しきれないような自然の広がる場所でもありません。
そのような中で、2日間行方が分からない。
どうしても、最悪のケースを想像してしまう自分がいました。
「祖父が見つかった」との報せ。
そして、その日の午後。母から発見の報せが届きました。
祖父が遺体となって発見された。
これから事件性がないか検死に入るが、おそらく凍死だろう。
取り急ぎ父が新潟に向かうので、詳細はまた連絡する。
報せを聞いた時、色々な感情がよぎりました。
祖父自身の当時の状況、ずっと探し続けていた叔父一家の心情、
突然すぎて整理ができていない自分自身の心の置き所。
家族が正に高齢化における課題で命を落としたことへの衝撃。
ただ、目の前の仕事があって、そこに向き合う必要がある中、比較的冷静に受け止めていたように思います。
悲しいことが起きたけど、目の前のことを疎かにしちゃいけないと。
最期の時、祖父は何を思ったのだろう。
訃報が届いたその日は、たまたま研修講師で地方への出張が入っており、新潟はおろか東京からも離れることへの後ろめたさもありつつ、翌日の仕事のために現地へと向かいました。
現地に着き、実家へと連絡をすると父とつながり、第一報よりも詳しい情報を聞くことができました。
祖父が見つかったのは、家からもそう遠くない公共施設の敷地内でした。
詳細については、ここで述べることはしませんが、その敷地の屋外で見つかったそうで、寒さを凌ぐためか、排水溝的な狭い溝の中に横たわっていたそうです。
涙声の父との電話を終え、空港から市街地まで向かうバスの中、祖父が暮らしていた新潟を思い出すような田園風景が流れる車窓を見つつ、
祖父は、いったいどこに向かおうとしていたのだろう?
冷たい溝の中で最後に何を思ったのだろう?
長い人生の最期をもっとよい形で迎えてほしかった。
これまで、全然しっかりと関われていなかった・なにも祖父にしてやれなかったことを棚に上げて、心の底からそう思いました。
自分とは違い、ずっと祖父に寄り添い、支えてきた叔父一家の心痛を思い、どうか責任を感じないでほしい、と切に切に願いました。
そんなことを考えていたら、急に堪えられなくなり、バスの中でボロボロと涙が出てきて、止まらなくなってしまいました。
完全に不審人物になっていたと思います。
翌日の研修の仕事を終え、次の日から通夜・告別式に出るために新潟へ向かいました。思ってもみない形での、数年ぶりの新潟訪問でした。
通夜・告別式の日は兼業で行っている介護の現場の方の仕事でした。
本当に急な休みでシフトに穴を空けてしまうため、「せめて告別式だけでも…」と思って相談した自分に対して、ホームのメンバーは「こちらは気にしないでいいから」と通夜の日も送り出してくれました。
急な欠員をカバーしてくれて本当は大変なはずなのに、快く送り出してくれたホームのメンバーには感謝の気持ちしかありません。
おかげで、祖父にきちんと別れを告げることができました。
自分は全く‟当事者”になれていなかった。
粛々と儀式が行われ、全てを終えて東京へ戻る際中、
ああ、自分は介護問題の、高齢化社会が抱える課題の‟当事者”に全くなれていなかったな…。
そんなことをずっと思っていました。
社会人になってから、現場・人事採用・マネジメント、そして今の仕事と、ずっと介護業界に携わり続けてきました。
「高齢化社会の課題解決をしたい」
「介護に携わる人ー職員も、高齢者も、家族もーみんなにとって、よりよい社会をつくる一助となりたい」
そんな思いで、仕事を続けてきていました。
一方で、私が介護業界で仕事をしているのは、強い原体験がある訳ではなく、たまたま新卒の時に「この会社で働きたい」と思ったのが介護業界の会社だったからにすぎず、「きっと自分が向かい合うテーマは別のものでも、同じようにやりがいや面白さを感じながら仕事もできたのだろうな…」と、これまでも思っていました。
介護を、高齢化社会をよりよくしていきたい。
そのための仕事をしたい。
その想いは以前も今も変わらないし、これまでも高齢化がますます進展する社会で暮らす一員として、「当事者意識」を持って働いているつもりでした。
でも、祖父の死を通して、一個人として、自分自身に高齢化社会における課題が降りかかってくるという覚悟も、心構えも、準備も何一つ出来ていなかったことに、痛いほど気づかされました。
自分の持っていた「当事者意識」なんて、円の本当に一番外側にいて、分かった気になっていただけなんだな、と。
自分のそのお気楽さというか、能天気さには、乾いた笑いしか出ませんでした。
でも…、その気づきは私にとっては後悔や反省ばかりではなく、改めてもう一度、自分の仕事との向き合い方を見つめなおし、歩み出すきっかけになったようにも思いました。
改めて、「介護から人の可能性に挑む。」
私自身は元々、ワーカホリックタイプの人間で、「面白い」「ワクワクする」と思える仕事は、公私の境が吹っ飛ぶレベルで没頭してしまうタイプです。
そんなスタイルに、ちょっとの感心と、たっぷりの呆れを込めて、
なんでそんなに仕事を頑張れるの?
なんてことを周囲の人から問われることが多くあります。
そんな時、半分照れ隠しの冗談、半分本気で、いつも私は「趣味」と答えてきました。
「社会課題を解決したい」
「介護業界をよりよくしたい」
そんな思いを持ち、自分のスキル・経験を活かしていきたいとの思いで、楽しみながら、仕事を続けてきました。
でも、前述のとおり、その目指すゴールの部分に強い思い入れがあった訳ではなく、たまたま行き着いたテーマが「介護」であり「高齢化社会」だった。
そんな意識をこれまで持っていたから、おそらく本気でやっている自分自身の姿を「趣味」と言って茶化していたのかなぁ…、と今になって思います。
それそのものが、自分の性格をよーく表していると思うので、悪いとは思っていないのですが。笑
でも、望むと望まざると、高齢化社会の進展が生み出す様々な課題は、私にとってもはや他人事ではなくなってしまった。
自分自身が、自分の近しい人に起こったこと・感じたことが、きっと今のままではこれから先、どんどん増えていってしまう。
何とかその状況を変えていきたい。
そのために、これまでやってきたことを、これまで以上の意思を持って進めていく。
今は、そんな風に思っています。
これまで「趣味」だと茶化しつつも、積み重ねてきたものも、もちろん無駄ではなかったと思っています。
たまたま行き着いた「介護」という世界で、自分が経験してきたこと・身につけてきたこと・出会って想いを共に歩める人たち…。
それでまるっと全て解決はできるなんて思ってはいません。
でも、それらを信じて、努力を続けていけば、もしかすると自分でも何かお役に立てることがありそうだ。
「介護」「高齢化社会」という、より当事者意識を持って向き合おうとするテーマに、そんな手応えを持てている今の状況はきっと幸運なんだろうなと感じています。
楽しさやワクワクを探しながら仕事をするスタンスはこれまで通り、
でも、これまで以上に信念と決意を持って、
Join for KaigoのMissionである「介護から、人の可能性に挑む。」ということに挑戦を続けていこうと思います。
…なんだか、自分の頭の中を長々と曝け出してしまいましたが。
今の気持ちを、祖父のことを忘れないためにも、ここに刻んでおこうと思います。
もうすぐ新しい季節・年度が始まります。
これからも、悠々とマイペースに、でも想いを込めて、一つひとつの仕事をしていこうと思っておりますので、関係各位の皆様、引き続きよろしくお願い致します。
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FUNKYとHAPPYを届けるバンド、BRADIOが気になる。
■2018年、このアフロから目が離せない!
2017年のライブ納めとなったCOUNTDOWN JAPAN17/18で出会ったBRADIOというバンドが気になって仕方がない。
「気になる」というか、もう大好きで年明けも聴きまくっているのですが、この魅力をちょっとでも伝えたくて、記事を書いてしまいました。笑
■BRADIOの魅力その1:多幸感MAXの楽曲
LA PA PARADISE
言葉で色々説明するより、「MV見てくれれば、分かる!」という感じでもありますけど。
BRADIOのサウンドは、80’s Disco,FUNK感漂うダンスサウンド。聴いているだけで、身体がリズムを刻み、踊りたくなってくるのです。
理屈抜き・問答無用に楽しく、踊らせてくれるキラーチューンだらけです。
■BRADIOの魅力その2:Vo.の歌唱力
Take Me Higher
Overnight Superstar
BRADIOの大きな魅力といって間違いないのが、アフロヘア―が特徴のVo.真行寺貴秋の歌唱力。
時に力強く、時に繊細に、楽曲の魅力を十二分に引き出す歌声は、一度聴いたら耳に離れないインパクトがあります。ファルセットでこれだけ歌い上げられる人も少ないのでは。
音楽好きで、手広く聴いてる方だと思いますが、ここまでの歌で魅せられるヴォーカリストは、そうそういないと思います。
■BRADIOの魅力その3:ライブが楽しい!
これももう、「ライブ動画見てくれ」って感じです。笑
私もCDJのステージで一度見ただけですが、それだけで虜になりました。
オーディエンスを躍らせることに特化したパフォーマンス。Vo.真行寺の歌も、音源に負けず、迫力満点でした。
先にMVを見て、相当期待値高くしてライブに行ったのですが、その期待を上回るくらいライブが楽しく、「またライブを見たい、踊りたい」と思わせてくれる30分でした。
昨年、メジャーデビューも果たし、これからますます活躍の場を広げていくことになるのでしょう。
「ファンピー=FUNKY×HAPPY」を多くの人に振りまく、BRADIO。
2018年、個人的要注目バンドです。
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「分断」「対立」多き時代に、「対話」を産む“スイッチ”をつくろう。
2018年初投稿です。
昨年は、忙しさを言い訳に更新滞っていましたが、自身の考えの整理も含め、今年はもう少し更新の頻度を上げていきたいなと思います。(3日坊主になりませんように…。)
さて。新年最初の投稿は、自身の今年の抱負的な話も含め、ある動画を紹介したいと思います。
■「分断」の進む社会で…。
紹介するのは、少し前のものですがビール会社ハイネケンのCMです。
4分半の映像の中で、これからの時代に私たちが大切にすべきものが詰まっているように思います。
CMでは、ある実験の様子が紹介されています。
“僕は気候変動が起きているなんて信じない”
“僕たちは気候変動に対して十分なアクションができていない”
実験の参加者は、信条・思想・置かれた環境が正反対の見ず知らずな2人。
初対面でぎこちなさを残しつつ、課せられた課題をこなしていきます。
コミュニケーションを通して、お互いのことを知り、徐々に距離も近づいていくのですが…。
最後に2人はある「決断」を迫られます。
主義・主張が異なる2人がとる決断とは…。
■課題多き時代での「対話」の重要性
何度見ても面白く、考えさせられる映像です。(ビール会社がこういうメッセージを打ち出すのが面白い!)
世界中で、日本中で、身近な場所で様々な「分断」「対立」が生まれているこの時代、「対話」の重要性がますます高まってきているように思います。
逆説的に言うと、問題の起きている現場においては、「自分の意見・主張が正しい!相手は間違っている!」という姿勢に双方が立ってしまい、相手の意見に耳を貸すこと・相手と意思の疎通を図ろうとする姿勢がなくなってしまっているように思うのです。(もちろん、全ての現場・全ての人がそうではないと思いますが…)
善か悪か、正しいか間違っているか、勝ちか負けか…。
マジョリティの立場でも、マイノリティな立場でも、相手の意見に耳を傾けず、全否定するような態度をとっていることが多くあると思います。
でも、「正義の反対は、また別の正義」なんて言葉があるように、多くの場合どちらかが一方的に間違っているということはなく、それぞれの視点・置かれた立場によって物の見え方・捉え方が異なっているのだと思います。
そんな中で、「自分は正しい/相手は間違っている」という二元論的な主張・相手への否定は、相手の態度を硬化させてしまい、さらに分断は深まる…という悪循環に入っていっていることが多いように思います。
‟もし、君が「自分の意見が正しい」と主張したいなら、座って一緒にビールを飲むのが建設的さ”
この動画に登場する人々は、最終的に一緒にビールを飲みながら、お互いの主張に耳を傾け対話をすることを選びました。
自分と正反対の主張を持った人物と共に時間を過ごすことで、おそらく主義・主張がすっかり変わった人はいないのだと思います。でも、お互いのことを知り、一人の人間として、耳を傾けたことによって、「話をしてみたい」「理解を深めたい」という思いが芽生え、これまでとは違った視点・考えを持つきっかけになったのではないかと思います。‟正しい/正しくない”の二元論ではなく、お互いの意見を交わした先にある、新しい何かを見出すために。
このように、主義・信条・価値観・環境の違いから生まれる対立の中で、少し視線をずらして、「なぜ “私(あなた)” はそう考えるのか?」「このように考える “私(あなた)” はどんな人間なのか?」という風に『人』にフォーカスを当ててみると、違ったものが見えてくるのではないだろうか。そんな風に思います。
■対話・気づきの‟スイッチ”を仕掛けたい
個人的にこのCMが面白いと思うのは、 伝えられているメッセージだけでなく、対話を産み出すための「仕掛け」が、よくデザインされているということも理由です。
例えば、この映像に出てくる人々が、単純にお互いの主義主張をぶつける場所で出会っていたら、このような対話や、対話を通して得られる気づきや相互理解・友情が生まれていたでしょうか。
おそらくきっとそうはならず、お互いの意見をぶつけ合い、もしかすると「分断」はさらに深まることになるかもしれません。
共同での作業、お互いのことを知りあう対話、そして心を開いて語り合うためのビール。参加者は知らず知らずのうちに、主義主張よりも一人の人物として、目の前の相手を尊重し、理解しあおうとする姿勢を高めていっています。
この対話・相互理解を促す段階的な仕掛けがあってこそ、最後の決断で二人は同じ席につき、笑顔で向かい合い対話を深めていったように思います。(もちろん、これはCMとして編集された映像なので、必ず対話・相互理解が生まれるとは限らない訳ですが…。)
例え意見・価値観・求めているものが違う人同士でも、一人の人間として向かい合うことができれば、課題解決の糸口が見えてくるのではないだろうか。
また、対立している人同士でなくても、普段関わらないコミュニティ外の人と対話し、相互理解を深められる場所があれば、そこから何か新しいものが生まれたり、新たな気づきが生まれるのではないだろうか。
そんな風に思いますし、そういう機会を増やしていければと思います。ただ、「相互理解を深めましょう。もっと対話しましょう。」と言って、それができるほど簡単ではないことも事実。
だからこそ、色々な立場・考えを持った人が集い、自由で安心できる環境で意見を交わし、何かポジティブな気づき・学び・発見が生まれるような仕掛けを作っていきたい。
大切なものも、目指すものも、今置かれている状況も人それぞれ。だから、「あなたはこうすべき」とか「こうすれば正解だ」といった万人向けの答えみたいなものをお渡しすることは、出来ないと思っています。でも、その人にとって課題解決につながるヒントだったり、ワクワクと前向きになれる視点だったり、何かが変わるきっかけとなる起点、スイッチ的な役割を果たせたら面白いし、仕事内外でいろいろ仕掛けていければと思います。
自分自身も楽しみつつ、行動していこうと思うので、今年もどうぞよろしくお願いします!
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超個人的、2017年に刺さった10曲(後編)
超個人的、2017年に刺さった10曲(前編)
問わず語りに、今年刺さった10曲紹介、後編でございます。
■ダンスに間に合う/思い出野郎Aチーム
多摩美出身のソウルバンド、思い出野郎Aチーム。
今年もceroやVIDEOTAPE MUSICなど、カクバリズムのアーティストをよく聴いてたんですけど、そんな中で偶然YouTubeで関連動画で出てきたこの曲を聴いて好きになりました。
(ふり返ってみると、YouTube経由での発掘、今年多いな…。)
泥臭いけど、聞いていて笑顔になる多幸感たっぷり。仕事に追われている時にこの曲聞いて、肩の力を抜きたくなります。
■青春の胸騒ぎ/Awesome City Club
メジャーシーンでもぐっと存在感を増してきたAwesome City Club。
ミドルテンポのバラードで、夜にしっとり聴きたくなる曲です。(なんか、今年そんな曲ばかりだな。笑)
来年もますます飛躍していくことになるだろうなぁと思いますが、個人的に「今夜だけ間違いないことにしてあげる」とか「ASAYAKE」とか、最近のポップさ全開で、みんなで踊れる!みたいな曲も好きではあるのですが、昔のシティポップ感溢れるACCが好きなので、完全にそっちに振り切るとちょっと残念なんですよね…。
なので、この曲のようなタイプの曲がアルバムに収録にされて、MVでフィーチャーされてるとほっとする。
■Ceremony/Special Favorite Music
「ACCとか、LUCKY TAPESとか、SFMとか、最近似たようなバンド多くね?」と一括りに言われるけど、私は大好きです、Special Favorite Music。
彼らの曲を聴いていると、音楽を本当に楽しんでいるなということが伝わってきて、聴いているこちらも楽しくなります。
バイオリン、金管、フルートなど多様な音を詰め込んだサウンドに男女ツインボーカルが軽やかに乗る、何とも心地いいです。
来年も、こういった上質なポップミュージックに脚光が当たればいいなと思います。
■エレクトリック・パブリック/ポルカドットスティングレイ
あざとい。
ポルカドットスティングレイを一言で表現するなら、「あざといバンド」だと思います。
もちろん誉め言葉です。何というか、「どうやったら売れるか?」をものすごく計算して、楽曲作っているし、アートワークも含め練りこまれていて、それが隠されずに前面に押し出されている。
彼らの曲聞いていると、「こういうの好きでしょ?」と突きつけられている気分になるんですよね。
でも、確かに「そう!こういうの好き!」と頷いてしまうのが悔しいけど、最高です。笑 やっぱりギターロックっていいなぁ、と思わされます。
椎名林檎感たっぷりのVo./Gの雫に注目が集まるけど、このバンドはGのエジマハルシのギターが本当よいと思います。ギターのリフが気持ちよくてずっと残るんですよ。
これからますます売れるだろうなぁ…。
■びゅーてぃふる/ふくろうず
今年最後に飛び込んできたふくろうず解散のニュース。
10周年記念ライブの翌日に突然の解散のお知らせということで、本当に驚きました。
Vo.内田万里の浮遊感ある歌声がとても好きでした。日々の生活の中で揺れ動く感情をそのまま曲にしたような、小さくて温かくてちょっと切ない曲が好きでした。
この「びゅーてぃふる」も、とてもかわいくキラキラした曲で、聞いていてワクワクする曲で、これから先の彼らの活動も楽しみにしていたのですが…。
残念ではありますが、今後のメンバーそれぞれの活動も応援したいと思います。
■ふり返ってみて。
改めて、今年一年出会った曲たちを振り返ると、たくさんの音楽に触れたなと思います。
こうして気に入った曲をピックアップしてみると、何となく「東京の夜」を感じさせる曲が多いのが面白かったです。
ここでは挙げていないものも含め、色々なジャンルを聴いたと思いますが、2016年に引き続き、全体的にはポップミュージック中心に聴いてた感じなのだなと思いました。
来年は誰のどんな10曲を選んでるのか、自分でちょっと楽しみです。
…そして、だいぶブログ更新さぼっちゃったから、来年はもう少し書くことにします!
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超個人的、2017年に刺さった10曲(前編)
気が付いたら今年もあと数時間…。
忙しさにかまけて、更新さぼっておりました。
今年は個人的に激動な一年でございましたが、とても楽しく学びの多き一年でした。
昨日、COUNT DOWN JAPANにて無事ライブ納めもしましたけれども、今年もたくさんの素敵な音楽に出会えました。
問わず語りに、たくさんあった今年発売の名曲から、個人的に特に刺さった10曲を紹介します。
■LAST SUPPER/LI LI LIMIT
6月に発売されたLI LI LIMITの『LAST SUPPER EP』 のリード曲。
今年の曲で一曲だけ選べと言われれば、この曲を推します。
人の別れや旅立ちを、少し悲しくも優しく包むこの曲。ちょうど自分自身が転機を迎えるタイミングだったということもあり、グサッとささりました。
LI LI LIMITはサカナクションと近い感覚で、音楽の前衛的な可能性と多くの人に響くポップさの狭間で、新たなものを生み出していこうとする意欲を感じるのですが、そのバランスがとれてきて、今まで以上に多くの人の心を揺さぶる音楽になってきた気がします。
2018年も要注目なバンドです。
■NIGHT TOWN/フレンズ
シティポップのブームが続く中、今年、大きく躍進したバンドの一つがフレンズですね。
二枚のミニアルバムを発表、フェスやツアーで多くのファンを獲得したと思います。ツアーファイナルの恵比寿リキッド公演で初めてライブを見ましたけど、ライブもエンターテインメント性十分でとても楽しく、「こりゃもっと人気出るな…」と感じてます。
彼らの楽曲は、踊れる曲、ジョークの効いたユーモラスな曲など、バリエーション豊かですが、一番魅力に感じるのが都会の夜の空気を纏ったミドルテンポのバラード。ヴォーカル・おかもとえみの魅力が十二分に活きていると思います。
今年先に発売した「ベイビー誕生」に収録の「夜明けのメモリー」も最高なんですけど、後発の「プチタウン」に収録のこちらは、寒いけど、煌びやかな都会の夜の雰囲気を表していて、とても好きです。
フレンズもこれからますます大きくなっていくことでしょう。楽しみです。
circus/showmore
たまたまYouTubeで流れてきたこの曲。イントロ数秒でやられました…。
ピアノと女性Vo.のユニットShowmore。
ジャズをベースにしたサウンドで、こちらも夜の空気を色濃く感じさせるm寧曲です。複雑で繊細な感情の機微を捉えた歌詞とそれを彩る歌とピアノ。
それらが混ざり合い、何とも言えない気持ちにさせてくれます。
都内で精力的にライブ活動する彼ら、2度ほどライブに行きましたがすごくよかった。来年もライブちょこちょこ行こうと思ってます。
■一休さん/水曜日のカンパネラ
しんみりした曲が続きましたが、この曲はがっつりダンスサウンド。
水曜日のカンパネラは、歌詞とかMVとかコムアイのパフォーマンスとかで色モノ扱いされること多いですけど、ケンモチヒデフミの作るトラックのクオリティが高いからこそ、成り立っていると思います。
この曲も歌っているのは一休さんだけど、このゴリゴリのディスコサウンド、ブリブリのベース、かっこよすぎでしょう。
メジャーでのファーストアルバム『 SUPERMAN 』は、これまで以上に楽曲のよさが光った一枚だと思います。ぜひ、聴いてほしい。
■LA PA PARADISE/BRADIO
COUNTDOWN JAPANに参加するにあたり、「出演アーティストでよい人いないかな」とYouTubeを見ていて、存在を知ったBRADIO。
Showmore同じく、こちらもMV開始してすぐ、第一声でやられました。
ファンクど真ん中のダンスサウンド、敢えての安っぽい加工のMV、VO. 真行寺貴秋のファルセットとパワフルな歌声。(アフロも素敵です。)
どこをとっても、「2017年の曲かよ!」と(よい意味で)思わせる感じで最高です。 無条件に身体を動かしたくなる楽しい曲です。
この曲や他のMV見て、「これは絶対ライブ面白いだろう」と期待してCDJのステージに行きましたが、その期待を上回るキレッキレのライブパフォーマンスを見せてくれました。今年メジャーデビューを果たしたそうで、彼らも来年要注目です。
(後半に続く)
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キャリアデザインの極意は、“デザインしない”こと?
“節目”は自分の力で乗り越える!
先日、ワークショップデザイナー(WSD)育成プログラム受講者対象のワークショップ「WSDとしてのキャリアを考えるワークショップ」に参加してきました。
WSDの皆さんと意見交換をしながら、「キャリア」について考えるプログラム自体も楽しかったんですけど、今日伺ったお話の中で、自分の考える「キャリアデザイン」の視点が広がる気づきがあったので、自分の中での整理も兼ねてちょっとまとめてみたいと思います。
◆“デザインをしない”キャリアデザイン
ワークショップに先駆けて行われた「インスピレーショントーク」では、WSDの講師もされているG Office代表/ 青山学院大学客員准教授 内山厳さんと、 NPO法人GEWEL代表理事/Jリーグ理事 村松邦子さんにお話を伺いました。
内山さんは俳優としてキャリアを進める中で、偶然のきっかけから研修講師をするようになり、演劇的手法を用いた学びのプログラム・場をつくる仕事をされており、そこからWSDをはじめとした教育現場にも活動の場を広げられています。(厳さんのWSやお話は本当に面白くて学びが多く、個人的に大ファンです。笑)
村松さんは、外資系企業で様々な管理部門業務を担当されていましたが、同僚の死をきっかけに、「人がもっと幸せに自分らしく働き、生きられること」に強く関心を持ち活動を続け、現在は独立されダイバーシティ・インクルージョンを様々な形で推進されています。
お二人の話で共通していたのが「デザインしないキャリア」ということ。
内山さんは、「『面白そうだな』と思うものに関わっていたら、気づいたらこの形になっていた」といったお話をされ、村松さんは「『このようなことを実現したい!』と思いながら活動していたら、自分でも思ってもいなかったキャリアになっていた」といったお話をされていました。
明確に「このようなキャリアを自分は進むのだ!」というものを考えて行動するのではなく、「面白そうなものに関わりたい」「このビジョンを実現したい」という考えがあり、それを軸に進んでいく中で、キャリアが形成されていく——判断基準や達成目標を描き、あとはそこを拠り所に歩みながら考える。
正に「デザインしないキャリア」だなと思いました。
◆デザインするキャリアの難しさ
自分の「これは面白そうだ!」と思う“嗅覚”に頼る
その“嗅覚”を鍛えることが大切
そのお話の中で内山さんが話されたこの言葉が印象的でした。
何となく自分が最近考えていた「キャリアデザイン」について、整理できたというか、ふわっと考えていたことが、この「“嗅覚”を鍛える」というワードで説明できるような感じがしています。
自分自身がどのようなキャリアを歩み、どのような生き方をするのかということに「正解」や「これが正しい」というものはありません。…というより、何がよいかということについて、人それぞれに答えみたいなものがあるのだと思います。
少なくとも「普通の暮らし」みたいなものがあって、一定の方向性の中で誰もが「幸せ」を享受できる、といった時代は終わったと思います。
自分自身で「どうすれば自分が幸せになれるか?」ということを考え実現していく前に、「そもそも自分の幸せとは何ぞや?」と考えるところからスタートする必要が生じています。
よい意味でも、難しい意味でも、現在のキャリアデザインは「歩み方」だけでなく、「どこに向かうか?」ということをより求められるようになっています。
素人ながら少しばかりキャリア教育に関わったり、採用の現場で正にキャリアの岐路に立つ学生と向き合っている中で感じていたのは、矛盾するような話ではありますが、キャリアをしっかりデザインしている人ほど、キャリアについて悩むことが多いということ。
キャリアに限った話でもないのですが、人生なかなか思い通りにはいきません。自分の力ではどうすることのない外的な要因もありますし、運・偶然というものも左右する。
しっかりと細部にわたってキャリアの方向性を描きすぎてしまうと、予想外の出来事や道から外れてしまったときに、「思っていたものと違う」「こんなはずじゃなかった…」と思って悩みに陥ってしまうことが多いような気がします。綿密なキャリアデザインは、時に「計画から逸れる」=「失敗」という葛藤を強く生んでしまうことがあります。
◆“節目”をデザインする(キャリアトランジションモデル)
そういったことから、私自身は神戸大学大学院の 金井壽宏先生が論じる「キャリアトランジションモデル」、“節目”のデザインと“ドリフト”という考えがしっくりくるなと思っています。
詳細の説明は割愛しますが、ざっくり言うと、
①キャ��アの大きな方向性を持つ
②“節目”となる時期・タイミングはしっかりとキャリアデザインする
③デザインした方向性に向かって行動する
④偶然や外的変化なども受け入れて、楽しむ余裕を持つ
といったプロセスを繰り返していくキャリアデザインです。
いつどんな時も、全てを緻密に計算しデザインすることは大変だし、それを実現していくのは至難の業。だけど、何にも考えずにただ流されるだけでは、キャリア形成とは言えません。
だから、自分が何をしたいか、どちらに進みたいかという方向性/目標感覚はしっかり持ち、基本は流されることも良しとする、だけど「ここぞ!」というタイミングにはしっかりと考え、努力する。ガチガチでもなく、他人任せでもない、ちょうどよい距離感でキャリアと向き合うことは非常に大切と思い、自分自身の方針としても、キャリア関連で仕事をさせていただく時にも、ベースの考え方として持っています。
一方で、このモデルの中でもとても大切な「キャリアの“節目”を捉える」ということが非常に難しいとも感じています
自分自身のキャリアを振り返ってみると、「ここが転機だった」と思う場面があり、そこがまさに“節目”だったのだと思うのですが、そういった時々に考えたことや選択の結果で、現在の自分自身は楽しく仕事・キャリアと向き合うことができている気がします。
でも、実際にそのタイミングの時は、「ここが転機だ!」と深く考えていた訳ではなかったと思います。結果的に上手くいっただけで、振り返れば「あそこが転機だった」という部分を逃し、現在のキャリアに悩みを抱えてしまう人も多くいるように思います。
そのため、「キャリアトランジションモデル」において、「“節目”に気が付く力」という重要な力をどのように身につけていけるのかな?というのが、結構悩ましいテーマでした。
話が長くなりましたが、前段の「“嗅覚”を鍛える」ということが、正に「“節目”に気づく力を養う」ということと同義であるのではないか?そんな風に思います。
◆「面白そう」という感覚を信じる
おそらく、同じ経験や同じ機会に立っても、それが「転機」・「節目」となるかは人次第。なぜなら、何を大切にし、どんなことをしていきたいかが人によって異なるから。
(もちろん「異動する」とか「昇進する」といった誰にとっても「転機」・「節目」になるものもありますけど、それは分かりやすいので気づく力はあまり必要ないと思います。)
自分にとっての「転機」「節目」が訪れたときに、そこが「転機」「節目」と気づける力、気づかなくとも感覚的に「面白そう!」「やってみたい!」とアンテナに引っ掛ける力…。そういったものが、仕事のあり方・働き方が大きく変わろうとしている今の時代に求められているように思います。
では、どうすればそういう力…“嗅覚”を高められるのか?自分自身の経験も振り返りつつ考えると、非常に簡単に言えば、「自分が何を面白がるか」を知っておく。物事に興味を持つ(楽しむ・驚く・ワクワクする・面白がる)感覚を大切にする。ということになります。
キーワードは「アンテナを貼る」こと。
自分の関心・興味の幅を広げるために、アンテナを広く貼って様々な情報に触れることを意識する。
人の興味・関心というものは、意識せずに放っておくと、「今、自分にとって大切なもの」に集約しがち。それ自体は悪いことでは会いませんが、そこからはなかなか新しいものとの接点は生まれにくい。
だからこそ、日ごろから新しいことに興味を持ったり、普段会う人とは違う人と話をしたり、やったことのないことに挑戦をしたり…、仕事と直接つながらずとも、そういった経験をしていく中で、自分自身の興味・関心がどういったものに向き、何をしているときが自分にとって幸せか、というキャリアデザインの根本にある価値観を知ることにつながります。
このような観点で、自分の興味・関心を拡張していくことが常にできていると、自ずと“嗅覚”は高まり、“節目”に自分自身にとってよりよい選択・デザインができるのではないでしょうか。
まあ、その感覚を持ってもらうまでが大変なんですけど…。笑
ただ、一般的なキャリア支援の一歩手前で、興味・価値観を開くというエクササイズの重要性を改めて感じました。
これからのキャリア開発的なお仕事を考える上での、重要にしたい視点です。
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デザインとアートで磨け!社会課題の届け方 -soar campusレポート-
◆続・soarにまなぶメッセージの届け方
9月25日、渋谷100BANCHにて開催された希望を届けるWebメディアsoar(ソア)主催のイベント〔soar campus〕に参加してきました。
今回のテーマは、「アートやデザインの力で社会にメッセージを伝えること〜 」。
soarにも掲載されている2組のゲストのお話を伺いながら、社会に対してデザインやアート、クリエィティブの力を用いてメッセージを届ける視点をまなびます。
HEISEI KAIGO LEADERSも高齢化問題・介護問題と向き合う中で、より多くの人にメッセージを届け、活動の輪を広げていこうとしています。
自分たちにとっても必要で、今まなぶべきテーマ!
そんな思いで意気込んで参加して、「今の自分たちに足りないのは、笑いとゆるさじゃない?」という考えに至るまでのレポートです。笑
◆“正しく”伝える+人の感性に届ける
冒頭はsoar編集長で、本日のイベントの進行役である工藤さんによるsoarの説明とイントロダクション。
「問題を解決しよう」では人は下を向く。
「解決した先には、こんな世界がある」だと、人は上を向く。
soarの活動の説明は、Webサイトに詳しく掲載されていますが、上記の言葉がその思いを表していると思います。
マイノリティや社会課題の当時者にスポットを当てながらも、課題にフォーカスをするのではなく、その解決策やポジティブな事例を取り上げ、記事を読んだ人が前向きに、笑顔になることを応援しています。
soarの記事が目指すのは、困難に直面した人に寄り添い、希望の力になること。
私たちが暮らす社会には、様々な課題があり、その当事者として困難を抱えている人が多くいる一方で、その課題を認識し、なんとか解決しようとする人たちがいます。
しかし、情報が上手く発信できていなかったり、発信できていたとしても、なかなか必要な人に届ききらなかったり…。結果的に「もっと早く情報を知っていれば…」ということになってしまうかもしれない。
そんな時、より多くの人に、そして一人ひとりの心の奥深くに届けるために、デザインやアートが力を発揮します。
大切な情報だからこそ、必要としている人がいるからこそ、届け方にもこだわる。
向き合うテーマも、アプローチ方法も違う2組のゲストの話から、デザイン&アートの力を使った「届け方」を学んでいきます。
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◆絵本の力で、患者の先の子どもたちへ -ぷるすあるはの場合-
最初のゲストは、NPO法人ぷるすあるは 代表の北野さん、制作担当のチアキさん。
「ぷるすあるは」は、精神障がいを抱えた親と、その子どもを支援する団体。
北野さん・チアキさんは精神科の医師、看護師でもあり、臨床の現場での経験から、診察室の外にいる子どもたちに、「 必要だけどこれまで世の中になかったもの」を届けるという思いで、絵本の製作や、Webサイト子ども情報ステーションの運営などを行っています。
soar記事リンク:子どもたちの名前のないしんどさに焦点を。精神障がいを抱えた親と子どもを絵本で支える「ぷるすあるは」
実際にどういった絵本を作っているのか?
まずはチアキさんによるアルコール依存症のお父さんを持つこどもの葛藤を描く 『ボクのことわすれちゃったの?─お父さんはアルコール依存症─』の朗読です。
◆お父さん、ボクのことわすれちゃったの?
実際の作品の朗読の様子がYoutubeにありましたので、ぜひご覧ください。
お父さんは、お酒を飲むと怖くなる。
お父さん、ボクのこと忘れちゃったの?
前は一緒にキャッチボールしてくれたのに。今朝だって約束してくれたのに。
今日も昼からお酒を飲んでいる。
以前は優しかったお父さんがお酒を飲み変わってしまったことを悲しく思うハル少年。
家の中のことはだれにも言えない。
ボクはときどき頭が痛くなる。
お母さん逃げて
どうしようボクが悪いから
ゴメンナサイゴメンナサイ
ハルは、辛い思いを誰にも打ち明けることなく、抱えています。
自分が悪いのかなという葛藤を抱えながら。
そんなある日、お父さんは倒れてしまいます。
お母さんにも泣いてほしくないし
お父さんも死んじゃイヤ
どうしよう…
こわい気持ちをどうにもできなくて、ボクは手紙をかいた
お父さんに対して、「お父さん死なないで。また一緒にキャッチボールがしたいです。」と手紙を書くハル。
ハルからの手紙を受け取ったお父さんは、断酒を誓うのですが…
キャッチボールの約束をした日に
お父さんはお酒を飲んだ
泣きながらお酒を飲んでいる…
アルコール依存を断つことの難しさが描かれます。
そして、その日をきっかけにお父さんはもう一度、専門治療を受けることを決意します。
病気と向き合うお父さん、そしてお母さんも、ハルに語りかけます。
「お父さんはねアルコール依存症という病気なの
ハルのせいじゃないのよ」
ボクのこと嫌いになったんじゃなかったんだ
ボクは少し安心した
子どもの不安、葛藤、そして病気を理解し、受容していくプロセスが丁寧に描かれています。
ハル少年の心情が変化していくのと重なって、暗くどんよりした色の背景が少しずつ明るくなっていくのが印象的でした。
◆見えなかった存在へのまなざし
お二人は、なぜ患者の子どもたちに向けて、メッセージを届け始めたのでしょうか。
臨床の現場に立つ中で、「 病気を抱えた本人の治療はあるが、家族や子どものサポートはない 」ということに気が付いたことがきっかけだったそうです。
治療者側の視点では、なかなか診察室の外にいる子どもの存在に気が付きづらい。
でも、子どもたちも全ては分からないながらも、親の不調を感じ、「これからどうなるのだろう」と不安に思っています。
一方で、親も子にどう伝えて良いのか分からない。
そんな時に、こどもにも分かりやすい形で、大人からも伝えやすい形で、病気のことを伝えられる一つの手法として、絵本が浮かんだそうです。
◆大事なことだから“真っ向勝負”
お二人が活動をするにあたって大切にしていることをいくつか紹介いただきました。
印象に残ったことの一つが、「子ども扱いをせず、重い情報は重たいまま伝える」ということ。
この絵本を手にする子は、辛い思いを抱え、真剣に手に取る。だから、分かりやすさを意識しながらも、大切なことを逃げずにしっかりと届けよう。
そんな風に思いながら、読んだ子供たちや親が、傷つかず、希望を抱けるような作品にしていくか、細部にまでこだわるとのこと。
例えば、しっかりとハードカバーで装丁することで、「こんなに形で本になっているってことは、自分の家だけの話ではなく、同じような人もいるのかな?」と思ってもらえるよう意識していたり。
例えば、本のレイアウトとして絵の周りに白い枠をつけることで、客観的にみることの出来るよう工夫をしたり。
届けたい人に思いがきちんと伝わるように、細部にまでこだわるやさしさ・配慮が印象的でした。
◆製作者としての”バランス感覚”
「ぷるすあるは」は、出来上がった絵本を学校の保健室、病院、当事者の人たちに届けることをしています。
実際に絵本を手に取った人の反応も様々。
「自身の体験と重なって、共感した」「必要な時に手に取れるのがよい」といった、ポジティブな意見もあれば、
「自分の場合は、こんなハッピーエンドではなかった」
「(親として)こんな辛い思いを子どもにさせていたのか…」
といった複雑な心境が返ってくることも当然あります。
一つの物語という枠におさめて伝える、届けるからこそ、そこには限界もあります。受け取り手の感じ方も多様であり、どうしても全ての思いに寄り添うことはできません。
つくり手の思いと受け取り手の思い、そして受け取り手の多様な悩みや思いを意識しつつ、作品という一つのフォーマットにしていくか、言い換えれば何を届けて、何を届けないのかということのバランス取りは非常に難しいですが、常に意識しているとのこと。
北野さんはこのように話します。
バランスをとることは難しい。あんまりやるとぶれる。
最後はぶれずに、自分たちの届けたい作品として完成させる。
自分たちの基準は大きく2つ。
①世の中に本当に必要?
②つくることにワクワクする?
それがないと「ぷるすあるは」としては、ちょっと違うのかな…と思う。
後述する「やる気あり美」のお話を聞いていても思ったのですが、届ける情報が受け取る人にとって様々な思いを持つテーマだからこそ、「一番届けたいのは誰で、どのように届ける?」ということをしっかりと考えることが重要である、とお話を聞いていて思いました。
「ぷるすあるは」では、絵本というフォーマットでは伝えきれないこと、当事者に知ってほしいこと・知りたいことをWebサイトを活用して届けています。
絵本という形あるものだからこそ、手に取って感じ取れるもの。
Webサイトというより多くの人に、タイムリーに届けられるもの。
メディアの得意分野を上手く活用して、届けられているとのことでした。
子ども情報ステーションbyぷるすあるは
こどもたちが病気について知ることのできるコンテンツの他、親向け・支援者向けなど様々な情報が掲載されています。
※絵本の作画を担当するチアキさんの原画展が10月17日-22日に さいたま市プラザノースで開催されるそうです!
子どものきもち絵本原画展part.3ーぷるすあるはのチアキのアイデアが生まれるところ
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◆LGBTを“笑い”でもっと身近に! -やる気あり美の場合-
続いては、「世の中とLGBTのグッとくる接点をもっと」をコンセプトに様々な情報を発信する「やる気あり美」。太田尚樹さんとみしぇうさんからお話を伺います。
※soarの掲載記事: “地味で、普通”のLGBTの人たちにとってのモデルになれたらーー「やる気あり美」太田尚樹くんが目指すセクシュアリティフレンドリーな社会
やる気あり美の出してくる情報はいつも面白くて、もともと好きだったのですが、特にこの記事を読んだ時に、「すごい!」と思ったのを覚えています。
坊さん座談会〜仏教的にLGBTってどうなのか、聞いてきました〜
もうタイトルから面白いんですけど、テレビによく出ている某占い師が��同性愛者は地獄に落ちる」と発言したことをきっかけに、仏教的にLGBTをどう捉えるのかというお話をお坊さんに聞くこの企画。
ぜひ読んでいただければと思うのですが、冒頭から「現代人の生活していると、LGBTとか関係なしに基本全員地獄行きなんですよね」という身もふたもない話が出てきて、すごい笑ってしまいました。LGBTのことを色々と考えるきっかけになるかどうかより前に、まず面白い!それがやる気あり美の素敵なところだと思います。
◆自分たちが「言いたいこと」をみんなが「聞きたいこと」にする
やる気あり美の活動がスタートしたのは、2015年4月。
太田さんがLGBTの理解を広げる活動のお手伝いをしていた時に感じた思いがきっかけだそうです。
みんなやる気・熱意をもって、LGBTのことを知ってもらおう、理解してもらおうと努力している。でも、ちょっと重たい。
例えばイベントで配られる分厚いリーフレットは、たくさんの想いが込められているけど、分厚くて難しくて読む気がおきない。
「言いたいこと」が世の中にとって「聞きたいこと」になっていないんじゃないか?と感じたそうです。
一緒に登壇されたみしぇうさんも、このように話します。
LGBTの団体がやっていることは、自分にはまじめすぎてとっつきずらい。
でも、自分にやりたいものがあればやりたい。
笑いやエンタメ的なものがあればやりたい。
自分たちの「言いたいこと」をみんなが「聞きたいこと」にする
「自分たちがやりたいこと(=笑えて楽しいもの)をやる。」
そんな思いで、やる気あり美の活動はスタートしました。
◆ “友達になったら楽しそうな団体”を目指す
・色々な分野の人たちと話を聞きに行き、いろんなテーマでLGBTを語る「座談会」
・映像作家井上涼さんによる「思わせぶりなノンケ男性のひとことGIF劇場」
そして、上記GIFをまとめ、恋する10代LGBTに贈る映像作品「確信」
(※余談ですが、井上涼さんが製作されているNHK Eテレの「びじゅチューン」が大好きで、このイベントにも参加されていた井上さんに「ファンです!」と声かけて一緒に写真撮ってもらうミーハーなことしてしまいました。笑)
・みしぇうさんが演じるキャラが強烈で面白い「カミングアウトされる愛しのノンケたち」
などなど、様々なコンテンツが展開されています。
どのコンテンツもユーモアと笑いがあって、テーマ云々を抜きにしても、ついつい楽しんで見てしまいます。
「やる気あり美」のコンテンツの目指すことは、LGBTを身近に感じてもらうこと。太田さんは「“身近になる”ということは、共感できるかどうかではないか?」と考えて、「作ったものの中に共感はあるのか?」ということを意識すると語ります。
「共感をしてもらう」ということを太田さんは「友達になったら楽しそうな人」になるという言葉を使って表現されていました。
写真にもありますが、「友達になったら楽しそうな人」は、笑わせてくれて、「へ~!」っていう話をしてくれて、自分だけの話をしたりしない人。
社会課題について伝えようとすると、活動の原点に「課題」があるので、どうしてもしんどいことをアウトプットしがちになります。だからこそ、「友達になったら楽しそうか?」という視点でコンテンツを作ることで、楽しく面白く共感しやすい「聞きたいこと」にしていく。そんなことを「やる気あり美」は大切にしています。
◆「やわらかくて、とがっている」笑い
たまたまですが、つい先日フジテレビ「とんねるずのみなさんのおかげでした」30周年記念番組で、過去に登場した 「保毛尾田保毛男」というゲイの男性をネタにしたキャラが登場し、 LGBTの関連団体などが抗議、フジテレビの宮内社長が謝罪するというニュースがありました。
↓共に ハフィントンポスト日本版
「保毛尾田保毛男」批判に、フジ・宮内社長が謝罪
「保毛尾田保毛男」という負の遺産が2017年に復活してしまった
本題から逸れるので、「今回の放送がどうだったか?」ということについては言及を避けますが、届けた先にいる人についての想像力を養っていくのは、メディアの責務だと思います。マスメディアはもちろんのこと、SNSで誰もが発信できる時代だからこそ、みんなが考えていくテーマと思います。
…本題に戻ります。
LGBTというセンシティブなテーマを扱う、しかもみんなの「聞きたいこと」にしていくために笑いと一緒に届けていこうとする「やる気あり美」にとっても、「笑えるものを作る」ことが、「誰かを傷つける・不快にする」ということにつながるリスクは避けられません。
そのリスクとどう向き合うのか?
太田さんのお話からは、社会課題を“楽しく”届けるためのヒントがたくさんありました。
① 尖らせてから丸くする
この表現が非常に分かりやすかったのですが、「笑えるものは尖っている」という前提があります。無難で誰に投げても反響しないものは、無害だけれど笑えない。笑いは意外性だったり、ユニークだったり、「普通」と異なる部分に現れます。
「やる気あり美」では、まずは「タイトル爆笑会議」という形で自分たちが爆笑できるテーマを考えます。実現できるかどうか、不謹慎でないかなどは二の次。とりあえず尖らせて、笑えるポイントを探ります。
でも、 尖れば尖るほど、笑いの要素を高めるほど、人を刺して傷つけてしまうリスクは大きくなる。そのため、尖ったものを丸くしていく過程も大切になります。
「やる気あり美」でも、面白いというタイトルが出てきたら、その後で「これってどんな意味があるかな?」と考えたり、「この表現をしたら、どんな人たちがどんな風に感じるかな」と考えていくそうです。
丸いものを後からとがらせることはできないけど、
とがっているものを後から丸くすることはできる。
この視点で見てみると、あくまで個人的な印象ですが、「やる気あり美」のコンテンツには、「笑い」はあるけど人を傷つけるような「棘」がないことに気が付かされます。
センシティブな情報を「無難」に届けるのではなく、みんなの「聞きたいこと」にしていくにあたっては、重要なポイントのように思えます。
②「誰も傷つかない」を諦める。「誰が傷つくのか」は分かっておく。
この言葉もとても印象的でした。
「無難」な表現は誰も傷つかないかわりに、誰の心にも届かない。だから、「誰も傷つかない」ことを諦める。その上で、「この表現で誰が傷つくか?」ということを想定し、「傷つく人は自分たちがケアすべきか?」「そういう人たちが傷つかないためには…?」ということを「やる気あり美」のコンテンツ制作では意識をしているそうです。
「ぷるすあるは」しかり、「やる気あり美」しかり、自分たちの届けるものが、ポジティブにもネガティブにも影響があることを自覚した上で、自分たちが何を大切にすべきなのかという判断基準・判断軸をしっかりと持ち、ぶれずにやっていく意識を持っているなと思いました。
どんなメッセージを届けるにしても、きっと色々な声は生まれてくる。そういった反響を大切にしながらも、「自分たちは何を大事にするの?」「誰に何を届けるの?」ということをちゃんと持つことが大切と思いました。
◆イメージを”変える”のではなく、”足していく”。
「やる気あり美」の活動の一つ〔KITCHEN〕。
LGBTの人もそうでない人も、ただ一緒に料理を作り、仲よくなるというイベントで、セクシャリティをオープンにするかどうかは自由だそうです。
この〔KITCHEN〕に来ると、その人がどんなスタンスかどうか関係なしに、ただただ仲良くなる。
知識として理解をし、セクシャリティの多様性、つまり「違い」を尊重するということも大事ですが、それと同時にセクシャリティ抜きに同じ人として「違わない」んだという共感をすることも、とても大切なことであると〔KITCHEN〕は教えてくれます。
(次回の開催未定だそうですが、料理好きとしてはぜひ参加してみたい!)
やる気あり美は、これまでのLGBTの当事者の活動とはまた違った色の活動をしていますが、決して既存の活動を否定していません。
彼らが目指すのは、今まで積み上げてきた活動に、新たなイメージを加えていくことだそうです。大切だけど、どこか特別で重い「マジメな活動」の隙間を埋めるように、「やる気あり美」の笑える、グッとくる活動が入ることによって、より多くの人に届くように、彼らはこれからも自分たちが笑えるような、友達になりたくなるような情報を発信してくれるのでしょう。
これからも注目です!
◆さあ、僕らは介護をどう伝える?
「ぷるすあるは」、「やる気あり美」、そして「soar」この3つの活動は、社会課題を必要な人たちに、まだ知らない人たちに届けるための様々なアイディやヒントを教えてくれました。
さて、私たちはこのまなびをどのように自分たちのフィールド―介護に活かしていけばよいのでしょう?
個人的な意見ですが、介護領域はまだまだ「届ける」「伝える」ということを、もっともっとよくしていけると思っています。
2025年に団塊の世代が75歳を超え、日本の介護需要は今とは比でないほど高まると言われています。
今ですら深刻な問題となっている財政問題、介護人材不足、地域の受け皿の不足は、このままの状態で8年後を迎えれば、ますます深刻になる。
私たちはこの課題を「高齢者とその家族の問題」「介護業界の問題」「政治や自治体の問題」としてとらえるのではなく、全ての人が「自分ごと」として考える必要があります。
でも、これまでの介護領域は「届ける」工夫をしきってきたといえるでしょうか?
危機意識・課題認識をただ伝えるだけで終わっていたのではないか?
「介護は大変だから、イメージが悪くても仕方ない」とどこかで諦めていなかったか?
「いつかは分かってくれるだろう」と甘えた気持ちを持っていなかったか?
「どうして、大切な問題なのに分かってくれないの!!」と受け取り手側の責任にしていなかっただろうか?
もちろん、そうでない素晴らしい取組もたくさん知っているし、自分自身微力ながら採用の領域で、介護にもっとワクワクを、期待を持てるような発信をしてきたつもりでもいます。
でも、届ける人たちにどうすれば届くのか、どうすれば受け取る側にとって「聞きたいこと」になるのか、ということを自分たちも笑いながら、ワクワクしながら考えて発信していけば、もっと多くの人が介護について考えてくれる機会は増えるのでは?そんな気がしました。
HEISEI KAIGO LEADERSがこれから届けていく情報にも、大切なことだから、より軽やかに、ユーモアも交えながら、届けたい人にとってワクワクするような情報になるように、頭を柔らかくして考えていきたいと思います。
「HEISEI KAIGO LEADERSのあの記事読んでさ、笑っちゃったけど、ちょっと介護身近になったよ」
そんな風に言ってもらえるような情報を、私たちも楽しみながら、頭を柔らかくしてつくっていこうと思います。
soarのみなさん、ぷるすあるはのみなさん、やる気あり美のみなさん、ありがとうございました!
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「介護のイメージを変えたい人」に伝えたいこと。
◆「介護のイメージを変えたいんです!」
採用担当者として介護人材の採用に携わっていた時も、HEISEI KAIGO LEADERSでも、よくこういった思いを聞かせてもらうことが多くあります。
介護に関しては暗いイメージも多いし、働く仕事としてもポジティブなイメージよりネガティブなイメージが先行している。
でも、実際には様々な魅力があるし、これからますます進展する高齢化社会の中で、介護は非常に重要になる。
介護にもっとより多くの人が希望を持つためにも、もっとよいイメージが広がってほしい。
そんな思いを抱く若い人が増えているのはとてもよいことです。
私自身もどうやって「介護のイメージを変えることができるか?」ということを仕事で考え続け、仕掛けてきた側なので、そういう思いを応援して一緒にやっていきたいと強く思います。
でも、この思いは一歩間違えると、介護の現場で頑張る人にも、介護にネガティブなイメージを持つ人にも響かない、イメージを変えることのできない空虚なものになってしまう危険性を秘めていると思っています。
「介護のイメージを変えたい」という思いを持つ人にこそ、大事にしてほしい・心の中に持っておいてほしい��と個人的に思っていることをちょっと書いてみます。
◆”イメージを変える”ってどういうこと?
「介護のイメージを変えたいなら、本気で現場と向き合ってほしい」
端的に私が言いたいことを表すと、こんな言葉になると思います。
介護のイメージを変えるための“タネ”は、全部現場にあるのです。
…という���り、現場や当事者を介さないイメージの変容は、正しくは「イメージが変わった」のではなく、「イメージが作られた」のです。
もちろん、介護のイメージを変える何かをゼロから生み出すことができないとは言いません。
ただ、至難の業でしょう。この部分をしっかりと踏まえないと、実態とかけ離れたただ見栄えの良いものをきれいに提示しているにすぎません。
さて。
「介護のイメージを変える」って、そもそもどういうことなんでしょう?
大きく分けてこの2つのパターンというか対象の人がいるのだと思います。
1.実態は知らないけど、何となく悪いイメージを持っている人
今はあまり実態を知らなくて、何となくニュースやネットを通して悪いイメージを持っているけど、ポジティブな情報に触れることで印象が変わる
2.実体験でよくない経験をしていて、「自分のよくない経験=介護」となっている人
あまりよくない実態に触れた経験があって、実体験として悪い印象を持っているけれども、新たな視点やよい取組・思いをもって働く人を知り、印象が変わる
どちらにせよ、人が「ネガティブ⇒ポジティブ」に印象を転換するのは、自分の知らないポジティブな情報に触れた時です。
そしてそういったポジティブな事例・取組・成果というのは、現場での実践なしには生まれてきません。
「介護のイメージを変えたい」と感じている人の多くは、自身が何らかの体験を通して「介護のイメージが変わった」経験をしていると思います。
その時のことを思い出してみると、どうでしょうか?
きっと、自分のイメージと違う介護施設に出会ったり、思いをもって生き生きと働いている人と出会ったり、介護が必要になっても自身の人生を楽しむ高齢者に出会ったり…。そんな体験がきっかけではないでしょうか。
繰り返しますが、人の心を動かす、元々持っていたイメージを変容させるものは、実践から生まれてきます。
◆イメージを変える【プレイヤー】と【サポーター】
「介護のイメージを変えたい」と思ったとき、2つの実践方法があります。
①人の印象・イメージを変容する【プレイヤー】になる
これまで話してきたように、人のを動かすのは実際にアクションを起こし、形を作る組織であり、人であり、活動です。
本当に「イメージを変える人」になりたいのであれば、介護現場で高齢者の人や介護そのものと向き合う必要があると思っています。
失敗も積み重ねながら、目指すものに向けて努力をする、あなたやあなたの仲間、周囲の人たち、介護を受ける人たちの姿が、それを見た人のイメージを変えていくことでしょう。
もちろん関わり方は様々です。介護の仕事を選ぶだけが選択肢ではないと思います。
②イメージを変える【プレイヤー】の【サポーター】になる
「【プレイヤー】の実践が人のイメージを変容する」といっても、それはなかなか一個人・一組織の力だけでは難しい。
自分が直接携われる身近な人のイメージ変容に留まらずに、社会全体の、たくさんの人のイメージを変えようとするのであれば、伝え方・届け方を工夫することが必要になります。
そんな時に、例えばデザインやコピーライティング、メディア展開といったクリエイティブの力で【プレイヤー】の活動を伝えていく。
例えば会社の広報・採用領域などといったPR領域で、様々な形で伝えていく。
【プレイヤー】の活動をより多くの人に届けるために支援する【サポーター】的な役割も多くの人のイメージを変えるにあたって重要になります。
「介護のイメージを変えたい」と考えてくださっている人が、もしこの文章を読んでいてくれているならば、どちらの道がご自身の望む道に近いでしょうか?
もし、「【サポーター】的な関わりが近い」ということであれば、ぜひこの視点を持っておいてほしいです。
介護のイメージを変えた“主体”は、常に【プレイヤー】である。
実践・行動をしていない【サポーター】ができるアクションは、【プレイヤー】の活動を応援し、それを多くの人に届ける、魅力的に伝えることになります。
【サポーター】の協力あってこそ、多くの人に届き、多くの人の心を動かしたとしても、「何が心を動かし、イメージを変えたのか?」という本質を突き詰めていけば、根っこの部分にあるのは間違いなく【プレイヤー】の実践となります。
【サポーター】は、自分自身が「介護のイメージを変える」のではなく、【プレイヤー】が「介護のイメージ」を変える応援をすることが目的となります。
【サポーター】になるのであれば、「自分だけでは介護のイメージは変えられないのだ」という自覚が必要です。
もちろん【プレイヤー】と【サポーター】に優劣があるとは思っていません。介護のイメージを変えていくには、どちらの存在も大切です。
ただし、主体となるのか、サポートとなるのかは大きな違いがあると思っています。
◆あなたは、どんな形で介護を変えたいのだろう?
なぜこんなことを言いたいのか?
それは、「【プレイヤー】は嫌だけど、私自身が介護のイメージを変えるんだ!」と考えている人が多いんじゃないかな…という危惧があるからです。
採用活動をしていた時も、今の活動をしている中でも、「介護のイメージを変える仕事や活動をしたい!」というお話をたくさん伺います。
その一方で、「別に直接介護をしたい訳ではないんですよね…」という話を同時にされることも多くあります。
ここまで述べてきたように、本質的な意味で介護のイメージを変えられるのは、実践している【プレイヤー】でしかないと私は考えています。
本当に「“私”が介護のイメージを変えるんだ!」と思うのであれば、どんな形でもいいから、【プレイヤー】として、介護にきちんと向き合ってほしい。
そして、それがしっくりこないのであれば、変える主体となるのではなく、【サポーター】として、【プレイヤー】を応援してほしい。
ただし、【サポーター】を選ぶのであれば、本当の意味で「介護のイメージを変える」のは、あなたではなく他の誰かです。
◆「サポーター」としての矜持を持つことも大切
「現場を知らないヤツはダメだ!」
「【プレイヤー】こそが大切!【サポーター】に意味はない」
なんて言うつもりは、もちろんありません。
なぜなら、私も間違いなく【サポーター】だから。
新卒で入社した最初の1年と少しと、今現在もm兼業という形で介護の仕事をしていますが、私自身のキャリアのほとんどは、介護現場の“外”から、「介護の仕事をどう伝えるか?」「介護の仕事のイメージをどう変えるか?」「介護の現場をよりよくするためには?」ということを考えてきました。
どちらかと言えば、そういう方がどうやら性に合っているようなので、これからもそんな【サポーター】的な発信をする仕事もしていくことになると思います。
その時に気を付けたいなと思っているのは、「『私が変える』のではなく、『現場で頑張っている/面白い、素敵な取組をしている人』の思いを届けるんだ」ということを忘れないこと。
「この私が介護のイメージを変えてるんだ」みたいな感覚を持ってしまうと、きっと段々現場の感覚とずれていき、それこそ間違ったイメージのねつ造につながり、結果としてミスマッチを量産してしまうと思います。
そういう意味では、自分の力ではなく、他人の褌で相撲をとっているようなものかもしれません。でも、それも悪くないなと思ってます。
そうやって、現場の実践をきちんと咀嚼して、分かりやすく翻訳して、様々な形でアウトプットして、多くの人に届けるのが【サポーター】の役割だから、その自覚をしっかりと持っていれば、自分の手で現場の素敵な人たちの思いを運ぶことができる【サポーター】という役割はとても楽しいです。
繰り返しになりますが【プレイヤー】と【サポーター】の間に優劣はないと思っています。
「介護のイメージを変える」という一つの目標に向かって、それぞれ異なる役割を持ったチームで、どちらの存在も必要不可欠だと思います。
改めて、あなたはどんな形で「介護のイメージを変えたい」でしょうか?
実践者としてイメージを変える価値を生む。
実践者の生んだ価値を広げ、実践者がイメージを変えるのを支援する。
どちらもありです。どちらもたくさんの可能性があります。
ぜひ、自分がワクワクするものを探してみてほしいです。
そして、【サポーター】を選ぶ場合も、きちんと身のあるものを届けられるように、「この人のアクションを届けたい!」と思える【プレイヤー】の仲間を見つけるためにも、色々な形で介護の現場に足を運んでもらいたいと思います。
□注文を間違える料理店
最後に。
認知症の方が暮らしやすい社会について、とても楽しく優しい形で、社会に提案をしているソーシャルアクションが話題になっています。
認知症の方と作る「注文をまちがえる料理店」広がれてへぺろの輪
認知症の当事者のみなさんが、ホールのスタッフをする料理店。
「料理の注文をまちがうこともあるかも。でもそれでもいいじゃない。」という優しさと余裕を持った笑顔の溢れる空間は、認知症があっても社会の中で笑顔で暮らせる環境を社会全体が意識し、共に作る大切さを楽しく投げかけてくれています。
これも、認知症の方と向き合う介護事業会社の【プレイヤー】と広告・デザイン領域の【サポーター】がそれぞれの思い・得意分野を活かして生まれたよい活動だと思います。
こういった活動が、たくさんの【プレイヤー】と【サポーター】のコラボレーションによって産まれていき、介護のイメージが変わっていけるように。
私自身も頑張っていきたいなと思います。
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目指せ! “巻き込まれ系”人材
◆人に巻き込まれるのも悪くない
久々の投稿です…。
Facebookの投稿で、″自分は「巻き込まれ系」だなぁ″と何気なく書いたら、思いのほかしっくり来てしまいました。笑
自分のやりたいことを主体的に進める生き方はもちろんかっこいいし、素敵ですけれども、人の夢や目標に巻き込まれるスタイルも、悪くないのかもしれません…。
◆「とりあえず誘っとけ」的風潮 大歓迎!
Facebookに書いたことと重なりますが、最近色々な人からこんなお声かけをよくいただきます。
「こんなこと考えてるんだけど、参加しない?」
「新しいこと始めようかと思うけど、一緒にどう?」
みたいな構想段階の相談というか、お話を頂くことが増えてきたような気がします。
お話頂く側として、「なぜに自分?」と思うようなお誘いもあるのですが、何となく周囲の人たちにとって、「新しいこと考えるなら、とりあえずあいつ巻き込んどけ」みたいな立ち位置に写っているのかもな…と思います。
で、こういった感じが自分にとっては、とてもありがたいことだったりします。
◆「巻き込まれる」からできること
「人に巻き込まれる」というのはある意味、他動的。
自分のやりたいこととは異なることがほとんどです。
でも、ちょっと違った視点で考えてみると、 自分一人ではきっとやらなかっただろうなという経験や、自分の行動範囲では会えない人たちと出会う可能性に満ちているともいえると思うのです。
これまでも、そうやって人の思いに「面白そう!」と首を突っ込んできたことで得られた経験や、ご縁が今の自分につながっているような気がします。
自分のやりたいこと・興味のあることだけを見ていると、進む道はもしかすると狭まっていくかもしれない。
だからこそ、時に自分の価値観や視点・経験値を広げてくれるためにも、誰かの思いに乗っかってみることは、悪くないことかなと思います。
◆巻き込まれたいのはどんなこと?
…とはいえ、何にでも巻き込まれられるほど現代人はヒマじゃない…。
だからこそ、何かしらの基準をもって選べばよいと思います。
人によってその基準はそれぞれだと思いますけど、私の場合は「自分がワクワクするか?」ということだと思います。
お話を聞いて、自分がワクワクすることであれば、きっと頑張れると思うし、その過程を通して自分自身もまなびや気づきを得られるのかな…と。(もちろん、身体は一つなので、ワクワクしてもお断りせざるを得ないこともあると思いますが…)
自分の中で、何かの基準を持ち、人のやりたいことにちょっと関心を向けてみると、面白い発見があるかもしれません。
◆目指せ!”巻き込まれ系”人材
何はともあれ、「あいつ巻き込んじゃえ」と頭に浮かべてもらえるのもありがたいことだと思います。巻き込まれたいと思っていても、相手がそう思ってもらえなかたら出来ないですからね…。
何かあったときに巻き込んでもらえる″巻き込まれ系″人材として、常にオープンな姿勢で人と向き合い続けたいなと思いました。
…ということで、何か巻き込みたい案件あったら、お気軽にご相談ください。笑
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